長男の小児がんの治療のため、ダウン症の妹を実家に預け通院する日々…。脳腫瘍の摘出、化学療法、過酷な治療が続く【小児髄芽腫体験談・医師監修】
小学校6年生の長男・慶一くん(12歳)と3年生の長女・由梨ちゃん(9歳)を育てる中山広美さん(46歳・出版社勤務)。由梨ちゃんにはダウン症候群と心疾患の合併症があります。長男の慶一くんは小学校2年生の春に7cmもの小児脳腫瘍があることがわかり、腫瘍を取り除く手術や放射線治療などを受けることに。
慶一くんの過酷な闘病について広美さんに話を聞きました。全3回のインタビューの最終回です。
治療によって脳の成長が遅れるかもしれない!?
広美さんと公一さんは、慶一くんの2回目の腫瘍摘出手術後に、その後の治療方針について医師の説明を受けました。
「このあと大量化学療法というかなり過酷な治療をし、その後に、脳と脊髄に陽子線(特殊な放射線)を照射する治療をする、という計画の説明を聞きました。医師から、『セカンドオピニオンを受けることもできます』と聞き、神奈川こども医療センター(以下、神奈川こども)に絶大な信頼感はあったものの、大きな病気の過酷な治療に怖さもあり、夫婦で相談して、セカンドオピニオンを受けることにしました」(広美さん)
広美さんと公一さんは都内にある病院の小児がん専門の医師に話を聞きに行くことにします。
「セカンドオピニオンで受診した病院の医師に、過酷な治療でその後の脳への影響が心配なことを相談すると『再発した時の救命率の低さから、今の時点でがん細胞を徹底的にたたく必要がある』という話でした。その言葉に、私たち夫婦は息子に大量化学療法や高い被ばく線量を当てる治療にも決心がつきました。
放射線治療の説明は、受診する予定の筑波大学附属病院で受けました。医師からは『放射線を当てることで脳が萎縮してしまい、脳にダメージが残る』と聞きました。大人の脳に当てるならさほど問題にならないことのようですが、8歳の子どもの脳に当てるとダメージが強く、知能障害になる可能性もあるそうです。目に見えて明らかなものではなく、成長するにつれて学校の勉強についていけなくなったり、記憶能力などでじわじわと周囲との差が開いていくと。親としては、治療後の脳への影響が、最も憂慮することでした」(広美さん)
過酷すぎる大量化学療法
2020年9月から、神奈川こどものクリーン病棟で慶一くんの大量化学療法が始まりました。コロナ禍で面会制限がある時期でしたが、この病棟では最大8時間、付き添うことができました。
「造血幹細胞移植などを受ける患者などが入院する、クリーン病棟に移っての治療でした。この病棟での1カ月は、付き添う私も面食らうほどの過酷さでした。強い薬により、息子の場合は腹痛と水様便が絶え間なく続く状態でした。1時間のうちベッドに戻れるのが10~20分。あとはずっとトイレでした。トイレの時間と計測の記録が病室にあり、私がいない間も、毎時間トイレに行っていることが記録でわかりました。嘔吐も頻繁で、腹痛と便意で眠ることもままならない状態のようでした。
強い抗がん剤による口内の痛みを抑えるのに、数時間氷やアイスを口に入れ続ける治療や、投与された抗がん剤が汗などで体の表面に出てくることで皮膚にもダメージが出てしまうので、1日2回シャワーで洗い流す必要もありました」(広美さん)
1カ月に及ぶ大量化学療法がやっと終わり、慶一くんは元いた病棟に戻ります。
「お友だちもいるおなじみの病棟に戻ってからも、治療の副作用なのか、そのときの暴れ方も大変なものでした。まだ点滴でモルヒネを打っている体調不良もあり、看護師さんがケアしに来てくれても、ものを投げてしまって手がつけられないほど。イライラして大声を出したり暴れたりしていました。よほど体がつらかったのでしょう。
息子がベッドで暴れる様子は、見るに忍びないものでした。私は、ただただ息子の命の無事を願う、そのことで必死だったと思います」(広美さん)
つくば市でアパートを借りて2カ月間、通院での放射線治療
慶一くんは10月になって神奈川こどもをいったん退院。そして、放射線治療と陽子線治療を受けるため、11月には茨城県つくば市にある筑波大学附属病院へ通うことになりました。
「大量化学療法の後、さらに徹底的にがん細胞をたたくために陽子線治療を受けました。陽子線は放射線に比べ、ほかの臓器への負担が少ない治療ということで、当時、小児への陽子線治療が受けられる病院が、自宅の近くではつくばか静岡でした(2023年からは神奈川でも実施可能)。そこで、私と長男だけが2カ月間つくば市に引っ越して通院治療を受けることになりました。
