日本に150人しかいないゴーシェ病の息子。2回の脳の手術を乗り越え、病気と闘いながら過ごす日々【体験談】
田口あきとくん(仮名・4歳)は、暁子さん(仮名・37歳)が4回目の妊娠でようやく授かった長男。そのあきとくんが日本に150人程度しかいない指定難病のゴーシェ病だとわかったのは2歳3カ月のときでした。5月4日は、日本ゴーシェ病の会によって制定された「ゴーシェ病の日」です。
全3回のインタビューの3回目は、激しいけいれんを起こすようになった2歳7カ月のときから現在までのことについてです。
熱が高くないのにけいれんを。チアノーゼを起こし、酸素濃度も低下
さまざまな症状が表われるゴーシェ病の症状のひとつに、けいれんがあります。あきとくんが初めてけいれんを起こしたのは2歳7カ月でした。
「あきとが突然39度の熱を出しました。とても暑い日で、熱以外の症状はなかったので熱中症を疑い、すぐに救急センターへ。水分はとれていたため、解熱剤が処方され、家で様子を見ることになりました。
ところがその後、熱が40度に上昇。心配になり、ゴーシェ病の治療を受けている総合病院の救急外来を受診。座薬を入れてもらったらすぐに熱が下がり、帰宅。あきとが気持ちよさそうに寝ているのを確認し、私も布団に入りました」(暁子さん)
ところが朝5時ごろ、隣で寝ているあきとくんが揺れていることに気づき、夫婦2人で飛び起きます。
「暗くてわかりにくかったんですが、あきとの体が棒のようにかたくなって小きざみにふるえ、顔が青くなっていた気がしました。でも1分もかからずに収まり、あきとはすやすやと寝息に。もしかして熱性けいれんだったのだろうかと夫と話し、私たちもウトウトし始めた朝6時前、あきとがまたもやふるえ始めたんです。
くちびるの色は正常でしたが、体が硬直し、ふるえています。やっぱり熱性けいれんだ!と、けいれんの時間を計りながら救急車を呼び、診察時に見せるために動画も撮影しました。
病院で診てもらったところ、両目が片方に強く寄り、瞳孔が少し開いているかもしれないと言われました」(暁子さん)
けいれん止めの点滴をしたことであきとくんは落ち着きましたが、経過観察のため即入院に。付き添うために、暁子さんもそのまま病院に残りました。高熱の原因はヘルパンギーナでした。
「熱は37.5度しかないのに、翌朝もけいれん。けいれんを起こすと、あっという間にチアノーゼになり、酸素濃度が急激に下がるので、本当に怖かったです。
でも、CTや脳波の検査は異常なし。その後けいれんを起こすことはなく、6日後に退院しました」(暁子さん)
けいれんを起こしたらすぐ気づけるように、一睡もせず見守り続けた
その1カ月後、お昼寝中にあきとくんがまたもやけいれんを起こしました。
「朝から37.5度程度の微熱。高熱じゃないのになぜけいれんを起こすの!?と疑問に感じながら救急車を呼びました。病院で解熱剤の座薬を入れ、少し様子を見たのち帰宅できました。
でもその翌朝、再びけいれん!しかも左に両目が寄っていて泡を吹き、チアノーゼも。あわてて救急車を呼び、搬送中に熱を測ると36.8度しかありません。今回もけいれんの時間は短時間でしたが、連続して起こったため、またもや入院となりました。
入院中、あきとはずっとぐずっていて、「ちゃーちゃん(おかあちゃん)、ちゃーちゃん」と泣くんです。なんだか様子がおかしいと思っていたら、立て続けにけいれんを起こしました。1回のけいれんは1分程度ですが、入院3日目にはすでに20回以上に。けいれん予防の薬を使っても収まりませんでした」(暁子さん)
あきとくんの異変を見逃さないように、暁子さんは寝ないで見守り続けました。
「けいれんは突然、静かに起こるので、あきとの異変を見逃さないために、夜間も一睡もせず見守り続けました。
