SHOP

内祝い

  1. トップ
  2. 赤ちゃん・育児
  3. 赤ちゃんの病気・トラブル
  4. 重度難聴で、2人の子どもを育てるママ。手話を使わず読唇術で会話を。聞こえなくても自分らしい生き方を探し続けて【牧野友香子】

重度難聴で、2人の子どもを育てるママ。手話を使わず読唇術で会話を。聞こえなくても自分らしい生き方を探し続けて【牧野友香子】

更新

現在は家族でアメリカに暮らす友香子さん。

10歳と8歳の女の子を育てる牧野友香子さん。生まれつき重度の聴覚障害がありながら、幼稚園から大学まで一般の学校に通い、大学卒業後は第1志望の大手企業に就職。出産後に難聴当事者や家族をサポートする会社を起業し、現在は家族でアメリカで暮らしています。友香子さんに、自身が育った環境や現在のパートナーと出会ったことなどについて聞きました。全2回のインタビューの前編です。

自然と相手の唇を読んでいた幼児期

幼稚園時代の友香子さん。ねんどの工作をしています。

――友香子さんは相手の口の動きを読んで理解し、自身も発声して話す「口話」で会話するそうです。このコミュニケーションはいつごろからしていますか?

友香子さん(以下敬称略) 母によると、私は赤ちゃんのころから人の口を見て何を言っているか読み取っていたようで、コミュニケーションが取れていたのだそうです。「口を読む」ことに関しては、だれかに教わったわけではなく自然と覚えていった感じでした。伝わっているから私の耳が聞こえないことに気づかれず、発見が遅くなったそうです。

――友香子さん自身が重度難聴とわかったときのことを教えてください。

友香子 母が「何かある」と気づいたのは、夜に電気を消して寝るときに私に「おやすみ」と言っても反応がないことでした。明るいところで「おやすみ」と言えば何かしら反応をする私が、電気を消すと何も声が出なくなる、ということに気づいたそうです。

母は心配して2回ほど耳鼻科で診察してもらいましたが、医師との問診でも「普通に返事をするから問題ないよ」と言われたそうです。でも「絶対何かあると思う、もしかしたら聞こえないかも」と思った母が「どうしても詳しい聴力検査をしてほしい」とお願いして検査し直したところ、重度難聴との診断。それが2歳のころのことでした。私の両耳で聞こえるのは120db(デシベル)以上の音で、飛行機のごう音が聞こえないくらいです。難聴のレベルとしては最も重度になります。

母は「ちょっと聞こえづらいくらいだろう」と思っていたらしいのですが、まさかの重度の難聴とわかり、あまりのショックに「その日、診断を聞いてからの記憶がない」と言っていました。

――幼少期に友香子さん自身が覚えている違和感はありますか?

友香子さん 診断後から補聴器をつけて生活するようになりました。幼稚園のころは、補聴器をつけていることはみんなと違うけれど、意思の疎通がうまくいかないと感じることはなかったんです。0歳のころから仲よしの幼なじみがいるんですが、その子たちからはあんまり聞き返された記憶もなくて。きっとフォローしてくれていたんだと思います。

だけど、たまに会うお友だちの親には伝わりにくかったようで「なんて言ったの?」とよく聞き返されていました。私の発音が悪くて伝わらなかったんですけど、小さいときは「なんでわかんないんだろう?」と思っていました。

――幼児期から療育などに通っていましたか?

友香子 重度難聴とわかってすぐ、2歳半ごろから療育を受けていました。幼稚園に通いながら、難聴児通園施設と、民間のことばの教室に通いました。

家では、母はあんまり厳しく発音の練習はしなかったと思います。でも、とにかくいろんな言葉を話してくれた記憶があります。絵日記を一緒に書いたりとか、その日にあった出来事を話してくれたり・・・家の中の会話がすごく多かったです。同居していた祖母も、私にいろんなことを話してくれました。家族との豊かな会話が、私の幼少期の語いの幅を広げてくれたんだと思います。

「聞こえない」ことで自分に自信をなくしていた学生時代

19歳のころ、友人とニューヨークへ旅行。

――地元のコミュニティで育った学生時代、苦労したことはどんなことでしたか?

