先天性の心臓病で手術と入退院を繰り返す娘。苦しい闘病の中で「この子はあとどのくらい生きられるんだろう」との思いから、母はある決意を【体験談】
神奈川県に住む重宗裕美さん・信二さん夫婦の長女・果歩さん(15歳)は生まれつきの心臓病のほかに、慢性心不全やたんぱく漏出性胃腸症といったいくつもの病気があり、闘病を続けています。これまで4回の大きな手術を受けてきた果歩さん。その闘病生活は、母の裕美さんにとっても苦しいものでした。しかし、ある時期から果歩さんと裕美さんは「寝てばかりでは命がもったいない」と奮起したそうです。裕美さんに果歩さんの闘病の様子について聞きました。全3回のインタビューの2回目です。
生後3カ月の手術で、開いた胸を閉じることができず・・・
生まれつき心臓の左心室が小さい「左心低形成(さしんていけいせい)」という病気を持って生まれた果歩さん。そのままでは血液中の酸素が少なくチアノーゼの状態が続いてしまうために、生まれてから1歳半までに少なくとも3回の手術を行う必要がありました。果歩さんは生後2日で1回目、生後3カ月で2回目の手術を行います。
「2回目はグレン手術というものでした。1歳半でフォンタン手術を行うための準備の手術です。フォンタン手術は、全身から心臓に戻ってくる静脈血を、上大静脈は直接、そして下大静脈は人工血管を介して、肺動脈に流す手術です。1度の手術でいきなりフォンタン手術を行うと体への負担が大きいため、グレン手術でまず上半身の血流を直接肺に流れるようにするものでした。さらにこのときはダムス・ケイ・スタンセル手術というものとペースメーカーを埋め込む手術も同時に行いました」(裕美さん)
しかし、この手術のあとに果歩さんは心不全を起こしてしまいました。心臓の働きが悪くなって、心臓から全身へ血液を送り出せない状態になってしまったのです。
「果歩の心臓は、心不全のため大きく拡大していたそうです。手術のために胸を開いたら、見たことがないほど心臓が大きくなっていて、開いた胸を縫合できない、と医師から言われました。果歩は、手術室から開胸した状態でICUに戻ってきたんです。
医師たちは何度か縫合を試みたけれど、その縫合した部分が創感染を起こしてしまい、結局縫合はできない、と。そこで、心臓が見えたままの創部を消毒しながら、自然に肉芽が盛り上がってくるのを待ち、1年くらいかけて自然に閉じる方法を採ることになりました。
びっくりしました。人って心臓が見える状態で生きられるんですね。ICUに入院している間、果歩は起きているだけでも心臓に負担になるので、ずっと鎮静剤を使用している状態でした。鎮静を解いてからは、開胸した部分を消毒するときには赤ちゃんとは思えない尋常じゃない泣き声をあげていました。想像を絶するつらさだったと思います。「ギャー!」と泣き叫ぶ小さな果歩を看護師さん2人がかりで抑えて、毎日数回の消毒を行っていました。思い出すだけでもかわいそうで涙が出ます」(裕美さん)
1カ月ほどしてICUからHICU(ハイケアユニット)に移動した果歩さんは、そこで半年ほど入院生活を送りました。
「入院中には、自然に閉じようとした肉芽の表面をメスでそぐ手術も2回ほど行いました。きれいに肉同士をくっつけて胸の傷をとじるためだそうです。小さな果歩が生きるためにこんなにつらく痛い思いをしなきゃいけないのか、と胸が押しつぶされる思いでした。果歩は生後9カ月くらいに退院しましたが、そのときにもまだ胸の傷がとじていなかったので、自宅で私が果歩の傷の処置をしました。
自宅では、傷をシャワーで洗い流して煮沸したピンセットで傷の部分にガーゼを詰め込む処置を毎日2回ずつ行っていました。だれにも頼れず、私がやるしかないけれど、果歩がかわいそうで・・・私の両足で、まだ赤ちゃんのわが子の両手両足を押さえつけ、こんな処置をするのは、あまりにつらいことでした。自分を捨てて『私は鬼だ』と心の中で唱えながら処置しました。本当に苦しかったです」(裕美さん)
フォンタン手術は成功、しかし慢性心不全に
その後3~4カ月して、果歩さんが1歳になるころに胸の傷はふさがりました。そして果歩さんは1歳半でフォンタン手術を行うことになります。
「自分の肉で閉じた胸を開胸しての手術はできないため、フォンタン手術は、わき腹のほうから開腹して行い、ペースメーカーの電池を入れる処置もありました。そのフォンタン手術をしたあと、顔のむくみがとれて食事もとれるようになり、一時的に状態がよくなったように見えました。ですが、退院して自宅で数カ月過ごしている間に風邪をひいたことがきっかけに急激に具合が悪くなり、緊急入院に。慢性心不全になっているとわかり、投薬治療を受けることになりました。それが2011年、果歩が2歳のころです。
風邪などで具合が悪い状態では、効果が出る量になるまで心不全治療薬を増やすことができなかったので、私は感染に異常なほど神経質になりました。東日本大震災発生後の4月に長男が生まれましたが、3人でずっとほとんど家から出ないような生活でした。長男は赤ちゃんのころからマスクをして、家族全員が自宅に引きこもるような生活をしていました」(裕美さん)
果歩さんが幼稚園に入園する年齢になっても、裕美さんは「集団生活で果歩さんの体調が悪化することを恐れていた」と言います。
「集団生活になるとどうしても風邪などをもらうので、それが怖くて。年中から入れる園を少し探してみましたが、心臓病と伝えると断られてしまいました。年長になって入園し、月に1回1時間くらい登園し始めて、夏休みあけからもう少し登園回数を増やそう、と思っていたんですが・・・なんと私の甲状腺がんが見つかり、手術をすることになってしまいました。
まさかがんになっているとは、驚きました。ここで私のがんが進行してしまって、子どもたちを置いて先に死ぬことはできないと思い、すぐに手術を受けることに。手術は無事成功し、今は経過観察中です」(裕美さん)
