520gで生まれた二女は現在小学1年生に。「ほかの子と比べて落ち込んだ」母が気づいた娘の成長【超低出生体重児】
鹿児島県に住み、夫婦でコンビニ経営をする山元理英さん。小学6年生と1年生の2人姉妹を育てています。二女の暦(こよみ)ちゃんは、出産予定日より4カ月早く、体重520gで生まれた超低出生体重児でした。生後7日目に消化管穿孔(しょうかかんせんこう)のため長時間の手術を受けた暦ちゃん。全2回のインタビューの後編では、理英さんに、暦ちゃんの手術後の成長について聞きます。
産後1カ月で仕事復帰、街で赤ちゃんを見るのがつらかった
2019年4月、理英さんは予定日より4カ月早い妊娠22週5日のときに二女の暦ちゃんを出産しました。体重520g、身長27cmで生まれた暦ちゃんは『重度新生児仮死(じゅうどしんせいじかし)』の状態で蘇生措置を受けました。生後7日目の消化管穿孔のための緊急手術も無事に成功し、少しずつ成長していきます。
先に退院した理英さんは、毎日暦ちゃんの面会に通い、自宅で搾乳した母乳を届ける日々を過ごします。また、産後1カ月ほどで仕事復帰を決めました。
「家に1人でいるといろいろと考えたり、気持ちが落ち込んでしまうので、外に出て人と話をしたい気持ちもあって仕事に戻りました。ですが、通勤途中の街中や職場で妊婦さんや赤ちゃんを抱っこしたお母さんを見ると、胸がぎゅっとなるようなつらさを感じました。そのころは暦を小さく産んでしまった、と自分を責めるような気持ちがずっとあったと思います。
仕事は短時間勤務にさせてもらって、仕事が終わってから長女の保育園にお迎えに行くまでの時間、毎日暦の面会に行きました」(理英さん)
小さく生まれた暦ちゃんには、未熟児網膜症(みじゅくじもうまくしょう)という病気もありました。未熟児網膜症は、発達途上の眼球内で網膜血管が異常増殖するもので、進行すると網膜剥離を起こし重篤な視力障害や、ときには失明にいたることもあります。
「生後3カ月から毎月、右目にレーザー治療を受けましたがなかなかよくならず、生後半年で眼球を縛る強膜バックリング手術という、網膜剥離を防ぐための治療を受けました。その後、退院したあとは矯正めがねをかけています。医師からは右目について『今後ピントが合うようになる可能性は低く、視力を測っても測定不能になるかもしれない』と言われていたんですが、小学生になってから検査をしたら、矯正めがねをかけて0.5見えるようになっていました。日常生活に支障はない程度の視力です。
網膜剥離になったら、右目はいずれ義眼が必要になったりするんだろうか、大人になってから車の免許が取れるようになるのか、などと心配していましたが、暦の成長の力に本当に驚いています」(理英さん)
NICUでの出会いで、「今、この子と笑顔で過ごそう」と、前を向けるように
仕事をしながら暦ちゃんの面会に通っていた理英さんは、自分を責める気持ちをだれにも打ち明けずに1人で心に抱えていました。しかし、ある出会いをきっかけに前を向けるようになったそうです。
「暦がまだNICU(新生児集中治療室)に入院していたころ、隣の保育器にいた赤ちゃんのお母さん・Yさんがよく話しかけてきてくれたんです。私は産後半年くらいはふさぎ込んでだれとも話したくなかったし、NICUにいるほかの赤ちゃんを見ることもできませんでした。そんな私に、Yさんは『何グラムで生まれたの?』『うちも同じくらいだよ』と話しかけてくれて。最初は正直『話したくないのに、なんでこんなに話しかけてくるんだろう』と思っていました(笑)
でも少しずつお互いのことを話すようになり、あるとき不安な気持ちを打ち明けたら、『今心配してもしかたない。そのときになったら心配すればいいんだよ』と、前向きに言い換えてくれたんです。『先のことを心配するより、今この子との時間を笑顔で過ごそう』と笑ってくれ、私の悩みを一蹴してくれました」(理英さん)
Yさんと話すようになってから、理英さんはようやく、NICUにいるほかの赤ちゃんたちを見ることができるようになりました。
「それまでは保育器にいる暦のことしか見ていませんでしたが、顔を上げてNICUを見渡してみると、小さな赤ちゃんたちがたくさんいることに気づいたんです。私と同じように、自分を責めたり苦しんだりしているお母さんもきっといるんじゃないかと感じました。
