かこさとし、佐々木 マキ…。続編までに10年、20年、30年かかった絵本
大人気になった絵本は、読者も続きが読みたくなるものです。作者がそれに応えてくれると、それが「続編」や「シリーズ第2弾」となってわたしたちに届けられます。
その2作目までに、20年、30年、40年かかった絵本をえほん教室主宰の中川たかこさんとご紹介したいと思います。
署名:中川たかこ
なかがわ創作えほん教室主宰
メリーゴーランド増田喜昭氏に師事。個人の創作えほん教室主宰19年目。高校、中学、専門学校などでえほんの読み解き方、えほんの創り方の講師として活動中。
待ってました!園児だった子どもがママやパパになったら続編が出た!
ママどころか、おばあちゃんになった頃にまさかの続編が…?でもそれって素敵だと思いませんか?だって、何代にもわたってその絵本の新作を読み継げるのですから。さあ、親子でいっしょに続編を楽しみましょう!
20年経っても、まだベジタリアンです。
このえほんに出てくるおおかみは、とても足が遅いのです。ぶたよりもおそいので、つかまえることができません。しかたがないので、いつも野菜を食べているのですが、ある日、きつねの博士に相談をします。すると博士は「ぶたのたね」をくれるのです。まるで果物のように大きく育った木にぶたたちがぶらさがります。
このお話しは、20年ほど前に発行された「ぶたのたね」ですが、この続編が刊行されています。イラストはそれほど年月が経ったとはとても思えないほど同じように描かれており、佐々木マキ氏の画力に感動するばかりです。
それにしても、シリーズ1作目では、せっかくたわわに実ったぶたの実を、ぞうのマラソンによって食べそこねてしまったおおかみでした。せっかく1匹だけはつかまえられたのに、それも逃げられてしまいます。この失敗を活かして、続編では室内で育てます。これなら、ぞうのマラソン大会があっても大丈夫ですね!!ぶたのたねから育った芽はどんどん大きくなって、どんぐりくらいのぶたの実を付けました。
次の日にはいちごくらい、次の日にはレモンくらい……この大きさの例えが、小さい子にもよくわかるように書かれていて、想像しやすいですね。そして、レモンくらいの大きさになったぶたを、もっと大きくしてから食べるんだとがまんしていたおおかみでしたが……!
どうしてもがまんできずに、小さいぶたの実をすべて、枝からもいでしまいます。はじめてぶたを食べることのできる感動におおかみは涙がじわりと溢れます。
フライパンに油を注いでいると……ドンドン!とドアを叩く音。それはくまの宅配屋さんで、おおかみのいとこが野菜を送ってくれた箱を、届けれてくれたのでした。おおかみは足がおそくて獲物が狩れないので、いとこが心配して送ってくれたのですね。優しいですね。
しかし!!!悲劇は続編でも起こってしまいます。
なんと、この宅配屋さんのノックで、ぶたが目をさまし、箱を受け取っているすきに、壁の穴から逃げて行ってしまったのです。
続編での失敗は、小さいうちに実をもいでしまったため、壁の穴から逃げることができてしまった……なんということでしょうか……。
おおかみは、これで2度、ぶたを食べそこねてしまいました。
この絵本でキーパーソンとなるのはきつね博士なのですが、博士はけっして手を貸してくれるわけではないのです。
あくまでも「ぶたのたね」というきっかけをくれるだけ。育てるのも、やめるのも、また育てたものをどうやって食べるのかも、おおかみしだいなのです。こう考えると、きつね博士はいじわるなのではなく、指導者と考えることはできないでしょうか。
よい指導者は、成功させるために手を出すのではなく、失敗してもいいからそれを見守る、うつわがあります。
おおかみは、なぜ失敗したかを自分自身が理解することで、成功の道を見つけることができるのです。成功というのは、成功させる道を「失敗」によって見つけること。つまり、失敗しないと「成功」しないとわたしは思います。
この絵本には、なんとさらに続編があります。またまた ぶたのたね。さて、次はぶたを食べることができると思いますか?
