SHOP

内祝い

  1. トップ
  2. 赤ちゃん・育児
  3. 赤ちゃんの病気・トラブル
  4. 生後6カ月で水頭症と確定診断された長男。悩み、苦しみ続けた日々の中、保育園に通って変化する息子を見て・・・【X連鎖性遺伝性水頭症】

生後6カ月で水頭症と確定診断された長男。悩み、苦しみ続けた日々の中、保育園に通って変化する息子を見て・・・【X連鎖性遺伝性水頭症】

更新

2歳のころ。体を動かせる遊びを喜んでいました。

永野蒼(あおい)くん(6歳)が遺伝性疾患のX連鎖性遺伝性水頭症と診断されたのは生後6カ月のとき。
蒼くんの病気のことで悩み苦しんだという母親の夏帆さんは、蒼くんの成長を実感できた3歳ごろ、ようやく家族の未来を前向きに考えられるようになったと言います。
夏帆さんに聞いた全2回のインタビューの後編は、夏帆さん夫婦が目指す家族のあり方や、これからのことなどについてです。

▼<関連記事>前編を読む

生後6カ月で遺伝子検査を受け、X連鎖性遺伝性水頭症と確定診断

3歳ごろの蒼くん。首がすわり、椅子に座って遊べるようになりました。

蒼くんが生後6カ月のとき、夏帆さんと孝幸さんは、遺伝子検査を受けることを決めました。

「生後6カ月は障害者の申請をする時期だったので、このタイミングに合わせて確定診断も受けようと、夫婦で話し合いました。

四国こどもとおとなの医療センターの遺伝医療センターを受診し、私と息子の血液を、遺伝子検査ができる大阪の病院に送りました。検査結果について2カ月後に説明を受け、X連鎖性遺伝性水頭症と確定診断されました。

蒼の水頭症は、私の遺伝子に関係する遺伝性の水頭症だったんです。
私の親族にこの病気の人がいると聞いたことはありません。考えてもしかたがないことだけれど、なぜ私の遺伝子だけが?と、理不尽さを感じずにはいられませんでした」(夏帆さん)

蒼くんは障害者1級(最重度)の認定を受けました。

「生後6カ月ごろは首がすわっていなくて、おすわりやうつぶせにすることも難しかったです。首は3歳ごろまですわらず、それまでは低月齢の赤ちゃんのような横抱きしかできませんでした。3歳ごろの蒼の体重は10kgくらいあったので、横抱きでのお世話は重くて、私も夫も腕が腱鞘炎(けんしょうえん)になりそうでした。
食事は3歳過ぎまで離乳後期食の内容で、今でも軟飯、きざみ食、ひと口サイズに切るなどの配慮が必要です。

蒼の障害が重いことを日々感じていたので、1歳の誕生日を迎えたときは、いつかこの子は私の目の前からいなくなってしまうのではないかと、喜びより不安と恐怖のほうが大きいくらいでした」(夏帆さん)

子どもに障害があっても仕事は辞めたくない。その思いで役所に通い詰める

保育園に通い始めた生後10カ月ごろ。保育園は大好きな場所でした。

夏帆さんは育休後、仕事に復帰するつもりだったので、蒼くんを10カ月から保育園の0歳児クラスに預けたいと考えていました。

「妊娠中から蒼に病気があることがわかっていたから、私たち家族の姿をいろいろと想像し、どんな形になるにしろ、『仕事は続ける』と決めていました。夫婦ともに仕事を続けて支え合っていきたいと、結婚前から夫に話していたので、たとえ子どもに障害があっても、それは守りたかったんです。夫も理解してくれました。

保育園に入れることで、感染症の心配は増えますが、蒼にも社会を知ってほしい、家の中ではできないことをたくさん経験してほしい。そんな思いもありました。そして家族それぞれが社会生活を送り、1日が終わったら家に帰ってくる、そんな環境をつくりたい。この夢を実現するために、蒼を保育園に入ることを夫婦で決めました」(夏帆さん)

しかし、「保育園探しは予想以上に困難だった」と夏帆さんは話します。

「蒼の医療的ケアは、必要なときだけたんの吸引をすることと、毎日の排せつの管理だけなのですが、障害児を受け入れてくれる保育園を探すのは、覚悟していた以上に大変でした。蒼が通えるデイサービスや保育園を探すために、市役所に通い詰めました。

2021年に『医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律』が成立し、状況が変わって来たようですが、障害のある子どもを育児中の親が、育休が終わるタイミングで子どもを保育園に預けて仕事に復帰できるケースは、今でもそう多くはないようです。
子どもに障害があっても、両親が自分たちの思い描く人生を歩めるような社会になってほしい。そう強く願っています」(夏帆さん)

保育園でママたちの輪に入ることはできず、育休中よりもずっと孤独だった

2歳ごろの蒼くん。歩行器で歩く練習をしているところ。

保育園に通うようになって、蒼くんが変わったと夏帆さんは感じたそうです。

「保育園入園当初、蒼は寝たきりの状態。ほかの子が元気に遊んでいる中、ポツンと寝ている姿を見て『ここにいることは蒼のためになっているんだろうか』と、負の感情を抱いたことがありました。でも、少しずつお友だちが蒼にかかわってくれるようになると、蒼の中で変化が起きたよう。いろいろなことに興味をもつようになり、意欲を見せてくれることが増えたんです。