Yさんと話してみて、同じような経験をした母親だからこそわかりあえることがある、と知りました。わかり合える人がいると、気持ちが少し前向きになれるということも。そして、今度は私がだれかの話を聞いてあげたいと思うようになりました」(理英さん)
わが子の小さな成長に気づかず、落ち込んでしまったことも
暦ちゃんは生後10カ月でようやく退院し、家族と一緒の生活が始まりました。
「2020年2月末に退院するときには、暦は身長64cm、体重5830gと、生まれたときの10倍以上の体重にまで大きく成長してくれました。消化管穿孔の手術をしたため腸の便秘予防薬を飲むことと視力のこと以外には、とくに大きな医療的ケアは必要なく退院することができました。
ずっと暦に会いたがっていた長女も、退院してきた暦をすごくかわいがって一緒に遊んでくれて。家族一緒に過ごせることが本当にうれしかったです」(理英さん)
その後、暦ちゃんは週2回リハビリ施設に通い、理学療法士、作業療法士などによるリハビリを受けます。
「手指の運動や身体機能の訓練、生活動作や姿勢保持などのリハビリを受けました。暦は小さく生まれたために発達はゆっくりで、はいはいしたのは1歳半、1人で立ったのは2歳を過ぎてからでした。
保育園に通い始めたのは2歳からです。登園を始めたころは毎日鼻水を出していましたが、風邪から重症になることはほとんどなく、4〜5歳になるころには病院にかかることも少なくなりました」(理英さん)
わが子の成長に喜びを感じる一方、「ほかの子と比べて落ち込むことも多かった」と理英さんは言います。
「あせらないように気をつけていたものの、保育園のお友だちが元気に走り回ったり、たくさんおしゃべりしているのを見るたびに、暦の成長と比較して『自分が小さく産んだから・・・』『やっぱり、私の我慢がたりなかったんじゃないか』と落ち込んでいました。わが子の小さな成長に気づけない、喜べない、そんな自分にもっと落ち込むような負の連鎖を繰り返していました。
とくに心配だったのは、なかなか発語がなかったことです。やっと言葉が出始めたのは4歳になるころ。『まー』や『ばー』のような発音をしていたので、そろそろかな〜と期待して待っていたら、初めてはっきり話した言葉は『アンパン!』でした(笑)。アンパンマンが大好きだったからです。
『ママ』でも『パパ』でもなく、まさかの『アンパン』で笑ってしまいましたが、本当にうれしかったです。そこからは一気に言葉が増えて、それまでの心配がうそみたいにおしゃべりになりました。
あとから気づいたのは、わが子のひとつひとつを見ると、昨日より今日、今日より明日、と確実に成長していたことです。もっと自分に余裕を持って、もっともっとほめてあげればよかった、と今になって思っています」(理英さん)
鹿児島にもリトルベビーハンドブックが欲しい
子どもの成長を記録するのに、一般的には母子健康手帳が使用されますが、小さく生まれた暦ちゃんを育てる理英さんにとって、母子健康手帳への成長記録は、しだいにつらさを感じるものになっていきました。
「私はもともとメモや日記を書くのが大好きで、暦を出産後には母子健康手帳に記録していましたが・・・母子健康手帳の発達記録の部分は『はい』『いいえ』で答える項目が多く、暦の場合〇をつけることができるのは『いいえ』ばかり。だんだん母子健康手帳に書くこと自体がつらくなって、母子健康手帳を見るのも嫌になってしまいました」(理英さん)
理英さんは、暦ちゃんの入院中にSNSで情報を探るなかで、『リトルベビーハンドブック』という母子健康手帳のサブブックがあることを知りました。リトルベビーハンドブックは、赤ちゃんのペースに合わせた成長を記録できる欄があるほか、同じ経験をした保護者たちからのメッセージなども載っています。
「これなら私でも書けるかもしれない、私もこの手帳が欲しい、と思い、すぐに自治体窓口に問い合わせましたが『鹿児島市にはないのでほかの自治体のものをプリントしてはどうですか』と言われてしまいました。
