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尿から甘いにおい…。生後18日で娘が「メープルシロップ尿症」と診断されてから、30年におよぶ治療の日々を振り返って【体験談】

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「メープルシロップ尿症」という病名を知っていますか? 日本では約50万人に1人の疾患で、現在の患者数は全国で100人ほどと推定されています。

今回お話を聞いたのは、「日本メープルシロップ尿症の会」の代表を務める、東京都在住の藤原和子さん。藤原さんご自身も、長女のかなこさんが生後18日目のときにメープルシロップ尿症と診断を受けた、当事者の1人です。

かなこさんは現在30代になりましたが、いまだに根治療法がないため、食事治療を続けています。そんな中、藤原さんは自身の育児の経験から、日本メープルシロップ尿症の会を立ち上げました。今回は、かなこさんの身体に症状が現れたときのこと、これまでの育児生活などを藤原さんにお聞きしました。全2回のインタビューの前編です。

生後3日目から娘に異変が…。原因は、日本で約50万人に1人の先天性疾患だった

生後1日目のかなこさん
生後1日目のかなこさん

妊娠・出産は経過も順調で、とくに問題がなかったという藤原さん。ところが生後5日目、かなこさんの身体に変化があらわれます。

「娘が生まれた直後から母乳を与えていましたが、なんだか飲みが悪いなという印象でした。そんな中、生後3日目ごろになんだか娘の調子が悪いように感じ…生後5日目に、突然緑色の嘔吐(おうと)をしたんです。すぐさま医師に診てもらったところ、『NICU(新生児集中治療室)に入れて点滴の処置をしましょう』という話がありました。

生後5日目の新生児マススクリーニング(生まれたばかりの赤ちゃんに先天性の病気がないかを早期に発見するための検査)を終えたころでしたが、まだ結果は出ていない状態。とにかくミルクの飲みが悪いせいで生まれてから体重がどんどん減ってしまっていたので、点滴で栄養をとるというかたちで入院しました。その後、体重が安定してきたので2週間ほどで退院することに。

ところが退院して自宅でミルクや母乳を与えようとしても、やはりなかなか飲まない。また、そのとき娘の尿からシロップのような甘いにおいもしていましたが、初めての出産だったことから、『赤ちゃんの尿ってこんなものなのかな?』と思っていました。

そんな中、娘が生後17日目のこと。爪の周囲の皮膚から白い膿(うみ)のようなものが出ているのを見つけて、やはり様子がおかしいと感じ、再度病院に連れて行きました。その翌日、生後18日目に病院から電話で『検査の結果で気になることがあるから、今から紹介する病院にすぐに行ってください』と言われ、その日のうちに別の大学病院を受診することに。

そこで初めて、『新生児マススクリーニングの結果で、メープルシロップ尿症の可能性があります』と伝えられたんです」(藤原さん)

メープルシロップ尿症(MSUD)は、日本では約50万人に1人の疾患。タンパク質に含まれるアミノ酸(ロイシン・イソロイシン・バリン)を分解できない先天性疾患です。これらが体にたまると、甘いにおいの尿が出たり、命に関わる中毒症状を起こしたりするといわれており、タンパク質の摂取量を食事療法で一生コントロールする必要があります。新生児マススクリーニングの対象疾患であり、かかとからの血液検査で発見され、異常が見つかった場合は、より詳細な血液・尿検査や酵素活性測定を行って診断を確定し、早期の治療につなげます。(参考/メープルシロップ尿症の会HP)

今の医療では治らない…一生続く食事療法と向き合う決意

かなこさん生後1カ月、入院中の写真
かなこさん生後1カ月、入院中の写真

その後、かなこさんは再検査の結果、メープルシロップ尿症であることが確定しました。

「診断を受けた日は、『とにかくただちに入院、それから再検査して治療』と医師に言われて、わけもわからないうちに入院という流れになって。そのときはどんな病気かもよくわかっていなかったので、担当医に『じゃあ、治療をすれば治るんですね』と聞いたんです。そしたら、先生がすごく冷静に『申しわけないけど、今の医療では治らない。一生対症療法を続けるしかない』と言われて。それがいちばん衝撃を受けた瞬間でした。

