妊娠22週でまさかの破水。520gで生まれた二女は生後7日で約3時間もの腸の手術を【超低出生体重児】
鹿児島県に住む山元理英さんは、小学6年生の長女、1年生の二女の2人を育てる母です。二女の暦(こよみ)ちゃんは、出産予定日より4カ月早く、体重520gで生まれた超低出生体重児でした。理英さんに、暦ちゃんの出産のときのことについて話を聞きます。全2回のインタビューの前編です。
子宮頸管無力症と診断。第2子との別れの後に授かった命
5年の交際を経て2012年に結婚した理英さんと夫の啓資さん。理英さんはコンビニエンスストアの店長として働き、啓資さんも別の店舗の副店長だったことから、結婚を機に夫婦でコンビニ経営を始めました。そして結婚から約2年後の2014年、理英さんは第1子の女の子を出産しました。
「当時は通勤ラッシュの電車で出勤し、12時間立ちっぱなしで働いて、重い物を運ぶことも多い仕事でした。無理があったのかもしれません、妊娠7カ月で子宮頸管が短くなってしまい、1カ月入院して絶対安静に。
その後一度は退院しましたが、妊娠10カ月に入る直前の妊婦健診で子宮口が3cmほど開いているとわかり、再入院に。そのとき血圧が200を越えてしまったため、入院翌日に帝王切開することになり、36週6日で2444gの女の子を出産しました」(理英さん)
出産時は大変な状況でしたが、生まれた赤ちゃんはすくすくと元気に育ちました。夫婦でもう1人子どもが欲しいと考え、理英さんは長女の出産から4年後の2018年に妊娠します。しかし、妊娠がわかったときの妊婦健診で「子宮頸管無力症(しきゅうけいかんむりょくしょう)※」と診断されました。子宮頸管が開いてしまわないように糸で縛って補強するシロッカー手術をしましたが、残念ながら妊娠21週6日で赤ちゃんを流産してしまいます。
「22週未満で生まれた赤ちゃんは、心肺蘇生などの処置を受けられないことを知っていたので、生まれないように必死に我慢しようと思っていました。あと6時間耐えれば22週になる、というタイミングでしたが、破水もして陣痛も来てしまい、どうにもできませんでした。体重470gという小ささで、するりと生まれてきたのは男の子でした。
泣き声はありませんでしたが、生まれたときは動いていたんです。『動いてるね』『あたたかいね』と話しかけながら、胸の上のわが子が冷たくなるのを待つしかない時間は、とてもつらかったです。長男は戸籍には載りませんが、火葬をして小さなお骨になり、今も自宅で一緒に過ごしています」(理英さん)
つらい別れの半年後、理英さんは再び小さな命を授かります。
「長女にきょうだいをつくってあげたいという思いはありましたが、思いがけず早い時期に再び妊娠していることがわかりました。
ただ、長男のときのこともあるので、妊娠がわかった時点で医師から『今回もシロッカー手術は必要になります』と言われました。長女を出産した病院で紹介状を書いてもらい、大学病院を受診して子宮頸管を縛る手術を受けました。当初、おなかの赤ちゃんは男の子だろう、と言われていて、『長男の生まれかわりかな、大事に育てないと』と考えていました」(理英さん)
※子宮頸管無力症と診断された、または強く疑われた場合、次の妊娠でもリスクがあります。ただし、次回妊娠で再び子宮頸管無力症と診断されるとは限りません。
妊娠22週2日、実家で過ごしていたときにまさかの破水
手術後は、安静のために短期入院をしたり、自宅で安静にしながら通院したり、という状況が続きました。ちょうどゴールデンウィークにさしかかるころ、長女の保育園も長期休みになるため、理英さんと長女の2人は理英さんの実家で過ごすことにしました。
「できるだけ安静に過ごすため、しばらく実家で長女と一緒に過ごすことにしたんです。実家は私の家から歩いて10分くらいのところにあります。ところが、実家に帰った4月25日の午前1時ごろから、下腹部から水が流れる感覚が…。これはきっと破水だと思い、長女を母にお願いして、私1人でタクシーで大学病院へ向かいました。22週と2日目のことでした。
診察の結果、やはり『破水しています』とのこと。まさかこのまま生まれてしまうのかと不安でいっぱいでしたが、私が泣いたらおなかが張ってしまうと思って必死にこらえました。
医師からは『この週数はこちらの病院よりも鹿児島市立病院のほうが設備が整っていて安心。今、赤ちゃんがお母さんのおなかの中にいる状態で市立病院へ搬送したい』と言われ、救急車で市立病院へ搬送されることになりました」(理英さん)
朝7時、搬送先の市立病院で検査を受け、理英さんはMFICU(母体・胎児集中治療室)へ入院。朝9時になってようやく家族に電話をして、出産になるかもしれないことを伝えました。絶対安静の状態で過ごしながら、理英さんの脳裏をよぎるのは長男のときのことでした。
「とにかく不安でたまらなくて、涙が止まりませんでした。ただ、今回は妊娠22週を過ぎているから、もし生まれても蘇生措置してもらえることが救いでした。それに、胎動を感じたり、エコーで心音を聞くときは『まだここにいる。元気に動いてる』と希望を感じました。もしかしたらこのまましばらく大丈夫かもしれない、と」(理英さん)
ところが、入院から3日後の4月28日の朝の検査で、羊水に感染が見つかってしまいます。
「医師に『母体も赤ちゃんも危険なため、今から緊急帝王切開手術をします』と言われ、すぐに夫と母が駆けつけてくれました。昼過ぎに手術室へ移動し、14時ごろに二女を出産しました。でも、泣き声が聞こえません。
看護師さんが『生まれました、女の子ですよ』と声をかけてくれました。『会わせてくれますか』と聞いてみましたが、処置が優先だったんだと思います。たくさんの医療スタッフの背中が生まれたばかりの二女を取り囲んでいて、あわただしい様子でした。あとで聞くと、二女は『重度新生児仮死(じゅうどしんせいじかし)』という状態で生まれ、蘇生処置をしてくださっていたそうです」(理英さん)
