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デフリンピック水泳・茨 隆太郎選手。「水の中ではまわりを気にせず、無になって自分の世界に没頭できる」【先天性感音難聴】

更新

ろう学校小学部5年生のころの茨選手。

2025年11月15日~26日の日程で開催される「東京2025デフリンピック」でメダルを有力視されている男子水泳の茨 隆太郎選手(31歳・SMBC日興証券)。2021デフリンピックでは日本選手団の主将として出場し、400メートル個人メドレー、200メートル自由形などで金メダル4つ、銀メダル3つを獲得しました。
3歳のときに生まれつき耳が聞こえないとわかった茨選手に、幼少期のころのことや水泳との出会い、大会への抱負などを聞きました。全2回のインタビューの前編です。

3歳で先天性感音難聴と診断。ろう学校の幼稚部と地域の幼稚園に通った

3歳から水泳を始めた茨選手。

デフリンピックは、聴覚障害を持つアスリートを対象とした国際的な総合スポーツ競技大会で、デフ(Deaf)とは、英語で「耳が聞こえない」という意味です。国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)が主催し、4年に1度、夏季大会と冬季大会が開かれます。競技のルールはオリンピックとほぼ同じですが、スタート合図のランプや国際手話など、耳の聞こえない人のためにさまざまな工夫がされています。

――茨選手の聞こえ方について教えてください。

茨選手(以下敬称略) 補聴器をつけなければ、日常生活の音はほぼ何も聞こえません。補聴器をつければ音は聞こえますが、どんな音か聞き取ることは難しいです。コミュニケーション方法は基本的に手話を使います。手話を使わない人とは、口の形や表情を見ながら話の内容を想像して会話する口話という方法でコミュニケーションをとります。

――いつごろ、どんな状況で難聴であることがわかりましたか?

茨 3歳のころ、親が僕の後ろから声をかけたときに反応しなかったことから病院で検査を受け、生まれつき耳が聞こえづらい「先天性感音難聴(※1)」だとわかりました。

――乳幼児健診などでは見つからなかったのでしょうか。

茨 母に聞いたところ、1歳半の検査では、耳元で指をこするような簡単なもので、音というより気配で反応してクリアしてしまった感じだったそうです。
言葉がなかなか出てこないことは気になっていて、耳鼻科で相談しましたが、一緒に受診していた兄の滲出性中耳炎のほうが問題だと言われたようで、僕の言葉については大きな問題ではないと判断され、そのまま様子を見ることになったと聞きました。当時は、今のような早期にわかるスクリーニング検査もありませんでしたし、年子の兄がいたことで、なんでも同じようにまねしてできていたので、気づけなかったようです。

検査のあとすぐに補聴器をつけ始め、地域の幼稚園とろう学校の幼稚部の両方に通いました。ろう学校の幼稚部では、手話を覚えるための練習をしたり、発音の練習をしたりと、言葉を覚える訓練の目的で通っていました。

地域の幼稚園にも通っていたのは、近所の子どもたちと一緒に体を動かして遊ぶ経験をたくさんしてほしい、という親の思いがあったそうです。

――小さいころ家族とはどうやってコミュニケーションをとっていましたか?

茨 小さいときは、言葉も出ないし声を出すこともほとんどできなかったと思いますが、体を使ったりいろんな方法で伝えていたんだと思います。ろう学校に入ってからは母も手話を学んでくれたので、母とは手話で話すようになりました。父、兄、弟とは口話でコミュニケーションをとっています。

――生まれつき耳が聞こえないと、発音を覚えることは難しかったですか?

茨 生まれつき耳が聞こえないため、正しい発音を知らない状態で過ごしているので、自分の発音が正しいかどうかは、人に確認してもらって初めてわかります。今でも自分の発音がちゃんと相手に伝わっているかどうかはわからないけれど、伝えたい気持ちがあればきっと伝えられると思ってコミュニケーションをとっています。 

※1/内耳や聴神経に異常が起こることで、まわりの音が聞こえにくくなる症状

水泳との出会いは3歳。地域のスイミングスクールに通い、選手に

ろう学校小学部5年生のときの運動会。

――水泳を始めたのはいつごろですか?

茨 3歳です。両親が僕の体を強くするためにと、兄が通っていた地域のスイミングスクールに通わせてくれたことがきっかけです。そして、ろう学校小学部2年生のころに、泳力検定1級のテストを受けたらコーチから声をかけられ、選手コースに入ることになりました。それから選手としての練習を始めました。

――当時、スクールでのコミュニケーションで苦労したことはありますか?

茨 練習のときにコミュニケーションで苦労したことはありません。コーチは、全体説明が終わると僕の所に来て、話の内容を簡潔にまとめて話してくれたり、紙に練習メニューを書いてくれたりと、競技に集中できる環境を整えてくれました。

ただ、スクールに通う子から僕の発音をまねされたり、母と手話で話す様子を「なんだ、あれ?」とばかにされるような行動をとられたり、といった嫌な思いをしたことはありました。

――そのとき、どんな気持ちでしたか?

茨 今思えば、彼らは手話を知らないだけで、いじめようとか、悪気があってのことではなかったのかもしれません。僕たちが手話を使うことの必要性を知らないから「なんだ、あれ」と言ったんだろうし、僕が話す言葉も、聞き慣れない発音で違和感があったから、からかってしまったんでしょう。

当時の僕自身は嫌な気持ちになりましたが、きっと悪く言ったほうはいずれ自分の言葉に罪悪感をもつはずだと思って、からかわれてもほうっておきました。

すると、そのうち彼らも手話を使ってみたいという感覚に変わっていったようで「手話を教えてほしい」と言われ、簡単な手話を教えてあげるように。最終的には楽しく話したり、一緒に遊んだりもしました。

――小学生のころは一般の水泳競技会に出場していたそうですが、聞こえないことでの苦労はありましたか?

