デフ水泳・茨 隆太郎選手、パパとして初のデフリンピック出場。2歳になる息子に金メダルをプレゼントしたい
2025年11月に開催となる「東京2025デフリンピック」。デフリンピックとして100周年を記念する大会であり、日本では初めての開催になります。これまで4大会に出場し19個のメダルを獲得、今大会でもメダル獲得が期待されているデフ水泳の茨 隆太郎選手(31歳・SMBC日興証券)は、2023年に長男が誕生し、父親として初めてのデフリンピック出場となります。茨選手に、パートナーとの出会いや長男誕生のときのこと、父親になっての変化などについて聞きました。全2回のインタビューの後編です。
アスリートとしての意識を高めてくれたパートナーとの出会い
デフリンピックは、聴覚障害があるアスリートを対象とした国際的な総合スポーツ競技大会で、デフ(Deaf)とは、英語で「耳が聞こえない」という意味です。国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)が主催し、4年に1度、夏季大会と冬季大会がそれぞれ開かれます。競技のルールはオリンピックとほぼ同じですが、スタート合図のランプや国際手話など、耳の聞こえない人のためにさまざまな工夫がされています。
――茨選手は東海大学大学院を修了後、2019年に結婚したそうです。パートナーとの出会いについて教えてください。
茨選手(以下敬称略) 妻とは大学の講義で出会いました。聴覚障害がある学生は、講義を受ける際にパソコンテイクという方法を利用します。ノートテイカーと呼ばれる学生が授業の内容をパソコンで文字入力してくれ、それを見て内容を理解するという方法です。僕のサポートを担当してくれたのが、1つ下の学年の今の妻でした。いつも笑顔で元気にあいさつしてくれる姿がとても印象的でした。
妻も体育会系の陸上部に所属していて、アスリートとしてのつらさや大変さを知っている人。お付き合いする中で、僕の競技に対する思いや、苦労を理解してくれる彼女に励まされ、ずっと一緒に歩んでいきたいと思いました。
――結婚して、水泳への取り組みや考え方に変化はありましたか?
茨 彼女は、僕がアスリートとして常に高い意識をもてるように導いてくれたと思います。というのも、僕は大学生のころ食事に対する意識がかなり低かったんです。恥ずかしい話ですが、練習が終わったあとにおなかがすいたからと大好きなチョコパイを食べたり、カップ麺を食べたりしていました。今考えると、当時の自分を殴ってやりたいくらい(笑)。アスリートとしてはあまり体によくない食事をしていました。
一方妻は学生のころから自炊して、肉も鶏ささ身肉など高タンパクのものをとったり、食生活にかなり気をつかって生活していた人。あまりに意識の低い僕の食事にアドバイスをくれて、僕自身の意識を高めてくれました。練習に対するモチベーションの面でも、真面目に練習に取り組む彼女の意識の高さに影響されたところは大きいです。
――今はパートナーが食事管理をしているんですか?
茨 はい、食事はすべて妻に任せています。僕は東京2025デフリンピックでの金メダル6個獲得という目標を掲げていますが、夫婦2人でチームとして協力し合いながらその目標に近づきたいと思っています。僕は練習に集中し、妻には食事を管理してもらって、2人で一緒にメダルを目指したいです。
初めて抱っこした息子のぬくもりは、一生忘れない
――2023年秋に長男が誕生しました。出産はどうでしたか?
茨 立ち会い出産を希望していたのですが、産院が新型コロナ対策のために9時〜17時までしか立ち会い出産ができない方針で、その時間外に出産になったために立ち会いはできませんでした。出産の日の朝方、妻に陣痛が来て、朝8時に破水して病院に入院し、夕方ごろから陣痛が強まってきていました。僕も妻の腰をさすったり、呼吸を整えたりするサポートをしていましたが、面会時間終了の17時になってしまったので帰宅することに。つらそうな妻を1人で残して病院を後にしなければいけないのは、心苦しかったです。ずっとそばにいてあげたかったし、何もできないもどかしさを感じました。
その後は妻が1人で頑張ってくれ、20時ごろに「男の子が生まれた」と報告をもらいました。その夜は、妻が送ってくれた息子が生まれたときの映像を何度も何度も繰り返し見ていました。
――初めて赤ちゃんに会ったのは翌日ですか?
