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664gで生まれ、NICUに600日間入院した息子は2歳に。「モニターじゃなくて赤ちゃんの表情を見て」という看護師の言葉に励まされながら・・・【体験談】

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生後10カ月のころ、頭蓋骨の手術後の吟糸くん。

長野県伊那市で3人の男の子を育てる高橋由里絵さん。三男の吟糸(ういと)くんは、由里絵さんが妊娠24週4日のとき664gで生まれました。肺低形成、肺高血圧症、慢性肺疾患など、呼吸にかかわるいくつもの病気がある吟糸くんは、2歳を過ぎた今、自宅で人工呼吸器などの医療的ケアを受けながら生活しています。由里絵さんに吟糸くんの入院中の様子や、これまでの成長について聞きました。全2回のインタビューの後編です。

▼続きを読む<関連記事>後編

患者家族も赤ちゃんの治療にかかわる

生後2カ月。人工呼吸器のチューブをはずすことにトライした日の様子。吟糸くんの口には栄養や治療のためのチューブが入っています。

吟糸くんが生まれてすぐから入院した長野県立こども病院のNICUでは、“ファミリーセンタードケア”を治療の一環として取り入れています。“ファミリーセンタードケア”とは、小さく生まれた赤ちゃんの治療やお世話を家族を中心にして医療者がそれらをサポートすることを言います。NICU退院後の成長を応援するためにも、入院中から親子のかかわりを大切にする考え方です。由里絵さんも早期から吟糸くんの医療的ケアにかかわりました。

「小さく生まれて口からミルクを飲むことが難しかった吟糸は、口から胃までのチューブを入れて授乳をしていました。授乳のときには、搾乳した母乳を注入する前に、シリンジを使って胃の内容物を吸引し残留物の確認を行う処置が必要なのですが、私も看護師さんに教わってその処置を行いました。最初は『これって親がやっていいの?』ってちょっとびっくりしましたが、生後4日からそのようなケアにかかわったことで、後に必要になるたんの吸引などの医療的ケアについても、わりとスムーズにできたんじゃないかと思います。私だけではなく、夫も面会の際に同じことをしました。

医療的ケア以外にも何回か家族回診という時間があり、赤ちゃんのベッドサイドで、親と医師と看護師やほかの医療スタッフが意見交換をしたり、治療方針を決める話をしました。その時間があったことで、医師に吟糸の状態について質問しやすくなったと思います。毎日の面会で心が疲れたときには、担当医に話を聞いてもらったこともありました。親も子どもの医療について医師と話し合える関係を築くことの大切さを学びました」(由里絵さん)

NICUは子育ての場所でもあった

生後41日、初めてのカンガルーケア。

由里絵さんは産後1カ月を過ぎてからは、当時4歳と2歳だったお兄ちゃんたちが保育園に行っている日中の時間帯、できるだけ長くNICUの吟糸くんのそばで過ごしました。

「できるだけ面会して吟糸と触れ合うことを大事にしていましたが、どこかで『吟糸の健康状態のことは医師たちに任せるしかない』と思っていました。でもあるとき看護師さんから『モニターだけじゃなく、赤ちゃんの表情を見てあげて』『赤ちゃんにとって、1日1日は違うよ』と教えてもらったんです。たとえば『今日はお母さん、お父さんが来てくれてうれしいな』とか『呼吸がしんどいけど、抱っこしてもらえたからうれしいな』とか感じているよ、と言われたんです。

そうは言われても、本音は『よくわからない・・・』。ですが、できるだけ変化を観察しようと意識すると、しだいに呼吸状態やちょっとした異変に気づけるようになった気がします。それに、吟糸の表情をよく見ながら過ごしたことで、NICUが治療をするつらい場所ではなく、吟糸を育てる場所になっていったと思います」(由里絵さん)

生まれて数カ月で命の危機が何度もあり、つらい日々が続く中でも、吟糸くんのケアにかかわる時間は、由里絵さんにとって上の子たちのときと同じように大事な育児の時間となりました。中でもカンガルーケアは由里絵さんにとって癒やしの時間でした。

「生後41日で初めてカンガルーケアをしました。吟糸には人工呼吸器の挿管チューブが入っているため、医師と看護師2名とでチューブが抜けないようにそーっと、吟糸を保育器から私の胸元へ移動してくれました。それ以来、面会のときは毎回1時間半〜2時間のカンガルーケアをしました。

