「親だってときには赤ちゃんになっていい」。大変なことだらけだった子育て中、救われたのは「うちもだよ」の共感【ヨシタケシンスケ・インタビュー】
大人気絵本作家のヨシタケシンスケさん(51歳)は、高校3年生と中学1年生の息子を育てる父親でもあります。10数年前の乳幼児期の子育てを振り返ってよかったと思うことや、新刊『しばらくあかちゃんになりますので』、子ども・若者向けのWeb空間『かくれてしまえばいいのです』の制作のことなどについて聞きました。全2回のインタビューの後編です。
子育てして初めて思い出した、父への思い
――ヨシタケさんが初のオリジナル絵本『りんごかもしれない』を出版したのは、11年前の2013年。絵本の制作にあたって子育ての影響はありましたか?
ヨシタケさん(以下敬称略) 影響どころか、子育てをしていなかったら絵本を描けていなかっただろうと思います。僕は今でも、自分が子どものころ読みたかったこと、知りたかったことに答えているかどうか、を考えて本を作っているので、自分しか取材対象がないんです。でもそれを絵本という商品にするには、ある程度の人に興味や共感を持ってもらう必要がある。
そこでうちの息子たちを見てみると、教えてもいないのに、僕とは性格も違うはずなのに、僕が子どものころと同じようなことをしていたんですよね。ということは、たぶん世界中の子どもたちが同じようなことでつまずいたり怒ったりしてるんじゃないのかな、と予想できました。これまで絵本を作り続けてこられたのは、成長していく息子たちを横目で見ることができたからだと思います。一方で、自分はやらなかったことや新しい発見もいっぱいあって助かりました。
――子育てしてみてよかった、と思うことはどんなことですか?
ヨシタケ 子育てしてよかったことの一つに父親への思いがあります。僕は子どものころから大人になるまでずっと、父親が嫌いだったんです。父はもう他界していますが。妻の妊娠がわかって、妊娠中にどうやら男の子だとわかって、正直がっかりしたんです。父親は息子を傷つけるものだ、という記憶しかなかったから、きっと将来僕も息子から死ぬまで憎まれるんだろう、というイメージしかできませんでした。
でもいざ生まれてみると、息子はかわいいし面白いし、自分のことを頼ってくれるんですよね。大変ながらも妻と一緒に子育てをしていたら、ある日ふと思い出したんですよ。そういえば僕もちっちゃいころ、お父さんのことをすごい好きだったな、って。お父さんって、かたいふたも開けられるし、かっこよかったし頼りになったなって。
――とてもいい話ですね。
ヨシタケ 人の感情って上書きされるから、いったん嫌いになった人のことはずっと嫌いだと思ってしまっていたんですね。だけど、自分も父のことを好きで楽しく一緒に過ごした時期があった、と息子のおかげで思い出せた。そのことは息子たちに感謝しています。
そうわかると、自分も息子の信頼を素直に受け止めることができます。同時に息子たちが自分を信頼してくれるのは今だけなんだなってことも知ってるわけですけれども。親になると、きっとだれもが自分の幼少期を思い出すはず。そうやってもう1度やり直せるのも、子育てのごほうびの1つという気がします。
――子どもに読み聞かせをして、自分が好きな絵本を思い出したりもしますね。
ヨシタケ 自分も子どものころに戻れる瞬間がありますよね。子どもと一緒に絵本を読んだり、歌を歌ったりして。親はけっこう僕のことをかわいいと思ってたんだな、みたいなね。子どもに気持ちを伝えるのが下手だったけど、実はまんざらでもなかっただろう、とわかるじゃないですか。親になって初めて親に感謝できるようになりました。逆に、息子たちが親の思いを想像できるようになるのは30年後なんだな、と思うと、今わかってもらえなくてもあきらめがつきますよね。
育児で救われたのは「うちもだよ」の共感
――ヨシタケさんの新刊『しばらくあかちゃんになりますので』について教えてください。
ヨシタケ 僕はそのときの自分にとってのニュースを本にしていくタイプの作家なので、息子たちが小さいときは『おしっこちょっぴりもれたろう』のような絵本を描いていました。最近は息子たちが大きくなって、身近に赤ちゃんがいないので、思春期の行動や、1人の人間として成長していくことに興味が移りつつあるんです。だからこの本は最近では珍しく、息子たちが小さいころの記憶をたどりながら描きました。
――育児で大変すぎると、この絵本のように「こっちが赤ちゃんになってしまいたい!」と思うこともありますよね。
