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出産直後、手足が動かない赤ちゃんの姿に衝撃を受けた。先天性ミオパチーと診断された息子【体験談】

更新

生後2カ月のころのあきらさん。

東京都に住むおおたさなえさん(仮名)は、夫、22歳の長男、17歳の長女との4人家族です。長男のあきらさん(仮名)は生後10カ月のときに先天性ミオパチーと診断を受け、現在は人工呼吸器を装用した生活を送っています。小学生のころのあきらさんは毎朝家族にその日の天気予報を伝えていて、そのことから天気予報に興味をもったそうです。そのエピソードは『四角い空の向こうへ』という絵本にもなっています。
さなえさんに、出産のときのことや、病気の診断を受けたときのことについて聞きました。全2回のインタビューの前編です。

妊婦健診では異常なし。しかし生まれた赤ちゃんは・・・衝撃的な出産だった

生後3カ月半。病院で初節句をお祝いしました。

待望の第1子を妊娠したさなえさん。妊婦中は赤ちゃんの健康状態にとくに異常を指摘されたことはなく、さなえさんは栃木県の実家での里帰り出産を選びました。

「妊娠39週に入ってすぐにおしるしがあり、陣痛が始まりました。陣痛間隔が短くなってから病院へ向かったのですが、赤ちゃんがなかなか出てこない状況が続き、出産まで約20時間かかりました。やがて心拍が弱くなってきたために吸引分娩となり、やっと生まれた息子は、へその緒が首に2重に巻き付いていて一時的な仮死状態だったようです。

息子はすぐに分娩室の隣の処置室へ運ばれて蘇生措置を受けました。付き添っていてくれた夫は処置室に呼ばれ、医師から『搬送しないと厳しい状況。おそらく重度の障害が残る』と説明を受け、そのままNICUのある病院へ救急搬送されることになりました。

搬送される前に、ほんの少しの時間だけ見ることができた息子の姿は、本当に衝撃的でした。体はまったく動かずだらんとしていて、手動の人工呼吸器で呼吸をサポートされていて、明らかに何か異常がある、と感じました。『何が起こったのかわからない』というショックで涙も出ませんでした」(さなえさん)

その後、さなえさんがNICUに入院したあきらさんに会えたのは、産後5日目くらいのことでした。

「産後入院中に外出許可をもらい、実家の母に息子がNICUに入院している病院へ連れて行ってもらいました。初めて息子に面会したときのことは今でも鮮明に覚えています。
保育器の中にいる息子は、口から呼吸器が挿管されていて、体にセンサー類もたくさんついていました。目は開いて動いていましたが、体はまったく動かないんです。胸の片側は少し陥没していました。
私には姉がいますが、姉の子が生まれたばかりのころに手足をバタバタさせてよく動いていたことを思い出しました。息子はそれとは明らかに様子が違います。体がだらんとして力がないんです。

『これはきっと重度の障害が残るだろう』と直感しました。そして『どうしてこんなことに・・・』という思いが強くわきました」(さなえさん)

「病気のある子に産んでしまった」と心が沈む日々

生後5カ月、栃木県内から都内の病院へ転院しました。

「医師からは赤ちゃんの状態について、呼吸の力が弱く、関節拘縮(かたくなり動かなくなる)があるので、脳に異常があるか、筋肉の病気、骨の病気、遺伝的な疾患など、いくつかの可能性が考えられると説明されました。
このような状態になる原因を1つずつ調べる検査の必要があるとのことで、自宅がある東京に戻ってから本格的な検査を進めることになりました」(さなえさん)

息子の健康状態について詳しくわからないまま、NICUに面会に通う日々。さなえさんは自分を責める気持ちもあったと言います。

「産後退院してからしばらくは、母に運転を頼んでほぼ毎日面会に通いました。保育器の中の息子は目は動くものの、体が動くような反応があるわけではありませんでした。呼吸器をつけているので声を聞くこともできません。

