1000gで生まれた4つ子、3ccのミルクを飲んで懸命に生きるわが子に背中を押され、親族総動員で臨んだ1カ月!【多胎育児体験談】
よつはさん(33歳)は、2020年6月に4つ子を出産したママ。現在3歳の4卵性の4つ子(長女・二女・長男・二男)と夫の6人家族です。全2回の1回目の本インタビューでは、よつはさんに、4つ子を妊娠・出産した時のこと、4つ子の産後の育児について聞きました。
やっとの思いで授かったわが子。周囲からは「今回は諦めて、次頑張ったら?」の声も
―― 24歳で旦那さんと出会い、27歳で結婚したよつはさんですが、子どもについて旦那さんとはどのように話し合っていたのでしょうか?
「もともと子だくさんに憧れがあったので、夫とは『子どもは3人以上欲しいね』と話していました。私は結婚したらすぐに子どもができるものだと思っていたのですが、なかなか授からなかったので不妊治療を始めました。仕事を続けながら治療をしていたので、本格的な治療はしていなかったのですが、タイミング法、排卵誘発、人工授精をしていました。無知のまま不妊治療を始めてしまったこともあり、治療中は想像以上に辛かったです。気持ちが折れてしまい1年弱で不妊治療をやめてしまったのですが、不妊治療をやめてすぐに生理が遅れていたことに気づき、妊娠検査薬を使ってみたところ、妊娠していることがわかりました。急いで産婦人科に行きましたが、まだその時点では心拍確認もできない段階で、4つ子だということもわかりませんでした」(よつは)
―― 4つ子の妊娠が発覚した時のよつはさんの気持ちと、周囲の反応はいかがでしたか?
「次の週は胎嚢が2つ、その次の週には胎嚢が4つと、だんだん増えていきました。最終的に4つ子だということがわかった時はとても嬉しかったです。不妊治療中は『もしかしかたら私には子どもができないかもしれない』と自信を失っていたので、子どもができたことに嬉しさしかありませんでした。夫も『嬉しい!!』と一緒に喜んでくれました。
しかし、親族や病院の先生の反応は、決してお祝いムードではありませんでした。私の体や子どもの体を心配していて『おめでとう』という言葉はありませんでした。『元気に産めない確率が高い』『母体にも大きな負担がかかって危険』『今回は諦めて、次頑張ったら?』『絶対に1人では育てられない』と現実的な言葉をかけられ、正直なところつらかったです。もちろん私と子どもたちのためを思って言ってくれているのが痛いほどわかりました。けれど……わかるのだけれど、悲しかった。一緒に喜んで欲しかったというのが本音でした。
私にも夫にも“産まない”という選択肢はありませんでした。私が『もし自分が死んだら……』と弱気になっていると、夫は『絶対に産めるよ』『よつはは死なない』と声がけをしてくれて勇気付けてくれました。そして、『どんな子が生まれて来ても、私たちが産んで育てていく』と固く決意をしました。そんな私たちを見て、両親や先生も『そこまでいうなら頑張りなさい』と応援してくれるようになりました」(よつは)
妊娠29週で帝王切開。約30人の医師らに見守られながら4つ子が誕生
―― 4つ子の妊娠中、大変だったことを教えてください。
「妊娠中は切迫早産になり、子宮口を縛る手術をしたり、おなかの張りを抑えるために、入退院を繰り返しました。妊娠24週〜出産までは管理入院をしました。コロナ禍真っ只中で、入院中は家族との面会が一切禁止でした。出産まで誰とも会えず不安な気持ちを抱えて、1人で産まなければならなかったのがつらかったですね。けれども、私自身は先生からも驚かれるぐらい、動き回ってバクバク食べれる元気な妊婦だったので、それが救いでした(笑)。最終的にウエスト周りは120センチになりました。
私は『とにかく子どもたちをおなかの中に長く居させてあげたい』という一心でした。『とりあえず27週!』『次は28週!』『あともう1週間!』……と目標を掲げ、日記に書き記しながら、1日1日を乗り切りました。しかし、すべてが予定通りとはいかず、『おなかの中で上にいる子が下にいる子を圧迫し、下の子の心拍が低下しつつある』という判断で、29週に帝王切開となりました」(よつは)
妊娠当時の日記
―― 4つ子を出産した時のことを教えてください。
「帝王切開は事前に綿密な計画が立てられていたこともあり、冷静な気持ちで出産に挑むことができました。前例がほとんどない大きな手術だったので、手術室は3部屋確保され、医師・麻酔医・助産師など合わせて30人ぐらいが総動員でした。
子どもたちはおなかの中から数秒差で1人ずつ取り出されました。出生体重は長女1148グラム、二女1025グラム、長男1155グラム、二男1148グラム。みんな小さい体でしたが、大きな声で元気に泣いて無事に生まれてきてくれました。最初は感動で涙が出て『ありがとうね』と声をかけていましたが、次から次へとおなかの中から出てきて、あっという間に手術室からNICUに消えて行きました。
改めて子どもたちに会えたのは出産翌日でした。再び会えた嬉しさはありましたが、1000グラム程のあまりにも小さい体には管や呼吸器などがたくさん付けられていてとても痛々しく感じられました。『大きく産んであげられなかった』と子どもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいになり、その場で泣き崩れたのを今でも覚えています。
