【サッカー元日本代表・山田大記】5歳の息子はダウン症。顔を隠すようにして抱っこをしていたことも。心の葛藤を乗り越え、子どもたちの支援をする活動の原動力に
サッカー元日本代表で、ドイツでもプレー経験がある山田大記さんには、2人の子どもがいます。
5歳の長男は、生まれてすぐにダウン症候群(以下、ダウン症)とわかりました。
山田さんは、長男のダウン症を受け入れられるようになるまでに半年から1年ぐらいかかったとか・・・。それまでの心の葛藤や長男の成長、経済的支援が必要な子どもと親を支えるNPO法人ReFrameの活動について聞きました。全2回インタビューの後編です。
生後1カ月で、右耳が聞こえないことが判明
ダウン症は、心臓や中枢神経、消化器などにさまざまな合併症を伴うことがあります。
――ダウン症の長男の合併症について教えてください。
山田さん(以下敬称略) 長男は、生後間もない時期に受ける新生児聴覚検査で両耳ともに反応がないと言われて、再検査を受けることになりました。生後1カ月過ぎに、耳鼻科で再検査をしたところ、左耳は聞こえていることがわかりましたが、右耳はやはり聞こえていませんでした。
耳鼻科でCT検査もしたのですが、医師からは「右耳の聴力の回復は見込めません。この先、左耳も聞こえにくくなる可能性があるので、中耳炎などには注意してください」と言われました。
右側から息子に話しかけると、頭を動かして左耳を向けてくることがあります。そうしたときに右耳が聞こえていなんだな・・・と思います。
合併症があることが多いダウン症ですが、長男には、心臓や内臓などの合併症はありません。心臓の合併症などがある場合、妊娠中のエコー検査でダウン症が疑われることがあるそうですが、息子は心臓や内臓に合併症がなかったため、生まれるまでダウン症だとわからなかったのかもしれません。
長男のことは両親やチームメイトには伝えても、つい隠してしまう自分もいた
山田さんは、長男のダウン症のことをすぐにお互いの両親やチームメイトに伝えました。
――ダウン症のことを伝えたときの、まわりの人の反応を教えてください。
山田 妻と私の両親には、生まれてすぐに話しました。
孫の誕生を楽しみにしていたお互いの両親には「健常児ではなくて申し訳ないな」という思いがあったのですが、「写真見たけどすごくかわいいね。障害の有無なんて関係ないし、孫の誕生がすごくうれしいよ」「大変なことが、たくさんあるかもしれないけど、家族みんなでこの子を育てていけばいいよ」とどちらの両親にも言われて、温かい言葉に救われました。
ジュビロ磐田のチームメイトには、出産の報告をするときに「無事に生まれたけれど、ダウン症なんだよね」と伝えました。チームメイトからも「何かできることがあったら言ってね!」などと言われて、本当にありがたかったです。
とはいっても、息子のことをすぐに受容して100%オープンにできていたわけではありません。自宅のマンションのエレベーターで住人と会うと、息子の顔が見えないような角度で抱っこしたり、散歩のときは、日差しが強くなくてもベビーカーの幌を下ろして、息子の顔が見えないようにしていた時期もあります。
長男がそばにいることで幸せを感じ、じょじょに障害を受け入れられた
山田さんは、長男のことを受容できるようになるまでには、半年から1年ぐらいかかったそうです。
――長男の障害を受け入れることができた理由を教えてください。
山田 私は「息子さん、かわいいね」と言われたりしても、「でも、ダウン症が・・・」とネガティブに考えていた時期もありました。でも息子と触れ合う時間が増えれば増えるほど、息子の存在に癒されていると気づくようになりました。
息子は、とても明るくて穏やかな性格です。家族で温かな時間を過ごすことを重ねていくうちに、だんだんネガティブな感情が解きほぐされていきました。
また、父から教えてもらったことなのですが、厚生労働省の研究班が行ったある調査では、ダウン症のある人たちが「毎日、幸せに思うことが多い?」という問いに対して、90%以上の人が「はい」、「ほとんどそう思う」と答えているんです。
もちろん、1つの調査結果を盲信すべきではないのですが、息子がいてくれるから私たち家族はとても幸せですし、息子も幸せになってくれる可能性が高いのなら、それは親としてとてもうれしいことです。
下の子をまねて、言葉で伝えようとする意欲が芽生えてきた
山田さんには、2024年1月に二男が誕生。2人の男の子のパパになりました。
――弟が生まれて、長男に何か変化はありましたか。
山田 長男は今、5歳ですが、2カ月ほど前に発達検査をしたところ、言葉の発達は1歳6カ月の子と同じぐらい。運動発達は2歳5カ月の子と同じぐらいと言われました。
二男は1歳7カ月になりましたが、言葉の発達に関しては、長男と二男は同じぐらいです。そのため長男が刺激を受けるようで、下の子が「パン」と言うと、まねして「パン」と言ったりするようになりました。下の子をまねて、言葉で自分の気持ちを伝えようとする意識が高まってきたようです。
――長男の好きな遊びを教えてください。