3歳ごろには『保育園に行く?』と聞くと、『うん!』とうれしそうに大きな声で答えてくれるように。保育園は蒼にとって大好きな場所だとわかります。
しかも、保育園でたっぷり遊ぶから、よく食べるようになったし、夜は早く寝るため生活サイクルが整いました。
保育園に入れたのは私の勝手ではなく、蒼のためにもなっているんだと、自信をもてるようになりました」(夏帆さん)

蒼くんの保育園生活は順調でしたが、同じ保育園に子どもを預けるママたちに、夏帆さんはなかなか近づくことができなかったそうです。

「保育園の中に、蒼のような寝たきりになる障害のある子どもはほかにいませんでした。私が勝手に想像していただけなのですが、運動会や参観日などで保育園に行くと、後ろ指をさされているような気がしてしまい、ママやパパたちに声をかけて親しくなるなんて、とてもじゃないけど考えられませんでした。当時の私にママ友は1人もいなくて、夫以外に蒼のことを話せる人はだれもいなかったんです。
仕事に復帰できたことはとてもうれしかったけれど、家に蒼と2人でいた育休中よりも孤独を感じていました」(夏帆さん)

悩みや心配事を話せる先輩ママがいることの心強さを初めて知る

4歳のころ。蒼くんは外に出ることが大好きな子どもに育っていました。

夏帆さんが『高知県医療的ケアの必要な子どもの家族の会~結人(ゆいと)~』(以下、『結人』)のことを知ったのは、蒼くんが3歳になったころでした。

「蒼が通うデイサービスの方が、『結人』が発行する冊子をくれたのですが、もらったときは開きもしませんでした。でもある日、放置していた冊子がふと目にとまり、ぺらぺらとめくってみたんです。家族会というものが存在することを、そのとき初めて知りました。
障害という共通項がある人たちの集まりなら、気おくれせずに参加できるかもしれないと思い、蒼と一緒にイベントに参加することにしたんです」(夏帆さん)

「一歩踏み出したことで世界が変わった」と、夏帆さんは当時を振り返ります。

「蒼を連れてイベント会場をうろうろしていたら、スタッフさんの中に蒼がデイサービスでお世話になっている方がいて、『蒼く~~ん』と声をかけてくれたんです。蒼は名前を呼ばれてニコニコ顔。それにつられて私も、スタッフさんやその近くにいた子ども連れのママと、自然とおしゃべりしていました。『蒼はこの場を楽しんでいる。私が想像していたよりも優しい世界が広がっているんだ』と気づいた瞬間です。とても幸せな気持ちでした」(夏帆さん)

そのとき知り合った『結人』の前代表とは、2人でランチに行くほど親しくなりました。

「『しんどかったよね、大変だったよね』と優しく話を聞いてくれ、子育ての考え方や母親としての愛情の伝え方など、大切なことをたくさん教えていただきました。リハビリや装具のこと、就学のことなど、なんでも相談に乗ってくれました。困ったことを話せる先輩ママがいるって、こんなにも安心できるんだと初めて知りました」(夏帆さん)

また、3歳になって蒼くんの首がすわったことも、夏帆さんにとって大きな転機となりました。

「蒼が3歳になったころ、医師から『首がすわったね』と言われ、蒼は日々成長しているんだ!と感動しました。
同時に、これから先も不安や悩みは尽きないだろうけれど、そのときは泣いたり立ち止まったりすればいいんだ、と素直に思えたんです。そしてようやく、息子と生きていく未来を前向きに考えられるように。『自分が一番不幸』と考えるのはやめようと思いました」(夏帆さん)

不妊治療の末に授かった2人目。妹ができてすぐに蒼が「れいちゃん」と

妹が生まれたことは、蒼くんの発達にもいい影響を与えています。

蒼くんが2歳を過ぎたころから、夫婦は2人目のことを考えるようになりました。

「蒼が遺伝性疾患のX連鎖性遺伝性水頭症と診断された生後6カ月のとき、遺伝子検査とともにカウンセリングも受けていました。検査の結果、私の遺伝子が蒼の病気に関連していることがわかり、『下の子を妊娠した場合、男の子だったら同じ病気をもって生まれてくる可能性は50%。女の子は保因者になる可能性はあるけれど、この病気を発症することはない』と、先生から説明を受けていました。

2人目がほしいけれど、もしも男の子を授かって、その子もこの病気だったら、今の生活を維持することすら難しくなってしまいます。子どもを作る・作らない、どちらにも決めることができず、ずっと悩んでいました」(夏帆さん)

話し合った末に、やっぱり2人目がほしいと願った夏帆さんと孝幸さん。何度か流産を経験したあと、不妊治療を受けることにしました。

「卵胞を育てるための自己注射を繰り返し、内服して、顕微授精を経験。最終的に受精した卵はたったの1つで、それが娘でした。治療開始から妊娠までに3年弱かかりました。
妊娠したことはもちろんうれしかったけれど、正直、喜びより不安のほうが大きかったんです。いろいろな考え方があると思いますが、私たちは出生前診断を受けることを決めていたからです。

