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パンサー・尾形貴弘、ワイルドすぎる妻の「土地、買ってきたから」のひと言から家を新築。小中高はサッカーエリートで人の気持ちがわからなかったことも・・・

更新

いつも仲よしの尾形さんとさくらちゃん、妻のあいさん。尾形さんもパパの顔に。
いつも仲よしの尾形さんとさくらちゃん、妻のあいさん。尾形さんもパパの顔に。

お笑いトリオ・パンサーの尾形貴弘さんは、東京・高円寺で子ども服屋を営む妻・あいさんと7歳になる元気いっぱいのさくらちゃん、愛犬・三九(みく)ちゃんとの「3人+1匹」暮らし。今回は、今年に入って完成したマイホームについて、また、エースナンバーを背負っていた高校サッカー時代のことや東日本大震災での経験について聞きました。
全2回インタビューの後編です。

▼<関連記事>前編を読む

ワイルドすぎる妻の即決からの家づくりも、なぜか自分の部屋だけがない!?

新居のリビングで仲よくくつろぐ、尾形さんとさくらちゃん。
新居のリビングで仲よくくつろぐ、尾形さんとさくらちゃん。

――今年に入って新築のマイホームの暮らしが始まったそうですが、家を建てようと思ったきっかけはありますか?

尾形さん(以下敬称略) 妻がある日突然、家に帰ってくるなり、「土地を買ってきたから」と言うんです。まるで、「スーパーで買い物してきたから」みたいな気軽さで(笑)。僕も、「え、マジ?なんで?」という感じになって。でも、土地を買ってきたのであれば、家を建てないとじゃないですか。それで、前の家を売りに出して、家を建てることになったんです。

妻はめっちゃワイルドな性格で、ものすごい決断力があるんですよ。しかも、振り返っていろいろと考えてみると、妻のおかげで全部がすごくいい方向にいっていて。今回の家も、妻が土地を買ってきてくれたからこそ建てられたし、前の家も建売なんですけど、そこも10日ぐらいで決めてきてくれましたがいい家でした。家を買ったり建てたりするのって、夫婦でもめたりして時間がかかるじゃないですか。だけど、うちみたいにサクッと決めてもらったほうが、逆によかったりするのかなと。

――娘さんの部屋も作ったそうですね。

尾形 初めての娘の部屋です。部屋に閉じこもっちゃわないか少し心配だったんです。でも、実際にそんなことはなく、リビングで家族と一緒に過ごす時間も多いです。自分の部屋に自分専用の勉強机ができたことで、そこで集中して宿題ができているようです。1人になる場所ができたのはよかったかなと思います。

新しい家の間取りは妻がすべて考えたので、妻の部屋はあるのですが、僕の部屋はないんですよ。僕が建てたはずなんですけど(笑)。まあ、僕は三九と一緒に、リビングにいるからいいんですけどね。

――あいさんとの出会いについて教えてください。

尾形 大学の友だちとの飲み会です。妻はもともと、芸人である僕のことを見てくれていて、好感をもってくれていたみたいです。僕は妻の顔がタイプだったんですよね(笑)。それで、僕から「お付き合いしてください」と言いました。

妻のワイルドなところとか、決断力があるところは、結婚した後に知りました。結婚する前と後では、だいぶ印象が変わりました・・・(笑)

サッカーで得たガッツと「ダサくてもかっこいい」精神が仕事にいかされている!

仙台育英高校時代の尾形さん。チームメイトと一緒に。
仙台育英高校時代の尾形さん。チームメイトと一緒に。

――尾形さんは仙台育英高校でエースナンバーの10番を背負っていたそうです。サッカーはどんな存在でしたか?

尾形 小学生のころからサッカーしかしていなかったし、高校サッカーはとても厳しい世界で、ばちばちにやってましたからね。そこで培った精神力は、今の芸人という仕事にいかされていると思います。サッカーをやっているときは、めちゃくちゃつらいこともたくさんあったので、何があっても大丈夫というか。

――スポーツのいいところは、どんなところだと思いますか?

尾形 精神面は強くなりますよね。ミスしたらすぐに言われるし、でもそこで「何くそ!」って思えるし。それから、サッカーはチームプレーなので、人の気持ちがわかるようになりました。

高校時代の僕はサッカーではエリートだったので、試合に出られないメンバーの気持ちがわかっていなかったんです。なんなら、バカにしてたんです。でも、3年間1度も試合に出られなかったチームメイトが、最後の全国大会でスタンドから一生懸命に応援してくれて。結局1回戦で負けてしまったんですが、スタメンの僕たちよりも泣いているんですよ。

それを見て、すごい奴らだなと思いましたし、尊敬もしました。自分がその立場だったら、きっと辞めちゃうと思うし、「けがしろ、試合も負けろ!」と心の中で思うんじゃないかと。だから、そんなふうに真っ直ぐに応援して泣ける奴らがいるんだとわかって、一番かっこいいなと思ったんです。

自分が中央大学に進学してから、ざ折してしまって試合に出られなくなったときに、初めて彼らの気持ちがわかったんです。僕はサッカー時代の経験から、以前よりは相手の気持ちを理解できるようになれたかなと思うし、そういう意味でもすごく勉強になりました。

――その経験は、今の芸人の仕事にどういかされていると思いますか?