唯一よかったとすれば、メープルシロップ尿症は治療が遅れると、アミノ酸やその代謝物が体内に蓄積して死亡にいたってしまったり、重篤な神経後遺症が残ったりする病気ですが、娘の場合は生後18日と時間がたっていたにもかかわらず、そこまで重篤ではなかったこと。それは、生後5日目の嘔吐のときにすぐさまNICUに入れてもらったことが大きかったようです。医師によると『母乳と点滴で栄養を取っていたので、タンパク質がそこまで身体に入らず、脳の障害や発作をまぬがれたのではないか』ということでした。指についた白い膿(うみ)は体が酸性に傾いて菌がついた状態で危険な状況ではありましたが、重症にいたらなかったのは今思えば不幸中の幸いだったと思います。

また医師からは、『根治はむずかしい病気ですが、食事療法でコントロールしていけば学校にも行けると思う。頑張ってください』ということも言われ、これからどうにか向き合うしかないという気持ちでした」(藤原さん)

理想の育児との葛藤。すべてが手探りだった食事療法

出産後、藤原さんがミルクや食事の様子を記載していたノート
出産後、藤原さんがミルクや食事の様子を記載していたノート

その後は経過を見ながらの入院生活。そして診断が出てから約1カ月、血中の数値が安定したころに退院して自宅での生活が始まりました。

「自宅での治療は、基本的にミルクによる食事療法です。身体で代謝できないアミノ酸(ロイシン・イソロイシン・バリン)が除去されている“特殊ミルク”を与えるんですが、それらのアミノ酸は成長にも必須なため、一般的な乳児用ミルクでも少し補う必要があります。この特殊ミルクは、成長しても一生飲み続けるもの。とにかくミルクの種類と量をちゃんと調整しなきゃいけないので、1カ月に1回通院して医師に相談しながら、何時にどのミルクを飲んだかということをつねにノートに記録していました。

離乳食が始まったころには、食事管理がよりむずかしく。今現在は、食事療法もずいぶん確立されてきましたが、当時はまだ明確な進め方というものがなかったので、すべてが手探り状態。通常赤ちゃんが離乳食を始める6カ月ごろから、娘も同じように、育児書にあるような離乳食の進め方を実践してみたのですが、薄めたジュースやおかゆなどを与えてみると、それらのほうがおいしく感じるのか特殊ミルクをまったく飲まなくなってしまって。医師に相談すると『このミルクを飲まなかったらまた入院することになるから、何が何でも飲ませてください』と言われました。

現在の治療では『特殊ミルク優先で、ごはんは食べられるだけでいい』という指導になっているようですが、当時は食事の進め方もわからなかった。食事とミルクのバランスがむずかしく、非常に苦労しました。

実は、私は栄養士養成大学を卒業していたため、娘が生まれる前は、食品の添加物がなるべくないものを子どもにも食べさせて育児したいという理想がありました。でも実際は、娘が食べられそうなものから選ぶしかないうえに、意外とそういうものには添加物がたくさん入っているんです。

そこで『添加物が入ったものをあげるべきか、無添加でタンパク質が高いものをほんの少しだけにするべきか…』という葛藤がすごくありました。でも、やっぱり『少しでも多く食べられたり、形があったほうが娘がうれしいだろうな』と思って、自分の中の理想はあきらめ、食事を与えていました。

また、栄養に関して知識があったとはいえ、タンパク質がどの食品にどの程度含まれているかは都度調べる以外ありませんでした。現在では食品表示法でタンパク質やカロリー、塩分などが表示されていますが、当時は商品に栄養成分表示はほとんどありませんでした。

