2歳の息子を残し突然旅立った妻。残されたノートには「来世でまた会いましょうね」の文字が【体験談】
39歳で突然妻を亡くし、シングルファザーとなったりゅーすけさん(香川県在住・42歳)。YouTube「【シングルファザー】りゅーちゃんねる」で当時を振り返った初投稿動画が大きな反響を呼びました。妻のえいこさんが突然倒れたときのことや、現在5歳になる1人息子のそうまくんとの生活についてりゅーすけさんに話を聞きました。
ある日突然意識不明になり、そのまま妻は帰らぬ人に
――えいこさんが亡くなったのは2019年の夏。当時そうまくんは2歳だったそうです。そのころの状況を教えてください。
りゅーすけさん(以下敬称略) 8月のある朝、妻が一緒に寝ていたベッドから落ちた「ドン!」という音で目が覚めました。声をかけても返事がなく、妻がほとんど呼吸をしていないことに気づき、僕は自宅隣にある妻の実家に助けを求めに行きました。実家にいた看護師の義姉がはだしで駆けつけてくれて、気道確保と心臓マッサージをしてくれました。その間に僕は救急車を呼びました。
20分ほどして救急車が到着しAED(自動体外式除細動器)が使用されましたが、妻の反応はありませんでした。妻は義姉が務める病院に運ばれ集中治療室に入院することになりました。医師からは、心臓は動き出したが脳へのダメージが大きい脳死状態と説明されました。
妻が倒れる数時間前の明け方ころまで、風邪で1時間おきに泣いてぐずる息子を僕と妻が交代であやしていたのに・・・まさかそんなことになるなんて、信じられませんでした。
妻はその3週間後、意識が戻らないまま息を引き取りました。
――突然の事態にりゅーすけさんは現実をどのように受け止めていましたか?
りゅーすけ 病院に搬送されてから息を引き取るまでの間、僕も妻の家族も回復を信じていました。家族全員に見守られて妻が旅立ったときにも、僕はその現実を受け止められていなかったと思います。
医師からは妻が倒れた原因は不明、と説明を受けました。脳梗塞や心筋梗塞でもなく、妻の持病の甲状腺の病気によるものでもありませんでした。最終的な死因は、脳死状態で入院後にさまざまな臓器に機能障害が生じた多臓器不全による死亡だったということです。
そんな説明を聞いていても、「これは実は夢なんじゃないか、妻はひょっこりどこかから現れるんじゃないか」と思っていました。
だけど、お葬式が終わって火葬が済んで骨になった状態を見たとき、「あぁ、これは現実なんだなぁ。妻はもう帰ってこないんだ」とようやく実感したように思います。
妻の思い出話をしながら、少しずつ受け入れられるように
――大切な人を失った喪失の気持ちと、どのように向き合っていましたか?
りゅーすけ 妻が急に倒れ、亡くなってしばらくは僕もかなり落ち込んでいました。でも、そんなときでもどこか自分を客観的に見ていたように思います。妻と結婚して10年くらい一緒に過ごした僕よりも、義父や義母のほうが苦しいんじゃないかと思っていました。生まれてから30年以上一緒にいた娘が、自分たちより先に亡くなってしまうのは、とんでもなくつらいことだろうな、と考えていました。
また、妻には姉が2人いますが、2番目の義姉は、妻が亡くなる4カ月前くらいに夫を亡くしています。続けざまに妹まで亡くしてしまったんです。妻の実家の家族のほうが僕よりずっとつらいだろうと思うと、僕がふさぎ込んでしまってはいけない気がしました。心配をかけたくなかった、という気持ちもあったかもしれません。
――実家の家族と、えいこさんの話をすることはありましたか?
