白く光る娘の右目。「思い過ごしだと信じたかった」、1歳2カ月のときに下された診断にぼう然とする【小児がん・網膜芽細胞腫】
網膜芽細胞腫(もうまくがさいぼうしゅ)は小児に発症する目のがん。出生児1万6000人に1人の割合で発症し、日本では現在、年間70~80人が発症しているそうです。
「『すくすく』 網膜芽細胞腫の家族の会」の代表を務める千葉加代さんの長女、木綿華(ゆふか)さんは、1歳2カ月のときに右目が網膜芽細胞腫と診断され、眼球を摘出する手術を受けました。
母親である加代さんへの全2回のインタビューの前編は、小児がんと診断されるまでのことについて聞きました。
夫婦関係や環境が変化する中、娘の目のことをだれにも相談できなかった
加代さんが木綿華さんを出産したのは26歳のときでした。
「今から25年ほど前のことで、結婚して1年目に授かった第1子でした。
初めての育児はおっかなびっくりだったけれど、木綿華がいる暮らしはとても満ちたりていました」(加代さん)
そんな穏やかな生活に影が差すようになったのは、木綿華さんが生後6カ月ごろのこと。右目が斜視のように見えたのだそうです。
「6カ月の乳児健診のとき、そのことを伝えたのですが、とてもタイミングが悪いことに、診察時に木綿華がぐずって泣いてしまい、目をよく診てもらえませんでした。担当した先生は、『斜視には見えないから様子をみましょう』と言いました。
実は、このころから右目が光って見えることもありました。でも、いつも光っているわけではなく、今のように、スマホで撮影して先生に見せることもできません。うまく説明できないことにモヤモヤしながらも、先生が問題にしないのだから心配しすぎなのだろう、右目が光って見えるのはフラッシュ撮影時の赤目のような現象なのだろう、と思うようにしていました」(加代さん)
当時、加代さんは家庭のことでも悩んでいて、「木綿華のことを家族に相談できなかった」と言います。
「夫の事業がうまくいかなくなり、夫が精神的に不安定になっていました。私は当時、専業主婦だったので、経済的にもとても不安な状況でした。双方の親に相談し、夫は夫の実家で、私は私の実家で木綿華と暮らす、つまり別居生活をすることになったばかりだったんです。
迷惑をかけている両親に、これ以上心配をかけるわけにはいかないという思いもあり、木綿華の目のことはだれにも相談できず、1人で育児をこなすだけで精いっぱいの日々でした」(加代さん)
木綿華さんの右目が光って見える「白色瞳孔(はくしょくどうこう)」の頻度は、だんだん増えていきました。
「木綿華が生後10カ月ごろから右目の瞳が透明に見えることもあり、『もしかしたら見えていないのでは?』と、さらに不安になりました。
でも、木綿華の様子を観察すると、両目で物を追っているようにも見えます。
このとき片目ずつ目を隠してチェックをしたら、右目は見えていなかったのかもしれません。でも当時は、そんなふうに調べてみることには思いいたりませんでした。
『いつも白や透明に見えるわけではないから、きっと気のせいなんだ』と、不安と心配を封じ込めて、現実から逃げていたんだと思います」(加代さん)
親せきからも目が光ることを指摘され、1歳2カ月のとき国立病院で検査を受ける
加代さんが不安を抱えながら過ごすうちに月日は流れ、木綿華さんは1歳の誕生日を迎えました。
「1歳になったころ木綿華が歩き始めました。それはとてもうれしいことでしたが、右側をぶつけることが多いし、よく転びます。歩き始めの子どもはそういうものなんだろうと思いつつも、やっぱり右目がよく見えていないのかと、心配と不安がどんどんふくらんでいきました」(加代さん)
そして木綿華さんが1歳2カ月ごろ、親せきの人から木綿華さんの右目のことを指摘されます。
「10代の甥が『右目が光って見えるよ』って言うんです。先入観のない子どもにも光って見えるんだ、私だけが感じることではないんだとショックを受けました。それと同時に、病院でちゃんと診てもらわないといけない、もう現実から逃げている場合ではないと決心したんです。
個人の眼科クリニックでは原因がわからなくて、『様子をみましょう』とまた言われるかもしれないから、大きな病院のほうがいいだろうと思い、自宅の比較的近くにある国立病院を受診しました」(加代さん)
国立病院では、検査中親は付き添うことができず、外で待つように言われました。
「すぐに木綿華の泣き叫ぶ声が聞こえてきました。検査の具体的な内容は説明されていなかったので、何をされているのだろう、痛い検査なのだろうか・・・と、木綿華の様子を見に行きたくて、いてもたってもいられませんでした。
検査にどれくらい時間がかかったのか覚えていませんが、永遠に終わらないのではないかとさえ感じました」(加代さん)
「命にかかわる病気」と診断され、図書館で「目の小児がん」のことを調べる
検査が終わるとすぐに、加代さんは医師から説明を受けました。
「検査を行った医師は開口一番、『おそらく命にかかわる病気だと思うので、すぐに国立がん研究センター(以下、がんセンター)を予約して診察してもらってください』と言いました。
このときの説明では、網膜芽細胞腫という病名は出てこなかったと記憶していますが、『がんセンターに行くっていうことは、木綿華はがんなの???』と、驚きと疑問で頭の中がいっぱいに。目の症状とがんという重い病気が結びつかなかったし、こんな小さな子どもの目にがんができるなんてことも想像できなかったんです。
でも、とにかく早く診てもらわなければいけないと気を取り直し、すぐにがんセンターに連絡。2日後の診察の予約を取りました」(加代さん)
