「こんなに痛いなら殺してほしい」とまでの、激しい首の痛みを訴えた二男。まさかがんだったなんて・・・【脊髄腫瘍・体験談】
テイムさん一家は兵庫県丹波篠山市に住む5人家族。テイム由香さんは夫・ギャレスさんとともに10代の子ども3人を育てる母です。現在12歳の二男ジョージさんは、9歳で小児がんの脊髄腫瘍(せきずいしゅよう)を発症しました。由香さんに、発症当時のジョージさんの様子や、手術や治療などについて話を聞きました。全2回のインタビューの前編です。
深夜に泣きながら首の激痛を訴えた二男
イギリスで高校の歴史の教師をしていたギャレスさんは、日本で行われた親友の結婚式に参加するために2005年に初来日し、すっかり日本が気に入りました。帰国後すぐに日本での教師の仕事を見つけ、翌年に再来日。そして、知人のパーティーで出会った由香さんと意気投合し、まもなく交際、そして結婚。翌年には長男のゲイブリルさんが誕生しました。「子どもは3人くらい欲しいね」と話していた2人の希望どおり、2010年には長女グレースさん、2012年には二男ジョージさんが誕生します。
「歴史の教師をしていた夫は、子どもたちを自然豊かな場所や日本特有の地形を見られる場所、歴史ある建造物やミュージアムなどによく連れて行きました。私たちは子どもたちが世界中どこでも生きていけるように、いろんなものを見て経験し、グローバルな視点とポジティブな考え方ができるように育てていました。3人とも日本のアイデンティティを身につけるために日本の公立の学校に通っていますが、家では夫と英語で会話をしています」(由香さん)
二男のジョージさんはスポーツが大好きな男の子に成長していましたが、小学校3年生の2021年11月のある深夜、泣きながら起きて体の異変を訴えたのだそうです。
「今思い返せば、9月ごろから何回か『肩のあたりが痛い』と言っていたと思います。ジョージはサッカーも水泳もやっていたので、疲れているのだろうと『マッサージして休もう』と寝かせたことが数回ありました。翌日には痛みを訴えなかったので、小さな異変に気づかなかったんです。
それが、11月中旬の深夜に『首が痛い』と泣き叫びながら起きてきました。あまりの痛がりようでほとんど眠れないまま朝を迎え、近所のクリニックを受診しました。医師がジョージを診察台に寝かせようとしても、あお向けで首をまっすぐにして寝られないほど痛がっていました。『これはおかしい。大きい病院で精密検査したほうがいい』と言われ、その日のうちに紹介状を持って総合病院の整形外科を受診。その病院ではエックス線検査だけして『寝違え』と診断され『2〜3日で治るはず』と言われて帰宅しました」(由香さん)
ところが数日たってもジョージさんの首の痛みは一向によくなりません。由香さんはジョージさんをかかりつけの小児科医に見てもらい、その医師も再び総合病院への紹介状を書いてくれました。ジョージさんは、数日前にエックス線検査をした総合病院で再び診察を受けました。
「再受診すると斜頸(しゃけい・筋肉がかたくなり首が傾く)との診断で、首にコルセットをつけて2週間様子を見てと言われました。
ジョージの首の痛みは、夜にひどくなっていました。日中はがまんできる痛みだったようでなんとか登校していましたが、夜は痛みのためにベッドに横になれないので、リクライニングソファを倒して座りながら睡眠を取っていました。
カロナールを服用してもまったく効かず、この様子では2週間も待てない・・・と思っていたある夜、ジョージが『こんなに痛いなら殺してほしい』と言うのです。悲しくて、何もしてあげられないことがつらくてたまりませんでした。すぐに病院へ電話して、翌朝に入院することになりました」(由香さん)
治療をしても改善しない痛み。募る不信感・・・
痛みが発生してから18日後、ジョージさんは総合病院の整形外科に入院します。
「血液検査、全身麻酔でCT検査をした結果、環軸椎回旋位固定(かんじくついかいせんいこてい)との診断。頚椎(けいつい)の関節がゆがんだ状態とのことで、1日15時間の頸椎持続けん引治療をしました。ベッドをリクライニングさせた状態で、頭部をベルトで固定し、ベッド上部に設置した器具でベルトごと頭部を引っ張り上げるような治療です。
