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帝王切開で誕生後、自発呼吸できず泣けなかった息子は即時NICUに【先天性ミオパチーの息子・富士くんとの日々】

更新

1歳の誕生日のころの富士くん

2022年夏、新井さん夫婦の待望の第一子として「富士くん」は誕生しました。喜んだのもつかの間、富士くんは自分で呼吸ができないことから誕生後すぐにNICUに搬送され、やがて国の指定難病「先天性ミオパチー」と診断されます。

前編では、富士くんの誕生、病気と診断されて半年後に退院するまでの新井さん夫妻の揺れ動く気持ちや、医療的ケア児の親として退院までにしたこと、そして富士くんの成長についてパパの正輝さん、ママのゆりこさんに話を聞きました。

※先天性ミオパチー…生まれながらに筋組織の形態に問題があり、生後間もなく、あるいは幼少期から「筋力が弱い」「体がやわらかい」などの筋力低下に関わる症状を認める病気。(公益財団法人 難病医学研究財団/難病情報センターのHPを参照してまとめたもの)

※医療的ケア児…医学の進歩を背景として、NICU(新生児特定集中治療室)等に長期入院したあと、引き続き人工呼吸器や胃ろう等を使用し、たんの吸引や経管栄養などの医療的ケアが日常的に必要な児童のこと。(厚生労働省HPより)

待望の妊娠。でも「ほかの子より胎動が少ない!?」

富士山のように「凛」とした人になってほしいと「富士」と命名

――富士くんは待望の妊娠だったようですが、妊娠経過はいかがでしたか?

ゆりこさん(以下敬称略) 結婚して4年間待ち望んでいましたが、なかなか授からず、そろそろ不妊治療を始めようと話していた矢先に妊娠が判明しました。ただそのあと、つわりが悪化して妊娠悪阻(にんしんおそ)と診断され、入院になりました。水も飲めない状態でしたが、入院中、エコー(超音波検査)で見る限り息子はおなかの中で元気で、私を励ますかのように動き回ってくれていて。つわりが終わったあとは食欲が回復して、妊娠糖尿病の手前までいってしまったのですが、それ以外は母子共に健康でした。

――正輝さんは、ゆりこさんの入院中、どんな気持ちでしたか。

正輝さん(以下敬称略) 僕はリモートで働ける職場ではありましたが、入院中は病院と家と職場を行ったり来たりしていました。実際は、息子の富士が生まれてからの生活のほうが大変でしたが、今振り返ると、この入院がいい準備運動になったのかなと思います。

ゆりこ 妊娠悪阻がつらすぎて、泣きながら夫に電話をかけたり、夜中でも対応してくれたので、夫には最初からすごく支えてもらったなと思っています。

――その後、計画無痛分娩の予定が、さかごで帝王切開が決まったそうですね。

ゆりこ 37週までさかごが直らず、帝王切開が決まりました。私はもともと怖がりだったので計画無痛分娩を選んでいたのですが、結局帝王切開になってしまって。でも手術が怖いというより、お産そのものが不安で、姉や親友など出産経験のある人によく相談していましたね。

そんななかで“胎動が少ない”ことに気づいたんです。SNSで同時期に妊娠していた人とつながっていたのですが、みんなが「胎動がすごい」「胎動で眠れない」「蹴(け)られた」などと話しているのに、私は「動いたかな?」という程度。主治医に相談したところ、「胎動が少ないのはあまりいいことではないので、帝王切開の予定を1週間早めましょう」といわれました。

正輝 僕は胎動についてはよくわかりませんでしたが、帝王切開自体はよく聞く話ではあったので、驚きはありませんでした。妻が安心して出産できるのがいちばんだと思っていました。

――胎動はママ自身が感じるものなので、人と比べにくいですよね。

ゆりこ エコーで見る限り、息子はよく動いていて、先生に「今、動いているよ。感じない?」と言われたのですが、あまり感じなかったんです。今思うと、先天性ミオパチーは筋肉の疾患なので、動きが鈍かったり、弱かったりしたのかもしれません。

不安の中での緊急帝王切開。そして富士くんはNICUへ

産後すぐに運ばれてNICUで過ごしてたころの富士くん

――出産前の最後の健診で、緊急帝王切開に切り替わったのは、どうしてですか。

正輝 最後の健診に僕も一緒に行きました。いつもどおりの診察をしていたのですが、だんだん雲行きが怪しくなってきました。というのも、診察の途中でおなかの中の子の心拍が落ちてきてしまったんです。「危険な状態なので、今から緊急帝王切開をします」と言われて、病院のスタッフの数がどんどん増えてきて、妻は担架に乗せられ、酸素マスクをつけて、あれよあれよという間に運ばれてしまって…。