ヨシタケ 子どもたちが赤ちゃんのときは本当に大変で、「喉元すぎれば熱さ忘れる」んですけど、過ぎるまでは本当に熱かった。なにか救いを求めて育児本やネットの記事を見てみるんですけど、どれもあてにならないんですよね。子育てがうまくいくような事例を見ても「この人が親と同居してるからでしょう」とか「これは夫が育休とれたからでしょう」とか思っちゃって。本や記事は参考にならないってことしかわかんないわけです。
そういうなかで、自分は何に一番救われたかと考えると「うちもそうだよ」「うちも全然できないよ」という共感でした。「大変だ」という思いを共感してもらえるだけでありがたかったんです。子育てって、無理だよね、大変だよね、つらいよね、わかってもらえないよね、ということだらけです。その中で本当にこっちが赤ちゃんになりたい、みたいな思いを絵本の形にしたのが本作です。
――ママに始まって、パパもおじいちゃんまでもが赤ちゃんになっていきます。
ヨシタケ 大人みんなが一斉に赤ちゃんになると社会崩壊しちゃうんですけど、「赤ちゃんになります」と了解を取ってかわりばんこに赤ちゃんになるぶんにはいいんじゃないか、と。それが許された社会を書くことで、赤ちゃんになりたい時間を肯定していこうじゃないか、というアイデアです。
――赤ちゃんの時間に終わりがあるのが、大人だな、と思いました。
ヨシタケ そうそう、パパは赤ちゃんでいる間は電話にも出ないんですよね。赤ちゃんの時間が終わってから「ちょっと赤ちゃんになってたもので」と折り返すと、電話の相手も「いいよ、いいよ」と通じているという。電話の相手にもちゃんと赤ちゃんの時間があるからです。
もっといえば、大人が高齢者になっていくと、下の世話が必要になったりして赤ちゃんのように戻っていくわけですよね。だから介護の予行練習みたいなことをやってもいいんじゃないかな、と。
――最後、おじいちゃんが赤ちゃんになっているところに、ドキッとしますね。
ヨシタケ 最初はおじいちゃんの部分はなかったんです。作っている途中で、すべての年代を赤ちゃんにしないと不公平だなと思って追加しました。最後におばあちゃんが「今おじいちゃんが赤ちゃんになってるわよ」って言うんですけど、今だけなのか、そうじゃないかもしれないし、どっちにもとれたら面白いなって。捉え方によっては「去年から赤ちゃんだから」っていう考え方もできるかもしれない。
どこかまねしたくなるようなやりとりが入っている絵本を作りたいな、といつも思っているので、読んだ人が「自分はいつ、どのくらいの頻度で赤ちゃんになろうかな」とやんわりプランを立ててくれたらうれしいですね。実際なるかどうかは別にして。
「赤ちゃんになる」のは、肩の力を抜くというか、かわりばんこに休んでいこうよ、ということの言い換えでもある気はしています。
大人はぶれるものだ、と子どもに見せていい
――今、育児を頑張っているママやパパに伝えたいことはありますか?
ヨシタケ まじめに頑張っているからこそ、情報を得ようとしたり、いろいろトライしている人も多いと思います。変な言い方ですけど、無理に休もうとしなくていいからね、と伝えたいですね。休み休みやらないといけないのに、自分はちゃんと休めない、休むのが下手だ、と自分を責めてしまうこともあると思うんです、まじめな人はとくに。
だから、うまく休めないなら休まなくてもいいような気がしています。手が抜けない人は、抜かなくていいんですよ。ほかの人の成功例に引っ張られる必要はないと思います。自分に向いてる休み方を選びましょう。
ネットの記事も、人の話も、話半分に聞いておくこと。私はできないけどね、私の参考にはならないかもね、という前提ですべての情報を見るほうが健全だと思います。
――親になると子どものためにといろいろな情報や考えに惑わされることもありますよね。
ヨシタケ 子育て中ってわからないことだらけで、いろんな不確かな情報をうのみにしてあれこれやったりしますよね。あれも買ってだめだった、これも使い物にならなかった、とか。でもそうやって、ぶれながらコロコロ意見を変えるのも、親の役目だと思うんです。
大人って、ぶれるなぁとか、コロコロ変わるな、自分の機嫌が悪いだけで子どもをしかるんだな、って、大人のいい加減さを子どもに見せてもいいと思います。「お母さんはコロコロ変わるし、自分の機嫌が悪ければあなたが悪くなくても怒るからね」と子どもにコンセンサスをとっておくと、「だからあなたも理由なく怒っていいんだよ」というフェアな関係性が作れるのかなと思います。