でも、4日間睡眠ゼロでいたらふらふらに。1日だけ夫に付き添いを代わってもらい、家で睡眠を取ったあと、急いで病院に戻りました。結果この入院は19日間続くのですが、入院中、ずっとそんなふうに過ごしました」(暁子さん)
入院6日目にけいれんが26回を超え、抗てんかん薬を使うことになりました。
「薬のおかげで一時はけいれんが落ち着いたのですが、すぐに再発。薬の量を増やしても効果がありません。そのころのあきとの体はぐにゃぐにゃで、足の筋肉は落ち、立てなくなっていました。まばたきをしないままぼんやりして、『ちゃーちゃん』と呼ぶ姿に、涙が止まりませんでした」(暁子さん)
けいれんはすでに50回を超え、入院14日目に撮ったMRIの結果は、「脳室が大きくなっている」というものでした。
「水頭症かもしれないという説明を受けました。水頭症は、脳の中にたくさんの髄液がたまってしまい、脳室などが大きくなってしまう病気です。ゴーシェ病の確定診断を受けたとき、あきとの遺伝子型は水頭症になる子もいるけれど、この1~2年で症状が出なければ、水頭症にならない可能性が高いとも言われていたんです。
でも今回の説明では、てんかんが水頭症によって起きているなら、水頭症の手術が必要だと言うんです。次から次とショックな出来事が起こり、私の頭はパンパンに・・・。
夫と話し合い、水頭症の手術は小児専門病院でしてもらおうということに。小児専門病院に聞いてもらったところ、手術が込み合っていて、明日しかあいていないとのこと。急きょ、その日中に退院し、翌日、小児病院を受診することになりました。
19日間の入院中、あきとのけいれんは97回にも及びました」(暁子さん)
小児専門病院で「今のところ手術は不要」と言われ、肩の力が抜ける
翌日、車で2時間かけて小児専門病院に向かいました。高速道路を走行中にけいれんを起こしたときに備え、小型の酸素ボンベも用意しましたが、何事もなく病院に到着できました。
「MRIの画像を診てもらったところ、確かに脳室が大きくなっているけれど、これくらいの拡大で止まることもあるので、急いで手術する必要はないとのこと。その日中の手術を想定して緊張していたので、肩から力が抜けました。2カ月後にMRIを撮って再度確認することになりました」(暁子さん)
退院後、あきとくんは一度もけいれんを起こしませんでした。
「実はけいれんで入院中、最初の抗てんかん薬がまったく効かないことがわかったあと、新しい抗てんかん薬を試していたんです。2カ月前に4歳以下の使用が可能になったばかりの新薬でした。この薬があきとの体に合ったみたいです。
けいれんを起こさなくなるのと同時に、おすわり、つかまり立ちと少しずつ回復。手をつなげば歩けるようになり、ちょこちょこ動く姿がすごくかわいくて。でも何より、あきとが笑顔を見せるようになったことが一番うれしかったです。
2カ月後のMRIの検査でも悪化は認められず、今のところ手術は不要とのことでした」(暁子さん)
水頭症が悪化!すぐに入院が必要で、緊急手術の可能性もあると・・・
3歳のお正月を迎えたころ、あきとくんはアデノウイルスに感染して高熱を出し、10日間入院しました。
「退院後に気がかりだったのは、あきとが笑わなくなったこと。ゴロゴロ寝ていることが増え、『どこか痛いの?』と聞くと、必ず頭を指さすんです」(暁子さん)
水頭症の経過観察で受診する日が近かったので、暁子さんは相談してみました。
「先生の見解は『吐くなどの症状がないなら大丈夫だろう』でしたが、どうしても気になり、MRIを撮ってほしいと強くお願いしました。『お母さんがそれほど気になるなら検査しましょう』と言ってくださり、すぐにできるCT検査を行うことになりました」(暁子さん)
検査の結果はよくないものでした。
「手術が必要だと言うのです。手術室に空きがなく、手術できるのは5日後だけれど、すぐに入院が必要で、入院中に悪化したら緊急手術をすると。3カ月前は問題なかったのに、水頭症が急激に悪化していたんです。