面会でそんな息子の状態を見るたび、『この子を病気のある子に産んでしまった』という思いに苦しんでいました。私はもともとあまり落ち込むタイプではないのですが、ただ息子に会いに行き、そばにいるだけの時間が続く現実に、心が沈んでしまうこともありました。
息子の異常の原因もわからず、この先の未来も見えない、暗いトンネルのなかにいるような日々でした」(さなえさん)

そんなさなえさんの心を支えたのは、NICU専属の臨床心理士の存在でした。

「あるとき、看護師さんが臨床心理士を紹介してくれ、息子の面会の合間に話をする時間を設けてくれました。始めは、第三者に自分のことを話すのも気が引けるような思いがあったのですが、心理士の方が私の気持ちに寄り添い、話を聞いてくださったことで、面談を重ねながら少しずつ心の整理ができるようになりました。自然と涙がこぼれることもありました。

また、NICUに入院しているほかのご家族との茶話会も企画してくださいました。自分と同じように病気の赤ちゃんを育てる方との交流を通じて『自分だけじゃない』と感じることができ、暗いトンネルに光が差した気がします。心強い存在ができたことで、少しずつ気持ちが前向きになっていったのだと思います。
また、NICUに置かれていた絵本『生んでくれて、ありがとう』(葉祥明/サンマーク出版)を読んで、心に響き、涙して励まされたことも覚えています」(さなえさん)

生後10カ月で、先天性ミオパチーと診断

1歳半ごろのあきらさん。退院準備のために車いすに座っています。

あきらさんは生後5カ月になったころ、栃木県の病院から、都内の病院へ転院することになりました。

「生後5カ月になった息子は、里帰り前に妊婦健診を受けていた都内の自宅近くの病院へ転院することになりました。息子は呼吸器をつけていたために、栃木から都内まで救急車での搬送となりました。その病院は当時の自宅から徒歩5分と近く、毎日面会に行くことができましたし、臨床心理士の方が前の病院から私の面談を引き継いでくれて、息子の面会の合間に話を聞いてもらえたこともとても助かりました。

また、息子は呼吸状態がなかなか安定しないため、体重が5kgに達したら気管切開の手術を受けることが決まりました。転院してから遺伝子検査や脳波検査などひと通りの検査を受けましたが、すべて陰性。内臓に関してもとくに大きな問題はありませんでした。ほかに考えられるのは、筋肉の病気だということ。そこで気管切開手術の際、同時に筋生検(筋肉の一部を採取し、筋肉組織を調べる検査)を受けることになりました」(さなえさん)

生後10カ月のとき、あきらさんは気管切開手術と筋生検を受けます。

「筋生検の結果、息子は『先天性ミオパチー』と診断されました。先天性ミオパチーは生まれながらに筋組織の形態に問題があり、筋力低下などの症状がある病気です。
先天性ミオパチーにはいくつかの分類がありますが、息子は筋繊維の太さにばらつきがある『先天性筋線維タイプ不均等症』で、さらに『タイプⅠ繊維優位型』と診断されました。
これは、筋繊維の中でもタイプⅠ繊維(持久力のある運動や姿勢維持にかかわる筋肉線維)が多く存在するという特徴をもつもので、筋肉繊維が不均等のため、筋緊張低下、筋力低下があり、発達が遅れたりする特徴があるそうです。

息子が生まれたときから重度の障害があることは覚悟していましたが、当時はインターネットが普及し始めたばかりで、検索してもあまり情報が得られず、不安が続いていました。だから病名が確定したことで、私の気持ちは少しすっきりしたように思います。はっきりと診断されたことは、私たち夫婦にとって前向きな一歩でした。夫とも『治る病気ではないし、私たちは目の前のことをひとつずつやっていくしかないよね』と話しました」(さなえさん)

都内の病院のNICUに入院していたあきらさん。少しずつ成長の様子が見られるようになりました。

「気管切開後は声が出なくなるのではと心配していましたが、1歳になるころから『あー』と声が出るようになり、自分の声を聞いて本人も楽しそうにしていました。気管の孔から息がもれるときに、声も出るようでした。

