約1時間の手術で右目を摘出。定期検査のたびに泣き叫ぶ娘と、再発を恐れる母【小児がん・網膜芽細胞腫】
網膜芽細胞腫(もうまくがさいぼうしゅ)は小児に発症する目のがんです。千葉加代さんの長女、木綿華(ゆふか)さんは、1歳2カ月のとき網膜芽細胞腫と診断され、右の眼球を摘出。義眼を使用しての生活が始まりました。
母親であり、「『すくすく』網膜芽細胞腫の家族の会」(以下、『すくすく』)の代表でもある、千葉加代さんへの全2回のインタビューの後編は、眼球を摘出する手術を受けてから現在に至るまでのことについてです。
手術室から元気に戻ってきた娘。元気なだけに入院中は少しも目が離せなかった
2001年4月23日、右の眼球を摘出する手術を受けるために、加代さんは木綿華さんを国立がん研究センター(以下、がんセンター)に連れていきました。手術前に受けた説明で、加代さんはさらに衝撃を受けることになります。
「手術はおそらく午後になるだろうということで、その日の朝に入院し、手術について詳しい説明を受けました。そのとき『視神経にがんが浸潤していたら小児科が引き継ぎ、抗がん剤治療を行う』という話が出たんです。私は眼球さえ取ってしまえば、もう問題はないんだと思いこんでいました。
ところがそうではなく、木綿華はもっとシビアな状況にあったんです。そのことを初めて知り、がく然とし、何の言葉も出ませんでした」(加代さん)
その日の14時ごろ、眼球摘出の手術が行われました。
「手術は1時間ちょっとで終わるとのことで、私は手術室のある階の待合室で待機。手術がうまくいきますように、がんが眼球の外に広がっていませんようにと、祈り続けました。
手術終了後、木綿華は看護師さんに抱っこされて手術室から出てきました。麻酔からすっかり覚めていて、いつもどおり、いえ、いつもより元気そうに見えました。しかも、どこも痛そうではありません。ベッドに寝たまま、意識がない状態で手術室から出てくるものだと思っていたので、少し拍子抜けするとともに、ホッとして肩から力が抜けました。
先生からは『無事に摘出手術が終わり、視神経への浸潤もないが、摘出した眼球の病理検査で正確な診断ができる』というお話があり、ひとまずは安堵しました(加代さん)
「元気だっただけに入院中は目が離せなかった」と、加代さんは振り返ります。
「ベッドに立つと転倒の危険があるので、一時も目が離せませんでした。木綿華が寝つくまでトイレに行くのもままならないほどでした。
娘の場合は、2日間の入院のみで終わりましたが、網膜芽細胞腫の入院は、短期間の治療を繰り返すことも多いんです。地方から東京まで治療のためにたびたび来るケースも多いので、交通費、保護者の滞在費、その間の就労、きょうだい児の精神的サポートなど、入院の苦労だけでなく、さまざまな課題があります。どのくらい治療を続ければいいのか、先の見えない不安もあります。患者会として、改善しなければいけない課題だと感じています」(加代さん)
動かないように固定して義眼をはずす。毎日嫌がり、親子ともにストレスに
手術はうまくいき視神経への浸潤もなく、ホッとひと安心した加代さんですが、まだ大きな気がかりがありました。義眼のことです。
「がんセンターを初めて受診したとき、看護師さんが『今の義眼はとてもよくできていて、きれいな義眼が入るから大丈夫よ』となぐさめてくれたのですが、私は義眼というものを見たことがなく、どのように出し入れするのか、どんなケアが必要なのかなど、わからないことばかりでした。
眼球を取っても、すぐ普通の義眼をはめるわけではありません。手術後は、穴が開いていて老廃物が排出しやすくなっている『有窓義眼(ゆうそうぎがん)』をはめ、その上からガーゼを貼っていました。
2週間後、病理検査の結果も問題ないことがわかりひと安心し、目の中の状態が落ち着いたため、ガーゼがはずせました。そして、とりあえずの仮義眼をつけてもらい、娘用の義眼を作成に行きました。そこでも大きさのよさそうな仮義眼を借りて、本義眼ができるまで様子を見ました。ガーゼはしなくてもよくなりましたが、目のまわりの腫れは引いていないし、パンダのように黒くなっていました」(加代さん)
そのころ、木綿華さんを連れて買い物に行ったときのことです。
「孫がいるくらいの年齢の女性から、『けがでもさせたの?かわいそうに』と声をかけられました。『病気で手術をしたんです」と答えると、何も言わずに去っていきましたが、義眼をはめるようになったら、今のように知らない人に声をかけられたりするのかなと、少し不安になりました」(加代さん)
仮義眼を入れたときから、義眼のケアが始まりました。
「慣れないうちはこれがとっても大変でした。義眼は1日1回スポイトを使ってはずし、きれいに洗う必要があります。水道水で汚れをきれいに流したあと、ハードコンタクト用の洗浄液などで洗えばOKなので、難しいことはありません。
問題は義眼をはずすことでした。最初のうちはうまくできず、毎日とても苦労しました。木綿華が動くと危ないから、寝かせてタオルでぐるぐる巻きにして行っていたのですが、病院の検査でも同じようにグルグル巻きにされていたから、そのことを思い出してしまうよう。泣いて泣いて目をぎゅっとつぶってしまうので、どうしてもはずせなくて、あきらめてしまったこともありました」(加代さん)
この悩みを解決してくれたのは『すくすく』の先輩でした。
「『すくすく』のことは入院中に看護師さんから教えてもらいました。退院して1カ月くらいたったころ、義眼のケアで悩んでいたこともあり、連絡を取ってみたんです。そして2001年6月に初めて会の勉強会に参加。『義眼がうまくはずせないんです』と相談したところ、先輩ママが『子どもがテレビ画面に集中してるとき、横からさっとはずすと楽ですよ』と教えてくれて。早速試してみたら、木綿華を泣かせることなくスポッとはずせたんです!