山田 私の姉がまめなタイプで、家族や両親、きょうだい、めいっこ、おいっこの誕生日会を開くんです。人数が多いので、毎月だれかの誕生日会をしています。
私たちも招待されるのですが、息子は誕生日会に参加しているうちに、ハッピーバースデーの歌を、みんなで歌ってからケーキが出てくるという流れが気に入ったらしく、誕生会ではないときでもよく「ケーキ」と言いながら、ハッピーバースデーの歌をリクエストしてきます。私が歌うと、リズムに合わせて体を揺らしたり、おもちゃのケーキセットを持って来るんです。1日10回以上、リクエストされることもあるぐらい、今、息子のマイブームです。
NPO法人ReFrameを立ち上げて、経済的支援が必要な子どもと親をサポート
山田さんは、2024年7月にNPO法人ReFrameを立ち上げて、プロサッカー選手小川大貴さん (松本山雅FC所属)、プロサッカー選手金子翔太さん (藤枝MYFC所属)と一緒に、経済的な支援が必要な子どもと親のサポート活動を、静岡県浜松市を中心に行っています。
――NPO法人ReFrameを立ち上げようと思ったきっかけを教えてください。
山田 NPO法人ReFrameを立ち上げる前は、私個人で活動していた時期がありました。きっかけとなったのは、ドイツ2部のカールスルーエSCでプレーをしていたころの経験からです。
ドイツで練習が終わったある日、小児がんで余命宣告を受けた子どものおうちのバーベーキューパーティに、チームメイトたちとサプライズで参加したことがあります。その子は、カールスルーエSCが大好きで、チームのラッピングバスでやってきた私たち選手との交流をとても喜んでくれました。
ヨーロッパサッカーでは、こうしたボランティア活動はごくごく一般的なことです。あえてSNSなどで、㏚したりもしません。困っている人がいて、リクエストがあったりしたらすぐに動くんです。
ヨーロッパでサッカーが、人々から愛される理由の1つには、このような社会貢献活動が地域で根付いているからだと感じました。
――NPO法人ReFrameには、「子どもたちの心と未来を育む」というミッションがあります。
山田 以前、日本の児童養護施設を訪問したときに、サッカーがうまい小学3年生の男の子がいました。その子と話していたら「僕はここにいるから、サッカー選手になる夢をあきらめた」と言うんです。
私自身のことを振り返ると、子どものころからサッカーを習っていました。ユニフォームやスパイクを買ってもらえて、練習や試合には両親が送迎してくれて・・・。それが私の日常でした。しかし、そうしたことがかなわず、夢をあきらめる子どもたちがいるんです。
自分自身が恵まれていたことに気づきつつ、未来を担う子どもたちを支えていく必要があるのではないかと考えるようになりました。そのため「子どもたちの心と未来を育む」というミッションを掲げています。
――活動での印象的なできごとはありますか。
山田 これまで私たちが話を聞いてきた家族の中には、「家に洗濯機がなくて、洋服の見た目やにおいが原因で、子どもがいじめにあった」というケースもありました。しかし、なかなか支援に結びつきませんでした。児童相談所や他の支援団体と連携して、その家庭にやっと炊飯器と洗濯機を届けることができました。
本当に困っていても、だれにも相談できないという人は多いです。そうした家庭を見つけて、私たちのほうから声をかけて歩み寄り、支援につなげていくことが必要だと考えています。
現役時代に苦しいとき、つらかったときに温かい言葉をかけてくれたり、支えてくれた人たちがいました。今でも感謝しています。“困ったいるときはお互いさま”“困っている人がいたら手を差し伸べる”――そうした社会をめざして活動していきたいと思っています。
お話・写真提供/山田大記さん 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部
NPO法人ReFrameでは、「子ども食堂の開設・運営資金の調達」などのほかに、「家族の想い出と子どもの成長につながる体験機会の提供」にも力を入れています。2025年7月には、体験型イベントで「夢をもっと自由に 未来の仕事チャレンジ2025 in 浜松 ~なりたい自分を探そう~」を開催したそう。
山田さんも、サッカー選手コースで、子どもたちにサッカーを教えました。「子どもたちのキラキラした笑顔が印象的でした」と話しています。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
山田大記(やまだ ひろき)
PROFILE
1988年生まれ。静岡県浜松市出身・在住。2児の父。元プロサッカー選手で日本代表を務める。2014年ドイツ・ブンデスリーガ2部のカールスルーエSCへ移籍。ジュビロ磐田の主将も務め2024年に現役を引退。現在は、ジュビロ磐田のCROのほか、2024年7月にNPO法人ReFrameを立ち上げて、静岡県浜松市を中心に経済的支援が必要な子どもと親を支える活動を行う。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年9月の情報であり、現在と異なる場合があります。