シンガポールでの7人の出産は波乱だらけで、子宮口全開で病院に駆け込んだことも!思い描く未来には、8人目も!?『世界ふしぎ発見』の元リポーター・山口日記
『世界ふしぎ発見』や『世界ウルルン滞在記』の元レポーターであり、現在はシンガポールを拠点にアーティストとして活動する、山口日記さん。2011年、結婚と同時にシンガポールへ移住し、そのあとに6人の子どもを年子で授かり、さらに2024年11月30日には第7子となる男の子を出産しました。今回は、シンガポールでの7人の出産について、また、母として子どもたちにどんな思いをいだいているのかについても聞きました。
全2回インタビューの後編です。
帝王切開に無痛分娩、麻酔なしの超スピード出産まで!7人7様の出産に
――7人の出産は、みんな同じ先生にとり上げてもらったそうですね。
日記さん(以下敬称略) そうなんです。長男の初めての出産が帝王切開だったのですが、1人目が帝王切開になると、2人目も3人目も一般的には帝王切開を選択することになるじゃないですか。最初に執刀してくださったその先生に、自分が頑張っても4人までだと言われたんです。私は長男を出産して子育てを始めたら、子育てがすごく楽しくなっていて、2人目以降のことを考えたときに、子どもは4人以上欲しいという希望があったんですよね。
その先生は、シンガポールでもすごく有名な先生でした。それで、いろいろと方法を考えてくださって、2人目からは経腟分娩で出産することができたんです。ほかの先生にも少し相談してみたんですが、やっぱり、帝王切開でないとダメでした。その先生だけが唯一、2人目以降の経腟分娩に同意してくれて、結局7人全員をとり上げてくれたんです。
一度帝王切開をしていると、子宮破裂の可能性があるので、陣痛促進剤は使えないそうなんです。だから、2人目以降を経腟分娩での出産で希望すると、それなりのリスクがともなうということで、不安はもちろんありました。年子で産みたいということもありましたし。今思い返すと、よくみんな無事に生まれてきてくれたなと思います。
今回の7人目の出産時もいろいろなトラブルがあったので、帝王切開になる可能性が高いと言われたんです。帝王切開でもなんでも、無事に生まれてさえくれれば問題ないのですが、私は「もうこれが最後とは思いたくない!」という強い思いもあって・・・。それで、先生がものすごく考えてくれて、あの手この手で処置してくれ、奇跡的に経腟分娩となりました。
この先生は、私にとって本当にゴッドハンドを持つ神様みたいな存在。先生がいなかったら、私の子だくさんの夢はかなっていませんでした。先生も、1人のママから7人を取り上げたことはないようで、いつも一緒に喜んでくれるんです。ありがたいですね。
――第2子以降の経腟分娩は、自然分娩と無痛分娩どちらを選んだのですか?
日記 私は自然分娩、無痛分娩、帝王切開と、出産ではいろいろ体験してきましたね。シンガポールでは無痛分娩が多く、私も4人目以外は無痛分娩です。とはいえ、私には麻酔が合わないのか、震えや吐きけが毎回なんですけど、あの4番目の自然分娩の痛みと比べたら・・・という感じですね。
自然分娩は生まれる直前が、本当に痛かったです。痛過ぎて気が遠のいて、自分の子どもとバイバイして、夫ともバイバイして、「私はダメでも4番目は生まれるから大丈夫~」なんて話していたぐらい。でも、「だめだろ!戻れ!」とわれに返った瞬間に、4番目は生まれてきました。どのママもどの出産も命がけですよね。すべてのママにリスペクトです。
――6人の年子が続いて、そこから4年あいての妊娠・出産になったのは、何か理由があったんですか?
日記 7人目が欲しいなと思ったとき、ちょうどコロナ禍になってしまって。当時、感染することがとても怖かったので、6人を守ることで精いっぱいでした。さらに、不安や心配を抱えてでは妊娠もできなくて、それで初めてあきらめたんです。でも心の中に、「もっと家族が増えたら楽しいだろうな。なんだか寂しいなぁ」という思いがずっとありました。
40歳になって、もっと思いのままになって、せっかく女性で生まれてきたのならとことん苦労も幸せも感じたいと思いました。
今までは年子でしたが、初めて4年あくことになり、しかも長男と四男は干支(えと)が同じ。「こうやって、離れたきょうだいができることは新しい体験だし、家族にとってさらなる挑戦と成長になるね」とみんなで話し合って、7人目を迎えました。
おむつなし育児や自分流の寝かしつけなど、育児本どおりではない子育てを実践!
――アーティストとしてのお仕事をされているとか?
日記 はい。2022年に、シンガポールで1番歴史が長く、大きな絵のコンテストで受賞しました。そこから本格的にシンガポールを拠点にアーティスト活動をしています。絵はうそも何もない、自由で、心そのままに表現できるので、とても気持ちがいいです。
自分は1人だけど、その1人のひとつの人生の中でいろいろな人になりたいんです。簡単にはなれない事だし。だから、自分から切りひらいていかないといけないんです。
物心ついたときから20代までは、芸能の仕事をしてきました。遊びも仕事も成しとげたと思っています。そして30代は芸能から離れて、海外生活をしながら母業という人生でした。
そして40代は、アーティストという人生に。こうやってどんどん、なりたい人になっていくことが私の生きがいであり、その経験や思いが絵につながっていきます。
挑戦し続けていると心も体も鍛えられて、気がつけば、育児も大変と思う時間が減ったように思います。それとともに、子育てしながらできることってあるんだと私が証明できれば、子育てがいっぱいいっぱいで苦しんでいるママたちにも、息抜きするような時間を作れるんだよと笑顔にさせられると思うんです。ママは、だれにでもできる仕事ではないんです。だから自信を持って、そのときそのときを楽しみながら、やりたいことを見つけていくのってとても大切だと思います。
――日記さんは絵本も描いているそうですね?