30年経ってもピュアな初恋
長谷川集平さんという絵本作家を初めて知ったのは「はせがわくんきらいや」という絵本でした。わたしの先生が読み聞かせしてくれた本で、衝撃を受けました。本文は黒一色の大胆な筆で描かれ、絵も文字も踊っているようなエネルギーに溢れています。こんな絵本があったとは!と、すぐに子どもの本専門店で著者のえほんをありったけ買いました。
そのなかのひとつ、トリゴラス。シリーズ1作目、少年と父親の会話から始まります。少年は、外でびゅわんびゅわんと強い風が吹く夜、それは風ではなくトリゴラスが飛んでいるからだと父親に詰め寄ります。尋ねているのではありません、少年は確信しているのです。あの風はトリゴラスという怪獣の翼の音だと。
そして、かおるちゃんを狙っているのだと。少年には、トリゴラスの目的がはっきりわかっているため、街が壊されて行く様子を具体的に話すことができます。このトリゴラスはかおるちゃんを見つけると、手の平に載せ、そしてそのまま飛び去って行くのですが、果たしてこの怪獣はどこからやってきて、正体は何なのでしょうか。
まず、ページをめくると暗雲たちこめる見返し(表紙をめくってすぐの、色のついた紙や絵が印刷されていることもあるページのこと。白いままの場合も)。そして、少年が寝る前の布団に正座して父親に詰め寄るシーン、「そらでびゅわんびゅわん ゆう、あの音のことや」と言っている絵の左下に、読書灯があります。そして、トリゴラスが街を破壊し、かおるちゃんのマンションを見つけるシーン。
画面の左下に、破壊された電車が描かれています。
この2つのシーンを比べると、両方とも左側のページ、そして次のシーンでは、次のページに向って身体を乗り出しているところが描かれています。
少年がトリゴラスについて、父親に熱弁する場面と、トリゴラスがかおるちゃんを見つける場面が全くシンクロしているのです。ここは深い意味があると思っています。そして、シリーズ1作目で連れ去られたかおるちゃんでしたが、続編では、そのかおるちゃんと南の海で再会するのです!!
続編でも風の強い夜、少年は父親にトリゴラスの羽音ではないのかと詰め寄りますが、そんなわけあるかと一蹴されると思いきや、なんと少年もトリゴラスに連れ去られてしまいます。そして少年は、かおるちゃんと南の島で再会し、彼女の大人びた様子に胸をどきどきさせます。しかし、街は破壊され、火の海になっている様子も、島にいるふたりには見えているのです。
「かおるちゃん、こんなんあかんやろ!」と意を決してさけぶ少年に、かおるちゃんはウクレレを弾きながら「ええのええの」と笑います。少年はかおるちゃんの言葉を聞いて「こいつ こわいわ」と思いながらも、何も言うことができません。
思春期の少年の、恋が恋と気づかれる前の、心の中でうずを巻いているような混乱。それが残酷性や暴力に近いものとなって溢れるイメージが、みごとに画面に描かれています。街を破壊し尽くしてしまう残酷性、暴力が、わたしには原始的で最もピュアな恋心に思えてなりません。かおるちゃんも、砂浜に裸足の足を投げ出してこう言います。
「ええのええの、めがさめたらみんなまぼろし。たのしみましょ」
これが夢なら、少年の夢は、覚める日がくるでしょうか。
夢いっぱいの両親に育てられた4羽のからすの子どもたち
からすのパンやさんは、いちどは誰もが開く絵本ではないでしょうか。もしくは、読んだことはなくても、タイトルは聞いたことがあるのでは?