がんセンターに行く前に、加代さんは図書館で「目の小児がん」について調べます。
「木綿華を母に見てもらっている間に、近所の図書館に飛んでいきました。目の病気について書かれた専門書が1冊だけ見つかり、ページをめくっていくと、『網膜芽細胞腫』という病名が出てきました。初めて見る病名です。
当時、神経芽細胞腫のスクリーニング検査が乳幼児健診で行われていたので、病名が似ているなというのが最初の感想でした。説明を読んでいくと、眼球を温存する治療のことが書いてあったので、治る病気なんだ、眼球も残せるんだと、少し希望が見えたように感じました」(加代さん)
時間をさかのぼってすべてのことを後悔する。毎日涙が止まらない・・・
2日後にがんセンターを受診すると、診察室には、図書館で調べた本に写真と名前が掲載されていた、金子明博先生がいました。
「図書館の本に、金子先生は網膜芽細胞腫の眼球温存治療の権威だと書かれていたんです。この先生ならきっと木綿華の病気を治してくれる!眼球も残してくれる!!と、気持ちが一気に明るくなりました。ところが、木綿華の診察後、金子先生はこう言いました。
『網膜芽細胞腫で、すぐに眼球の摘出手術が必要です。手術の予定はいっぱいだけれど、週明けの月曜日に緊急オペを入れてあげるから』。
目の前に見えていると思った希望の光が一瞬で消し去られ、私はパニック状態に。これは悪い夢なのではないか、という必死の思いから、『手術前にもう一度検査をしてもらえないでしょうか』と聞いてしまったんです。
一刻も早く手術しなくては命にかかわる事態だったのに、なんていうことを言ってしまったんだと、今思うと、本当に失礼なことを言ってしまったと冷や汗が出ます。
でもそのときは、目のがんなんていう怖い病気から木綿華を遠ざけたい、どうにか病気がなかったことにならないだろうか、という感情にばかり支配されていたように思います」(加代さん)
翌週月曜日の午後に手術を受けることが決まり、当日の朝、入院することになりました。
「病名を告げられた瞬間から、これまでのすべてのことを後悔しました。もっと早くに診てもらっていたら眼球を取らずに済んだのではないか、乳幼児健診のときもっとちゃんと訴えたら事態は違っていたのではないか、妊娠中に私が何かよくないことをしたのかと、時間をさかのぼっていろいろなことを考えました。
さらには、眼球を取る手術とはどんなものなのか、眼球を取ったあと木綿華はどうなるのか、義眼の話が出たけれどそればどういうものなのかと、わからないことだらけで、不安もどんどん大きくなっていきます。入院までの4日間は涙が止まりませんでした。私の母も『代わってあげたい』と泣いていました。
その一方、両目があるうちに木綿華の写真をたくさん撮っておこう、せめて家の近所の風景だけでもたくさん見せておこうと考え、毎日たくさん散歩をしました。4日間という時間があんなに長いと感じたのは、生まれて初めてでした」(加代さん)
入院前の4日間が終わり、加代さんは木綿華さんを連れてがんセンターに向かいました。眼球を摘出するための手術を受けるためです。
【鈴木茂伸先生より】早期に診断できれば眼球を残すことも可能。眼の状態を早めに確認することがとても大切です
網膜芽細胞腫は3歳までに89%が診断される、乳幼児に生じるがん(悪性腫瘍)です。白色瞳孔(瞳孔が白く見える状態)や斜視をきっかけに診断され、片目に生じる場合と両目に生じる場合があります。悪性腫瘍ですが、適切な治療を行うことにより、命の危険はほぼ回避できます。
早い段階で診断できれば、眼球を残すことも可能で、視力を残すこともできます。両目に腫瘍があると見えていないことがわかりやすいですが、片目の腫瘍の場合には見えるほうの眼で見ているので、異常に気づきにくくなります。写真を撮ったとき、常に片目だけが白く光ることがないか、片目ずつ手で覆うと嫌がることがないか(片目が見えていないときに見えるほうの眼を覆うと嫌がる)を確認することは、早期発見につながります。
お話・写真提供/千葉加代さん 監修/鈴木茂伸先生 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
現在のように簡単に病気の情報を得ることができなかった時代に、網膜芽細胞腫という想像もしていなかった病名を告げられた加代さん。「『なんだかおかしい』と感じたら、ためらわずに医師に相談することの重要性を痛感しています」と話します。
インタビューの後編は、手術や義眼のことなどについて聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
千葉加代さん(ちばかよ)
PROFILE
東京都在住。長女25歳、二女12歳、長男10歳の母。「『すくすく』網膜芽細胞腫の家族の会」3代目代表。『すくすく』の運営にかかわって24年、代表として活動を始めて5年になる。『すくすく』での患者会の活動経験をいかし、二女の知的障害・自閉症の家族会などでも活動している。
鈴木茂伸先生(すずきしげのぶ)
PROFILE
国立研究開発法人国立がん研究センター中央病院 眼腫瘍科長。日本眼科学会 眼科専門医。日本がん治療認定医機構 がん治療認定医。希少疾患であり、一般眼科医にとっては経験が乏しい眼部の腫瘍に対して積極的な治療を行っている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年10月の情報であり、現在と異なる場合があります。