1歳を過ぎるとテレビやビデオを見て反応するようになり、意思疎通の兆しも見られるようになりました。病棟では看護師さんが息子に子ども向け番組を見せてくれたり、ベッドの上部におもちゃをぶら下げて遊ばせたりしてくれていました。私も面会時に絵本を読み聞かせたり、おもちゃを振ったりして遊んでいると、少しずつ息子の反応が増えていきました。
その病院では個室での家族面会が可能だったので、夫婦以外に祖父母なども面会に来てくれ、息子と一緒に過ごすことができました」(さなえさん)

ある家族との出会いがきっかけになり、2歳で退院、在宅医療生活がスタート

あきらさん2歳。国立成育医療研究センター主催のサマーキャンプに参加。

先天性ミオパチーは治療法がない病気のため、さなえさん夫婦は、あきらさんを退院後に自宅に連れて帰るか、重症心身障害児施設などに入所させるかを選択をする必要がありました。

「夫婦で都立の療育センターなど複数の入所施設を見学しましたが、施設はどこも自宅からかなり遠い場所にあり、面会が難しくなることが予想されました。病院の先生に『同じ病気で在宅生活をしている方はいますか』とたずねたところ、そのころ学会で先天性ミオパチーについての論文を発表した医師に連絡を取ってくれ、都内在住のご家族を紹介していただきました。

そこで、そのご家族の自宅を夫婦で訪問してお話をうかがったんです。そのご家族の先天性ミオパチーのお子さんは、当時小学生で、呼吸器をつけながらも明るく元気に生活していました。学校にも通い、食事も楽しんでいる姿に触れ、『こういう生活もあるんだ』と希望をもつことができました。そのご家族との出会いがあって『あきらを家に連れて帰ろう』という気持ちがかたまったのです」(さなえさん)

在宅生活に向けた準備をするために、あきらさんは国立成育医療研究センターへ転院することになりました。

「都内の病院に入院中に、私も夫も吸引などの医療的ケアをひと通り経験していたため、基本的な技術は身についていましたが、国立成育医療研究センターへ転院したのは、あきらに「必要な在宅看護のノウハウをすべて学ぶためです。当時は子どもが呼吸器をつけたまま自宅に戻るケースが少なかったため、在宅移行の準備が必要だったんです。

緊急時の蘇生方法について医師から研修を受けたり、私たちが病院に泊まって練習をしたり、自宅への1泊の外泊練習をしたりなど、問題がないことを確認した上で退院となりました。退院前には病院でカンファレンスが開かれ、訪問看護師など関係者とのミーティングも行われました」(さなえさん)

あきらさんが2歳を迎える直前、家族がやっと一緒に暮らせるようになりましたが、それはさなえさんにとって、在宅看護の生活の始まりでもありました。

「退院後は、訪問看護師が来てくれている時間以外は外出が難しくなり、自由に動けない生活が始まりました。幸い息子は夜間のたんの吸引は少なく助かりましたが、寝返りがうてないため、数時間ごとに体位を変える必要があり、睡眠はこまぎれに。モニターのアラームが鳴ることもあり、完全に眠れる夜はほとんどありませんでした」(さなえさん)

お話・写真提供/おおたさなえさん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

▼つづきを読む<関連記事>後編

さなえさん夫婦は、「太陽のように、そこにいるだけでまわりの気持ちを明るくするように」という願いを込めて、名前をつけたそうです。さなえさんは「そのとおり明るく周囲を和ませてくれるような個性の人に育ってくれた」と話してくれました。

後編は、幼稚園や学校での集団生活を送ったあきらさんの成長について聞きます。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年7月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

『四角い空のむこうへ』

人工呼吸器をつけ車いすで生活する少年が、気象予報士になる夢を追う姿を描いた実話に基づくフィクション。モデルの中学生の男の子があきらさん。作家・編集者の由美村嬉々さんがおおたさんファミリーに出会ったことで生まれた物語。由美村嬉々・文、羽尻利門・絵/1760円(晶文社)

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