食品成分表に載っている素材そのものならいいのですが、製品になってしまうとわからない。自分で調べたり、直接メーカーに問い合わせて聞いたり。問い合わせをして教えてくれるところもあれば『企業秘密だから教えない』と言われることも。今では考えられないと思いますが、インターネットが現在ほど普及していない時代だったので、苦労しました。

そんな状況だったので、当時は娘の食べられるものが少なかった。『こんなものしか食べさせてあげられないのか…』と目の前が真っ暗になり、この先お出かけや旅行など、どこにも行けないのではないかと、先の見えない不安がありました」(藤原さん)

「だれもわかってくれない」。育児で感じた孤独

実際の低タンパク食。主食(ごはん、パン、麺)は全て治療用食品
実際の低タンパク食。主食(ごはん、パン、麺)は全て治療用食品

メープルシロップ尿症は食事からの過剰なタンパク質摂取のほかにも、風邪などの感染症や長時間の空腹によっても、体調が悪化します。

「食事以外では、できるかぎりふつうの生活を送っていました。ただ、熱が出たり下痢が続いたりして食事が取れない状態が続くと、人間の体はタンパクを壊してエネルギーにします。その状態になると体がアミノ酸を作りだすので血中のアミノ酸の数値がどんどん上がってしまう。そのため2歳ころまではスーパーにも連れて行かず、人ごみにも行かないように、風邪をひかせないようにと努力していました。

医師から『はしかにかかったら命が危ないし、助かっても後遺症が残ると思う』と言われていたので、はしかの予防接種が終わるまでは人の多いところへの外出は避けるように。はしかの予防接種が終わってからは、幼稚園にも通うようになったのですが、人と接することが増えたのでいろいろな病気をもらってきました。1年に数回熱を出したり、インフルエンザにかかると、そのたびに入院。入院は1週間から10日くらいで、点滴で血中のアミノ酸の数値を下げてもらって…という生活でした。ようやく入院しなくなったのは娘が中学生になるころだったと思いますが、それまでに30回以上は入院していると思います。

幼稚園も小学校も、学校にお願いをしてお弁当と特殊ミルクを持参していました。幼稚園では、まわりの子と比べても浮かないように幼稚園と同じ容器を用意して、その中に持参のお弁当を入れて。小学校でも給食が食べられないことを先生に事前に説明し、保護者会でも共有しました。ミルクは養護の先生に冷蔵庫で預かってもらい、食事の前か後に保健室に行って飲むという生活でした。

そんな生活が続いていたので…娘が幼いころは育児に対して孤独を感じていました。公園などで母親同士顔見知りになっても、うちの子は食事が違うし、育ち方も違う。私が『食事がこんなに大変なんだ』と言ってもだれもわかってくれない。ママ友を作るのもひと苦労でした。今思うと、あのころがいちばんつらかった時期かもしれません」(藤原さん)

30年以上たった今でも根治療法はなく、食事療法は続いていく

最近の藤原さんご家族
最近の藤原さんご家族

現在、かなこさんは30代に。大変だった子育て生活を経て30年以上たった今の、藤原さんの思いを聞きました。

「子育てにおいて私が気をつけていたのは、“外でいただいた食べ物の報告や、日常の報告に関しては絶対に怒らない、話を全部聞く”ということでした。

たとえば、幼稚園のとき。園でおやつが出るのですが、事前に先生と打ち合わせをして『今日はおせんべいだからみんなと同じで大丈夫です』と伝えていた。ところが、帰り道で娘が『先生が余ったおせんべいくれたんだ』と空袋を2個出してきたんです。私は『えっ!1個と聞いていたけど2個もらったんだ…』と思ったんですけど、その場で不安な顔をすると本人が罪悪感を持ってしまう。『よかったね、先生がくれたんだね』と返事をして、家に帰ってから『このおせんべいは何gぐらいでタンパク質はどれくらいなんだろう。じゃあ夜ごはんを少し減らそう』というふうに調整していました。