大人だっていい加減なんだから、あなたもいい加減でいいんだよ、と。完璧じゃなくていいし、失敗してもいい。子どもに大人のだらしない部分を見せて、失敗することのハードルや大人への期待値を下げておくのも、僕はいいんじゃないかと思っています。
つらいときに助けを求められない経験を生かして作った「かくれが」
――ヨシタケさんは、NPO法人「自殺対策支援センターライフリンク」が開設したWeb空間「かくれてしまえばいいのです」の制作に協力したそうです。
ヨシタケ 去年、仕事の忙しさや二男の中学受験などが重なり、心の不調に悩みました。大きなストレスを抱えている時期に、このWeb空間の制作のお話をいただきました。できるかわからないけど取りあえず1回お話をしようと思ったのは、自殺対策支援の方々と知り合いになれば、僕が相談できるかもしれない、病院を紹介してもらえるかも、みたいな下心からでした。
いちばんつらい時期に自殺防止というテーマに取り組むことで、余計に自分がつらくなるこわさもありましたが、当事者として「自分ならこう言ってもらえたらうれしいな」「こういうことはつらいな」という気持ちを形にすることができました。NPOの方々は僕の作家性を守りつつ、当事者の人にも確認しながら表現の調整をしてくれたので、安心して取り組めました。奇跡的なタイミングで制作にかかわることができてよかったし、僕自身もすごく勉強になりました。
――実際にWeb空間に入ってみると、たくさんの人がなんとなく過ごしていて、安心感がありました。
ヨシタケ 僕自身がギリギリまで人に助けを求められない、相談できないタイプだから、僕のような人の気持ちがよくわかります。たとえば「助けてボタン」があるとしたら、自分よりもっとつらい人が押すものだし、自分が押してその人が押せなくなったら迷惑がかかるし、と考えちゃうわけです。「自分が助けてって言っていいのか教えてほしいボタン」みたいなものがほしいなと思って、あのWeb空間がそれに相当するようにしました。
自分と同じような人が意外といっぱいいるんだな、と目に見えるだけでも、少し落ち着くんじゃないかと思います。
――「かくれが」に入るときにおばあちゃんに話しかけると、「りゆうがあってしんどい」「りゆうはわからないけど、しんどい」「べつにしんどくはない」と選べる項目がありますね。
ヨシタケ 理由はよくわからないけどしんどい人、自分でも説明できないけど学校に行けない人って、けっこうたくさんいるんです。確実に不調があるけど、その理由は説明できないから、人にもわかってもらえないし相談もできないんですよね。
いじめられているとか、困窮しているといった理由がないのに、僕のような人が支援につながっていいのか、って考えて、自分は甘いんだろうかと自分を責めて、余計つらくなってしまうんです。だから「理由がなくてつらいけどいいですか?」と聞いても「どうぞどうぞ!」と言ってもらえるものを作りたい思いがありました。24時間無料で入れるWeb空間を作ることで、助けを呼べない人のつらさをすくい上げることも、大事な自殺対策だと思います。
お話/ヨシタケシンスケさん 撮影・取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
親だってときには赤ちゃんになってしまいたい自分の気持ちを肯定していいし、いつも正しくなくてもいい、子どもにぶれる姿を見せることこそ親の役目だ、といったヨシタケさんのお話。親だからと気負わず、自分らしくいていいのだと、心がふっとほどけるような思いがしました。
ヨシタケシンスケさん
PROFILE
1973年神奈川県生まれ。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。絵本デビュー作『りんごかもしれない』で第6回MOE絵本屋さん大賞第1位になったほか、ボローニャ・ラガッツィ賞特別賞、ニューヨーク・タイムズ最優秀絵本賞など、受賞多数。近著に『メメンとモリ』『おしごとそうだんセンター』『ちょっぴりながもちするそうです』などがある。2児の父。
『しばらくあかちゃんになりますので』
子どもだけでなく、仕事や家事や育児などにお疲れ気味の大人だって、あかちゃんみたいに思いきり遊んだり泣いたりしてみたらいいんじゃない? テーマは「さあ。あなたも、あかちゃんに。」ヨシタケさんらしい優しく愉快な発想が満載です。ヨシタケシンスケ 作・絵/1540円(PHP研究所)
●記事の内容は2024年9月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。