どうしたら鹿児島でも手に入れられるか方法を探るなかで、全国でリトルベビーハンドブック作成の手伝いをしている板東あけみさんに出会いました。そして板東さんの紹介で県内のほかのお母さんとつながり、一緒にリトルベビーサークル『ゆるり』を立ち上げることになりました」(理英さん)
理英さんは、サークル設立当初のメンバーと相談しながら要望書を作り、2021年12月に鹿児島県知事にリトルベビーハンドブック作成の要望書を提出しました。
「すぐに県が動いてくれ、2023年2月にかごしまリトルベビーハンドブックが完成しました。かなりのスピード感で事態が進んで驚きながらも、とてもすばらしいサブブックができたことに感動しました。
かごしまリトルベビーハンドブックは、鹿児島県内のNICUのある医療機関や、市町村の母子保健担当窓口で配布されています。そして『ゆるり』は現在約60家族が参加し、交流会やイベントを行っています」(理英さん)
やさしくて頑張り屋さんの女の子に
現在、小学校1年生になった暦ちゃん。視力の問題があることと、体力面にも考慮して支援級に在籍しています。
「暦は国語と算数は支援級で、そのほかは通常級で授業を受けています。今は体重が15kg、身長が102cm。入学当初は毎日私が登校に付き添っていましたが、ゴールデンウィーク明けぐらいから6年生の長女と一緒に2人で登校できるようになりました。
クラスではいちばん小さいけれど、重いランドセルを背負って頑張っています。
家では食が細いのですが、小学校の給食はおかわりすることもあると先生から聞いて成長を感じています。鉛筆を持つのもすごく力が入るので疲れやすいはずですが、帰宅後に家で取り組む課題も『絶対全部やる』と気合いを入れて向き合っています。生きられるかわからないと言われていた暦でしたが、とっても心がやさしくて頑張り屋さんの女の子に育ってくれています」(理英さん)
【大橋宏史先生より】小さな命が大きく成長した
妊娠22週5日、520gでこの世に生を受けた暦ちゃん。成育限界に近い週数であり、医療側としても今日を乗り越えるのに精いっぱいでした。急性期は無事に乗り越えることができましたが、その後は消化管穿孔や未熟児網膜症など本人はもちろんご両親にとってもつらい出来事がありました。生後10カ月、体重約6kgでNICUを退院できたとき、彼女とご家族はこれからの長い人生のスタートラインにようやく立てたのだなと感じました。ややゆっくりではありますが着実に発達しており、あの小さかった命がここまで大きく成長したくれたことを非常にうれしく思います。これからの小学校生活がたくさんの笑顔と幸せに満ちたものになることを願っています。
お話・写真提供/山元理英さん 医療監修/大橋宏史先生 協力/板東あけみさん 取材・文/早川奈緒子 編集・構成/仲村教子(entente)、たまひよONLINE編集部
理英さんは、かつての自分と同じように小さく生まれた赤ちゃんを育てるママとパパに「ひとりじゃないよ、と伝えたい」と話します。鹿児島リトルベビーサークル ゆるりでは、11月15日の世界早産児デーにあわせ、11月に県内で写真展を開催します。サークルメンバーの子どもたちが生まれたときの写真と、成長した現在の写真を並べて展示する予定です。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
大橋宏史先生(おおはしひろし)
PROFILE
鹿児島市立病院 新生児内科 科長。2007年北海道大学医学部卒業。2007年市立釧路病院で初期研修医、2009年社会医療法人母恋天使病院で小児科後期研修医。2012年北海道厚生連帯広厚生病院小児科を経て、2016年より鹿児島市立病院新生児内科で勤務中。小児科学会の専門医・指導医、周産期・新生児医学会の専門医・指導医、臨床研修指導医。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2026年8月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。


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