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妊娠25週、わずか366gで生まれた息子。「なんてことをしてしまったんだろう」と自分を責めた母【体験談】

更新

尊偉くん生後5カ月、親子で初めて迎えた元旦。

福島県に住む鈴木頼子さんは、夫と15歳の長男・尊偉(たける)くんとの3人家族。尊偉くんは妊娠25週のときに366gで生まれた超低出生体重児でした。頼子さんは現在、福島県のリトルベビーサークル「Nっ子ちゃん」の代表として活動しています。頼子さんに出産のときのことや、産後の尊偉くんの様子などについて話を聞きました。全2回のインタビューの前編です。

結婚9年目の妊娠。でも7カ月で緊急帝王切開で出産することに

生まれた日の尊偉くん。

知人の紹介で知り合った頼子さんと夫は、4年の交際をへて頼子さんが29歳のときに結婚しました。2人とも子どもを望んでいたもののなかなか恵まれず、頼子さんは34歳のころから不妊治療を始めました。

「不妊治療専門のクリニックで、人工授精5回、体外顕微授精2回を行い、2回目の体外顕微授精の胚を子宮に戻したときに妊娠しました。3年あまりの不妊治療の末の待望の赤ちゃん。妊娠がわかったときは本当にうれしかったです」(頼子さん)

しかし妊娠中期に入ってすぐの妊婦健診で、おなかの赤ちゃんが小さいことがわかります。

「妊婦健診もそのまま不妊治療クリニックに通っていましたが、妊娠25週の健診で医師に『胎児が週数に比べて小さいので染色体異常があるかもしれない』と言われ、転院をすすめられました。翌日、紹介状を持って夫と一緒にNICU(新生児集中治療室)がある病院を受診し検査をしてもらうと、『重度の妊娠高血圧症候群のため胎児が小さいので、明日帝王切開にてお産します。すぐ入院してください』と言われたんです。

突然のことに驚くばかりでした。私は“重度の妊娠高血圧症候群”になっていたんです。たしかにむくみがひどく、靴も入らず、指輪もはずれないほどで、そのことはクリニックでも伝えていました。でも『妊娠するとむくみはありますから気にしないで』と言われ、まさか私が病気になっているとは思いませんでした」(頼子さん)

頼子さんは転院先の医師から「赤ちゃんもお母さんも両方とも救うためには、今すぐ妊娠をやめなければならない」と告げられます。

「このときまだ妊娠7カ月に入ったばかり。今産んで赤ちゃんは生きられるのか、それだけが心配でした。医師によると『生まれてみないと何とも言えない。このままおなかの中にはいられないが、NICUの保育器の中で育てることができる』とのこと。決断には迷いませんでした。夫婦で祈るような気持ちで『よろしくお願いします』と返事をしました。

不安でたまらなかったけれど、赤ちゃんの胎動は感じていたので『小さくてもきっとこの子は頑張ってくれる』と信じて翌日の緊急帝王切開に臨みました。ただ、もう少し早く気づくことはできなかったのだろうか、そうすれば妊娠高血圧症候群の様子を見ながら妊娠を続けることができたのではないか、ということはとても悔やまれました」(頼子さん)

「私はなんてことをしてしまったんだろう」

生後2カ月近くのころ。

2009年7月末、頼子さんは入院した翌日に緊急帝王切開で男の子を出産しました。

「全身麻酔での出産だったので、産後すぐにわが子と会うことはできませんでした。夫と私の母は先にNICUで赤ちゃんと面会したのだそうです。麻酔から目が覚め、つき添ってくれていた夫に『赤ちゃんは大丈夫だった?』と聞きました。夫から『うん、生きてるよ』という返事を聞き、少しだけホッとしたのを覚えています」(頼子さん)

出産の翌日、頼子さんは車いすで助産師につき添われ、NICUにいる赤ちゃんに会いに行きました。

「赤ちゃんの体重が366gだと聞いて、一体どんな状態なんだろうと心配でした。でもひと目見て『わあ、なんてかわいい!』と。結婚して9年でやっと出会えた赤ちゃん。体も赤黒くて皮膚もかなり薄かったですが、手足にも小さい指がちゃんとあります。生まれてくれて生きている、その生命力に感動し、私たちの所に生まれてきてくれて本当にありがとう、と思いました。

