9歳のある朝、歯磨き中に突然倒れた長男。かすかにけいれんも・・・。その1カ月後「最悪は半年の命」と告げられる【脳幹グリオーマ・体験談】
大門恭平・真矢さんの長男、海智(かいち)くん(11歳)は、9歳のとき脳幹に腫瘍ができる脳幹グリオーマと診断され、最悪は半年の命と告げられました。「息子の命を助ける、絶対にあきらめない」。恭平さんはその強い思いに突き動かされ、さまざまな医師から話を聞き、たくさんの論文を調べ、治療法を探し続けました。
海智くんの発病から現在に至るまでのことを聞いた、全3回のインタビューの1回目です。
歯磨き中に突然倒れた息子。かすかなけいれんが気になり、いつもの小児科へ
恭平さんと妻の真矢さんは、穏やかで安心できる家庭を築き、子どもたちはのびのび育てたいと願い、2012年に結婚。その翌年に海智くんが誕生しました。「海を越えて世界に智を届けることができるような人になってほしい」という願いを込めて、海智くんと名づけたそうです。
「海智は妊娠中から出産まで何のトラブルもなく、その後も病気とは無縁の子でした。運動が好きでいつも元気いっぱい。保育園のときからダンスとサッカーを習っていて、いつも楽しそうに練習していました。
海智はずっと『きょうだいがほしい』と言っていて、7歳のとき念願の弟が誕生。弟のことが大好きで、親から見ても優しいお兄ちゃんです」(恭平さん)
結婚前に望んだとおり、穏やかで明るい家庭を営んでいた恭平さんファミリー。そんな生活を一転させる出来事が起こったのは、2022年5月23日、海智くんが9歳のときでした。
「その日、私はたまたまいつもより10分遅い出勤だったので、海智と並んで歯磨きをしていたんです。すると突然、海智が意識を失い、倒れてしまって・・・、あわてて海智の体を受け止めました。
意識がなかったのはほんの数秒で、呼びかけに対してすぐに返事をしました。その後は何もなかったように会話をし、体の動きにもおかしなところは見られなかったので、低血圧や低血糖なのかなと考えました。でも、『何か変だ』と違和感を覚えたことを、今もはっきりと覚えています」(恭平さん)
恭平さんの職業は、医療分野の研究・事業開発職で、理学療法士でもあります。その経験から、引っかかることがあったのだと言います。
「体を支えたときに一瞬ですが、海智が小さくけいれんをしたんです。見ていた妻は気づかなかったほどの小さなけいれんです。通常、低血圧や低血糖ではけいれんは起こらないので気になりました。仕事柄、体の状態を細部まで観察することに慣れていたこともありますが、倒れる海智を受け止めようと体に触れたため、気づくことができたんだと思います。
病院に行くかどうか悩みましたが、違和感がどうしても引っかかり、すぐかかりつけの小児科を受診することにしました。私も仕事を休んで一緒にいきました」(恭平さん)
念のため撮ったMRI。結果を聞きに行った妻からの電話には「脳腫瘍」の言葉が
かかりつけの小児科で血液検査をしたところ、異常なしとの診断でしたが、恭平さんは「念のためCTを撮ってほしい」と依頼。市民病院へ紹介状を書いてもらい、その足で市民病院へ向かいました。
「市民病院ではCTと脳波の検査を受けました。実は私は、大学院で脳波の研究をしています。海智の脳波の波形を見せてもらったところ、ちょっと気になる部分があったんです。そこで、MRIの検査もしてほしいとお願いしました。検査はすぐに受けられたのですが、MRIの画像を読影できる先生の話を聞けるのは、1週間後になるとのことでした。
この1週間、海智の体調に問題はなく、いつもどおり元気で、食欲ももりもり。毎日楽しく学校に通っていました。そんな様子を見て、『やっぱりたいしたことはなかったんだ。MRIまで撮ってもらったのは大げさだったかな』と考えるようになっていました。だから、検査結果を聞く日は妻に行ってもらい、私は出勤。海智も学校に行きました」(恭平さん)
ところが恭平さんが仕事中に、泣きじゃくった真矢さんから電話がかかってきました。恭平さんの耳に届いたのは、「海智は脳腫瘍(のうしゅよう)らしいって・・・」という言葉だったのです。
脳幹グリオーマの可能性があり、摘出ははできないし、有効な治療法もないと
あまりに予期しない言葉にぼう然となった恭平さん。「そのときのことはあまりはっきり覚えていない」と言います。
「妻がなんて言ったのかも正確には思い出せません。市民病院の担当医は私が医療従事者だと知っているので、詳しい説明は私にしたいから、病院に来てほしいと言っている、と妻から伝えられたことだけは覚えています。
