生後10カ月で先天性ミオパチーと診断。四角い空を見ながら気象予報士を夢見た少年【体験談】
東京都に住むおおたさなえさん(仮名)の長男、あきらさん(22歳・仮名)は、生後10カ月のときに先天性ミオパチーと診断を受け、現在まで人工呼吸器を装用した生活を送っています。あきらさんは2歳からは在宅看護を受けながら、幼稚園・学校での集団生活を経て、気象予報士になる夢を描くようになりました。寝た姿勢で天井を見ることが多かったあきらさんのために、おおたさん夫妻は天井に空が見える窓を作ることにしました。そのエピソードは絵本『四角い空のむこうへ』に描かれています。
母親のさなえさんに、あきらさんのこれまでの生活の様子について聞きました。全2回のインタビューの後編です。
車いすで母親と一緒に幼稚園へ
あきらさんが生後10カ月で診断された先天性ミオパチーは、生まれながらに筋組織の形態に問題があり、筋力低下などの症状がある病気です。あきらさんの場合は、呼吸困難、関節の拘縮、運動発達の遅れなどの症状があり、現在も24時間の人工呼吸器管理が必要です。
「息子が2歳直前まで入院生活を送るなかで、私たち夫婦も在宅看護のノウハウを学び、退院後は自宅で医療的ケアをしながら生活することに。2歳を過ぎてから就学前まで、週に2〜3回療育センターに通い、PT(理学療法)やST(言語療法)、摂食訓練などを受けました。あきらは関節拘縮(関節がかたくなり動かなくなる)の症状があったので、それをゆるめるような訓練や、専用のクッションを使ってうつぶせ姿勢をとる訓練などをしました」(さなえさん)
さなえさんは、あきらさんと療育センターに通うと同時に、3歳からは地域の幼稚園へも登園することを選びます。
「息子は体の動きは少ないのですが、目をキョロキョロさせたり、追視もしっかりしていましたので、そういった反応から、私たちが声かけした内容を理解しているような発達を感じていました。発音が不明瞭ですしできないことが多いですが、だからこそできることを伸ばしてあげたくて。それには、健常児のお友だちと一緒に過ごすことで刺激になり発達につながるのでは、と思ったのです。
そこで幼稚園の受け入れ先を探してみると、運よく近所に障害児の受け入れ実績がある幼稚園が見つかりました。その幼稚園には呼吸器をつけて通った子の前例はありませんでしたが、母親の私が付き添うことを条件に入園を受け入れてもらえることになりました」(さなえさん)
あきらさんは、園生活でさまざまな経験をすることになります。
「園では、物を持つことができないあきらの手に私の手を添えて、積み木遊びなどをしていました。行事や遠足にも参加して、同じ年代のお友だちと過ごし、息子も楽しそうにしていたと思います。
また、息子は音や光などの刺激に弱く、繊細で怖がりなところがありました。園のもちつき大会では、お父さんたちの『ヨイショ! ヨイショ!』というかけ声を怖がって泣いたりしていました」(さなえさん)
幼稚園でのそれらの経験をしたことで、あきらさんは、小学校では怖がったり泣いたりしなくなったそうです。またあきらさんが5歳のときには妹が生まれ、おおた家に新しい家族が増えました。
「息子が病気をもって生まれたこともあり、2人目は設備の整った病院での出産を選びました。ところが、娘のときは出血もほとんどなく超安産。出産は本当にケースによって違うものだな、と実感しました。娘の産後すぐから私は息子の看護や付き添い通園をしなければならなかったので、娘は生後2カ月から保育ママに預かってもらい、1歳から保育園に通わせることに。娘の保育園の送迎は、夫や近所の子育て支援員の方に協力してもらいました。
私が息子にかかりきりになってしまうことが多い分、娘の保育園の行事のときは、訪問看護師さんに息子の見守りをお願いして参加するなど、できるだけ娘と過ごせる時間をもつようにしていました。娘はお兄ちゃんが大好きで、家ではよくお兄ちゃんを患者役やお客さん役にして、ごっこ遊びをしていました。息子も嫌がることはなく、きょうだい仲はよかったと思います」(さなえさん)
在学中は母親がほぼ毎日付き添い登校する生活に
あきらさんが年長になり、就学前の時期が近づくころ、さなえさんは支援学校や区立小学校などいくつもの施設を見学に行きました。