でも、自分の病室に戻ると『私はなんてことをしてしまったんだろう』『どうしてこんなことになってしまったのか・・・』と、自分を責める気持ちが押し寄せてきました。
まだおなかもそれほど大きくなっていたわけではなかったですし、あまりにも突然のことで思い描いていたような出産とも違います。『これって出産したっていえるのかな』と悲しみや不安で心が混乱していたと思います」(頼子さん)

頼子さん夫妻は、赤ちゃんが生まれて3日後に「尊偉(たける)」と名づけました。

「まだ名前の候補も考えていなかったんですが、出産の翌日に面会に来てくれた夫が『早く名前を決めよう』と、いつになく真剣な表情で言うんです。夫が病院から自宅へ帰る車の中で“尊”という字がすっと浮かんだのだ、とも。それで2人でいくつか名前を考え『頑張って生きていて偉い子』という思いから“尊偉”と名づけました。

あとからわかったのですが、夫は私の出産後すぐに医師から説明を受け、数日間は息子の命の危険があることや、合併症の可能性などについて詳しく聞いたようです。もしも何かあったらと、夫は早く名前をつけたかったのかもしれません。夫は私に心配をかけないように、あまり詳しいことは言わずにいてくれました」(頼子さん)

退院まで500日間、毎日面会に通った

初めてのカンガルーケアでとても幸せを感じたという頼子さん。

産後1週間ほどで頼子さんは退院し、その後はNICUに入院している尊偉くんに面会に行く日が続きました。

「退院の日、主治医から『できれば毎日来てください。そしてたくさん体に触れてあげてくださいね』と言われました。自宅から車で片道45分ほどの病院へ、毎日夫婦のどちらかは必ず面会に通いました。私は日中5時間ほど面会し、夫は仕事が終わってから夜に行くことも。息子に会えるのがうれしくて生きがいでした。

『息子は育つのかな・・・』と不安と怖さもありましたが、悪いイメージは振り払って、とにかく毎日心の中で祈りながらたくさん息子の体に触れるようにしました。主治医の先生は私が赤ちゃんに会いに行くたびに『この子は本当にすごいよ』『今のところ(状態が)落ち着いていますよ』と、よく私に声をかけてくれました。希望を持たせてくれるような言葉に励まされながら、私は毎日一生懸命搾乳をして届け、息子は一歩一歩、とてもゆっくり少しずつ大きくなってくれました」(頼子さん)

頼子さんが初めて赤ちゃんを胸に抱くカンガルーケアをしたのは11月3日、尊偉くんが生後3カ月のことでした。

「ちょうど息子の出産予定日のころに、初めて息子を胸に抱くことができました。ふだんついている呼吸器を一時的にはずして30分程度、私の胸の素肌と息子の体をぴったりと合わせてのカンガルーケア。息子のつめがちょっと伸びていたのか、私の肌に当たってチクチクした感触を今でも覚えています。

あたたかくて、本当に気持ちがよくて。そのときに初めて『出産した』という実感がわきました。『私はこの子を産んだんだ』とやっと確信できた、大切な日です」(頼子さん)

頼子さん夫妻は、尊偉くんが生後1歳4カ月になるまでの500日間、1日も欠かさずに面会に通いました。

「幸い、入院中は命にかかわるような大きな合併症などはありませんでした。未熟児網膜症のために両眼にレーザー光凝固術はしましたが、それ以外の手術もありませんでした。医師たちが、薬の量や酸素濃度などをこまかく調整し、ていねいに看護してくれたのだと思います。

ただ、息子はミルクを飲むことや食べることがなかなかできるようにならず、入院が長引いたのはそのためでした。結局、経管栄養のチューブを鼻から入れた状態で1歳4カ月での退院となりました」(頼子さん)

お話・写真提供/鈴木頼子さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

結婚9年目にやっと頼子さん夫妻のもとに生まれた小さな命。頼子さん夫妻の大きな愛情に胸を打たれます。
インタビュー後編は、退院後の尊偉くんの成長の様子や、頼子さんがリトルベビーサークルを始めたことなどについて聞きます。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

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●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年2月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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