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ダウン症の娘、絵を取り入れた療育に奮闘する母。「美貴ちゃんしか好きじゃないんだ」という二男の言葉に、ドキッとして猛反省も【体験談】

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近所の幼稚園の運動会に参加した、3歳ごろの美貴さん。

ダウン症候群(以下ダウン症)をもって生まれた高田美貴さん(25歳)は、150色もの色鉛筆を操り、独特の色彩感覚で緻密な絵を描き上げるアーティストです。母親の敦子さんは、「絵を描きたい」という美貴さんの思いを応援し続け、美貴さんの絵を発表できる場を設けることなどにも力を注いできました。
全3回のインタビューの2回目は、幼児期から小学校時代のことについて聞きました。

▼<関連記事>第1回を読む

毎日続けた筋肉トレーニング。おかげで小学校入学前にボタンがとめられた!

3歳になる少し前の美貴さん。療育の教室で、大きな紙に思いっきり絵を描いています。

――美貴さんが4歳のとき、敦子さんの実家がある京都に引っ越しをしました。幼児期も筋肉のトレーニングは続けたのでしょうか。

敦子 療育で行うだけでなく、毎日家でも行っていました。美貴は一般的なダウン症の子どもより筋力があると、医師から言われていたのですが、それでも筋力はかなり弱かったです。筋力をつけることは脳の発達にもかかわると思っていたので、指で豆をつまんで左右に動かしたり、おもちゃを積み上げたりする訓練を続けました。

小さいころから指先を使う訓練を行ったことで、指先の動きがスムーズになり、ボタンをとめるなどのこまかい動作が、小学校入学までにできるように。
でも、今でも蝶結びはできないので、練習をと思っています。

――保育園時代も美貴さんは絵を描くことが好きでしたか。

敦子 もちろん大好きでした。保育園でも家でもたくさん絵を描いていました。
私が不在のとき、美貴のことは実家で母に見てもらっていたのですが、美貴は絵を描いていればご機嫌だから、母はいつも一緒に絵を描いて遊んでくれました。
母は私が小学生のときに使っていた24色の色鉛筆やクレヨンを大切に保管していたので、実家で絵を描くとき、美貴はそれらを使っていたんです。親子3代のつながりを感じました。

――4歳6カ月のとき、先天性心疾患が見つかったとか。

敦子 京都に引っ越したことで、経過観察を行う病院も変わったので、最初に全身の検査を行いました。その結果、僧帽弁閉鎖不全症(そうぼうべんへいさふぜんしょう/※1)と、心房中隔欠損症(しんぼうちゅうかくけっそんしょう/※2)があることがわかったんです。ダウン症の子どもの合併症で、最も多いのが心疾患だということは知っていましたが、4歳になるまで指摘されたことがなかったので、「美貴の心臓は大丈夫なんだ」って安心していたんですが・・・。心臓から血液の逆流が見られると先生から告げられました。

でも、今すぐ治療が必要とか、手術が必要とかではないとのことで、経過観察だけ続けることに。今も1年に1回検査をしていますが、とくに問題はありません。

※1/僧帽弁は、心臓の左心房と左心室の間にある弁。僧帽弁が正常に閉じなくなり、血液が左心室から左心房に逆流する病気。
※2/心房中隔は、心臓の上部にある左右の心房を隔てる壁で、そこに穴が開いている病気。

二男の「美貴ちゃんしか好きじゃないんだ!」に猛反省。時間の使い方を変える

4歳ごろは、面ファスナーでつながったケーキをおもちゃのナイフで切る遊びにハマっていました。

――美貴さんの早期療育に、敦子さんはとても力を注いでいました。そのことで息子さんから言われてしまった言葉があるそうですね。

敦子 美貴が生まれたとき長男は8歳、二男は6歳。美貴は生後4カ月から療育を始め、当時、私は美貴にかかりっきりの状態でした。そんな私の様子を見ていた二男が、「お母さんは美貴ちゃんしか好きじゃないんだ!」って。

その言葉を聞いてドキッとしました。息子たちのことも見ているつもりでしたが、寂しい思いをさせていたんだと、猛反省しました。
美貴の体のことを息子2人に説明するとともに、2人が小学校に行っている間は美貴のことに没頭し、土日は息子たちと過ごす時間を優先することに。息子たちは地域の野球クラブに所属していたので、練習の付き添いや試合の応援には必ず行きました。

――お兄ちゃんたちは美貴さんの存在をどのように感じていたのでしょうか。

敦子 出産前からきょうだいが増えることを楽しみにしてくれていました。生まれてからは「妹ができた~」と、とても喜んでくれました。

「病気を持っていても美貴は美貴だから」と息子たちも受け入れ、私も息子たちとの時間を改めて大切にするようになりました。病気のことに関して話し合い、寂しさも解消されたみたいで、「美貴ちゃん、めっちゃかわいい!」ってかわいがってくれました。
今も変わらず仲よしです。個展を開くときなどは、率先して手伝ってくれますよ。

