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先天性の重度難聴の母「長女が50万人に1人の骨の難病と診断され」絶望した日々。自身の経験をもとに難聴児をサポートしたい【牧野友香子】

更新

長女6歳、二女4歳のとき、家族で山梨県にキャンプへ。

10歳と8歳の女の子を育てる牧野友香子さんは、生まれつき重度の聴覚障害があり、相手の口の動きを読んで理解し、発声して会話しています。現在、難聴当事者や家族をサポートする会社を経営する友香子さん。起業のきっかけは長女に難病による障害があったことでした。現在、長女は10歳、二女は8歳。家族でアメリカで暮らしています。友香子さんに、長女の病気がわかったときのこと、きょうだいの子育てなどについて聞きました。全2回のインタビューの後編です。

▼<関連記事>前編を読む

妊娠8カ月で赤ちゃんに病気があるかも、とわかり・・・

長女2歳、二女0歳。2人でなにかお話ししているのかな?

――長女を妊娠中の経過について教えてください。

友香子さん(以下敬称略) 結婚してしばらくして妊娠がわかりました。妊娠8カ月に入ったころ、通っていたクリニックの妊婦健診で「赤ちゃんに病気があるかもしれないから、精密検査をしてもらって」と言われ、急きょ大学病院に転院することになりました。

何度か検査入院をしたんですが、おなかの赤ちゃんの病気についてはっきりしなかったんです。だから、「病気だったらどうしよう」と毎日が不安でたまりませんでした。妊娠中って、ベビー専門店でわくわくしながらベビー服を選んだりすると思うんですけど、そんなふうに楽しむ余裕もないくらいでした。

――出産後、赤ちゃんの様子はどうでしたか?

友香子 出産自体は順調で、自然分娩で出産しました。でも産後すぐの長女の皮膚の様子などを見て、「何かあるな」と感じました。医師や看護師さんたちがバタバタして、長女はすぐにNICUに搬送されました。さまざまな検査をして、1週間後くらいにわかったのは、50万人に1人といわれる骨の難病があるということでした。

病名がわかるまで、朝から夜中までスマホで検索をして、どんな病気なんだろう、育てられるのかな、と不安で泣くばかりでした。

しかも、骨の病気があるとわかるとほぼ同時に、脊髄狭窄(脊髄の通る管が狭くなる病気)があるともわかり、首の神経が圧迫されて命にかかわる状態だと言われました。看護師さんに「首に少しでも刺激を与えたら首から下がまひするから気をつけて!」と言われ、長女を抱っこするのもかなり緊張しました。私は産後1週間ほどで退院し、NICUに面会に通う日々が始まりました。

「育てられないかもしれない」と絶望した

とっても仲よしなきょうだいです。

――産後で体調もよくないなか、毎日通院したんですね。

友香子 ほとんど毎日通っていたと思います。産後1週間で体もしんどい状態で、電車とバスを乗りついで面会に行きました。障害や病気を受け入れることもできていなくて、メンタルもボロボロ。「自分の耳が聞こえない上に、子どもが難病なんて・・・」と、現実を受け入れられずに絶望し、子どもの将来も、自分の将来も心配でたまりませんでした。

日々、気持ちの浮き沈みがループしているようでした。一緒に頑張れるかもしれない、という気持ちと、やっぱりダメかもしれない、という気持ち。そんな不安定な私を受け止めてくれたのは、母と夫でした。「この子を育てられないかもしれない」と落ち込む私に、母は「本当に無理だったら私が育ててあげるよ」「そんなふうに思ってしまうのもしょうがないよ」と声をかけてくれました。夫は泣きごとをいう私にずっと寄り添ってくれました。そうやって不安な気持ちを受け入れてもらえたことがすごくありがたかったです。

――その後の治療などで、長女の病状は落ち着いたのでしょうか?

友香子 生後4カ月で首の手術をするまでは、毎日心配で不安でたまらなくて、かわいいと感じる余裕もなかったと思います。かわいさというより、一緒に頑張らなきゃいけない、という義務感のようなものだったかもしれません。

けれど生後6カ月くらいから、目が合って、笑うようになって、ようやくかわいいと思えるようになりました。成長につれてどんどんかわいさが増して、こんなにかわいいならもう1人ほしい、と思うようになり、長女誕生の2年後に二女を出産しました。

何度も手術とリハビリを繰り返してきた長女

家族で七五三のお参りへ行ったときの1コマ。

――現在10歳の長女はこれまで何度も手術を受けてきたのでしょうか。

友香子 生後4カ月、年中、年長、小1、小2と、小学校低学年くらいまで毎年のように手術を受けて、これまで5〜6回受けてきたと思います。子どもの成長に合わせて、骨などの手術をするので、毎回手術の場所が違います。

皮膚から筋肉を貫通して骨まで金属のピンをさす装具を10カ月装着する治療もありました。そして、その装具を抜く手術も。あのときの長女は、痛くて毎日号泣していて本当に代わってあげたいくらいかわいそうでした。これから先も手術が必要になる可能性があります。

――リハビリも必要ですか?