「就学相談で支援学校への入学をすすめられましたが、地域の学校も見学に行きました。あきらの在宅医療を決めたときに出会った先天性ミオパチーのお子さんも、ずっと地域の学校に通っていると聞いていましたし、あきらにとってどんな環境で学ぶのがいいか、よく考えて決めたかったからです。そんな中、近所の公立小学校に新しく支援学級が設置されると聞いて、そちらを選択することにしました。支援学級に入るには母親の付き添いが条件だったので、入学当初は学級に付き添い、3年生くらいからは別室待機の形で通学に付き添っていました。
ただ、やはり毎日の付き添いは負担が大きかったです。そこで区の『緊急介護人制度』を活用し、知り合いの看護師さんに代理人として別室待機をお願いすることに。月に1〜2回だけでも、本当に助かりました。
中学からは支援学校に進学しましたが、呼吸器を使用している場合は原則として保護者の付き添いが必要でした。思春期の息子にとって、常に母親が付き添う状況は『うざい』とストレスに感じていたと思います。息子自身は、親の付き添いなしで学校に通いたいという希望がありましたが、前例がなかったために実現へのハードルは高いもので、私たちは学校側と協力して、隣室での待機や、構内での待機など少しずつ親と離れて過ごすための実績を積み重ねました。
高校3年生の9月から東京都の制度が改正され、付き添いなしで登校できるように。『行ってらっしゃい!』『お帰りなさい!』と言えることに幸せを感じましたし、息子自身も友人や先生方との自由なおしゃべりを楽しめるようになったようでした」(さなえさん)
指のわずかな動きでパソコンを操作。就活を経て在宅勤務へ
あきらさんは高校卒業後、就労移行支援事業所のオンラインによるパソコン学習を3年間受講しました。
「息子は指の筋力がほとんどなく、曲げることや握る動作ができないため、鉛筆を持つこともできません。しかし、親指のわずかな動きで電動車いすを操作したり、パソコンを操作することができます。パソコンは、一般のトラックボールマウスを改造し、スイッチボタンによるクリック機能を追加して操作しています。左手の親指でクリック、右手の親指でトラックボールを操作することで、カーソルを動かして操作するのです。メール、LINEなども利用しています。
パソコン学習を修了してからは、就労移行支援事業所を通じての紹介や、ハローワークに登録をして、企業の面接や試験を受けました。就職活動の結果、2024年度から障害者特例子会社にて在宅勤務を開始し、現在は2年目を迎えています。
9時から16時まで、社内ホームページの更新や修正を担当する仕事です。
現在はウェブクリエイター系の資格取得に向けて、会社の研修制度を活用しながら動画学習を進めています。将来的には、社外のホームページ制作などクリエイティブな業務にもかかわりたいと考えているようです」(さなえさん)
気象予報士になりたい。あきらさんの夢が絵本に
現在はパソコンを活用した仕事に就いているあきらさんですが、小学校高学年のころは気象予報士にあこがれていたのだとか。
「息子は小さいころからテレビで天気予報をよく見ていて、毎朝、家族にその日の天気を伝えることがお手伝いの役割となっていました。6年生のとき、支援員の先生に介助してもらいながら作った図工作品の旗に、将来の夢は『気象予報士』と書いてありました。
あきらが小学校6年生のときに家を新築し、それまで暮らしていたマンションから引越したのですが、新居のリビングには息子のために天窓を設置することにしました。日中ずっとリビングのベッドで上を向いて横たわっているあきらが、その日の天気の様子がわかるようにしたかったんです。
あきらはベッド上の天窓から空を見上げて、とても喜んでいました。今でも空をながめながら『雨が降ってきたよ』と教えてくれます」(さなえさん)
そんなあきらさんの姿に着想を得た絵本『四角い空の向こうへ』が、出版されました。2024年9月のことです。
「息子が中学2年生のとき、国立成育医療研究センターに併設されたショートステイ施設『もみじの家』を利用していた際、NHKの取材を受けたことがありました。番組では、将来の自立やひとり暮らしを目指してショートステイを活用する子どもたちの姿が紹介され、息子もその1人として登場しました。