けれどやはり夜間はひどい痛みが続き、痛み止めの薬も効いていない様子で、けん引治療中の夜間に、痛みのあまり頭部ベルトを自分ではずしてしまっていたそうです。ほかにも原因があるかもしれないからMRI検査もしてほしいと整形外科の主治医にお願いしましたが、それは必要ないと受け入れてもらえませんでした」(由香さん)
CTもMRIも体内の状態を断面像として描写する検査です。CTは骨や肺の内部構造を描写するのに向き、MRIは脳や軟部組織の描写に向くといわれます。どちらの検査が適しているかは、臓器や構造物の特性、検査部位や症状・病状・既往によって変わります。後にわかることですが、ジョージさんの首の痛みの原因は、CT検査だけでは発見できないものでした。
テイムさん夫妻は、ジョージさんの痛みがあまりにもよくならないので、セカンドオピニオンを受けられる病院を探しました。
「整形外科の主治医から『けん引で治らない場合はハローベストといって頭にボルトをうめ込んで骨を固定する手術をする』と言われました。その医師に『ハローベストの手術をしたことがありますか?』と聞くと『ない』とのこと。もし手術をするにしても、経験のある医師のいる病院で受けさせたいという思いもありました。
それに医師から『けん引をはずして治らないようにしているのは、虐待など、家に帰りたくない理由があるのかもしれない、心療内科に診てもらいます』と言われたことは忘れられません。ショックでしたし、まさか!と本当にびっくりしました。
そんなとき、その病院の小児科医の指摘でMRI検査が受けられることに。造影剤を使用しての検査を受けた結果、なんと『脊髄腫瘍が見つかりました』と言うのです。入院から3週間後の12月24日のことでした。ジョージが1カ月以上も耐えていた痛みの理由は、首の骨の問題ではなく、腫瘍が神経を圧迫していたからだったんです」(由香さん)
担当が整形外科医から脳外科医に変わり、すぐに手術する必要があると説明を受けたテイムさん夫婦。
「『ここで手術できます。神経を触る手術なので手術後の生活は車いすを覚悟してください』と言われました。私たちは『この病院では手術をしません』と伝え、セカンドオピニオンを希望するので紹介状を用意してもらうようお願いしました」(由香さん)
転院先で20時間に及ぶ大手術を受ける
ジョージさんの入院中から、セカンドオピニオンを受ける病院を探していたテイムさん夫婦。手術回数、チャイルドケアスペシャリストがいること、院内学級があること、家から通えること、などの理由から、セカンドオピニオン先として、大阪市立総合医療センターを希望しました。同センターは大阪府下で唯一の小児がん拠点病院でもあります。
「前の総合病院で受けた検査結果のデータと紹介状を持って、12月29日に大阪市立総合医療センターの小児脳神経外科で説明を受けました。ジョージの腫瘍は『縦10cm、横5cmほどあり、脳脊髄液が流れないくらいに増大している』とのことでした。首の後ろから、肩甲骨くらいまでの位置です。
手術について、主治医は『神経から腫瘍を切り離すような手術です。全摘出を目指しますが、開けてみないとわかりません。どちらにしても、神経をけずることになる、長い難しい手術です。でも自分の足で歩いて学校に行っている子もいます。子どもの力を信じて、ポジティブにいきましょう』と言ってくれました。その言葉にすごく安心して、この先生にお任せしよう、と決めました」(由香さん)
年が明けた2022年1月11日、ジョージさんは脊髄腫瘍を摘出する手術を受けました。
「20時間に及ぶ手術でした。完全摘出はほぼ不可能な場所の腫瘍だったそうです。手術後に摘出した腫瘍を病理検査した結果“毛様細胞性星細胞腫(もうようさいぼうせいせいさいぼうしゅ)”とのこと。良性腫瘍なので転移する可能性は低いものですが、悪性に変化することもあるし、神経や脳を圧迫して命にかかわることもあるものだそうです。良性腫瘍でも、子どもの脊髄と脳にできる腫瘍は小児がんに分類されるとのことでした。
主治医から『手術では半分程しか摘出できなかったので、今後再び増大する事もあります。しっかりフォローアップしていきましょう』と話がありました」(由香さん)
術後の神経痛のために、触れることすらできなかった
手術後1カ月弱の期間、夫のギャレスさんが看護休暇を取ってジョージさんの付き添い入院をしました。神経に触れる手術だったため、ジョージさんには手足を触るだけで体中に電気が走るような、強い神経痛の症状が出てしまいました。