そういったことを続けていたので、娘は成長してからも、友だちと出かけたあと『今日はメロンソーダとちょっとアイスクリームを食べたんだよ』と素直に話してくれていました。そういう会話が食事療法を続けるにあたってとても重要で。小さいころから続けていて本当によかったと思いました。

娘には“病気は治らない、食事療法はずっと続く”と小さいときに伝えていた。なので、娘自身幼いころは、本人もほかの人と違う食事であることを『しょうがない』と言っていたり、幼稚園も小学校も中学校もまわりがそれを理解してくれていたので、食事がみんなと違うことで苦労している様子を親に見せることはなかった。

ただ、高校・大学と大人になっていくにつれて、やはり友だちに直接指摘されることが増えてきました。たとえば大学生のころ、ケーキバイキングに誘われても『行けないんだ』と言うと『つまんない』と友だちに言われてしまう。デートでオムライスを食べたいと言われても『オムライスは食べられない』と言ってしまったために、『えっ』と驚いた反応をされるなど。

そのような話を聞くと、本人は口にはしないものの、きっとつらい時期もあったと思います…。そこであらためて、『人とのつき合いに食べ物って直結するものなんだ』と気づかされました。

また、育児の中で印象に残っているのは、娘が高校で3泊の修学旅行に行ったときのこと。事前に治療食を持たせたり、ホテルに『このパックのごはんを温めてください』と連絡したり準備をしました。あとは自分で集団行動に遅れないタイミングで特殊ミルクを飲んだり、食事の内容を見て対応したりしてもらって。

その日の夜、夕飯を作ろうとしたときに『今日はごはんを計算しなくていいんだ、何も考えず買ったものを食べられるんだ…!』と、驚くほど肩が軽くなったのを覚えています。初めて“娘から手が離れた” と感じた日になりました。

その後、娘は大学生までは自宅にいましたが、就職してから1人暮らしを始め、そこから自分で食事の管理をして病院にも自分で行くようになっています。

ただ、今でも、体を維持するタンパク質がふつうの食事から取れないので、特殊ミルクを必ず飲まなくてはいけません。低タンパクのごはんや野菜のおかずを食べながらも、1日に接種する食事量の半分は特殊ミルクという感じです。
大人になってからは外でミルクを飲むのも気がひけるようで、朝はごはんを食べずにミルクを1日の半分量飲んで帰って来てから残りの半分量を飲む…という生活を送っています。

生後18日で診断を受けたとき、医師から『30年後には治療法があるかもしれない』と言われましたが、30年以上たった今でも根治療法はないのが現状。
メープルシロップ尿症は見た目にはわからない病気。世間から見たら、なんで食べられないの?と思うこともあるはずです。そこで私たちが知ってほしいのは、『嫌いなものがあるから食べない』というのとは違って、もっと切実に『食べられない』人がいるということ。

少し前の日本ではそういうことが理解されにくかったように思えますが、今は時代が変わって、アレルギーのお子さんも給食で除去食を出してもらえるようになっています。そういうふうに『世の中には多様な人が生活しているんだ』ということを、たくさんの方に理解していただけたらうれしいです」(藤原さん)

お話・写真提供/藤原和子さん 取材・文/安田萌、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

生後18日でかなこさんの病気がわかってから、30年以上に渡り食事療法を続けてきた藤原さん。かなこさんは大人になって独立しましたが、これからも藤原さんのサポートは続きます。
そんな中、とある家族との出会いがきっかけで藤原さんは「日本メープルシロップ尿症の会」を立ち上げることに。後編では、家族会を立ち上げたきっかけや、今年10周年を迎えた家族会の活動への思いを聞きました。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

藤原和子さん

PROFILE
長女は希少疾患「メープルシロップ尿症」。長年に渡る自身の治療・育児経験から、「日本メープルシロップ尿症の会」を設立。代表を務める。

日本メープルシロップ尿症の会のHP

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年10月の情報で、現在と異なる場合があります。

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