全国に患者はたったの21名。「環状14番染色体症候群」という名前だけでも知ってほしい。息子のために立ち上がった父の思い【体験談】
「環状14番染色体症候群」という名前を知っていますか? 国内でも報告が少ないきわめてまれな症例の病気で、国内で確認されている患者数はわずか21名(2025年1月現在)。まだ指定難病には認定されていない病気です。
東京都在住の小田欽哉さんと弓子さん夫婦は、長男(15歳)、二男(13歳)の4人家族。二男の修司くんは5歳のときに、環状14番染色体症候群と診断されました。
欽哉さんはそんな環状14番染色体症候群の情報を共有・発信するために、患者とその家族のためのコミュニティー「かみひこうきの会」を設立。今回は、そのきっかけと活動への思い、修司くんの現在の様子についてお話を聞きました。全2回のインタビューの後編です。
調べても何も出てこない…!そんな状況を変えるために家族会を立ち上げた
環状14番染色体症候群の患者と家族のための会「かみひこうきの会」の代表を務める夫の欽哉さん。家族同士の交流や情報交換を目的としたコミュニティーづくりをはじめ、医師の協力のもと、病気に対する正しい知識を得て、多くの人に環状14番染色体症候群の存在を知ってもらおうと取り組んでいます。
環状14番染色体症候群はきわめてまれな症例のため、修司くんの病気が判明した当時、“何も情報が見つからない”状況だったことが会を立ち上げるきっかけになったそう。
「インターネットでいろいろ調べても、まぁ何も出てこない。古い文献や海外の文献は出てくるので、“Google“で翻訳してみるのですが、当時の翻訳機能では専門用語まで行き届かず、よくわからない日本語が出てくるだけでした。
それに、修司の病気が環状14番染色体症候群とわかったとき、医師の先生から『もしかしたら日本国内にはほかに患者がいないかもしれない』と言われたんです。
それでもやはり、同じ病気の家族を持つ人と交流したいという気持ちが生まれて。療育病院や主治医の先生にお願いし、環状14番染色体症候群の人がほかにいないか、情報を募ってもらいました。
それから2年がたったころ、ようやく療育病院から環状14番染色体症候群の方がおられましたと連絡があったんです。すぐに連絡先を交換させてもらったのですが、その患者さんの家族はなんと偶然にも、私の自宅から車で20〜30分ほどの距離に住んでいるとわかりました!
連絡を取ったその週末にはさっそく会うことに。いろいろ話したんですけど、その人も子どもが環状14番染色体症候群だとわかってから、ネットで情報を探したんだそう。そして、やはり何の情報も出てこないという悩みを抱えていたんです。
私たちのような患者家族がネットで調べたときに何も出てこないんじゃなくて、何かしら情報が出てくる状況をつくりたいという思いは共通していたので、『情報がないんだったら、自分たちが発信するしかないね』という結論になって。そこで患者家族会を立ち上げましょう、とわりとすんなり決まりました」(欽哉さん)
そうして立ち上げた、かみひこうきの会。活動内容としては、患者家族間でのウェブミーティングや“LINE”を使っての情報交換、学会への参加などだそう。
弓子さんは、家族会をつくったことによって、これまでの苦労や思いを同じ立場の家族と共有し、共感し合えたことがとても励みになったと言います。
「初めて同じ患者のお母さんに会ったとき、『てんかん』の“あるある話”や苦労話を一緒にできたのがうれしかった。『発作がひどい夜は呼吸を聞きながらストップウオッチを片手に寝たりするよね』とか『排せつのときたいへんだよね』といった、重度のてんかんの家族じゃないとわからないような話をいろいろしました。相談したり、共有したりする仲間ができたというのは心強いし、大きな収穫でした」(弓子さん)
目標は指定難病の認定。環状14番染色体症候群を知ってほしくて
2025年1月現在、日本国内で環状14番染色体症候群と確認済みの患者数は21名、かみひこうきの会の家族会員数は9家族 。まだまだ症例が少ないことは明らかです。
「環状14番染色体症候群は、小児慢性特定疾患にこそ染色体異常という分類で含まれているんですけど、まだ難病指定はされてないんです。私たちの大きな目標は指定難病の認定を受けること。
この5年ほど、学会や製薬会社主催のウェブミーティングに参加する中で、少しずつ環状14番染色体症候群という名前が広まってきていると感じるようになりました。ですが、それでもまだ十分ではありません。
2019年に家族会を立ち上げたとき、患者家族は5家族でスタートしました。現在は9家族の会員がいて全国で確認できた患者数は21名となりましたが、まだまだ少ない。
学会に参加した際、私たちが伝えているのは、『染色体異常が原因で、難治性てんかんになっている患者がいることに気づいてほしい』ということです。ほとんどの場合、てんかんは脳の異常な信号の発信から起こるものなので、脳だけを原因と考える医師がいまだに多く、確定診断が出ないまま対症療法を受けている人が多くいます。
それが正しい場合もあると思いますが、重度のてんかん症状がある人にはそこからさらに一歩踏み込んで、染色体の検査をするようになってほしい。そうすれば、今は環状14番染色体症候群と診断されていなくても、実はこの病気だったとわかる人もいると思うんです。潜在的な環状14番染色体症候群の患者を見つけ出して力を合わせれば、指定難病の認定や、この病気の研究が進むことにつながると思います。
みなさんには、とにかく環状14番染色体症候群という名前だけでも知ってほしい。そしてもし、身近に難治性てんかんを患っている人がいたら、染色体検査という選択肢があることを伝えてほしいです」(欽哉さん)
野球が大好き!現在修司くんは13歳、楽しく学校に通う日々
修司くんは現在13歳。今でもときどきてんかん発作が起こるそうですが、まわりの人や学校の先生に協力してもらいながら楽しく過ごしていると言います。