出産したことを、家族以外の人にはなかなか言えなかった
蘇生処置をされた暦ちゃんは、NICU(新生児集中治療室)へ入院となりました。帝王切開手術を終えた理英さんは、その日の夕方に車いすで暦ちゃんの面会へ行きました。
「保育器にいる赤ちゃんを見て、衝撃を受けました。あまりに小さすぎて人間とは思えなかったんです。まぶたもできていないし、耳も立ち上がっておらず穴だけが見えるような状態。わが子を『かわいい』と思えない自分自身がとても苦しかったです。
面会時に、医師から暦の状態について説明を受けました。まずは24時間が山だとのこと。そして3日間はとても危険な状態であること。22週で生まれたから体のすべてが未熟で、目に見えない体の内部はもっと未熟であること。このまま生きられるかわからないこと。重度の新生児仮死状態だったので、脳へのダメージがあるかもしれないこと、障害が残る場合があること、低出生体重児に多い未熟児網膜症も心配されること、などたくさん説明があったと思います。
この子が死んでしまうのを待つしかないのか・・・とショックで、医師の説明も何も頭に入ってきませんでした。シロッカー手術もしていたのに、もっと私にできることがあったんじゃないか、私の我慢がたりなかったんじゃないか、とずっと自分を責めていました。そんな気持ちをだれかに打ち明けることもできず、それどころか出産したことすら、家族以外のだれにも話せませんでした」(理英さん)
生後7日目に訪れた、大きな命の危機
産後1週間ほどで退院した理英さんは自宅に戻り、車で10分ほどの場所にある病院へ面会に通う日々になりました。ところが生後7日、暦ちゃんに命の危機が訪れます。
「毎日、搾乳した母乳を届けるため、面会に通いました。暦の生後7日目は長女の保育園もお休みの日曜日でした。私の入院でずっと会えなかった長女と2人でゆっくり過ごす時間にしようと、自宅で過ごしていたんです。すると、スマホの画面に病院からの着信が。悪い予感しかありませんでした。
『消化管穿孔(しょうかかんせんこう)といって、腸に穴が開いて危険な状態になっています。すぐに手術します』という連絡でした。『体も小さいですから、おなかの中の臓器はもっと小さいので大変な手術になります』と。すぐに病院に駆けつけました。
手術時間は3時間ほどだったと聞きました。NICUに戻ってくるまでには10時間ほどかかったと思います。私は、暦の無事を祈りながらただ、ただ待つことしかできなくて、もどかしかったです」(理英さん)
手術では、腸にあいた穴をふさいで一時的にストーマ(人工肛門)を造設する処置がありましたが、手術は無事に成功します。
その後は大きなトラブルはなく、術後4カ月ほどで腸の状態も改善したためストーマを閉鎖することもできました。
「暦の生きようとする力がすごく強かったんだと思います。頑張った暦に触れたかったんですが、まだ皮膚が弱すぎるために触れることができず・・・。ただじっと様子を見る毎日が続きました。
私と娘の間にある保育器が、すごく大きな壁のように感じていました。保育器の中に手を入れて触れられるようになったのは、生後3カ月を過ぎたころ。初めてわが子に触れて、ぬくもりを感じられたときの喜びは言葉になりませんでした。
そして生後100日には、初めて保育器の上で持ち上げるように抱っこできました。そのころ体重は1500gほど。まだまだ小さいですが、NICUでお食い初めごっこもさせてもらえて、生まれたときの3倍にも大きくなってくれたことに幸せを感じました」(理英さん)
理英さんは、自分を責める気持ちを抱えながら、わが子の小さな命と向き合い続けます。暦ちゃんの治療は、まだ始まったばかりでした。
【大橋宏史先生より】早産児の母親は自分を責めてしまう場合が多い
妊娠22週5日、520gでこの世に生を受けた暦ちゃん。ご両親はとても心配されたことと思います。とりわけ母親である理英さんは自分を責めるときもあったようですね。実は早産で子どもを産んだ母親の中には、早産は自分の責任だと自分自身を責める方が多くいます。それは赤ちゃんに対してだけでなく、夫や義両親、自分の両親に対しても思うようです。早産はだれのせいでもないし、母親1人で背負うものでもありません。世界早産児デーなどをきっかけに早産への理解がすすむ事を願っています。
お話・写真提供/山元理英さん 医療監修/大橋宏史先生 取材・文/早川奈緒子 編集・構成/仲村教子(entente)、たまひよONLINE編集部
消化管穿孔の手術は無事に成功した暦ちゃん。しかし、未熟児網膜症(みひゅくじもうまくしょう)の症状が改善せず、入院期間は10カ月にも及びます。
後編では、このあとの暦ちゃんの治療の様子と成長について聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
大橋宏史先生(おおはしひろし)
PROFILE
鹿児島市立病院 新生児内科 科長。
2007年北海道大学医学部卒業。2007年市立釧路病院で初期研修医、2009年社会医療法人母恋天使病院で小児科後期研修医。2012年北海道厚生連帯広厚生病院小児科を経て、2016年より鹿児島市立病院新生児内科で勤務中。小児科学会の専門医・指導医、周産期・新生児医学会の専門医・指導医、臨床研修指導医。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2026年8月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。


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