「幼稚園に通う娘の自慰行為が心配・・・」「息子の性器いじりが心配・・・」。個人差がある問題を話しやすくする環境づくりが必要【ママ泌尿器科医】
男の子と女の子2人のママであり、泌尿器科医である岡田百合香先生の連載です。今回は、「子育てと性」について。幼児期の性器いじりなど、心配になることもあるかもしれませんが、「子どもと性的なものの組み合わせを極端に忌避する必要はないと考えています」と岡田先生は言います。「お母さん・お父さんのためのおちんちん講座」ママ泌尿器科医#53です。
「性の目覚め」っていつごろから?
先日、3歳の娘に着せ替え人形をプレゼントしました。
部屋の隅に持って行ってずっと熱心に遊んでいるので「こんなに気に入ってくれて、買ったかいがあったな~」と思い、様子を見に行くと…
なんと、人形を裸にして遊んでいるではありませんか!
私が見ているのに気づいた娘は、気まずそうな顔をしてサッと人形を隠しました。
俗に言う「性の目覚め」というのものは、多くの大人が考えるよりずっと早いことも少なくないのでしょう。
『私の身体を生きる』(文藝春秋)という17人の書き手たちによる「性/身体」をテーマにしたリレーエッセイ集の中で、作家の村田沙耶香さんが「自慰」について自身の体験を語っています。
「3、4歳のころにはすでに性的に達する感覚を知っていた」という幼少期の自慰との出会いに関するエピソードから始まり、「自慰は安心感と接続する行為だった」「背徳感も後ろめたさもまったくなかった」と、当時の感覚や認識がていねいに言語化されている貴重なエッセイです。
そんな幼いころに発見したすてきな行為は、大きくなるにつれて「恥ずかしい、いやらしいこと」として扱われていることを知り当時の村田さんは落ち込みます。また大人になってから自慰行為について語った際に向けられたまなざしやジャッジに関するエピソードは読んでいて腹が立ちながらも、思い当たることがたくさんありました。
同じ本の中で作家の李琴峰さんも、村田さんと同じくらいの年齢で自身の特殊な性に関する嗜好(しこう)を自覚したというエピソードを書いています。
語られないだけ、もしくは覚えていないだけで、思春期・第2次性徴を迎えるよりずっと早い段階で性に関する関心や自分だけの嗜好、自慰行為の存在にたどり着いている子は意外と多いのではないかと思います。
科学的なデータや統計があるわけではありませんが、私が開いている講座を通して多くの人の話を聞いたり、書籍インターネット等で情報収集した上での感覚です。
子どもの性器いじり、やめさせる?やめさせなくていい?
「子どもの性器いじりは無理にやめさせる必要はない」という認識が徐々に広がりつつありますが、女の子の自慰はまだまだ問題視されがちです。
以前、子育てと性に関する個別相談会を開催した際に、「幼稚園に通う娘の自慰行為が心配」という母親が来てくれました。園の先生から、「時々遊具におまたをこすりつけている」という報告を受けてから、不安で悩んでいるとのこと。事前に娘さんに「かゆくないか」「どんなときにしたくなるのか」というヒアリングはしたそうですが、「かゆいわけじゃない」「なんとなく」ということで、どうしたらいいか困っておられました。
彼女の一番の不安は、「自慰をしているところを見られたら、性加害者のターゲットにされてしまうのではないか」という点でした。村田さんのエッセイにも自慰の話をする女性は「セックスさせてくれそう」と考える男性の存在について言及されています。そんな社会の状況だからこそ、女性の性や性欲に関する話はどんどん隠され、「存在しない体(てい)」となっている事情もあるでしょう。
また、「子どもが自慰行為をするのは寂しいから、精神的に満たされないからだ」という意見もあります。まったくないとまでは言いませんが、その論は「幼少期に自慰行為をするのは本来異常なことだ」という考え方につながるため注意が必要です。相談者である母親も「私が下の子の世話であまり構ってあげられていないからでしょうか…」と自責的な発言をしていました。
子どもと性的なものの組み合わせを忌避しすぎないでいい?
性的な「快」の感覚の有無や自慰という存在と出会う時期、嗜好の多様さというのは明確な原因や動機があるものではなく、個人差が大きなものです。
成人してからも、性別問わず性に関心の強い人もいれば、低い人もいます。性欲や性への関心が低い保護者からしたら、わが子が幼いうちから性的なものに関心を示す様子は驚きや不安の対象でしょう。自身の育て方や子どもの精神状態を心配するかもしれません。もちろん、あまりに気になる振る舞いに対しては性被害やストレスの確認をする必要がある場合も存在しますが、子どもと性的なものの組み合わせを極端に忌避する必要はないと考えています。
この問題の解決策の一つとして、性に関する語りづらさをやわらげることが挙げられます。
紹介した本もそうなのですが、これまで知ることのなかった他者の性に関する真摯(しんし)な語りに触れることは「話してもいいことなんだ」「隠したり過剰に恥ずかしがる必要はないんだ」という感覚につながります。
語りたくない人が無理に語る必要はありませんが、語りたい人が安心して語れる環境を作っていくことが重要だと思います。私自身も幼少期の性に関する記憶・エピソードはあるのですが、長くなってしまったので今回はここまでにしたいと思います。
文・監修/岡田百合香先生、構成/たまひよONLINE編集部
性に関することを話しにくい、という雰囲気は確かに強くありそうです。語りたくない人、語りたい人ぞれぞれが尊重される社会になっていくことが望ましいのでしょう。
●記事の内容は2024年12月の情報で、現在と異なる場合があります。