神奈川の自宅から通うことも考えましたが、病気の息子が毎日片道2時間半の距離を通うのはやはり無理があります。治療の期間、私は仕事を休ませてもらって付き添いました」(広美さん)
当時4歳だった由梨ちゃんは、2カ月間保育園を休み、自宅から1時間弱の距離にある夫の実家で預かってもらいました。
「筑波大学附属病院に通う病児とその家族が低価格で利用できる滞在施設があり、私と長男はそのアパートから毎日通院しました。陽子線治療中の副作用も大変なものでした。たびたび嘔吐があるなど、息子のそばから離れられない状況だったので、買い物などはすべてネット注文でまかないました」(広美さん)
慶一くんは1月初旬まで陽子線治療を受け、1月下旬には神奈川こどもに3日間の検査入院をしました。検査の結果、がん細胞は見られないとのことで治療は終了。2020年4月の発見から9カ月におよぶ治療でした。
「神奈川こどもでは、退院前に『復学支援会議』といって、息子が退院後に戻る地域の小学校の校長先生や担任の先生、保健の先生と、息子が入院中に通っていた院内学校の先生、さらに主治医や担当看護師さんたちを集めての面談の機会を設けてくれました。地域の学校側に今後学校生活で気をつけることなどを院内学校の先生や医師、看護師さんからも説明してくれて、とても安心しました。2021年1月末から、息子は元の小学校へ戻れることになりました」(広美さん)
今は元気に学校に通う小学6年生に
小学2年生の4月からの9カ月の闘病期間、入院前には22kgあった慶一くんの体重は、16kgまで減ってしまっていました。
「退院してからは、食事を普通にとれるようになりましたが、そのあとの体重の戻りはとてもゆっくりでした。息子の体重がやっと入院前の状態に戻ったのは小学4年生のころでした。
治療の影響で、成長ホルモンの分泌が少なくなっているために、今は毎日成長ホルモンの注射をしています。脳腫瘍については年に数回、定期的に検査通院をしていて、今のところ再発が見つからない状態が続いています。
息子は今、普通に小学校に通っています。今の息子の様子を見ると、すっかり元気で、大きな病気を患ったことを思わず忘れてしまいそうになりますが、今も安心はできません。毎日の注射や通院など、見た目ではわからない部分での心配は、これからも続くのだろうと思います」(広美さん)
【栁町昌克先生から】小児がん治癒後の晩期合併症や社会の受け入れも課題に
小児がんに対する治療法は抗がん剤治療、手術、放射線治療、支持療法などいろいろな分野で年々進歩してきています。しかし、成長・発達過程にあるお子さんの体に相当な負担がかかる治療であることも事実です。小児がんが治癒したあとにも、遅れてさまざまな問題が発生します(晩期合併症)。病気の再発はないか?晩期合併症はでてきていないか?長く過酷な入院治療が終わったあとも、小児がんのお子さんやご家族には、定期的な検査や社会からのサポートが必要です。
お話・写真提供/中山広美さん 監修/栁町昌克先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
小児がんの闘病は、子どもを支える親にとっても生活が一変する大変なことです。広美さんは、全国で15カ所しかない小児がん拠点病院である神奈川こどもが自宅近くにあったこと、夫婦の両親が近くに住んでいて下の子の世話などフォローしてくれたこと、新型コロナウイルスの拡大で在宅勤務で仕事が続けられたことなど、「私たちは、恵まれた環境に助けられた部分もあったと思う」と話してくれました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指して様々な課題を取材し、発信していきます。
栁町昌克先生(やなぎまちまさかつ)
PROFILE
神奈川県立こども医療センター 血液・腫瘍科 部長。横浜市立大学医学部卒業。2020年から神奈川県立こども医療センター血液・腫瘍科に勤務。小児がん患者と家族を精神的、経済的側面から支援するボランティア団体「ちあふぁみ!」の代表を務める。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年10月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。