尾形 高校時代に、スタンドで涙を流してくれた部員たちの姿から、まわりにどう思われても、たとえダサくても、一生懸命にまっすぐやるのがかっこいいということを学んで、それが今の芸人としてのスタイルにつながっています。僕の芸風は、声が大きくて、体張ってて、芸人としてはヨゴレでダサいのかもしれないけど、それでも自分ではかっこ悪いと思っていないんです。学生時代はスポーツしかやってこなかったから、お笑いでのかっこつけ方とかもよくわからないですし。今でも、スポーツみたいに芸人をやってますからね。

だれかのひと言で夢への軌道修正ができることもある。そんなサッカー選手を救いたい!

小学生のサッカー時代の尾形さん。
小学生のころ、サッカーのチームメイトと。

――サッカーで中央大学に進学し、そこから将来について考える中で、どのような流れで芸人という道の選択になったのでしょうか。

尾形 大学卒業後は、働きながら企業でサッカーをやっていました。大学のときにざ折を経験して、それでもどうしてもあきらめられなくて・・・実業団サッカーに。でも、やっぱりサッカーでは天井が見えてしまって、このままではダメだなと思ったんです。

それから、「お笑いやってみよう!」と思いました。小さいころから、お笑いはずっと好きだったんですよね。僕、やろうと思ったらすぐに行動してみるタイプなので、それで東京に出てきました。

――将来的にはサッカーの指導者をという思いもあるようですが、それはどんな気持ちからですか?

尾形 僕は、小中高とサッカーのエリートで進んできたものの、大学で初めてざ折を味わいました。エリートのやつって、ざ折したことがないから、はい上がり方がわからないんですよ。サッカーがどんなにうまくても、一度試合に出られなかったことで凹んで、人のせいにして、「もういいや」ってなってるやつ、いっぱいいるんです。そこで頑張って続ければプロになれるのにな・・・という先輩や同級生をたくさん見てきたんですけど、だれかのひと言や、気持ちひとつで変わると思うんです。

「頑張ることがダサい」と思って練習をおろそかにしちゃう気持ちもわかるけど、頑張ることは何よりもかっこいいことなんだって、あとになってわかることだったりします。そのことを選手に伝えて、救ってあげたいんです。もし、僕にもだれかがひと言でも言ってくれる人がいたら、頑張れたし、もしかしたらプロになれたかもしれないのにとも思います。

今も定期的に、サッカーでもいろいろやらせてもらってます。子どもたちには、サッカーの楽しさも伝えたいですね!

家が流され、父親は津波に巻き込まれた震災の経験から、悔いのない人生を送ろうと思った

菅さんと向井さんとともに、ポスター撮影をする尾形さん。
菅さんと向井さんとともに、ポスター撮影をする尾形さん。

――宮城県の東松島市出身で、お父さまが東日本大震災で一時、津波に巻き込まれてしまったそうですね。

尾形 家が流されてなくなり、親父は津波に巻き込まれたけど奇跡的に生き残りました。母ちゃんも、無事でした。ただ、両親とは何週間も連絡が取れない状態が続いて、もう死んでしまったかと思っていたんです。東京から現地に探しに行きたいけど、行けない状況でしたから。それでも、どうにか無理をして自分で探しに現地に行き、避難所をずっと回ったんです。それで、両親を避難所で見つけることができました。

こういうことが、身近にもあることなんだなとあらためて感じました。そして、生きていられるのは当たり前のことじゃないんだから、何事も一生懸命に、悔いなく人生を送っていきたいなとも思うようにも。

この先も何があるかわからないし、今の自分の家族も大事にしなければいけないですね。

お話・写真提供/尾形貴弘さん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部

小学生でサッカーを始めて、高校までエリート街道を突き進んできた尾形さん。大学はサッカーで大きなざ折を味わい、卒業後は企業でもプレイを続けますが、限界を感じて芸人の道へ。それでも、今の尾形さんの芸風は、高校のサッカー時代に出会った“ダサくてもまっすぐ”な仲間たちからの影響を受けています。そしてこれからは、自分と同じように、ざ折を味わったサッカー選手たちを救うという新たな夢をもち続けたいと話してくれました。

尾形貴弘さん(おがたたかひろ)

尾形さんのプロフィール画像

PROFILE
1977年、宮城県生まれ。サッカーの強豪校である仙台育英高校に進学し、エースナンバー10番を背負う。2008年、菅良太郎さんと向井慧さんとともにお笑いトリオ「パンサー」を結成し、ボケを担当。2017年にあいさんと結婚、翌年、第1子となるさくらちゃんが誕生。

尾形貴弘さんのInstagram

尾形貴弘さんのYouTubeチャンネル

●記事の内容は2025年10月の情報で、現在と異なる場合があります

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