妊娠までは計画通り。保活失敗で全てが崩れた!解決を導いた意外な結論は…
現在、中学生と小学生の子どもたちのママで、ライターのhinanohimeです。私が第一子を出産したのは、もう、10年以上前になります。子育て事情も日々変化していますが、当時も首都圏近郊の保育園への入園は大変困難な状況でした。そんな当時を“保活”中心に綴っていきたいと思います。
妊娠までは“ライフプランニング”通りだったが…
20代後半で結婚をした際、夫には“ライフプランニング”を考えた上で、「第一子は30歳を迎える前に出産したい」と伝えていました。そして幸運な事に、第一子の出産予定日は、ちょうど私が30歳を迎える数ヶ月前の4月になりました。
もちろん、出産予定日が4月になる事も予定したとおりでした。なぜなら、仕事をしていたため、保育園に入れる必要がありましたが、子どもが4月2日以降に生まれてくれれば、次の年の4月入園を希望しても0歳児として入ることができるからです。
子どもが大好きな夫はもちろん私も、第一子はせめて1年位は保育園に入れずに一緒の時間を多く過ごして育てたいと考えていました。
学年の中で一番最後“4月1日生まれ”の我が子
認可保育園への入園を希望していながらも、保育園激戦区に居住していた我が家では、0歳児のタイミングで認可保育園に入れなければ、産休復帰の多い1歳児で入れる可能性は“皆無”でした。ですから、認可保育園へ入るためには、0歳児からの入園を目指す必要があったのです。
予定日が4月初旬と聞いて、「予定日通りなら翌年の4月入園を希望しても、0歳児扱いになる。良かったー」と一安心していました。
ところが、気の早い我が子が生まれたのは、予定が早まって4月1日でした。「学年」の考え方の中では、4月1日生まれは、4月2日より後に生まれた子より一つ上の「学年」。つまり、4月1日生まれは“自分の「学年」の中で一番最後に生まれてきた子になってしまう”ということでした。
認可保育園に入るためには0歳児の4月のタイミングがベストとはいえ、4月1日生まれはまだ0カ月。預けられる月齢に当然達していません。1年後の1歳児クラスの4月に認可保育園へ入ることを目指して秋に申し込みましたが、もちろん玉砕でした。
その後、認可外の民間の保育施設に第一子を預けて働き、認可保育園の選考順位を上げようとしましたが、相談に行った役所の担当者からは、「3歳児クラスまで待っても、まず認可保育園へ入るのは無理ですね」と断言されてしまいました。
幼稚園に入園か、保育園に入れる地域に引っ越しか
結婚後、現在の住まいに落ち着いたのは、都心へ通勤する夫の負担を考えた上でした。しかし、このままでは第一子が認可保育園へ入るのは絶望的と分かったので、今後どうするのかを話し合いました。
案としては、「認可保育園は諦めて、幼稚園に入園させる」「認可保育園に入れる地域に引っ越す」の二択になりました。「幼稚園に入園」の案については、当時でもだいぶ“幼稚園の預かり保育”が充実してきたので検討したのですが、保育料の高さや、預かり保育のある幼稚園も入園困難だという状況をママ友から聞いて、これも断念しました。
最終に残ったのは「引っ越す」という手段です。しかし引っ越し先候補は、私の実家がある市内の駅付近になってしまいます。都心へ通勤する夫の相当な負担となるので、夫に確認したところ「どうしても、二人目が欲しい。通勤さえ乗り切れれば、保育園にも入れるし(妻の)実家の援助も得られるんだったら、俺が頑張る」と言ってくれたので、決定しました。
究極の最終結論。4月入所のために急遽“引っ越し”
夫婦の意思が決定したら、それからはジェットコースターに乗っているかのように早い勢いで進みました。実家のある市内の認可保育園の状況を調べ、入園できそうな園をピックアップし役所へ問い合わせると、「4月入園の申し込み時に、市内に住所がないと難しいですね」とのアドバイスを受けました。
そうとなったら間に合わせるために即、物件探しをし、引っ越しの手続きと転入届けを出したその足で認可保育園への申し込みをしました。申し込みの際には、ダメ元で「即・入園」と「4月から入園」の二つの希望を出しました。結果は、11月に申し込んで翌年の2月から入る事ができました。
妊娠38週目で生まれた第一子は、出生時体重2874g、身長51cmでした。同じ学年になる子の中で、最終日の4月1日に生まれ。通勤至便な保育園激戦区から私の実家近くに引っ越すなど、第一子の保活では苦労しましたが、それがきっかけで地元に戻り、緑や自然に数多く触れながら子育ができるようにしてくれた夫の協力に感謝しつつ、日々を過ごしています。
[hinanohime*プロフィール]
中学生と小学生の子ども二人と夫の4人家族で暮らしています。保育士を8年程務めた後、退職し、本格的にパートに復帰するまで約10年かかってしまいました。ライティングの仕事をしつつ、いずれ保育職に復帰したいと思っているママです。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。