茨 そうです。1分1秒でも早く会いたくて、翌日に産院でやっと自分の息子に会えた瞬間に涙がこぼれました。新たな命が生まれるすばらしさと、目の前に自分の子どもがいることの不思議さを感じました。初めて息子を抱っこしたときのぬくもりと重さは、一生忘れられません。自分の人生にとって何よりも大切な存在が目の前にいるんだな、と実感しました。
――息子さんは新生児聴覚スクリーニング検査を受けましたか?
茨 生後1週間以内に新生児聴覚スクリーニング検査を受けました。検査の結果、とくに異常はなく、普通に聞こえています。
たとえ何か特別なサポートが必要になることがあっても、新しい命が生まれてきてくれたこと自体がかけがえのない喜びだと思っていたので、結果に対しても自然と受け止める気持ちでいられました。
――赤ちゃんのお世話にはどんなふうにかかわっていましたか?
茨 僕は普段は大学のプールで、学生の授業が始まる前の朝練習と、授業が終わった夜間に練習をしています。昼間は自宅に戻るので、家にいる間は僕がおむつを替えたり抱っこをしたり、といったお世話をしています。
夜間のお世話については、息子が生まれて退院した日の夜だけは、僕も起きて一緒にお世話しましたが、次の日からはいつもの生活に戻りました。アスリートは寝る時間も仕事のうちでもあるので、妻が理解してくれて本当にありがたいです。
――寝室は一緒ですか?
茨 同じ部屋で寝ています。僕は聞こえないから、寝ると赤ちゃんの泣き声はわからないんです。聞こえるアスリートだったら赤ちゃんの泣き声で起きてしまって、それが体調管理に影響すると考えたら別の部屋で寝るんでしょうけど、僕は一緒に寝ても大丈夫。妻には申し訳ない気持ちですが、しっかり寝させてもらっています(笑)
子どものチャレンジを温かく見守る親でいたい
――息子さんは1歳10カ月だそうです。どんなことをして遊びますか?
茨 絵本の読み聞かせ、電車のおもちゃ遊び、公園遊びなどして遊んでいます。明るくてとっても元気で、好奇心が旺盛な男の子です。とくに電車が大好き。外出中に電車が走ってる音が聞こえると「でんちゃ、でんちゃ、でんちゃ」って言うんですよ。
――運動は好きそうですか?
茨 家の中でもよく走りまわっているので、体を動かすことは好きそうです。テレビに、陸上選手がスタート位置についている様子が映ると、息子は「On Your Mark,Set」のアナウンスに合わせて、スタートのポーズをまねするんです。ピストルが鳴って選手たちが走り出すと、息子も一緒になって家の中を走りまわります。そんな様子を見るのはとってもおもしろいです。
元陸上選手の妻が、「かっこいいスタートはこうやるんだよ」とクラウチングスタートを教えてあげると、楽しそうにポーズをとっています。
――体を動かす習い事などはしていますか?
茨 今は1歳10カ月ですが、生後6カ月からベビースイミングに通っています。だいぶ歩けるようになってきたので、もう少ししたら体操もやらせてみようかと思っています。乳幼児期から体をよく動かす経験をすると、きっと体の発達にいいだろう、と。
――息子さんが、将来自分もアスリートに挑戦したいと言ったらどうしますか?