その放送をきっかけに、絵本作家の由美村嬉々さんが『あきらくんのことを絵本にしたい』と連絡をくださったんです。
息子は気象予報士になったわけではありませんでしたし、絵本になるのは戸惑いがなかったとは言いません。でも、『これはフィクションとして描くものです』と説明を受けたことや、私もNICUで出会った絵本に力をもらったこともあり、これまでの息子の成長の過程がだれかの励みになるならと、協力することを決めました」(さなえさん)
絵本が完成した後には都内でトークイベントが開催され、あきらさんも参加。オンラインでの配信もあるイベントでした。
「イベントには息子がこれまでお世話になった先生方や看護師さんなど多くの方が来てくれ、中には息子の成長を涙を流して喜んでくれる人もいました。息子も、来場してくれた方々とうれしそうに話し、サイン会では似顔絵入りのハンコを使って対応しました。たくさんの人に、息子のこれまでの歩みを知っていただけるとてもいい機会になりました」(さなえさん)
医療的ケア児を育てる親の社会参加が課題
さなえさんはあきらさんの産後、あきらさんのケアや学校への付き添いがあるために、長い間就労が難しい状況が続きました。
「息子が小学校6年生のころ『将来働けるようになったときのために資格を取っておこう』と考え、保育士資格を取得しました。しかし、なかなか働きに出ることはかないませんでした。息子が高校3年生になったとき、支援学校への保護者の付き添いが解除されることになり、私は45歳になってようやく保育士として働き始めることができました。
今は、平日に週に3回ほど重度訪問介護のヘルパーさんに自宅に来てもらう時間に、自宅近くの保育園へ仕事に行っています」(さなえさん)
医療的ケア児の親が働きながら子育てをする環境も少しずつ整備されつつありますが、問題は「18歳の壁」と呼ばれる制度の切れ目だそうです。
「18歳を過ぎると、福祉制度の対象が変わり、通所先や支援の枠が減少します。生活介護や就労支援などの制度に移行する必要がありますが、通所施設は定員がいっぱいですし、毎日通うこともなかなか難しい現状があります。すると、親が仕事を続けることが困難になり、介護中心の生活に戻らざるを得ないケースも少なくありません」(さなえさん)
あきらさんは現在22歳。さなえさんは、今後自分が体調を崩して看護できなくなるときや、きょうだいの用事など急用ができたときのために、短期入居先を探す必要性も感じています。
「18歳以上の短期入居先が近場には非常に少ないんです。近隣では新規受け入れが停止されている施設も多く、利用するための事前診察の予約すら3年待ちという状況です。
訪問看護も夜間対応は難しく、民間サービスを利用するには自費負担が必要です。私も年齢的に、急な体調不良になる可能性もありますから、重度訪問ヘルパーの夜間見守りサービスを利用することも検討しなければと考えています」(さなえさん)
お話・写真提供/おおたさなえさん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
さなえさん夫妻は、できるだけ家族みんなで一緒に外出する機会を持とうと、家族旅行にもよく出かけたそうです。「息子が過ごせる場所はバリアフリーや貸し切りのおふろがある宿泊施設に限られますし、移動も福祉車両でないと行けないので、娘にはがまんさせてしまったところがあるかもしれません。だけど、とても楽しくいい思い出です」と話してくれました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年8月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
『四角い空のむこうへ』
人工呼吸器をつけ車いすで生活する少年が、気象予報士になる夢を追う姿を描いた実話に基づくフィクション。モデルの中学生の男の子があきらさん。作家・編集者の由美村嬉々さんがおおたさんファミリーに出会ったことで生まれた物語。由美村嬉々・文、羽尻利門・絵/1760円(晶文社)