長男が3歳で知的障害と自閉スペクトラム症と診断。発達が後退して「パパとも言ってくれなくなり・・・」、元プロバスケ選手・岡田優介
元プロバスケットボール選手の岡田優介さんの長男・朔玖(さく)くんは3歳のときに知的障害と自閉スペクトラム症と診断されました。岡田さん夫婦はごく自然にそのことを受け入れたそう。朔玖くんが生まれたからこそ、岡田さんは多くのことを学んだといいます。朔玖くんの成長の様子を聞きました。
全2回のインタビューの前編です。
1歳半ごろからこだわりなどの特性が気になるように
――岡田さんの長男・朔玖くんは現在6歳。3歳のときに知的障害と自閉スペクトラム症と診断されています。生まれたときの様子を教えてください。
岡田さん(以下敬称略) 朔玖は2018年10月に生まれました。出産時、妻は愛知県の実家に里帰りしていました。僕はバスケの試合で福岡まで遠征していたんです。深夜に産気づいたと聞き、翌朝の始発に乗って急いで産院に駆けつけました。その途中、生まれたと連絡がありました。出生体重は3364g、身長は54cmでした。
名前は、中性的なものがいいねと夫婦で話し合っていました。名前の第1候補は「未来(みらい)」だったんです。漢字も読みやすいし、呼びやすいのもいいなと思って。
でも、生まれたばかりの顔を見て、なんとなく別の名前のほうがしっくりくるような気がしました。そこで妻が「さく」という読みを考え、僕が漢字を考えました。
「朔玖」の「朔」は新月を意味し、「玖」は美しい黒い石という意味があります。白い月と黒い石、相反する意味をもつ漢字を名前の中に入れることで、広い視野を持ち、さまざまな活動ができる人になってほしいと願いを込めました。
――初めての育児はいかがでしたか?
岡田さん 僕から見ると、1歳半くらいまでとくに気になることはありませんでした。おすわりも立ち上がるのも歩き始めるのもスムーズで。発達が早いほうなのかな?とも思っていたんです。現在の朔玖は発語がありませんが、当時は「ママ」「パパ」「でんしゃ」などの言葉も出ていました。
一方で、妻は指さしをしないところや、なかなか目が合わないことを心配していました。
朔玖が1歳半ころまで、僕は京都のチームに所属していて、家族で京都に住んでいました。地域の児童福祉センターに行った際、気になることを相談したところ「しばらく様子を見てみましょう」とのことでした。
療育もすすめられたのですが、ちょうどコロナ禍のタイミングで。定員数などが厳密に決められていて、残念ながら参加できませんでした。
その後、僕が千葉のチームに移籍して家族全員で引っ越しました。たまたま妻の知り合いが、千葉で療育に関する仕事をしていたんです。朔玖のことを相談してみると療育をすすめられ、週2回通うことになりました。
そのころになると、気になる部分が増えていました。一時期は言葉が出ていたのが、退行して、まったく言葉を発しなくなったんです。こだわりが強く、靴を左右どちらからはくかなど、着替える順番も自分なりのルールがあるようでした。遊び方も独特で、ものを並べて遊ぶことが多かったです。
今もそうですが、偏食もあり、バナナやうどんしか食べないといった感じでした。
そのころにはいろいろ調べ、夫婦ともに「たぶん朔玖は自閉スペクトラム症だろう」と考えていました。
医師から「軽度の知的障害と自閉スペクトラム症」と診断されたのは3歳のときでした。
最初からありのままの息子を受け入れて
――診断を受け、どんなことを考えましたか?
岡田 診断の結果は、ごく自然に受け入れました。
「障害があるというなら、本人が困らないため、療育などを受けさせよう」とも考えたんです。
診断を受けるまで、僕には障害や特性に対する知識はほとんどありませんでした。でも朔玖が生まれる前から、バスケットの選手会の活動として知的障害児向けのバスケ教室を10年続けていたというのはありました。
触れ合う機会はあったから、知識ではなく感覚として理解している部分はあったように思います。
また、自分の幼少期の経験が影響しているのかもしれませんが、僕はもともとあんまり偏見がないタイプだったように感じています。僕の家庭はシングルマザーでした。子どものころから「うちはほかの家庭とは違うんだな」と感じることがありました。たとえばほかの友だちはごくふつうに習い事をしているけれど、経済的な事情から、僕はできないといったことなどです。
だから、みんな何かしらの事情や特性があって当たり前という考えが根底にある気がします。
――療育を受けていた時期は、どんな生活を送っていましたか?
岡田 療育施設までは送迎があったので、朝、お迎えが来て療育に連れて行ってもらい、お昼を食べてから保育園に通うというペースでした。
療育では、その日どんな内容に取り組んだかの報告をスマホに送ってくれました。写真や動画も送ってくれて、理学療法士や言語聴覚士たちがどんなことをしているのかも教えてくれました。
お兄ちゃんが大好きな妹とは、とても仲のいい兄妹
――現在の朔玖くんの様子を教えてください。
岡田 朔玖は自閉スペクトラム症よりも知的障害の傾向が強いです。3歳のころは「軽度知的障害」と診断されましたが、つい最近「重度知的障害」と変更になりました。24時間だれかの付き添いが必要な状態です。
1~2歳のころは出ていた言葉も、6歳になった現在は、まったく話せなくなりました。
最近まで「でんしゃ」が唯一言えた単語でしたが、消えてしまいました。小さいころの動画では僕を「パパ」と呼んでくれていたんです。その当時の動画を見ると「前はこうして呼びかけてくれたんだなあ」と、ちょっと寂しいです。
とはいえ、朔玖のペースでできることは増えています
「電気をつけて」「おふろに入ろう」などと伝えると理解して、アクションを取ってくれます。
また、トイレができるようになり、おむつから卒業できました。偏食も激しかったのですが、少しずつ食べられるものも増えています。
――朔玖くんには3歳年下の妹がいるそう。兄妹2人の関係はいかがですか?