友香子 苦労したことは、たくさんあります。でも小学校低学年のころは、耳が聞こえないけれどできることもいっぱいあったんです。リーダーシップを取ったり、みんなを集めて一緒に遊ぼうよ、と誘ったり・・・。それが、小学校高学年くらいからだんだんコミュニケーションの難しさを感じる場面が増えて、「自分は耳が聞こえないからできない」と思うことが増えてきた気がします。

たとえば、授業中にだれかがおもしろい発言をしてクラスのみんなが笑っている場面で、私は会話に入れないから自分だけ愛想笑いしていました。女の子同士の人間関係でも、ナイショ話などで自分だけ知らないことが増えたり。1つ1つは小さいことだけれど、毎日毎日そんなことが積み重なっていって、どんどん自信がなくなっていきました。

それから高校生くらいまで、クラスの輪からはみ出ちゃいけない、みんなに合わせなきゃいけない、と気をつけながら過ごす日々は、今振り返るとつらかったし、われながらすごく頑張っていたなと思います。私にとって“みんなと同じ”は、努力して手に入れるものでした。

――つらい時期、どんな支えがあって乗り越えこられたんでしょうか。

友香子 なんだろう・・・。やっぱり、家族にとても愛されて育ってきたことでしょうか。家族はいつも私を信じてくれたし、聞こえないからこれをしてはダメ、と制限されたこともないんです。家族が信頼してくれていたから、頑張ってこられたんだと思います。

――大学卒業後は一般採用で第1志望のソニーに入社したそうです。仕事面や人間関係で苦労したことは?

友香子 仕事関係で苦労するのは、雑談などの情報が耳から入らないことです。たとえば、隣の席の女性同僚が、子どもが熱を出していることとか、上司が犬を飼っているとか・・・職場で何気なく話している情報は、耳が聞こえる人たちは直接相手と会話をしなくても、無意識に耳からいろいろと入ってくるでしょう。でも、対面で口の動きを読み取って会話をしている私には、そういう情報がいっさい入りません。

直接会話をすればわかるけれど、パソコン作業中にだれかが私の後ろで話しているようなことは、私にとって情報としてはゼロなんです。日々の生活の中で雑談の情報が抜けていることによるデメリットは、なかなかわかりにくいことだと思います。そういった情報が入らないことで、仕事のやりづらさがあったり、人間関係にも影響したりすることはありました。

一方で、聞こえないからこその視点で、業務を改善したこともあります。私は電話応対ができないので、その代わりに社内のチャットやメールで代替するフローを作りました。それが業務の効率化につながって評価してもらえ、自分の自信にもつながりました。それに会社での人間関係にとても恵まれて、当時のメンバーとは今でもとても仲よしです。風通しがよくて居心地のいい職場で、楽しく仕事をすることができました。

そのままの私を見てくれた夫と、義母との出会い

24歳で結婚した友香子さん。

――友香子さんは23歳で結婚したそうです。パートナーのどんなところにひかれましたか?

友香子 夫とは、社会人1年目の夏に友人と参加した1泊2日のキャンプで出会いました。彼の人柄にひかれて私から猛アタックして、数カ月後に交際を始め、その翌年に結婚しました。彼は私とつき合うときに、私が聞こえないことを気にしつつも、それも含めて私自身を見てくれました。そんな夫の、いつもフラットなところが居心地がよかったと思います。

それに彼はとても気配り上手な人。夫と共通の友人たちとワイワイ話しているとき、私が会話についていけてないと気づくと、話の内容をまとめながら自分の意見を話してくれます。さりげない気づかいを自然とできるところがすごくいいなと思いました。

――友香子さんが発信するYouTube「デフサポちゃんねる」では、お義母さんととても仲よしな様子も発信しています。お義母さんとはどんな関係性ですか?