母に入院用品を持ってきてもらう間、私と夫は、水頭症の手術に関する説明を受けました」(暁子さん)
水頭症の内視鏡手術を受けた1カ月後に、シャント手術を受けることに
水頭症の手術には、内視鏡手術とシャント手術があります。
「内視鏡手術は脳内の膜に穴を開けるだけで脳内の圧力が下がり、術後のケアは不要。シャント手術は頭に調節バルブを入れ、たまった髄液を流すための管を頭からおなかへ通すので、術後はバルブの調節などが必要になります。
内視鏡手術をしても半年以内に再発したらシャント手術が必要になり、あきとが再発する確率は50%だと。でも、あきとの体に負担がないほうがいいと、先生と相談しながら今後のことも考えて、内視鏡手術を選びました」(暁子さん)
緊急手術にはならず、予定どおり5日後に手術が行われました。
「看護師さんに抱っこされたあきとは、泣くこともなく手術室へ。でも、たくさんの大人に囲まれて、怖かったと思います。本当によく頑張ってくれました。1週間で退院し、1カ月後にMRIで経過観察をすることになりました」(暁子さん)
しかし退院して3週間が過ぎたころ、あきとくんは急におすわりができなくなりました。
「また筋肉が落ちたんだろうか・・・と気になりつつ、幼稚園入園前の視力検査のために眼科を受診。そこで『うっ血乳頭があるよ』と言われたんです。うっ血乳頭は水頭症による症状で、術後は少しずつ治ると言われていました。急におすわりができなくなったこともあり、水頭症が悪化したのではないか、という考えが頭をよぎりました。次の検査は2週間後。それまで待つべき?いや、すぐに相談してみよう!帰宅後すぐに小児専門病院に電話し、状況を説明したら、翌日診察してもらえることに。手術になる可能性もあるので、入院の準備をしてくるように言われました。
翌日、急いで撮ったCTを見た医師から告げられたのは、「これから緊急手術をします」。幼稚園の入園式を控えた4月3日、あきとくんは3歳4カ月でした。
「前回の入院前より水頭症が悪化していました。前の手術から1カ月もたたずに再手術。しかも今度はシャント手術。ひたすら手術の成功を祈りました。
シャントを入れたおかげで、今回は驚くほどの速さで回復。数日でおすわりができるようになり、足の装具をつけて両手をつなぐと、少し足が出せるようにもなりました。2回も手術させてごめんねと、あきとを何度も抱きしめました」(暁子さん)
暁子さんは今回の経験から、「気になることを医師きちんと伝えることの大切さを、改めて感じた」と言います。
「1回目の手術のときは、予定になかったCTを撮ってもらったことで水頭症の悪化を見つけられました。2回目はすぐ電話をしたことで、緊急手術を受けることができました。ちゃんと伝えなかったら手遅れになっていたかもしれません。子どもに代わって親が異変を感じ取り、医師に伝える重要性を再認識しました」(暁子さん)
術後の経過はよく、入園式前日に退院できました。
「入園式に出席するか悩みましたが、あきとの体調に合わせていつ抜けてもいいと、幼稚園の先生が言ってくださったので参加することに。あきとはとても元気で、最初から最後まで参加できました。
幼稚園ではお友だちと一緒に毎日楽しく過ごしています」(暁子さん)
ゴーシェ病のことを少しでも多くの人に知ってもらうためにInstagramに投稿
暁子さんは2024年1月に、ゴーシェ病の患者会「日本ゴーシェ病の会」に入会しました。
「この病気のことをもっと知りたいと思い、入会しました。2024年10月に東京で行われた勉強会には、私、あきと、母の3人で参加。同じ境遇の方々と気持ちを共有し合えたことは、得がたい経験でした。まわりに同じ病気の人はいなかったので、ずっと孤独を感じていたんです」(暁子さん)
暁子さんはInstagramにあきとくんの病気のことを投稿しています。