同じ境遇の先輩ママのありがたみをすごく感じました」(加代さん)
検査が怖くて毎回泣く娘。足を押さえながら「ごめんねごめんね」と謝り続ける
木綿華さんの体内には腫瘍が残っていないと診断され、退院後に必要なのは経過観察だけでしたが、「毎日不安だった」と加代さんは言います。
「再発するかもしれない。転移したら死んでしまうかもしれない。残っている左目も発症するかもしれない。そんなことばかりが頭に浮かび、いつも不安でした。当時、病気についての情報源は『すくすく』が出している冊子くらいしかなかったので、必要以上に不安になっていたのかもしれません。
また、網膜芽細胞腫のことを知れば知るほど、早期発見早期治療がとても重要だと思い知り、木綿華の右目を温存できなかったのは私のせいだと、自分を責め続けました」(加代さん)
経過観察の検査は、幼児期の木綿華さんにとってかなりの苦痛だったそうです。
「最初は3カ月に1度検査が必要だったのですが、1人で座って検査を受けられるようになるまでは、動かないようにタオルでぐるぐる巻きにされていました。それだけでも怖かったと思いますが、まぶたを閉じないように器具で固定されるため、怖くても目を閉じることができず泣くんです。器具で眼球を押して検査する際に、血の涙が出ることもありました。
私も足を固定するのを毎回手伝っていて、そのたびに「ごめんね、ごめんね」と心の中で謝っていました。木綿華の命を守るために絶対に必要な検査だと理解しているけれど、木綿華が怖がらずに検査を受けられるようになった5歳ごろまでは、検査は親子ともに大きなストレスでした。
でもその反面、検査の日は、木綿華に何も問題ないことがわかって安心できる日でもあり、正反対の2つの感情が入り混じる日でした。
検査はやがて半年に1度になり、小学校入学後は1年に1度に。現在も継続しています。金子先生が退職されたのに伴い、5歳からは現在の主治医である鈴木茂伸先生に診てもらっています」(加代さん)
4歳ごろから義眼やがんのことを聞いてくるように。理解できる範囲で説明する
木綿華さんが義眼を意識するようになったのは、4歳ごろだったそうです。
「『なんで義眼をしているの?』など、義眼について質問してくることが増えたのが4歳ごろでした。『目の病気になって手術をしたから義眼をはめているんだよ。目を取らないと死んじゃうかもしれなかったからそうしたんだよ。そのおかげで今は元気で楽しく過ごせているからありがたいね』って話しました。
また、定期的に検査を受けたり、すくすくの定例会(現在のお話会)に毎月親子で通ったりする際、がんセンターの看板を見て、読めるひらがなが「がん」だけだったこともあり、『がんって何?』と聞いてくることもありました。『命にかかわる病気だよ。でも、手術してがんは目と一緒に取ったからもう大丈夫。また病気になったら困るから、検査に来ているんだよ』と伝えていました。
木綿華さんは3歳半ごろ保育園に入園。そのタイミングに合わせて、義眼の装着と取りはずしを自分でできるように練習しました。
「日常生活で義眼がはずれることはほぼないのですが、万一はずれたときに自分で対処できないと困ることもあると思い、入園前に少しずつ練習しました。時間がかかるかと思ったのですが、木綿華は予想外に器用で、すぐに危なげなく義眼を扱えるように。時間をかけて教える覚悟をしていたから、ビックリしてしまいました。
うっかり排水溝に義眼を流してしまうことがあると先輩ママから聞いていたので、「排水溝にふたをする⇒義眼をはずして洗う⇒義眼をはめる」という手順で毎回行い、習慣化することを意識しました。
就学前の眼科健診は、検査する教室の場所まで親が付き添えなかったので、目のことを説明できないのではないかと心配しました。でも、検査から戻ってきた木綿華が、『網膜芽細胞腫で右目が義眼ですって説明したよ』って言うんです。目のことはもう本人に任せて大丈夫かなと、このとき感じました」(加代さん)
初めて参加した会で『すくすく』がなくなると知り、運営に携わることを決める
加代さんは『すくすく』の代表を務めています。
「2001年6月に初めて『すくすく』の勉強会に参加したのですが、その日、運営の方から『すくすくは今日で解散します』って発表がありました。反射的に『それは困ります!』と言ってしまったところ、『じゃあ、あなたが引き継いでください』と。『わかりました。やります。でも何もわからないので教えてください』と、迷うことなく答えました。私には、この会しか頼れるところがなかったんです。