ゆりこ どうなっているの、何をされるの、という感じでびっくりして、夫ともまともに顔を合わせることなく、不安の中で気づいたら手術になっていました。

――手術の間、パパも不安でしたよね。

正輝 看護師さんから説明を受けて待合室で待っている間も、いてもたってもいられませんでした。友人や家族にもらったお守りを握りしめたまま、まるでドラマのシーンのように、待合室と手術室の間を何度も往復していました。ただただ「無事に生まれてきてくれ」と祈っていました。

手術室から出てきた息子は保育器に入ったまま、目の前で止まることなくNICUに運び込まれていった場面を今でも覚えています。それが息子と初めて会った瞬間です。そのあとに、産科の先生から出産のときの状況や、息子が泣けなかったこと、自発呼吸がないこと、フロッピーインファント(筋緊張が低下している乳児)の所見があると説明されました。その足でNICUに行くと、今度は新生児科の先生に「先天性ミオパチーの疑いがあります」と言われました。

――ゆりこさんが産後、富士くんと初めて会ったのはいつですか。

ゆりこ 当日は麻酔が効いていたので、2日目の夜にNICUに行きました。夫からLINEで富士の病気の疑いを聞いて、とても心配していました。初めて見た息子は本当に小さくて、弱々しくて。でも「生まれてきてくれてありがとう」という気持ちが強く湧いてきて。保育器の横から手を入れて、息子をやさしくなでたのを覚えています。

正輝 僕は生まれたその日に息子に会うことができました。小さく弱々しかったですが、心臓がしっかり動いていて、一生懸命生きているのを感じました。不安な気持ちはもちろんありましたが、息子を見るとただただかわいくて、いとおしい気持ちでいっぱいになりました。

産後は想定外の緊急出産や息子の疾患発覚のストレスのせいなのか、仕事がまったく手につかず、急きょ休みをもらいました。不安な気持ちで何度も涙が頰を伝い、現実逃避するかのようにお酒も飲んでいました。ただ、妻も不安になっているのはわかっていたので、自分が弱みを見せるわけにはいかず、妻の前では気丈に振る舞い「大丈夫だよ」と励ましつつ、内心は不安だらけで気持ちがぐちゃぐちゃだったのを覚えています。

「この子はこの子だ」前向きに受け入れられるまで

NICUから小児科に転科したころの富士くん(生後4カ月)

――先天性ミオパチーと確定診断されるまで1、2カ月かかったそうですね。そのころの気持ちを教えてください。

正輝 息子の障がいを受容できるまでに時間がかかりました。頭では息子に障がいがあるのは理解していたし、前向きにとらえよう、頑張ろうと思えるときもあれば、「なんで、うちの子に限って」という気持ちが行ったり来たりして、まるで2人の自分がいるような感じで落ち着かなかったです。居ても立っても居られず近況報告を兼ねて出産や息子の疾患についてSNSやブログでまわりに報告をしていました。すると当時と近い境遇を経験した友人から連絡をもらい「最初から受け入れられる親はいないし、時間をかけて受け入れられない親もいない」と言葉をもらい、その言葉を励みにしてました。

ゆりこ 私の場合は、富士に会っているときはすごくかわいくて、いとおしい気持ちでいっぱいになるのに、ちょっと離れると「この先どうやって生きていくんだろう、どのくらい生きられるんだろう」と、息子の未来を考えて不安な気持ちになり、よく泣いていました。保育器の息子を見て泣いたときもあれば、病室に戻って1人で泣いたことも。看護師さんに話を聞いてもらったり、カウンセラーさんに来てもらったりしたこともありました。

――そこから少しずつ肯定的な感情が増えてきて、受け入れられるようになるまでに、どのくらいかかりましたか。

ゆりこ すごく時間がかかりました。富士が退院するまで半年あったのですが、その間もずっと不安で、退院後も不安で不安でしかたがなくて。「富士と暮らせるのが楽しい、富士は富士だ、ほかの子と比べても意味がない、富士には希望があるんだ」と本当に心の底から思えるようになったのは息子が生まれて1年半くらいたってからです。

それまではアップダウンの繰り返しでした。街にいる元気な子どもを見て苦しくなったり、同時期に生まれた友だちのお子さんの様子をSNSで見るのも苦しくて、見ないようにしていたり、自分の心を必死で守っていました。でも今は本当に息子と過ごすのが楽しいです。

――富士くんと暮らしていく中で少しずつそう思えるようになっていったんですね。

ゆりこ そうですね。健常児のお子さんに比べると富士は発達もゆっくりですが、できることが少しずつ増えています。それに生まれたときとは比べものにならないくらい、表情も豊かになってきて、笑顔が増えて。そういう息子の成長を見て、受け入れられるようになったなと思います。

正輝 僕は内心、不安で受け入れられないような気持ちを持っていましたが、どちらかというと妻のほうが感情を吐露するタイプだったので、「自分はちゃんとしなくちゃ」と言い聞かせて、理屈をつけて受け入れよう、前向きでいようとしていたところがありました。僕はこれまでの人生で、あまり人に頼ることをしてこなかったんです。でもこのときばかりはとにかくまわりの人に助けを求めて、泣いて相談をしたりしました。