「ゴーシェ病のことを少しでも知ってほしくて、Instagramで発信しています。『ゴーシェ病』という文字を見てもらうだけでも意味があると思っています。
皮膚生検の結果、あきとはシャペロン療法の効果がないタイプだったので、あきとの神経症状の進行をとめる治療法は今のところありません。ゴーシェ病のことを知る人が増えたら、早期発見にもつながりますし、研究したいと思ってくれる人が増えるかもしれない。治療薬ができる未来へつながると信じて活動しています。
会では、製薬会社の方や医療関係の方と会う機会もあり、治療薬開発や承認のための活動もしていると聞いています。私も一緒に頑張りたいと思います」(暁子さん)
また暁子さんは、ゴーシェ病のスクリーニング検査についてこう話しています。
「あきとは肝脾腫と血小板減少というゴーシェ病の典型的な症状があったのに、診断までに時間がかかってしまいました。ゴーシェ病のように診断が難しい病気に対して、ろ紙血(※)を用いたスクリーニング検査というものもあることを、多くの皆さんに知ってほしいなと思います。診断されなければ治療はスタートできないので、早期診断につなげるためにも、このような検査があることを覚えておいてほしいなと思います」(暁子さん)
※採血した血液を「ろ紙」という検査用の紙に含ませて乾燥させたもの
【井田先生より】ゴーシェ病の治療は進歩しつつある。新たな治療法の開発には医師、研究者、製薬企業、医療行政、患者会の相互協力が重要
ゴーシェ病に対して種々の治療法が存在していますが、神経症状に効果が乏しい、生涯にわたって治療を継続する必要があるなどの課題があります。
アンブロキソールを用いたシャペロン療法は、特定の遺伝子変異を有する患者さんの神経症状に効果があると報告されています。また、遺伝子治療は成功すれば1回の治療で効果が持続します。そして使用するベクターによっては、神経症状への効果も期待できます。
すでに海外では、遺伝子治療の治験が行われています。今後、患者さんの予後の向上のためには、医師、研究者、製薬企業、医療行政、患者会がネットワークを構築して、研究を推進していく必要があります。
【日本ゴーシェ病の会会長・古賀晃弘さんより】患者間の情報共有と、新薬開発につながる活動などを行っています
日本国内のゴーシェ病患者はとても少ないので、ネットでは取得しづらい情報などを患者会で共有できるように努めています。
神経症状に対する治療法が現在、承認されていないため、あきとくんのように症状に苦しむ患者さんたちが確かに存在します。希少疾患の新薬を開発するために必要なことなどを、患者の立場から訴えていきたいと考えています。
5月4日は「ゴーシェ病の日」です。この機会にゴーシェ病のことを知っていただけたら幸いです。
お話・写真提供/田口暁子さん 取材協力/日本ゴーシェ病の会 監修/井田博幸先生 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
さまざまな苦しみを乗り越えたあきとくんは、今、幼稚園生活を存分に楽しんでいます。暁子さんはあきとくんの治療につなげたいという切なる願いから、ゴーシェ病を知ってもらうための行動を続けています。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
井田博幸先生(いだひろゆき)
PROFILE
東京慈恵会医科大学 特命教授。1981年東京慈恵会医科大学卒業。同大学小児科学講座助手を経て、米国ジョージタウン大学小児科へ留学。2008年、東京慈恵会医科大学小児科学講座主任教授に就任。2019年より病院長を務め、2022年より現職。専門分野である先天代謝異常症の診療・研究に従事し、とくにゴーシェ病を専門として世界的に活動している。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年4月の情報であり、現在と異なる場合があります。