幸い、2人の方が一緒にやってくれると名乗り出てくれました。しかも、解散を宣言した運営の方が2代目代表となってくれました。2代目代表の方は、精力的に活動をされ、『すくすく』を引っ張ってくださりながら、『すくすく』の活動に関するさまざまなことを教えてくださいました。初代の方の想いをなんとかしてつないでいきたい、少しでも恩返しをしていきたいという思いで、みんなで取り組んできた日々でした。
初代代表が立ち上げ、2代目代表が活動を広げてきた『すくすく』を、次の世代につなぐのが私の役目だと思っています。
実は私は最初の夫と離婚し、再婚した今の夫との間に、12歳の娘と10歳の息子がいます。二女は重度知的障害と自閉症を抱えています。長い子育て経験がピアサポートをする上で何かお役に立てればと思います。
『すくすく』には視覚だけではなく、ほかの障害を抱えているお子さんもいらっしゃるので、そのような方々にも少しは寄り添えるようになれていたらいいなと思っています。
木綿華は現在25歳。結婚し、今年7月に娘を授かりました。木綿華の目のことも、障害がある妹のことも温かく受け入れてくれた義理の息子とご両親、ご家族にはとても感謝しています。
情報があふれている現代だからこそ、人と人が直接触れ合うことできる安心感は大きいのではないでしょうか。『すくすく』に参加してよかったと感じてもらえる人が少しでも増えるように、これからも活動を続けていきます」(加代さん)
【廣田木綿華さんより】自分の病気のことを意識したのは就学前健診のとき
手術をしたときのことは全然覚えていません。保育園時代も義眼で困ったことはほとんどなく、私は網膜芽細胞腫という病気なんだと意識したのは、就学前健診の際、自分でこの病名を口にしたときでした。
小学校のとき義眼に興味津々だった同級生がいて、悪気はなかったのですが、ちょっとしつこかったので、女子トイレでその子しかいないことを確認してから、義眼をはずして見せ、驚かせたことがありました。ちょっとした抗議の気持ちもあったかなと思います。
【鈴木茂伸先生より】悪性腫瘍ではあるけれど、適切な治療を行うことで、制限の少ない人生を歩むことができます
眼球摘出は大きな選択ですが、摘出した眼球を調べて転移の可能性が高い場合は、抗がん剤治療を追加する必要があります。5歳くらいまでは反対の眼に同じ病気を生じることがあり、早期発見のためには定期的な眼底検査が必要です。一方、眼球を残す治療を行った場合は、眼球の中に再発がないかを慎重にみていく必要があります。経過観察は個々の条件により目的や間隔が異なるため、主治医の先生に確認してください。
木綿華さんは片目を失っていますが元気に成長され、ご家庭を設けています。網膜芽細胞腫は悪性腫瘍ですが、適切な治療を行うことで、制限のない(少ない)人生を歩むことができます。幼少児の診察はつらいと思いますが、長い人生のためには「必要悪」と考えて、受診していただきたいと思います。
お話・写真提供/千葉加代さん 監修/鈴木茂伸先生 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
義眼の取りはずしやつらい検査などの困難を、加代さんと木綿華さんは2人で乗り越えてきました。今年7月に母親となった木綿華さんは、現在育休中。育児の先輩である加代さんにいろいろ聞きながら、育児に専念しています。また、加代さんが代表を務める『すくすく』のグッズ作成なども手伝っており、加代さんにとって頼もしい存在でもあります。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
千葉加代さん(ちばかよ)
PROFILE
東京都在住。長女25歳、二女12歳、長男10歳の母。「『すくすく』網膜芽細胞腫の家族の会」3代目代表。『すくすく』の運営にかかわって24年、代表として活動を始めて5年になる。『すくすく』での患者会の活動経験をいかし、二女の知的障害・自閉症の家族会などでも活動している。
鈴木茂伸先生(すずきしげのぶ)
PROFILE
国立研究開発法人国立がん研究センター中央病院 眼腫瘍科長。日本眼科学会 眼科専門医。日本がん治療認定医機構 がん治療認定医。希少疾患であり、一般眼科医にとっては経験が乏しい眼部の腫瘍に対して積極的な治療を行っている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年10月の情報であり、現在と異なる場合があります。