「最近の修司は発作もだいぶ落ち着いて、ふだんどおりの生活を送れるように。もともと人なつっこい性格なので、まわりの人からも愛されていると感じます。
学校は特別支援学校の中学部に。1年ほど前まで発作が出るのは週1〜2回と頻繁にありましたが、ここ最近はずっとなくて。実は今日久しぶりに学校で発作が出たんですが、およそ10カ月ぶりのことでした。
環状14番染色体症候群の患者家族と話してわかったことは、だいたいどの患者も1歳になるまでにてんかんを発症して、難治性てんかんになる。そして少し成長すると、てんかんの症状が落ち着いてきて、またしばらくすると違ったかたちで発作が起こる。
修司も幼いころは重積発作ばかりでしたが、だんだん発作の様子が変わってきていると感じます。今日学校から連絡があった発作の様子は、『椅子に座っていたら突然後ろにひっくり返って、そのあと1分ほどでもどってきました』みたいな感じで。
学校で発作が起こっても、短時間だったら様子を見てくれますし、『1時間に何回までだったら様子を見てもらって、何回以上だったら連絡を受けて先生に坐薬(ざやく)を入れてもらう』という取り決めも事前にさせてもらいました。先生方の協力もあって、毎日楽しく学校に通えています。
修司はとにかく野球が大好きなのですが、先生が修司の野球好きを知って、学校に野球の本を用意してくれたらしく、休憩時間になると読んで楽しんでいるみたいです(笑)。
私たちとしても、学校での発表会や運動会で成長が見られるのは、すごくうれしい。環状14番染色体症候群は症状に個人差が大きく、車いすを使用しなければならない患者さんもいるんです。でも修司は体を動かすことができる。足は決して速くないんですが(笑)、運動会に参加して、ゴールしている姿なんかを見ると成長したなと思うし、これからもそういった成長が楽しみです」(欽哉さん)
修司くんのことが大好きな兄について、母が思うこと
修司くんには2歳年上のお兄さんがいます。お兄さんは赤ちゃんのころから修司くんのことが大好きだったそうですが、それは今も変わりません。
「長男はふつうの公立の学校に通っています。修司とは小学校のころから別々の学校だったんですが、地域の交流などで修司と出会う機会があったとき、『この子、僕の弟なんだ。しゃべれないけど言っていることはわかるから話しかけてごらん。かわいいでしょ』って一生懸命みんなに紹介していたんです。そのおかげで、長男の友だちがみんな『修司かわいい』とか『修司に会いたい』って言ってくれて。そんな様子を見て、『あぁ、お兄ちゃんは修司のことが本当に大好きなんだな』ってうれしく感じました。
今、長男は中学3年生に。思春期でもあるので、修司にしつこくされると嫌な顔をするときもありますが、勉強などで疲れると『修司に癒やされに来た』なんて言って、修司とふれあったりしています。そういうのを見ると、うちのきょうだいってすごくいいなって思います。
ほかにも、長男が小学生のころ、クラスの隣の子の体調が悪いときに率先してフォローしてあげることがあったと先生から報告を受けたことが。やはり幼いころから修司と一緒にいて、人の様子を見たり異変を報告したりすることに慣れているようで、いろんな場面で長男にはたくさん助けられました。
こういう家庭環境で育ったので、長男がヤングケアラーのような存在になってしまわないように心がけています。長男には『修司の発作があったらどんな状況でも母や父に伝えてね』ということは言い聞かせていますが、それ以外のことは自分のやりたいことをやって、子どもらしく育ってほしいと願っています」(弓子さん)
障害があってもなくても、子育ての苦労や楽しさは変わらない
最後に、たまひよ読者やお子さんを育てるママ・パパたちに伝えたいことを聞きました。
「障害を抱える子どもとの生活は、もちろんたいへんなこともあります。でも、障害児だからといって負い目を感じることはなく、日々の中にはたくさんの楽しさがあります。よく想像されるような厳しい生活を送っているという感覚は、私たちにはあまりありません。
今では、妊娠中に出生前検査で子どもの障害の有無がわかることもあると思います。障害があるとわかったから出産を取りやめるという選択はもちろん尊重しますが、産むという選択をした場合でも、『障害のある子と生活をするのもそんなに悪くないし、ふつうと変わらず楽しく生活できているよ』というのは伝えたいです」(欽哉さん)
「修司との生活はたいへんだし苦労も多いけど、どの家庭の子育てでも、同じようにたいへんなことや苦労があるでしょう。その中で、みんな喜びや幸せを見つけて過ごしている。私たちもそれと同じなんです。
障害を抱えていたり、障害児の親だったりすると、かわいそうとかたいへんそうって見られるし、私自身も独身時代はそういう見方をしていたと思います。でも実際に自分が親になってみると、苦労は多少あったけど、長男を育てているときの感覚と、二男を育てている感覚はなんら変わりありませんでした。障害があってもなくても、この4人で今暮らせていることがとても幸せです」(弓子さん)
お話・写真提供/小田欽哉さん、弓子さん 取材・文/安田萌、たまひよONLINE編集部
「かみひこうきの会」を立ち上げ、環状14番染色体症候群の周知活動を続ける小田さん夫婦。私たちが関心を持ち、この病気を知ることだけでも、今後の研究の進展につながる大切な一歩になるはずです。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
小田欽哉さん
PROFILE
2019年に環状14番染色体の患者と家族の会「かみひこうきの会」を設立。当事者とその家族が暮らしやすい世の中をめざして、交流会の開催やSNSでの情報発信、病気に関する相談支援、指定難病に向けた活動などを行っている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年1月の情報で、現在と異なる場合があります。