毎日NICUへ面会に行っていましたが、管や呼吸器がすぐに取れることはなく、毎日罪悪感に襲われる日々でした。けれども『今日は1ccミルク飲んでいます』とか、今日は『3cc飲んで、ちゃんとうんちも出ています』と看護師さんから聞くたびに、世間的にはごく普通のことですが、極低出生体重児の母になった私にとってはミルクを飲む量が1日1cc増えただけでも、ただうんちをしたというだけでも、『子どもたちは生きてる!頑張って生きようとしている!』と思えました。子どもたちに私が背中を押されているような気がして、『泣いている場合じゃない!』と前向きに考えることができました」
GCUに入院していた時の4つ子
「極低出生体重児だったものの、子どもたちは4人とも無事に生まれ、先生方にも『奇跡だ』と言われるほどでした。当時はコロナ禍真っ只中だったので、消毒して手を触ることぐらいしか許されず、抱っこが初めてできたのは、出産から1カ月後のNICUからGCUに移ってからのことでした。もどかしい気持ちもありましたが『今の私にできることは母乳を持っていくことだ』と言い聞かせながら冷凍した母乳を運び続け、出産から2カ月後のちょうど40週の予定日ぐらいでGCUを退院することができました。二男だけはなかなか体重が増えず、無呼吸になる可能性があったので3週間ぐらい遅れて退院しました。それでも9月頭には4人全員が3000グラムを超え、予定日に生まれた子と変わらないぐらいすくすくと大きくなりました。」(よつは)
産後の4つ子育児、1時間毎にお世話を繰り返し眠れない日々
―― 産後の4つ子育児で大変だったことを教えてください。
「自宅に帰ってきてからの育児はやはり毎日大変でした。眠れないのは当たり前。4人それぞれが違う時間に起きるので、1時間毎にミルクやオムツ替え、抱っこを繰り返していました。しかも1人が泣きだすと2人、3人…と連鎖して起きてしまうので、両手に2人抱っこも当たり前でした。
子どもたちが家に来て1カ月間は、母が家に泊まり込みで手伝いに来てくれていました。ミルクやオムツ替え、お風呂など、何もかも一緒に育児をしてくれました。母には夜は流石に休んでもらいたいので、夫とお世話していました。週末は夫の父母が泊まりに来て手伝ってくれて、母には一時帰宅して休んでもらいました。1カ月間は親族が総動員で協力してくれて感謝してもしきれないです。
1カ月を過ぎた頃から、夫が半年の育児休業に入ったため、夫婦2人でお世話をしました。親族は同じ市内に住んでいるので、もっと頼ることもできたのですが、もともと出産を反対されていたこともあり『出来る限りは自分たちの力で育てていこう』と意地になっていた部分もあったと思います。夫は育休中、4人全員を沐浴させたり、夜中のミルクをあげたり、育児をなんでもこなしていたので、育休が終わる時『これからは私1人でやっていかなければならないんだ』と思うと本当にさみしかったですし、不安でしたね。
寝かしつけは、夫が2人を抱っこして、1人は私が抱っこし、もう1人は電動ハイローチェアに乗せて寝かせていました。生後6、7カ月になると、5時間ぐらい続けて寝てくれるようになりました。そのタイミングから徐々に育児も楽になっていきました。夜は溜まった家事や自分たちのお風呂や食事など、やることが山積みだったので、赤ちゃんの頃は夕方の17〜18時には寝かしつけをしていました。今もそのルーティンが残っていて、20時ぐらいには全員寝てくれるようになってとても助かっています」(よつは)
4つ子のお宮参り
―― 旦那さんの育休後、よつはさんはどのように過ごしていましたか?
「夫の育児休業が終わってからも、夜中のミルクは夫に任せていました。夫が帰ってくる頃にはみんな寝ていることが多かった気がします。それでも夜中に起きてきた子どもを寝かしつけしたり、おむつを替えたり、夫とは支え合いながら育児をしていました。
1歳になるまではNICU退院児のための支援があり、訪問看護師さんに1週間に1回、2時間ほど来てもらいました。お風呂入れてくれたり、食品・日用品の買い出しに行かせてもらったり、1人ではできない力仕事もしてくれました。家にこもりきりの生活の中で唯一の話し相手であり、先輩ママさんとしても良き相談相手だったので、離れる時はとてもさみしかったです。
あとは夫の叔母さん・叔父さんもたまに手伝いに来てくれました。今はだいたい2週間に1回ぐらい、じいじ・ばあばが遊びに来てくれますが、4人を同時にお世話するのって本当に体力がいるので、毎回ぐったりして帰っています……(笑)」(よつは)
お話・写真提供/よつは(@4tsu.ha)さん 取材・文/清川優美、たまひよONLINE編集部
インタビュー中も時折、目に涙を浮かべながら当時のことを振り返っていたよつはさん。特に、親族や医師に出産を反対されて、妊娠を一緒に喜んでもらえなかったことが1番切なかったと話してくれました。しかし「どんな子が生まれて来ても、私たちが産んで育てていく」と決意を固め、切迫早産で入退院を繰り返しながら、妊娠29週で1000グラムほどの小さな4つ子が誕生。ようやく周囲にも想いが通じ、親族のバックアップも借りながら、4つ子の産後育児を乗り越えていきました。
2本目のインタビューでは、育児と仕事の両立や、1日の家事量や日用品の消費量、4つ子育児の楽しさ、自治体の多胎育児支援について聞きました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることをめざしてさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年2月の情報で、現在と異なる場合があります。