かこさとし先生のえほんは、大人が子どもに期待する、「勉強になるような内容」を、子どもたちにとってはたいそう興味深い描きかたをしているところに、ほれぼれしてしまいます。
1970年代、日本の大人は絵本に「勉強」を求めていたように思います。ひらがなが読めるように、ものの名前を覚えるように、知識が得られるようになど、ものがたりの世界を楽しむよりも、何かを得るためのものとして、子どもに与えられていることが多かったと思います。
ようやく現代になってナンセンス絵本が注目され、売れるようになったけれど、それもごく近年のことではないでしょうか。
かこさとし先生の絵本は、大人に言われなくても自分でページをめくりたくなる、知りたくなるような世界がたくさん描かれています。
からすのパンやさんのなかで、読んだ子どもが釘付けになるページがあります。そこは、見開きぜんぶに描かれた、ありとあらゆる形のパン!おかまパン、ゆきだるまパン、きょうりゅうパン、えんぴつパン、ピアノパン、たいこパン……
この絵本が描かれたのは1973年ですので、でんわパンのかたちは今は懐かしいダイヤル式黒電話、テレビはブラウン管式です。
しかし、今の子どもたちもこの形はわからなくても愉快な気持ちはちゃんと伝わると思いますし、なによりこのたくさんの種類に心が躍ってしかたがないでしょう。
そして、近くに居る大人に「これ作りたい」「これ食べたい」って言うのではないでしょうか。そのパンやさんでお手伝いをして育った4羽の子どもたちは、40年経って描かれた続編のなかで、チョコくん、リンゴちゃん、オモチちゃん、レモンちゃん、それぞれ大きくなって、お店やさんになりました。続編は4冊あります。その1冊目、ものがたりはここから始まります。からすの両親は、おじさんのおみまいのため、お店を子どもたちに任せます。
ここから、続編として子どもたちのお話しが始まりますが、チョコくんはお菓子屋さんに、リンゴちゃんはやおやさんに、レモンちゃんは天ぷらやさんに、オモチちゃんはそばやさんになります。
この兄弟たちは、誰かを助けたり、誰かと力をあわせてこのお店をはじめるきっかけにしています。チョコくんは留守をした親のために、リンゴちゃんは困っているシンくんのために、レモンちゃんは、火事になった天ぷらやさんのために、 オモチちゃんは知識を与えてくれたおそばやさんに恩返しとして。
彼らの共通点はなんだと思いますか?
それは、もともと、この職業につきたかったわけではない、ということです。
誰かを助けるため、仲間たちの協力などがあり、行動を起こすことで自分の夢を見つけていく。
これは、はっと胸をつかれるかたもいるのではないでしょうか?
将来のことを、大人が先回りして決めてしまってませんか?
将来の夢は、行動することで見つけられるし、実行するための仲間もあつまります。
はじめの目的や、目標がなくても、まずは行動を起こすことで何かが動き始めます。
具体的な夢があるならなおさらで、必要なのはお金ではなく行動と、仲間です。
この4冊の続編では、親は不在ですよね。
そして、彼らは自分たちの知恵と仲間の協力により、自分の夢を見つけていきます。
親は不在と言いましたが、その彼らを育てたのはほかでもない両親です。
アイデアいっぱいのパンを焼き、ご近所のみなさまに愛されている両親に育てられたからこそ、この4羽は「困ったことがあっても、アイデアで乗り越えられる」と無意識に知っていたのです。
4羽がどんなアイデアで夢を見つけたのか、ぜひ絵本を開いて読んでみてください。
ページをめくるごとに描かれる美味しそうな食べ物も必見ですよ!
続編まで何十年かかっていても、その世界観は古くなるどころか初めて読んだあの日のままで、絵本の力を思い知らされます。
もしこれがもっとスピードの速いテレビCMだったらどうでしょう。あっという間に時代の流れを感じるものになるでしょう。
この3冊から伝わるのは、何十年経っても変わらないもの、それは「食べる喜び」「失敗を繰り返してもあきらめない気持ち」「誰かを好きになった切ない気持ち」です。これからまた何十年経ってもこの絵本は、その時代の子どもたちが今と同じように、気持ちを受け取ってくれると信じています。