すぐ病院へ向かいましたが、とにかく安全に運転して病院に向かうことだけを考えていたと思います。今にも崩れ落ちそうでしたが、運転に集中することで、どうにか冷静さを保っていた感じでした。
何とか無事病院に到着すると、MRIを読影した医師から、脳に腫瘍ができていると説明されました。そして、小児腫瘍患者を多く診ている病院を紹介されたんです。数日後に受診したそちらの病院で、『脳幹(のうかん)グリオーマの可能性が高い」という説明を受けました。
このとき初めて、脳幹グリオ―マという、今まで聞いたこともない病名を告げられたんです」(恭平さん)
脳幹グリオーマとは、脳幹に発生する脳腫瘍です。脳幹は、大脳を支える幹のような形をした部分で、呼吸をする、心臓を動かすなど、生きていくために欠かせない働きをコントロ―ルする、とても重要な部位です。
「このときの説明も詳しいことは覚えていないんですが、腫瘍が延髄(えんずい)から頚髄(けいずい)に縦にできていて、発生場所としてはレアケースだ、という説明を受けたと思います。小児がんの中でも小児脳腫瘍の症例は少なく、さらに、海智の腫瘍は今まで見たことない場所にあると。
そして、『脳幹部に重要な機能障害が起こるリスクが高いので、摘出手術はできません。また、海智くんの腫瘍のケースは、放射線治療や化学療法(抗がん剤治療)はあまり効果が期待できません』と言われました」(恭平さん)
「半年の命」と告げられるも、大量の論文を調べ、分子標的薬に希望を見いだす
恭平さんは医療従事者ですが、小児科分野にはかかわったことがなく、脳幹グリオーマという病気のことは、そのときまで知らなかったそうです。
「海智が患っている病気がこんなにもシビアなものだったと知り、がく然となりました。気持ちを抑えるために、医師の話を聞きながら『無』になっていたと思います。
その一方で、『絶対にあきらめない、何か手があるはずだ』という強い思いがわき上がってくるのも感じました。
まずは、小児腫瘍の専門医から意見を聞く必要があると判断しました」(恭平さん)
その後恭平さんは、4人の医師にセカンドオピニオンを求めます。
「市民病院から画像データと紹介状をもらい、アメリカの病院にいる日本人医師、北海道の病院、東京の小児専門病院、そして現在の主治医がいる大阪市立総合医療センターの医師から話を聞きました。地元である大阪市立総合医療センター以外は、オンラインで面談してもらいました。
1人目と2人目の医師からは『最悪の場合は余命半年を覚悟してください』と告げられました。海智が倒れてから1カ月以内のことだったと思います。
でも、あきらめたくありませんでした。論文などを調査し、海智の病気を治す手がかりを探し続けたんです。これまで働きながら大学院で学び、臨床研究をしていた経験があり、その強みをいかすことができたのは、本当によかったと思っています」(恭平さん)
必死になって調べた結果、恭平さんがたどり着いたのは、「分子標的薬」による治療でした。
「通常の抗がん剤は正常な細胞も攻撃してしまいますが、分子標的薬はがん細胞だけを攻撃する薬です。医師たちの話を聞き、たくさんの論文を調べたところ、息子の腫瘍には「ダブラフェニブ」という分子標的薬が、かなり効きそうなことがわかってきました。
ダブラフェニブが効くかどうかを調べるには、海智の脳の腫瘍を切り取って遺伝子を調べる『生検』を行わなければなりません。
脳幹にできている腫瘍を切り取る、つまり開頭手術をするということです。その手術には、合併症や後遺症などの大きな危険が伴います。私と妻は決断を迫られることになり、海智の命をつなぐためにどの選択がいいのか、悩みに悩むことになります」(恭平さん)
お話・写真提供/大門恭平さん 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
「たいしたことないだろう」と思っていた息子の病気が、標準的ながんの治療法が効かない脳幹グリオーマとわかり、「思考が停止した」という恭平さん。たくさんの医師から話を聞き、眠る時間も惜しんで論文を調べ、ストレスから4時間以上眠れない睡眠障害にもおちいったと言います。でも、ついに効果が期待できる分子標的薬を見つけ出しました。
インタビュー2回目は、リスクのある生検を受けたときのことや、分子標的薬のダブラフェニブが使えるようになるまでの経緯などについて聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年2月の情報であり、現在と異なる場合があります。