「脊髄腫瘍の手術では術後に神経痛が出る子と出ない子がいると聞いていたのですが、ジョージの場合はすごく強く出てしまいました。主治医の回診で、足先の動きを確かめるためにそっと触れるだけでも、タオルをかみしめながら『あぁぁぁぁ!!』と絶叫するほどです。手術後1週間は、手先や足先を軽くなでることも、『頑張ったね』と抱きしめてあげることもできませんでした。ジョージが持っていたタオルは、痛みに耐えるためにかみしめすぎてボロボロになってしまいました。
数時間ごとに体を支えるクッションを入れ替えるときには、痛みに震えながらベッドのバーを握りしめていました。緩和ケアの医師が痛み止めの点滴とモルヒネを処方してくれていましたが、それでもひどい痛みは2週間ほど続きました」(由香さん)
父と一緒に、病室でリハビリをスタート
術後に神経痛が出るということは、痛みがきちんと伝わるということ、つまり手術で神経が完全に損傷していない事のサインでもありました。時間とともに少しずつ回復してきたころから、ジョージさんはリハビリを始めました。
「当時はコロナ禍でリハビリ室は完全閉鎖で、病室や病棟内で短時間のリハビリでした。まず足を1mmだけでも上げるリハビリからスタート。足を上に持ち上げられるようになったら、寝返りをして横を向く練習などをしました。夫は主治医や理学療法士の先生に許可を取り、病室でもジョージのリハビリができるように工夫していました。エクササイズ用のゴムバンドを足にひっかけて、そのゴムバンドを引っ張ってジョージが自分で上半身を起こす練習などをしていました」(由香さん)
痛みが引き始めてから、ジョージさんがベッドで座って食事をとれるようになるまで2週間、車いすに座れるようになるまで3週間ほどかかりました。
「手術後1カ月ほどして車いすに座れるようになり、院内学級に通い始めました。院内学級の先生は、地域の学校の先生と連携を取って、休んでいる期間の学習内容に追いつけるように指導してくれました。主治医が『筋肉がついたら歩けるようになるから大丈夫!』とすごく励ましてくれたのも力になったようです。少しずつできることが増えるたびに、ジョージの元気と笑顔が戻ってきたように思います。
私が面会に行くと『今日はボールを蹴れるようになったよ』『今日は階段をのぼれるようになったよ!』と楽しそうに報告してくれました」(由香さん)
【山崎先生より】がんの子どもたちに、あたりまえに最良の治療を!
これは私が小児がん治療医を志してから、ずっと自分自身に言い聞かせている言葉です。しかし、保険診療が当たり前の日本では、気軽に医療を受ける事ができる反面、だれでもあたり前に最良の医療が受けられるとは限りません。希少で専門性の高い病気の場合はとくにそれが顕著であり、子どもの脳脊髄腫瘍では複数の病院を経たのちに当院にたどり着かれる患者さんも少なくありません。日本中のすべてのがんの子どもたちが、あたりまえに最良の医療を受けられるような診療体制が未だ十分に構築されていない事は、解決すべき重要な課題です。
お話・写真提供/テイム由香さん 監修/山崎夏維先生 協力/日本小児がん研究グループ(JCCG) 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
発症から手術までも痛みに耐え、手術後もひどい神経痛があったというジョージさん。小さな体で痛みに耐える子どもを見守る苦しさは、想像に難くありません。後編では脊髄腫瘍のその後の変化と、新薬で治療するための検査を受けたことについて聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
山崎夏維先生(やまさきかい)
PROFILE
大阪市立総合医療センター 小児血液・腫瘍内科医長。2006年奈良県立医科大学卒業後、大阪市立総合医療センターでの研修ののちに同院にて小児がんの診療に携わる。2014年より国立がん研究センターで脳腫瘍の遺伝子研究に携わった後、2016年より現職。後、2016年より現職。
小児脳腫瘍の標準治療開発に力を注ぐ。2019年からは同院のがんゲノム医療センター副センター長に就任。現場の子どもたちに最先端の遺伝子検査と治療を届けるためのさまざまな活動に取り組んでいる。
●記事の内容は2025年5月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。