このときが唯一、肌と肌が触れ合える時間。毎日、自宅から車で往復3時間かかる面会はしんどかったけれど、吟糸とのカンガルーケアの時間を楽しみに通っていました。カンガルーケア中は看護師さんたちに『吟糸くん、表情がいいね』と声をかけられました。数値的にも、酸素飽和度(サチュレーション)などは安定していたと思います」(由里絵さん)

気管切開、頭蓋骨手術など、いくつもの手術を乗り越え

吟糸くんが1歳を過ぎて、初めてお兄ちゃんたちと面会した日。

肺の機能が弱く、肺低形成、肺高血圧症、慢性肺疾患、気管・気管支軟化症などの病気があった吟糸くんは、生後5カ月を迎える少し前に気管切開手術を受けました。
そのほかに吟糸くんは頭蓋縫合早期癒合症(とうがいほうごうそうきゆごうしょう)という病気もありました。通常、赤ちゃんの頭の骨は何枚かの骨に分かれていて、乳幼児期の脳の成長に合わせて骨も拡大し、成長に従って骨と骨のつなぎ目がくっついてふさがり、かたい頭蓋骨が作られます。しかし頭蓋骨早期癒合症は頭蓋骨のつなぎ目が通常より早い時期にふさがってしまうため、脳を圧迫したり成長を妨げる可能性があります。

「頭蓋骨早期癒合症の手術はこれまで2回受けました。1回目の手術は生後10カ月のころで、骨がくっついた部分を切る手術でした。1歳半に受けた2回目の手術では、頭に骨を延長する器具を入れる手術でした。4本のボルトのような器具が頭から出ていて、毎日それを回して、少しずつ骨を伸ばしていくような処置が必要です。そして3カ月後の1歳9カ月で器具を取る手術をしました。骨の成長によって、3歳ごろにまた同じ手術をする可能性があるそうです。

また、1歳半ごろに胃ろう造設の手術を受けました。吟糸は人工呼吸器を使って酸素を入れているので、空気を飲んでおなかがパンパンになって吐くことが多かったためです。おなかに穴を開けることに抵抗はありましたが、吟糸の成長を考えると、胃管チューブで栄養剤をとらせるよりも、胃からミキサー食をとらせてあげたほうがいいのかな、とも思い手術を決めました」(由里絵さん)

自宅で医療的ケア児を育てる緊張感

自宅で吟糸くんの胃ろうからの食事注入を手伝う長男。

吟糸くんはNICUで600日を過ごしたあと、小児病棟に移り4カ月を過ごしました。

「NICUにいる間、看護師さんに教えてもらい、吟糸のたんの吸引や呼吸器の管理、浣腸、胃ろうからの注入などの医療的ケアができるようになっていました。小児科病棟に移ってからは、退院後に自宅で生活するために、人工呼吸器を病院のものから段階的に在宅の呼吸器に変えてその扱い方を覚えたり、在宅用吸引器の使い方を練習したり、人工呼吸器をつけたままベビーカーや車へ乗る練習、外泊訓練などを行いました。

NICUにいるときから、たくさん吟糸にかかわって医療的ケアの手技も身につけていたので、在宅医療に対する心の準備もできていたように思います。夫も、長期休暇などを利用して練習を重ねてくれました」(由里絵さん)

2歳の誕生日を迎える直前、吟糸くんが退院し、やっと家族全員で暮らせることになりました。でも「自宅で医療的ケアを行う毎日は緊張感がある」と由里絵さんは言います。

「0歳児の赤ちゃんをずっと見ているような感じに近いかもしれません。人工呼吸器がついているので、そのチューブが万が一はずれてしまったら命にかかわるという緊張感があります。ケアには慣れていると思っていましたが、なかなか気が休まりません。

吟糸は夜はよく寝てくれるんですが、寝返りしたりすると心拍などののアラームが鳴ることがあってドキッとします。吟糸はベッドの上でよく動く子なので、気がつくと人工呼吸器のチューブが体にぐるぐる巻きになっていることも。また、人工呼吸器のチューブにたまった水が、気管切開したところに入ってしまうと窒息の恐れもあるため、定期的に水がたまっていないかも確認します」(由里絵さん)

由里絵さんは、夜間は夫の竜也さんと交代でケアをするほか、福祉サービスも利用して吟糸くんを育てています。

「日曜から木曜の夜は私、金と土の夜は夫が吟糸と一緒に寝るようにしています。ヘルパー、訪看、訪問リハ、訪問入浴、居宅訪問型児童発達支援というサポートの方たちが入ってくれます。