友香子 手術を受けた後は毎日長時間のリハビリが必要になります。手術のために長期入院をすると、筋肉を動かさなくなってどんどん動かなくなってしまうので、筋肉を伸ばすようなリハビリなどを行います。足の骨の手術をしたあとには、ずっと車いす生活で筋力が弱ると歩けなくなってしまうので、歩行の練習もします。その毎日のリハビリもけっこう時間を取られるんです。私も夫も仕事をしながら、通院やリハビリをするのは本当に大変でした。

今振り返っても、長女の入院やリハビリが続いた時期のことは、忙しすぎてあんまり記憶がないんです。二女がまだ赤ちゃんのときには、私や夫の親にも手伝ってもらいながら、なんとか乗り越えてきました。いくつもの手術やリハビリを頑張ってきた長女。頑張ったかいあって、最近では軽く走れるようにもなりました。

娘たちのやりたいことを大事にしたい

長女7歳、二女5歳。家族でぶどう狩りへ。

――聞こえないママとして、きょうだいを育てる上で気をつけていたことはどんなことですか?
 
友香子 2人が小さいときには、とくになるべく目を離さないことを気をつけていました。見えないとわからないので、なるべく近くにいて、危ないことにすぐ気づくように気をつけていました。
それに子どもたちもある程度成長してからは、私が聞こえないことをわかっているから、泣くときも私の肩をたたいて泣くし、何か変わったことがあったら必ず私に伝えてくれていました。

いちばん大切にしているのは、娘たちのやりたいことを制限しないことです。長女には障害があるためにできないことはあるけれど、そのために二女がやりたいことを我慢する必要はないと思っています。それに長女がチャレンジしたいことがあれば、応援します。私自身も「聞こえないからあきらめる」ことのないように育てられてきたからです。

聞こえないけれどアメリカで生活!

長女は10歳、二女は8歳。現在はアメリカの学校に通っています。

――現在、友香子さん一家はアメリカで生活しているとのこと。Instagramで英語の勉強の様子も公開していますね。唇を読んで英語を習得するのもすごいです。

友香子 夫と私の仕事の関係で、2022年からアメリカ・テキサス州で暮らしています。

英語は本当に難しくて、全然できていないんすが、勉強を頑張っています。1日の勉強時間は20分くらいなんですけど、子どもが通っている現地の学校での出来事を話してくれるので、それも勉強になっています。「休憩時間に友だちとこんな会話をしたんだよ」とか「今日はこんなことをして遊んだよ」とか。子どもの口からは、私が学校で習ったことがない単語、たとえば“Monkey Bar(うんてい)”などがいっぱい出てきて、楽しいです。子どもから、生きた英語を教わっています。

――友香子さんは自身も聴覚障害者、そして難病児の親として「株式会社デフサポ」を起業しました。

友香子 長女に病気や障害があるとわかったとき、先が見えない不安とショックで暗闇の底にいるようでした。そのときに、「私みたいな思いをしている親がいるかもしれない」と気づいたんです。それで、難聴児とその家族をサポートしたいと思い、起業を決意しました。難聴児のことばの教材を提供したり、カウンセリングを行うなどしています。

――聞こえない子とその家族の未来のために、社会にどんなことを知ってほしい、協力してほしいと思いますか?

友香子 そうですね・・・私が子どものころに比べて、今はかなり生きやすくなったとは思うんです。昔は離れている人と話すには電話しかありませんでしたが、今はチャットで問い合わせもできるようになったし、オンラインでビデオ通話もできるようになりました。

ツールが便利になった反面、聴覚障害のある人が身近にいないと、別の世界のことと思いがちな部分はまだあるのかなと思います。でも実は聞こえない人の人生も、実際そんなに大きくは変わりません。困っていることが少しある人、と思ってもらえたらうれしいです。

そして、困っていることが少しある人にとっては、ほんのちょっとの配慮で過ごしやすくなることがある、とも知ってほしいです。たとえば私の場合は口を見て言葉を理解するので、会議などで複数人が同時に話すと、だれの発言かわからなくて困ることがあります。でもだれが話すかがわかるだけで、ずっとわかりやすくなります。オンライン会議は発言者がわかりやすいのでさらに助かります。そんなふうに、みんなが少しの思いやりを持ち寄りながら、障害のある人やその家族がより生きやすい社会になったらいいと思います。

お話・写真提供/牧野友香子さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

自身が聴覚障害者であり、難病がある娘の親である立場を生かし、起業した牧野さん。難聴児とその家族のためのサポートや情報提供をするほか、社会に難聴の理解を広めるためのYouTubeチャンネル『デフサポちゃんねる』も運営しています。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

牧野友香子さんのYouTube「難聴ユカコの挑戦 (デフサポちゃんねる)」

デフサポ ホームページ

牧野友香子さんのInstagram

牧野 友香子さん(まきのゆかこ)

PROFILE
1988年大阪生まれ。先天性の重度の聴覚障害があり、読唇術で相手の言うことを理解する。幼稚園から大学まで一般校に通い、神戸大学に進学。大学卒業後、ソニー株式会社に入社し7年間人事を担当。難病を持つ第1子の出産をきっかけに株式会社デフサポを立ち上げ、全国の難聴の未就学児の教育支援や親のカウンセリング事業を行う。現在は家族でアメリカ・テキサス州に暮らす。

『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』

生まれつき重度難聴がありながら、ろう学校には行かず地元の学校へ。大学卒業後はソニー株式会社に就職。結婚し、難病の娘を授かり、一念発起で難聴児を支援する会社を起業。母でも社長でも、全力で夢を追いかける牧野友香子さんの生き方をつづったエッセイ。牧野友香子著/1650円(KADOKAWA)

●記事の内容は2025年2月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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