茨 競技会では、選手も100人以上集まり、分刻みで何十本もの試合が行われます。試合前に招集所でコースや名前を呼ばれて出場の確認をされるんですが、僕は聞こえないので、自分で競技役員に順番とコースを聞きに行かなくてはいけませんでした。「今は何組目が試合中だから、僕の順番はあとどのくらいだな」と常に目で見て追いかける必要がありました。

ほかの選手は試合が始まるまでにどういう泳ぎをするかを集中してイメージしながら準備することが多いようですが、僕の場合はそういう準備がまったくできません。試合順序やコースが気になってなかなか集中できず、精神的に疲れる部分はあったと思います。小さいときから同じことを何度も繰り返したから慣れましたけどね。

――茨選手にとって、これまで長く続けてきた水泳の魅力はどんなところですか?

茨 水泳はタイムを競うスポーツです。どんなに練習が苦しくてもきつくても、ベストを更新したときにはこれまでの努力が報われる瞬間があります。これまでの自分を超えた達成感を得られることが僕にとっては魅力です。

もう1つは、水の中では自分自身に集中できるところです。普段、陸の上で生活していると、人の動きが目に入り、補聴器をつければ音が入ってきて、いろんなことが気になってしまいます。でも水に入れば、まわりのことは気にならなくなり、無になって自分の世界に没頭することができる。そんな感覚も好きです。

転機になった大学、同期からの言葉

台北2009デフリンピックに出場し、15歳で金メダルを獲得しました。

――これまで茨選手が水泳を続けてきたなかで、やめたいと思ったことはありましたか?

茨 僕はろう学校高等部を卒業後、東海大学に進学し、水泳部の寮に入りました。実はそのとき、壁にぶつかった経験があります。寮生活ではさまざまな仕事をチームメイトみんなで分担して行い、1年生の仕事内容は先輩が口頭で教えてくれました。僕は先輩の話していることがよくわからなかったのですが、わからないまま行動をして多くのミスを繰り返してしまいました。
わからないままにしてしまったのは、それまで人に質問したときに「また説明しないといけないの」という顔をされる経験を重ねてきたこともあります。本当は聞きたくても、遠慮して聞けなかった面もありました。

1年生の役割のミスを繰り返したことで同期たちにかなり迷惑をかけてしまったし、信頼関係も築けず、練習どころではなくなって、水泳をやめたいという気持ちにもなりました。

――そんなことがあったんですね。

茨 そのとき同期ミーティングが開かれ、チームメイトから「聞こえないからしかたないのではなく、茨 隆太郎という1人の人間として問題がある」と指摘されました。「わからないなら聞けばいいじゃないか」と。僕はもともと聞こえないからしょうがないとか、わからないからしょうがないと思ってしまっていた、と自分の間違いに気づき、はっとしました。

それからは、わからないことはそのままにせずに聞くようになり、同期との関係もよくなって、水泳にも集中できる環境になったと思います。

――茨選手以外に聴覚障害のある選手はいましたか?

茨 水泳部では僕が初めてでした。監督も部長も、初めは僕にどう指導したらいいかわからなかったと思います。入部するとき、どう指導してほしいかということをしっかり話をしたところ、監督たちは僕に合ったコミュニケーションの方法をとってくれました。

チームメイトとは口話などでコミュニケーションしていました。どうしてもわからなければ、スマホで文章を打ってもらったり、紙に書いてもらったり、空書(くうしょ・空中で文字を書いてもらう)してもらったり。あとは音声を文字に変換するアプリを使ったり。いろんな方法でコミュニケーションをとっています。

――記録が伸びないとき、どんなふうにモチベーションを保っていますか?

茨 記録は簡単に更新できるものではありません。だからこそ、ベストを達成するための練習を1日1日しっかりと積み重ねています。試合でベストが出なかったとしても、その試合で見つけた課題と、これまで積み重ねてきた土台とを組み合わせ、着実にベストを出せる状態にもっていく意識でいたいと思っています。

――5大会目の出場となる今回の東京2025デフリンピックでの目標は?

茨 8種目に出場し、6個の金メダルを取ることを目標にしています。さらに200メートル、400メートル個人メドレーでは世界新記録を目指します。

11月のデフリンピックに向けて、今は“スピード持久力”を高めることを意識しています。直近の試合では、最初から速いスピードで泳いでも最後にバテてタイムを落としてしまうことが課題でした。速いスピードを維持しながら、ある程度のタイムで泳ぎ続けられるように、たとえば100メートル4本の練習をするときには、最初の1本目から早いタイムで泳いで、2〜4本目も1本目に近いタイムで泳ぎ続ける練習を意識して行っています。

お話・写真提供/茨 隆太郎選手、取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

デフリンピックでは、聞こえない選手に届けるための見える応援「サインエール」が考案されました。茨選手はサインエールのほかにも「大きな旗や、タオルに選手の名前を入れて掲げるなど、目で見てわかる方法で応援してもらえたらうれしい」と話してくれました。
後編では、パートナーとの出会いや長男の誕生によっての変化について聞きます。

茨 隆太郎選手(いばらりゅうたろう)

1994年東京都生まれ。3歳で水泳を始め、15歳で出場した台北デフリンピックで200メートル背泳ぎで金メダルを獲得。東海大学大学院修了後、アスリート社員としてSMBC日興証券株式会社に入社。デフリンピックは台北大会を含め過去4大会に連続出場し、19個のメダルを獲得している。写真は「デフリンピック」を表す手話。

東京デフリンピックの公式サイト

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年10月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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