茨 個人的には、自分が水泳をやってきたからといって、子どもにも同じ道を歩んでほしいとは思わないです。単純に自分の都合ですが、水泳以外のスポーツの世界を息子と一緒に見てみたいからです。でも息子が興味をもったことにはなんでもチャレンジさせてあげたいと思います。僕たちは親として、やりたいことはどんどんやらせて、遠くから温かく見守るスタイルでやっていきたいです。
それは、自分の両親も僕がやりたいことをやらせてくれたから。両親は僕のチャレンジに何も言わず、ただ見守っていてくれました。そのことが今の自分につながっているんだと思います。僕も、息子がやりたいことを自由にやらせてあげられたらいいなと思っています。
聞こえない子どもたちの可能性を広げたい
――親になって変化を感じたことは?
茨 息子が生まれてからは、自分がやりたいことをできる時間がかなり限られました。限られた時間の中で、自分がやるべきことに集中して、それが終われば息子との時間に切り替える、というように、以前よりもはっきりオンとオフの切り替えができるようになったと感じます。
これまで4回のデフリンピックに出場しましたが、5回目となる今大会では初めてパパアスリートとしての出場になります。息子には、かっこいいパパの姿を見せたいですね。息子が生まれる前は、練習がきつくなってくると、頭の中に達成したい目標が現れていました。でも今は、自分の息子の顔と名前が浮かびます。練習がどんなにきつくても、息子のために絶対勝ちたい、という思いが強くなりました。
――今回のデフリンピックを通して、デフスポーツについて知ってほしいことはどんなことですか?
茨 僕は、デフアスリート日本代表に入ってから今日まで16年間活動してきましたが、デフリンピックという言葉を知っている人はまだまだ少ないし、知名度が低い現状があります。デフスポーツをとりまく環境もまだ改善点が多いと感じています。
たとえば、聞こえない子どもたちがスポーツクラブに入ろうと思っても、指導者が聞こえない子どもに対してのコミュニケーション方法がわからないという理由で、入会を拒否されてしまうことは少なくありません。そういう話を聞くたびに心が痛みます。
――今現在も、そのようなことがあるのですね。
茨 僕は幸いなことに、コーチたちの理解があってここまで長く水泳を続けてこられました。だから、聞こえない子どもたちの未来の可能性を広げることができるように、競技者として結果を出すだけではなく、講演やメディアに出演するなどの普及活動も意識して取り組んでいます。
東京デフリンピックの開催をきっかけに、すぐに社会が大きく変わるとは思っていません。変化する可能性はあっても、それはたぶん一時的なことだと思います。だからこそ、デフリンピック大会前後だけではなく、これからも継続してデフアスリート1人1人がそれぞれ普及のためにできることをやる、そういう思いを長くもって取り組まなくてはいけないと思っています。
――初めてデフリンピックを見る人に、注目してほしいポイントがあれば教えてください。
茨 表彰台での、手話の国歌斉唱を見てほしいです。聞こえる人は、いろんな国歌のリズム感やテンポからそれぞれの国の特徴を知ると思いますが、聞こえない僕たちは国歌の手話を見て、歌の意味やその国の文化をイメージしています。
聞こえる人も、外国語の歌詞を聞いて意味がわからなくても、手話を見ればなんとなく意味が伝わるんじゃないでしょうか。
僕も金メダルを取って、表彰台で手話で国歌を歌うところを皆さんに見てほしいと思っています。
お話・写真提供/茨 隆太郎選手、取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
東京2025デフリンピックが開催される11月、茨選手の長男は2歳を迎えるのだそう。「息子に最高の金メダルをプレゼントできるように頑張りたい」と話していました。東京2025デフリンピックは、事前申し込みなくだれでも無料で観戦が可能です。
茨 隆太郎選手(いばらりゅうたろう)
1994年東京都生まれ。3歳で水泳を始め、15歳で出場した台北デフリンピックで200m背泳ぎで金メダルを獲得。東海大学大学院修了後、アスリート社員としてSMBC日興証券株式会社に入社。デフリンピックは台北を含め過去4大会に連続出場し、19個のメダルを獲得している。写真は「デフリンピック」を表す手話。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年10月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。


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