りゅーすけ 妻のお葬式が終わってすぐのころから、妻の実家ではみんなでえいこのことを話したり、僕に思い出話を聞かせてくれました。実家には当時毎日のように2番目の義姉と小学校の5年生と2年生のめいっこ2人がきていたので、テレビを見ながら「これ、えいこが好きやったな」と、普段の会話の中に妻の話題が出てきました。
義母は妻の子どものころのアルバムを引っ張り出してきていろんな話をしてくれました。中学生のころはテニス部でキャプテンをしていたとか、20歳くらいのときに家族で車に乗っていたら横から車に突っ込まれる事故にあって、みんなが大けがをしたのにえいこだけ無事だったとか。「あの子はあんなに頑丈だったのに、なんでこんなことになったんやろ」などと話していました。
僕は自分からはあんまり妻の話はしませんでしたが、実家の家族と妻のことを話しながら、少しずつ現実を受け入れられてきた部分はあると思います。
来世でまた妻に会えたら、まず謝りたい
――「りゅーちゃんねる」の動画で、えいこさんが倒れる1カ月前に書かれたメッセージが見つかったとありました。メッセージを見つけてどう感じましたか?
りゅーすけ あるとき収納棚の片づけをしたときに、『こどもちゃれんじ』のテキストや妻がいろいろとメモをしていたノートが出てきました。息子の生後数カ月ごろから定期購読をしていた『こどもちゃれんじ』の「おやこですくすく」の冊子には、「ママを選んでくれてありがとう!」と息子へのメッセージが。ノートには授乳記録や離乳食のレシピのメモなどのほかに、僕と息子へのメッセージが書かれていました。「たくさん愛してくれてありがとう。来世でまた会いましょうね」と。
妻はもともとスピリチュアルなものを信じていた人なので、「次に生まれ変わったらどうしたい」という話もよく僕にしていたんです。メッセージの内容は妻らしいなと感じましたが、そこに書かれた日付は妻が倒れるちょうど1カ月前。もしかしたら自分自身の体の不調を何か感じていたんじゃないか、妻の体調が悪いことに僕が気づいてあげられなかったんじゃないか、と今もとっても気になっています。
――りゅーすけさんもまた来世でもえいこさんに会いたいと思いますか?
りゅーすけ そうですね・・・。会いたいですね。理由はいろいろあります。まずは、謝りたいです。僕はもともと人見知りをこじらせたような性格で、人としゃべるのがとても苦手です。家族に対してもそうなので、妻と一緒に家にいても、自分から話しかけることはほとんどありませんでした。いつも妻から話しかけてくれていたように思います。
それに、結婚して7年間ほど勤務していたホテルの仕事が毎日朝8時から深夜1時〜2時までとかなり長時間で、家にいる時間がほとんどありませんでした。妻にとって楽しい夫婦生活ではなかったかもしれない、と反省があります。今となっては妻がどう思っていたかわからないけれど、もっと話しかけたり、2人の時間を楽しく過ごしたり、やってあげられたことがあったんじゃないかと後悔しています。
当たり前の日常こそが幸せだと気づいた
――2019年9月にえいこさんが亡くなり、納骨されたのは2022年11月だったとか。それまでは遺骨はどちらに?
りゅーすけ 本人が暗いところが嫌いだし、きっと寂しがるだろうから、と、義父母の希望で妻の実家の仏壇に置かれていました。義父母も寂しかったんだと思います。夜寝るときには、遺骨を寝室に持っていったりもしていたようです。
納骨のときには、小さいサイズの骨つぼを3つ用意して分骨しました。実家用と、お姉さんと、僕の自宅、それぞれに遺骨を少しずつ分けて、そばに置いています。
――大切な人を亡くされたご経験をどんなふうに受け止めていますか?
りゅーすけ 倒れる数時間前までベッドで息子に優しく声をかけていたはずの妻は、原因もわからず突然帰らぬ人となってしまいました。僕と同じように、大事な人を突然失ってしまう人もきっといると思います。自分が言うのもおこがましいですが、当たり前の日常にある「おはよう」「おやすみ」といったたわいないあいさつこそ、それが毎日交わせることが幸せなんだと思います。
今は、5歳の息子のそうまと、何気ないことで笑いあう時間がとても幸せです。そして、妻の実家の家族たちが僕たちを支えてくれる、そのつながりの大切さも強く感じています。
お話・写真提供/りゅーすけさん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
「人としゃべるのが苦手で・・・」と言いながらも、数年前のつらいできごとを少しずつ話してくれたりゅーすけさん。その言葉から、えいこさんとそうまくんをとても大切に思う気持ちが伝わってきました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年4月の情報であり、現在と異なる場合があります。
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