日記 絵本は、子どもたちのために個人的に私が描いています。1人ずつの名前を題名に絵本を描いているんです。
最近は子どもたちとも一緒に絵を描いたりしています。私が常に絵を描いているので、子どもたちも一緒に描きたがるんです。そういうときは、一緒にファミリーで作品を作っていますね。親子のコミュニケーションがとれて、より想像力がふくらみます。
――アーティストとして作品を制作するには、時間も必要ですよね。
日記 何かひとつ願いがかなうとしたら、「時間をください!」って言うでしょうね(笑)。それくらい時間がたりなくて、ひとつのことに集中できる時間が圧倒的に無いんです。もう1秒1秒が貴重で、「どう使ったら無駄にしないか」と、これが私の中では重要なことなんです。
絵もたくさん描きたいし、英語ももっと話したいし、子どもたちとも触れ合いたいし、ヨガも運動もしたい!でも現実には、おっぱいをあげて、おむつを替えて、ミルクをあげて、これだけでも時間はかかります。それに加えて家の片づけや、ほかの子の送り迎え、料理などやることが迫ってくるばかり。
そこで、リズムで生活をしています。「これ、マジックですか」って言うくらい効果的なんですよ。子どもや赤ちゃんにもリズムを作ってあげることで、寝かしつけをしなくても、だんだんと勝手に寝てくれるようになるんです。
そのリズムを作って、その上で絵を描く時間を当てはめていきます。とはいえ、忙しいことには変わらないので、絵を描けないときはすんなりあきらめますが、ストレスはたまりますね(笑)
――おむつなし育児なども実践したそうですね。
日記 今もブログは更新していますが、おむつなし育児や寝かしつけについての質問はとても多かったです。みんな悩むし、「もう無理ー!」ってなるときだってあります。
これもすべてリズムなんです。「ミルクを飲んだらおまるへ」「お昼寝から起きたらおまるへ」「シャワーのあとおまるへ」と、赤ちゃんがおしっこするタイミングを日常のリズムとしてあてはめちゃうんです。
そうすると赤ちゃんもわかってくるし、ママもよりコミュニケーションが取れます。そして結果的に、おむつが早く取れると言うことです。
私は4人目までおむつなし育児を頑張っていましたが、5人目からはおむつでした。余裕があるときはやりますが、これも興味を持ったときに楽しめばいいんです。無理にやる必要もないし、ママの気分がいちばん大切です。
10年後には、世界で活躍するアーティストに!「ママの背中を見て、ついてこい」
――8人目も考えているんですか?
日記 私は8人いたらいいなと、ずっと考えています。でも出産費用はもちろん、生まれてから育てていくにはお金がかかることなので、いろいろな問題を乗り越えていかないといけないのが厳しいところですね。
あとは、自分の体力もどうかなと。でも、夢はかなうと信じて、家族が増えても大丈夫なようにまずは頑張らないとですね。
――子どもたちにはどんなふうに育ってほしいと思っていますか?
日記 とにかく、やりたいことをみつけて、どんどんトライしてほしいと思います。でも、やりたいことを見つけるってそう簡単ではないので、そのためにもある程度の勉強は必須だなと。シンガポールの学校でみんな頑張っていますが、もしも、本気でやりたいことができたときには、それに思いっきり夢中になればいいと思っています。
自分が後悔するような人生にならないように思いっきりやってほしいです。そのためにママが見せられることは、自分のやりたいことをあきらめずにやる姿かなと。私の場合はアーティストとして活動したり、たくさんの子どもたちを責任持って育てること。
「ママの背中をみてついてこーい!」って感じですかね(笑)
――10年後の家族を想像していますか?
日記 10年後には、シンガポールを拠点に、世界で活躍しているアーティストになっていることを想像しています。そういう夢をもっているママだからこそ、子どもたちにも、勉強やスポーツ、好きなことにどんどん取り組んでいってほしいという気持ちを伝えています。
あとは、自然豊かな場所に住みたいと思っているので、そんな場所で家が持てたらいいですね。10年後となると、長男はもう成人しているので、もしかしたら結婚しているかもしれないし、別の国に行ってしまっているかもしれないですよね。子どもたちみんなが、いつでも自由に帰ってこれる場所を作るのが夢なんです。
私の中では、1年後、2年後、3年後のプランは立てているんです。そうじゃないと、ただ同じような1年を過ごして終わっちゃう気がして。プランを立てることをすると、自分の中のマインドもそっちに向かっていくと思うし。まあ数年後には、きっと8人目もいると思いますよ(笑)
お話・写真提供/山口日記さん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部
年子での子づくりを計画的に進めてきたように、1年後、2年後とプランをしっかり立てているという日記さん。そうすることで、子育てやアーティスト活動に忙しい日々の中でも、自分らしい時間を持つことができると言います。そんなママの背中を、7人の子どもたちもしっかり見ているのでしょう。
そして日記さんは、8人目の子どもをもつ未来もすでに想像しているとか。日記さんファミリーのこれからが楽しみです。
山口日記さん(やまぐちにっき)
PROFILE
1982年、東京都出身。3歳から芸能活動を開始し、『王様のブランチ』や『ウルルン滞在記』、『世界ふしぎ発見』などのリポーターを務める。一般男性との結婚を機に2011年からシンガポールに移住し、現在は7児の母としてあわただしい生活を送りながら、シンガポールを拠点にアーティストとして活動している。
●記事の内容は2025年3月の情報で、現在と異なる場合があります。