妊娠15週目に出生前診断(絨毛検査)を受けるために、大阪の病院を受診。検査の結果、胎児は女の子で、染色体異常症や先天的な病気のリスクはないとわかったときの気持ちは、一生忘れないと思います」(夏帆さん)

夏帆さん・孝幸さんの2人目の子ども、礼(れい)ちゃんは、2024年8月に元気に生まれました。

「妹の存在は、蒼のとてもいい刺激になっているよう。とくに言葉の発達への影響はすごくて、ずっと「ママ」と「パパ」しか言えなかったのに、妹が生まれてすぐに「れいちゃん」が言えて、そのあと「できた」も言えるようになりました」(夏帆さん)

障害や病気のある人に寄り添える存在になりたい。看護師になることを目指す

夏帆さんは今年4月から、看護学校に通っています。

「蒼の病気がわかって、つらくて苦しくてどうしていいかわからなかったとき、たくさんの人が支えてくれました。そして私たち家族の生活は、多くの人に助けてもらって成り立っていることにも気づきました。
これから先どのように生きていきたいかを考えたとき、障害がある人や病気のある人が、自分の住む地域で健やかに暮らすお手伝いができる看護師になりたい、そう思ったんです。
ベテラン看護師である夫は、私の見つけた道を応援すると言ってくれました。

会社は退職し、今は勉強に専念。平日は9時~17時まで学校なので、朝は5時半に起きて家族みんなの準備をし、学校が終わったら保育園のお迎え、入浴、食事、寝かしつけとフル回転。子どもたちが寝たら、勉強やレポート作成に取りかかります。
毎日があっという間に過ぎていきますが、目標があるから充実しています」(夏帆さん)

蒼くんは今年9月、大阪の病院で母指内転症の手術を受けました。

「蒼の両手親指は、手のひら側に折れた状態で固まっています。ずっとリハビリを受けてきましたが、今回、筋肉の緊張をゆるめる手術を受けました。手指が少しでも自分の意思で動かせるようになれば、意欲と好奇心が高まって、蒼の世界が広がるはず。そう信じています。

蒼は今も半年に一度、四国こどもとおとなの医療センターに通院し、シャントの確認や経過観察を行っています。高知県内の病院でもフォローを受けているし、リハビリも行っています。今のところ心配や問題はなく、蒼はゆっくりだけど確実に成長しています。

体もずいぶんしっかりしてきて、6歳の今は、不安定ではあるものの短時間なら1人で座れるように。後ろ側で支えれば立ったり歩いたりもできるようになりました」(夏帆さん)

夫の孝幸さんは、今年6月から『結人』の代表となりました。

「前代表の思いを引きつぎ、県や市の会に出席して家族会の意見を伝えています。
蒼のような重症心身障害児の子育てを、私たち親は特別なことだと思いたくないし、世間の人にも思ってほしくないんです。そう簡単なことではないですが、障害のある子どもたちのことを理解してもらうことが大事だと思うので、そのためにできることを、夫と一緒に探していきたいと考えています」(夏帆さん)

【孝幸さんより】お兄ちゃんになった蒼。成長を感じる姿をたくさん見せてくれました

最近の夏帆さんファミリー。礼ちゃんの1歳のお誕生日を家族でお祝い。

1歳を迎えた娘を家族みんなでお祝いすることができて、とてもうれしかったです。息子もお兄ちゃんとして過ごした1年間で、初めての姿をたくさん見せてくれました。私たちの元に来てくれた2人に、これからもずっと感謝の気持を伝えていきたいです。

お話・写真提供/永野夏帆さん 医療監修/久保井徹先生 取材協力/高知県医療的ケアの必要な子どもの家族の会~結人(ゆいと)~ 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部

「想像していたよりやさしい世界が広がっていることを教えてくれたのは蒼だった」と語る夏帆さん。多くの人に支えられていたことに気づき、障害や病気がある人に寄り添える看護師になることを決意。2人の子どもを育てながら、その目標に向かって進んでいます。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

高知県医療的ケアの必要な子どもの家族の会~結人(ゆいと)~のHP

永野夏帆さん(ながのかほ)

PROFILE
高知県在住、2児の母。現在は看護学生として子育てと両立しながら奮闘中。

久保井徹先生ん(くぼいとおる)

PROFILE
独立行政法人国立病院機構 四国こどもとおとなの医療センター 新生児内科 新生児診療部長。日本小児科学会認定小児科専門医・指導医。周産期・新生児医学会専門医・指導医。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年11月の情報であり、現在と異なる場合があります。

赤ちゃん・育児の人気記事ランキング
関連記事
赤ちゃん・育児の人気テーマ
新着記事
ABJマーク 11091000

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第11091000号)です。 ABJマークの詳細、ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら→ https://aebs.or.jp/

本サイトに掲載されている記事・写真・イラスト等のコンテンツの無断転載を禁じます。