友香子 義母は結婚前にあいさつに行ったときから、私が聞こえないことをまったく気にしない人でした。私とも仲よくしてくれるので、私は義母にもわがままを言いまくってしまっています(笑)。私たち家族は今アメリカで暮らしていて、仕事の関係で日本にもよく帰るのですが、日本滞在中は義母の家にお世話になっています。私は春巻きが大好物なんですけど、自分で作るのは大変だから「おかあさん〜春巻き作って〜!」と甘えています(笑)。

2カ月ほどの滞在になるときは、義母は私たちに早く帰ってほしいと思ってるでしょうね(笑)。先日滞在したときも、アメリカに戻る日が決まったら「はぁ〜、これでゆっくり寝られる〜!」って喜んでいました。でも、義母は子どもたちのこともよく見てくれますし、義母のおかげで助かっていることが本当にたくさんあります。

――聞こえる人が聴覚障害のある人とコミュニケーションするとき、知っておいてほしいことはどんなことですか?

友香子 「聞こえない」というと、手話を使わないと伝わらないと思い込みがちですが、実は聴覚障害のある人の聞こえの程度はさまざまです。コミニュケーション手段も、手話のみ使う人もいれば、私のように唇を読んで口話をする人、手話と口話を使う人、人工内耳を装用して会話ができる人など、人によって違います。聴覚障害のある人のなかにも、私のように手話がわからない人もいます。

だから、もし聴覚障害のある人とコミュニケーションする機会があれば、「どうすればわかりやすいですか?」「どんなふうに話したらいいですか?」と聞いてもらえるといいと思います。そのほうが、「筆談がいいです」とか「ゆっくりしゃべってください」とか、その人にとってベストな対応ができると思います。

私も「デフサポちゃんねる」としてYouTubeで発信をしていますが、そういった動画やSNSなどを1度でも見てもらえたら、聞こえない人のことやどう対応すればいいのかを知る機会になるし、もっと身近に感じてもらえるんじゃないかと思います。

お話・写真提供/牧野友香子さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編 

アメリカ在住の友香子さんにオンラインで取材しました。記者の口を見て質問に答えてくれた友香子さん。明るくポジティブな友香子さんですが、今回のお話から周囲との関係を築くために重ねてきた努力があることがわかりました。

後編は長女の出産のこと、2人の女の子の子育てのことなどについて聞きます。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

牧野友香子さんのYouTube「難聴ユカコの挑戦 (デフサポちゃんねる)」

デフサポ ホームページ

牧野友香子さんのInstagram

牧野 友香子さん(まきのゆかこ)

PROFILE
1988年大阪生まれ。先天性の重度の聴覚障害があり、読唇術で相手の言うことを理解する。幼稚園から大学まで一般校に通い、神戸大学に進学。大学卒業後、ソニー株式会社に入社し7年間人事を担当。難病を持つ第1子の出産をきっかけに株式会社「デフサポ」を立ち上げ、全国の難聴の未就学児の教育支援や親のカウンセリング事業を行う。現在は家族でアメリカ・テキサス州に暮らす。

『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』

生まれつき重度難聴がありながら、ろう学校には行かず地元の学校へ。大学卒業後はソニー株式会社に就職。結婚し、難病の娘を授かり、一念発起で難聴児を支援する会社を起業。母でも社長でも、全力で夢を追いかける牧野友香子さんの生き方をつづったエッセイ。牧野友香子著/1650円(KADOKAWA)

●記事の内容は2025年2月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

赤ちゃん・育児の人気記事ランキング
関連記事
赤ちゃん・育児の人気テーマ
新着記事
ABJマーク 11091000

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第11091000号)です。 ABJマークの詳細、ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら→ https://aebs.or.jp/

本サイトに掲載されている記事・写真・イラスト等のコンテンツの無断転載を禁じます。