岡田 妹は朔玖のことが大好きです。朔玖がおしゃべりができないことも、ごく普通に受け入れています。
「朔玖くんはお話できないからね、しょうがないよ」なんて大人びたことを言うこともあるんです。娘は通常に発達していて、今ではすっかり朔玖を追い抜きました。
ほかの兄妹も同じなのかわからないのですが、外出するとそれぞれの興味が異なるのがちょっと大変です。朔玖はこっちへ行きたがるけれど、妹は別のほうが気になる、というふうに別々のところに行きたがります。
だから、朔玖には僕がつき、妹には妻が付き添うといったふうに分担して対応しています。
特別支援学校に楽しく通う毎日
――現在、朔玖くんは小学1年生とのこと。就学先はどのように決めましたか?
岡田 発語がないため、最初から特別支援学校への入学を考えていました。学校見学に行ったところ、とても手厚いので安心したんです。
また、その学校は高校まであり、高校3年生の様子を見ると「こんなにいろんなことができるようになるんだ」と思いました。たとえば、人に会ったらきちんとあいさつをしたり、2泊3日の修学旅行に行けたりといったことです。
もちろん、障害の度合いによってできることも変わってくるとは思います。でも、この学校で朔玖が成長していく様子を具体的にイメージできたので、入学を決めました。
現在、朔玖は楽しく通学する毎日です。
――朔玖くんのペースで成長しているのですね。
岡田 この先、朔玖はだれかの手を借りて生きていくことになると思います。
だからかなり早い段階から、朔玖の特性や障害について公表していました。すると「応援しています」など、とてもポジティブな反響がありました。
「実は私の子どもも特性があります」と言われる方も多かったです。
一方で、SNSへの発表に対してネガティブな反応があり、ちょっと炎上したこともあって・・・。考えさせられました。
すべてを公表したほうが、周囲の理解が深まるはず
――どんなことを公表して、反響があったのでしょうか?
岡田 朔玖の発達検査のスコアをSNSにあげたことがあるんです。すると「発達検査のスコアは、プライバシーにかかわることだ。人の目に触れるところに公表するのは子どものプライバシーの侵害にあたる」といわれたんです。
僕からすると、発達検査の数値はただの数値に過ぎないという感覚でした。「身長は160cm」とか「100mを10秒で走ります」といった情報と同じレベルの情報だととらえていました。だから否定的な意見を聞いても「ネガティブにとらえる人もいるんだな」という程度に感じました。
家庭の方針や個人の考え方は、それぞれ違います。自分とは異なる考え方をもつ人の行動は、非難するのではなく「そういう考え方もあるね」と尊重することで、共生できるのでは・・・、と考えています。
――人それぞれの考え方があると思います。
岡田 もちろん、子どもが自分の障害について理解していて、公表するのを嫌がるのであれば、話は違います。
でも、朔玖は知的障害の中でも「重度」の判定を受けており、この先そのような感情や意思表示が出来るレベルまでの成長は高い確率で見込めないことがわかっています。僕と妻は、この先ずっと朔玖の面倒を見る覚悟です。
いろんな人に彼のことを知ってもらい、できることとそうでないことを理解してもらったほうが、朔玖のためになると思っています。
障害がある子どもとの生活は、一般的には「大変」だと思われるかもしれません。けれど僕自身は、それを「たいしたことではない」と感じています。
世界に目を向ければ、戦争のまっただなかで、明日生きられるかどうかもわからない人々がいます。その現実に比べれば、日本という比較的安全な国に生まれ、十分ではないにせよ制度や支援が用意されているのは、むしろ幸運だと感じるんです。
だから、僕の率直な思いとしては「発達スコア程度のことで何を言っているんだろう?」だったんです。発達障害は別に珍しいものでもなければ隠すものでもない。そのスタンスを取ることが社会との共生につながると考えています。
こうした考えは、父親になってから抱くようになったと思います。子どもたちが充実した人生を歩めるよう、サポートしていくのが親の務めではないかと感じるようになりました。
自分がこんなふうに考えるようになるとは、想像もしていませんでした。子どもたちが、僕の世界を広げてくれたんです。
朔玖や娘の笑顔を見ていると、それぞれが幸せな人生を歩んでほしいと願っています。
お話・写真提供/岡田優介 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部
診断の結果をごく自然に受け入れたという岡田さんの姿が印象的です。朔玖くんのことを公表し、たくさんの人に知ってもらったほうが、生きやすくなるはずという言葉には、岡田さんの子育てに対する強い思いと覚悟が伝わってきます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
岡田優介さん(おかだゆうすけ)
PROFILE
元プロバスケットボール選手。小学5年生からバスケットボールを始め、青山学院大学を卒業後、2007年にトヨタ自動車アルバルクに加入。2025年現役を引退。プロ選手として活動する傍ら、2010年に公認会計士試験に合格。日本バスケットボール選手会創立者。現在はさまざまな事業を手がける。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年9月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。