吟糸が入院中に福祉サービスをコーディネートしてくれる相談員さんに出会うことができたので、比較的スムーズにサポートを受ける準備ができて助かりました」(由里絵さん)

社会の役に立ちたい。リトルベビーサークルの活動

訪問看護師さんと一緒に口から食事をとる練習をしています。

吟糸くんがNICUに入院していたころ、由里絵さんはSNSで日本各地に“リトルベビーサークル”という、小さく生まれた赤ちゃんの家族が支え合うサークルがあることを知りました。

「私自身は、吟糸の長い入院生活で不安なことはすぐ看護師さんなど医療スタッフに相談することができる状況でした。だけどあるとき、もしもっと早く退院していたら、早産児の子育てはすごく孤独なんじゃないか、と気づいたんです。

SNSで、ほかの県のリトルベビーサークルの交流会が盛んな様子を見て、長野でも同じような境遇のママたちと出会える機会があったらいいなと思いました。調べると、当時、長野県にはすでに上田市のリトルベビーサークルがありましたが、ほとんど活動をしていない状況のようでした。そこで代表の方に連絡をし、共同代表として再出発することに。とにかく何か社会の役に立ちたいという一心でした」(由里絵さん)

吟糸くんが生後9カ月ごろ、由里絵さんは「長野県リトルベビーサークル ひめりんごの会」の活動を開始しました。

「11月にある世界早産児デーに合わせて写真展を開催したり、バリアフリーマルシェに出展したり、交流会を行ったりしています。参加者からは『大きくなったリトルベビーの姿を見て、数年後はこんなふうに成長するんだとわかって安心した』といった声をいただいています」(由里絵さん)

毎日わが子と過ごせる喜び

家族で吟糸くん2歳のお誕生日をお祝いしました。

吟糸くんは現在2歳3カ月。発達はゆっくりですが、少しずつ成長しています。

「1歳9カ月(修正月齢1歳半)のときに発達検査を受けたら、生後7カ月との結果。思っていたよりも低く出て、ちょっとショックでした。でも、リハビリのサポートなどを受けて、ゆっくりだけど少しずつできることは増えています。今は人工呼吸器をずっとつけて生活していますが、いずれは少しずつはずす時間を増やしていかれたらいいね、と医師たちと話しています。

そんなふうに大変なこともありますが、息子たちと過ごせる毎日が本当にうれしいです。決して当たり前のことではありません。上の子たちにも朝起きたら『おはよう。今日も会えてうれしいよ』と伝えられるようになったのは、吟糸の存在があるからこそ。これからのことは未知数ですが、地域でサポートしてくれる人たちと一緒に、吟糸の成長を見守りたいと思います」(由里絵さん)

【小田 新 先生より】家族も医療チームの一員に

ファミリーセンタードケアとは、直訳すれば家族を中心とした医療ですが、これを私たちは「家族と共に築く医療」と考えています。従来、患者さん家族は医療者にお任せというスタンスだったかもしれませんが、ファミリーセンタードケアでは家族も医療チームの一員となり、医療者と真に対等なパートナーとして機能してもらいます。これを実現するには医療者のマインドやコミュニケーションを変革しなくてはならないと考え、ファミリーセンタードケアの先進国である北欧フィンランドの教育プログラムを取り入れて、日本らしいファミリーセンタードケアの実現を目指しています。高橋さんご両親はこのプログラムの導入前後の当院のNICUをよくご存知で、一緒に学んだ戦友のような感じです。

お話・写真提供/高橋由里絵さん 監修/小田 新先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

夫の竜也さんは早朝から深夜までかかる仕事をしていましたが、吟糸くんの退院後に備えて、家族との時間を増やせる仕事に転職しました。上の子たちの通学準備・保育園送迎と吟糸くんの医療的ケアを、夫婦で手分けして行っています。医療的ケアが必要な吟糸くんは保育園の利用も限られるため、由里絵さんも働き方を模索し、現在は Webデザイナー・ヨガ&ファスティング講師などフリーランスとして働いています。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

小田 新 先生(おだ あらた)

PROFILE
長野県立こども病院 新生児科部長。
昭和大学卒業、公立昭和病院初期研修、小児科後期研修終了。長野県立こども病院小児集中治療科、新生児科勤務後、フィンランドトゥルク大学へResearch fellowとしての留学を経て、2018年より長野県立こども病院新生児科に復帰。 Family centered care(家族と共に築く医療)の実現のため、家族に寄り添った医療を心がける。

長野県リトルベビーサークル ひめりんごの会

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年6月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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