図画工作に力を入れた公立小学校に入学。自然の中でのびのびと絵を描く

小学校1年生のとき。小学校の写生大会で、博物館に出かけたときの写真。

――美貴さんが入学したのは、図画工作を重んじる小学校だったとか。

敦子 わが家から歩いて通える場所にある、ごく普通の公立小学校ですが、昔からアート教育に力を入れているのが特色でした。実は私も卒業生。学校の活動はよく知っているので小学校選びを迷うことはありませんでした。

美貴の入学後は、「経験すること」に重きを置く教育方針の学校だと感じました。教室で図画工作の授業を受けるだけではなく、屋外で四季の変化を楽しみながら絵を描く機会がたくさんありました。そうした経験をすることで、美貴はますます絵を描くことが好きになり、芸術的感性がどんどん伸びていったように思います。小学校時代の経験は、今の美貴の作品の大きな基盤になっています。

――ダウン症のある子を、公立小学校に通わせることへの不安はありませんでしたか。

敦子 「まったくない」と言ったらうそ になりますが・・・この地域で暮らしていくのですから、地域の方々に美貴の存在を知ってもらいたいと考えたことも、地元の小学校を選んだ理由の1つです。先生方や同じクラスのママ・パパはもちろん、地域にお住まいの方々も、とてもやさしくあたたかく美貴に接してくださいました。
支援学校に通うようになった中学生以降も、地域の皆さんは常に美貴のことを見守ってくれました。それは今も変わりません。

――美貴さんは生まれてすぐに甲状腺機能低下症(こうじょうせんきのうていかしょう/※3)と診断されましたが、小学校5年生のとき、症状に変化があったそうですね。

敦子 美貴が急にやせ始めたので、これは何かおかしいと感じ、経過観察を行っている病院を受診。甲状腺機能亢進症(こうじょうせんきのうこうしんしょう/※4)に変わったと診断されました。甲状腺が働きすぎるのを抑える薬に変えたことで、中学校1、2年生ごろには症状が落ち着きました。その後、食生活も改善していきました。今も定期的に検査を受けています。

※3/甲状腺の活動が弱く、血中に分泌される甲状腺ホルモンが少ない状態。
※4/甲状腺が活発に活動し、血中に分泌される甲状腺ホルモンが多い状態。

7歳のときポスターが初受賞!娘の絵が第三者に認められた喜びに包まれる

美貴さんが5歳ごろ、母の日に敦子さんにあげるために保育園で描いた「お母さん」。絵の具とクレヨンで描きました。

――2005年、美貴さんが7歳のとき、京都府主催の京都府緑化運動ポスターで奨励賞を受賞します。

敦子 私と母はいつも「美貴の絵はほっとするね。ぬくもりを感じるよね」と話していたのですが、それは身内の欲目かもしれない。そんな思いもあったので、第三者から美貴の絵を評価してもらえたことが、本当にうれしかったです。緑化運動ポスターの奨励賞は、美貴が絵でもらった最初の賞です。

授賞式は「何事もなく終わりますように」と、私は最初から最後までドキドキしっぱなしでした。一方、美貴は完全にリラックス。ニコニコしてとっても楽しそう。そんな美貴を見て、私もこの上なく幸せな気持ちになりました。

――色鉛筆と油性ペンで描く美貴さんならではの絵のスタイルは、いつごろ生まれたのでしょうか。

敦子 小さいころは色鉛筆のほかに、クレヨンや絵の具など、いろいろな道具を使って絵を描いていました。ところが、小学校高学年ごろから、美貴は汚れることに強い抵抗感を持つように。絵を描きたい、でも汚れるのはイヤ。そんな相反する感情に悩んでいました。
そして、試行錯誤の末に生まれたのが、アウトラインは油性ペンで描き、彩色には色鉛筆を使うという手法。この方法だと、手などを汚さずに絵が描けるんです。下書きなしで、鉛筆と消しゴムは使いません。

「美貴は絵を描くのが大好き。そして、お母さん、家族、まわりの方が笑顔になってほしい」。その情熱を支えるためにできる限りのサポートをしようと、私も気持ちを新たにしました。

お話・お写真提供/高田敦子さん 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>第3回

初受賞をきっかけに、さらに絵を描くことに熱中していく美貴さん。アーティストとしての才能を開花させ、さまざまな賞を受賞するとともに、個展も開くようになります。

インタビューの3回目は、中学生のときから現在に至るまでのアーティスト活動についてです。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

※高田敦子さんの「高」の字は、「はしごだか」が正式表記です。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年9月の情報であり、現在と異なる場合があります。

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