外に出られないなら家を遊園地にしよう
感染症予防のために、果歩さんも長男の賢くんもほとんど自宅で過ごしていました。裕美さんは自宅での時間をなんとか楽しくしようと、いろいろと工夫をしていたそうです。
「家が遊園地みたいに楽しくなるにはどうすればいいか考えて、いろんなことをしました。とくに食事の時間を楽しくする工夫をしたんです。果歩は食べることが大好きだけれど、心不全のためにあまり量を食べられず水分も制限していて、大好きなアイスクリームも半分しか食べることができません。ちいさなときからずっと我慢ばかり。
だからこそ、食事を楽しめるように“毎日をパーティーにしよう!”と決めました。“中国料理”“栗づくし”“沖縄”などテーマを決めて、品数を多く作って、果歩がちょっとずつでもいろんな料理を食べられるようにしました。“人が回る回転寿ずし”パーティーでは、テーブルのまわりをぐるぐる子どもたちが回りながらおすしを食べる日もありました(笑)」(裕美さん)
8歳でたんぱく漏出性胃腸症を発症。嘔吐と下痢でぐったりする毎日
学齢期になった果歩さんは裕美さんの付き添いで小学校に登校する日もありましたが、少し体調が悪くなると入院が必要でした。さらに慢性心不全を改善するためにペースメーカーの種類を変える手術が悪く作用してしまったり、カテーテル検査で心不全が悪化してしまったり、ということも。数カ月入院して、退院して、を繰り返す生活でした。そして8歳のときに新たな合併症が発症してしまいます。
「8歳の秋ごろにペースメーカー変更後具合が悪くなり、4カ月入院をしてやっと退院したら帰宅後から嘔吐(おうと)が止まらなくなり、3日でまた入院することに。たんぱく漏出性胃腸症という病気を発症してしまいました。たんぱく漏出性胃腸症は、血管内に水分を保つ役割のあるたんぱく質が胃や腸などの消化管からもれ出てしまい、むくみや重度の脱水を引き起こす病気だそうです。
病院で点滴をすると症状がよくなるのですが、点滴をはずして退院すると、ひどい下痢で1日の半分はトイレにこもるほど。家に帰れても、倦怠感(けんたいかん)、嘔吐、頭痛、吐きけなどで何をする気力も起こらず、テレビを見ることもなく、ずっと布団にいてぐったりしているような状態が2年間ほど続きました」(裕美さん)
「世界一幸せな子にする」と約束した
果歩さんの看護をしながら、裕美さんもずっと命のプレッシャーを感じていたと言います。
「子どもが嘔吐し続ける姿は、苦しいものです。どうにもできない無力さとどうなってしまうんだろうという恐怖。そして生きているのが苦しそうに見えてつらかった。バケツを抱える果歩からずっと目を離せない毎日でした。外出もできず、買い物にも行けず、ただ子どもを看続ける。私の神経もおかしくなっていたと思います。
どんなに水分や脂質を我慢させても、だれかわからないほどむくんでしまうのです。この子はあとどのくらい生きられるのかと、そんなふうに考えるばかりでした」(裕美さん)
慢性心不全などの心臓の病気に加えて、8歳でたんぱく漏出性胃腸症を発症し闘病し続けていた果歩さんと、それを支えていた裕美さん。「この子はあとどのくらい生きられるんだろう」と思いから、ある決意をします。
「果歩には小さいころから、水分制限で我慢ばかりさせてきました。感染予防や体調のために集団生活もあまりできず、自己肯定感が低く消極的な性格に。何か誘っても『私はいい。やらない』となんでも断っていました。たんぱく漏出性胃腸症は当時あまり生存率がよくなかったので、このまま何もさせてあげられずに死んでしまうなんて、そんなの嫌だ、と強く思いました。
今、生きているこの時間を大事にしなくては!と覚悟を決めました。本人にも『果歩は大人になれないかもしれない。だから、まずはなんでも一度やってみてほしい。果歩のやりたいことを全部やろう。人より大変なことがあるかもしれないけど、その代わり世界一幸せな子にするよ』と話をしました。それが、果歩が10歳のころのこと。そのときから、果歩の人生は少しずつ変わり始めたんです」(裕美さん)
【柳貞光先生より】果歩さんの病気は治療が難しい病気の一つ
先天性心疾患(生まれつきの心臓病)は出生の約1%程度に認めます。外科治療は進歩していますが、果歩さんのご病気は治療の難しい病気の一つだと思います。ご本人やご家族は手術や病気に伴うさまざまな合併症と向き合っていかなければなりません。命を守るためとはいえ果歩さんにもさまざまな治療や水分食事制限をせざるを得ません。果歩さんとご家族のご苦労は医療者が想像できないほどのものがあると思います。
お話・写真提供/重宗裕美さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
小さな体で何度も手術を受けてきた果歩さん。裕美さんの話から、その闘病のすさまじさが伝わります。
次回、最終回の内容は、裕美さんと果歩さんが「命を輝かせよう!」と決意してから現在に至るまでについてです。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
柳貞光先生(やなぎさだみつ)
PROFILE
神奈川県立こども医療センター 循環器内科 部長。1994年琉球大学医学部卒業。2005年からこども医療センター循環器内科に勤務。出生時から子どもたちの成長に寄り添い、子どもたちのQOLが少しでもあげられる医療の提供をめざす。日本小児科学会 小児科専門医、日本小児循環器学会 小児循環器専門医。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年 7月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。