その中で先天性ミオパチーについてネットで調べていくうちに、フランスで治験が成功した子がいるのを見つけたんです。その治療薬はまだ開発中なのですが、海外の製薬会社と連絡をとり、息子が治る可能性がゼロではないと知って、希望の光が見えました。そこから心の支えができ、変わりましたね。根本治療がない難病が多いなかで、可能性が見えた。もしもそれがなかったら、もしかしたら今でも受け入れられていなかったかもしれません。

医療的ケア児を家に迎えるということ

自宅では呼吸器や注入、吸引器やパルスオキシメーターなど医ケアの機器が並ぶ

――富士くんが退院を迎えるまでのことについて教えてください。富士くんが気管切開手術をしたので、そのケアのしかたを習得したんですよね。

ゆりこ 気管切開手術が終わってから約3カ月間、毎日のように医療的ケアの練習をしました。具体的には、気管・口鼻両方の吸引や、カニューレバンドの交換、経鼻栄養チューブの挿管などです。テレビやマンガでしか見たことがない医療器具を手に取り、小さな息子にケアをするのは毎回緊張して、とても難しく感じ、面会のあとはぐったりしていました。

正輝  事前に医ケアに関する書籍を読み漁ったり、公開されている医ケア家族の生活実態の調査書を読み進める中で、医ケアのある生活運営が簡単ではないことがわかりました。そこで2人だけでは難しい場合があると考えて、主治医に事情を相談し、僕の母にも病院に通ってもらい医療的ケアを習得してもらいました。急用のときは母が手伝ってくれるので、助かっています。また万全の体制で在宅生活を迎えるべしと思い、やるべきこと、準備するべきもの・ことをガントチャート(編集部注:プロジェクトの進行が視覚的に把握できる表の一種)で管理してました。親のうっかりのせいで退院後の生活で息子につらい思いをさせたくないと当時は血眼になっていました。

富士くんとの生活を迎えるために作ったガントチャート

――富士くんを家に迎えるためにどんなステップがありましたか。

ゆりこ 退院後の在宅生活を見据えたさまざまな準備をしました。こまかくいえばいろいろあるのですが、訪問看護や訪問医、夜間ヘルパーなどの医療や福祉サービスを受けるための準備や、ベビーカーや医療的ケアグッズの収納など、在宅生活に必要なものの準備などがあります。

その中で、「院内外泊」と言って、病院で家族だけで過ごす練習もしました。私たちは1泊2日、2泊3日と2回やりました。

正輝 病院の面会ではそのときだけケアできればよかったのですが、院内外泊だと24時間過ごすことになります。医ケア以外のそもそもの育児も初めてだったり、気持ちの休め方がわからず、最初は緊張しっぱなしで24時間中ほとんど寝れませんでした。終わった瞬間、めちゃめちゃ疲れたのを覚えています。

ゆりこ でも、普段は数時間しか富士と会えなかったので、ずっと一緒にいられて、どう過ごしているのか知ることができたのはよかったです。健常のお子さんを育てている親御さんに比べて、私は母親として何をしてあげられるんだろうかと悩んでいたので。

正輝 2度目の院内外泊がクリスマスのタイミングだったので、クリスマスを親子3人で過ごせたのも、うれしかったですね。

お話・写真提供/新井正輝さん、ゆりこさん 取材・文/樋口由夏、たまひよONLINE編集部

▶関連【後編を読む】医療的ケア児との生活は大変だし、苦労もあるかもしれないけれど、イコール不幸ではない【先天性ミオパチーの息子・富士くんとの日々】

妊娠から出産、退院するまでの話を聞いて、富士くんが生まれたときの喜びととまどい、そしてだれにも代えられない富士くんとの日々を受け入れるまでの正直な気持ちを聞くことができました。医療的ケア児と共に生きることはたしかに大変な面も多いけれど、新井さん夫婦がまわりの家族や医療スタッフと支え合いながら前に進んでいる姿は、むしろとても穏やかで幸せそうでした。

後編では、富士くんが退院してから、2歳になる現在までのこと、そして新井さん夫婦が考えているこれからのことについて聞きしました。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

新井正輝さん(あらいまさき)

PROFILE
2022年夏に生まれた長男が先天性ミオパチーと判明、医療的ケア児の父となる。2023年9月、“疾患児・障がい児家族の毎日を楽しく”がコンセプトのサービス「ファミケア」で活動をはじめる。

正輝 さんnote「医療的ケア児の親になった日。」

ゆりこさんブログ「ゆり@医ケア児ママのブログ」

ファミケア公式サイト

疾患・障がい児家族のための相談Q&Aアプリ「ファミケア」

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年6月の情報であり、現在と異なる場合があります。

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