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6歳でこの世を去った娘から託された願い―父親が「こどもホスピス」建設に向け奮闘

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特集「たまひよ 家族を考える」では、子育てのさまざまな事象を、できるだけわかりやすくお届けし、少しでも育てやすい社会になるようなヒントを探したいと考えています。
ここでは「こどもホスピス」建設に奮闘する父、小児科医、患児家族の物語を3回にわけて紹介します。1回目はある女の子と、その子に溢れんばかりの愛を注いだ父親の物語です。

助けられる命が増える一方で…

日本の新生児死亡率は0.09%。1歳までに亡くなる乳児の割合は0.19%。
医療技術が進む日本は、世界で最も「赤ちゃんの命を救う国」といわれています。

ただ、助けられる命が増える一方で、治療や医療的ケアを必要とする子どもたちも増えているという事実をご存知でしょうか。

難病や重い障害を持つ子どもは、全国で約20万人。
なかでも生命が脅かされる病気や重度の障がいがある子どもは、約2万人。
人工呼吸器の装着など医療的ケアを必要とする子どもは、約1.8万人。
さまざまな不安や葛藤を抱えながら暮らしている子どもや家族が、日本にはたくさんいます。

NPO法人「横浜こどもホスピスプロジェクト」を立ちあげ、命を脅かされる病気と闘う子どもと家族のための小児緩和ケア施設「こどもホスピス」を横浜につくるべく、奮闘されている田川尚登さんは、次女はるかさんを小児がんで亡くしました。

まだ6歳だった、幼いはるかさんの病と死をきっかけに、田川さんが感じたのは、「親子で過ごす時間の大切さ」「子どもが、その子らしく生きていくことのすばらしさ」です。

「余命半年」、脳腫瘍の告知

「はるかちゃん、最近よく転ぶんですよね」
幼稚園の先生から、そう声をかけられたことが、ささいな異変の始まりでした。当時、はるかさんの年齢は5歳。身体のバランスがうまくとれずに転ぶなんて日常茶飯事。田川さん夫婦も、先生からの何気ないひと言を、そう深刻には受けとめていませんでした。

ただ、今度は、はるかさん自身が、異変を訴えてくるようになります。朝、目が覚めると決まって「頭が痛い」と言うようになったのです。小児科に連れていくものの、診断は「ただの風邪」。なかなか治らない風邪をいぶかしがりながらも、時は流れていきました。そんなある日、はるかさんの母親は、強烈な違和感に襲われます。はるかさんが右足を引きずって歩いていることに気づいたのです。

「これは、おかしい!」
すぐさま総合病院に連れて行きました。MRIを撮った結果わかったのは、はるかさんの脳幹にガンがあるということ。医師から告げられた余命は、たったの「半年」でした。

「帰らないで!」、病院に響きわたる泣き声

田川さんとはるかさん

はるかさんが患っていた小児がんは、「小児脳幹部グリオーマ」。
脳幹にできたがんを摘出することは難しく、診断がついてから1年以内に亡くなる確率が70%ともいわれ、今現在も決定的な治療法が見つかっていない病気です。

できることは、放射線治療をし、少しでも家族で過ごせる時間を延ばすこと。医師からは「娘さんと一緒に過ごせる、わずかな時間を大切にしましょう」と告げられました。

はるかさんは、放射線治療のために入院することになります。6歳だったはるかさんにとって、家ではない場所に、たった一人で泊まらなければならないのは、とても心細く、怖いことでした。
面会の終了時刻が近づいてくると、はるかさんは、いつもソワソワ。お母さん、お父さんが帰るのを引きとめようと、必死で話しかけます。幼稚園のお友だちの名前を30人分、一人ひとり挙げていくこともありました。父親である田川さんの首に手をまきつけて抱きつき、頬に唇をつけたまま体を離さないこともありました。

「パパ、帰らないで!」
泣き叫ぶ娘の声を聞きながら、逃げるように病室を出る日々。田川さんにとって切なく、つらい記憶です。

子どもと過ごす一瞬一瞬が、かけがえのない宝物

放射線治療を終えると、はるかさんは、自宅に戻ってきました。田川さんが、はるかさんの闘病生活で実感したのは、「たとえ重篤な病気にかかっていたとしても、余命わずかであったとしても、子どもは日々の生活のなかで楽しみを見つけ、たくましく成長していく」ということです。

麻痺の影響で右手を動かせなくなったときも、利き手ではない左手でペンを持ち、あっという間に文字をかけるようになりました。病気の進行と服薬の影響で、顔が腫れたときも、鏡で自分の顔を見ながら「おもしろい~!」とゲラゲラ笑っていました。

田川さん夫婦は、「はるかがやりたがることはできるだけやらせてやろう」「最大限、希望や願いを叶えよう」「家族の時間を大切にしよう」と話し合い、濃密な日々を過ごしました。

家族で旅行に出かけたこともあります。右手が麻痺し、右足を引きずりながらも、真っ先にホテルの階段をかけあがっていく、興奮したうしろ姿。抱っこして花畑を一緒に歩いたときにのぞきこんだ、うれしそうな横顔。自宅に戻る車のなかで満足そうに眠っていた寝顔……まるで昨日のことのように鮮明に思い出されます。

はるかさんが余命宣告をされてから息をひきとるまでの5カ月間は、田川さんにとって忘れられない特別な時間でした。「自分の命を投げ出しても守りたい」と何度も思ったそうです。

これまで以上に、‟親である実感”を強く持てた日々。大人の気持ちのあり方、かかわり方次第で、子どもと過ごす時間は、こんなにも深く濃くなるものなのだと知りました。

田川さんは語ります。「今にして思えば、はるかが健康なときから、もっと娘たちと過ごす時間を大切にしていればよかった。週末に遊んだり、どこかに連れて行ったりするようなことはありましたが、仕事や日常を優先し、全身全霊で子どもに向き合えていたかどうか自信はありません。子どもの目線で話を聞いたり、時間を気にせず子どもがやりたいことを最後までできるように待ったり、本当の希望や気持ちに寄り添ったり……もっとできることがあったのではないかと考えずにはいられません」

ずっと一緒に生きていくための「こどもホスピス」

健康な子も、病気の子も、一人ひとりが「子どもらしく」生きていい。
どんな状況に置かれても、たとえ治癒を期待できない病を患ったとしても、子どもは遊びたいし、成長したいし、家族や友だちと楽しい時間を過ごしたい。
どんな子どもも、子どもとしての日常が守られ、大切にされるべき存在であることを、田川さんは、はるかさんから学びました。

現在、田川さんは、病気によってやりたいことや遊ぶことを制限され、居場所を失っている子どもたちのために、「こどもホスピス」を建設しようと、精力的に活動しています。「こどもホスピス」は、病気と闘う子どもたちと、その家族が安心して過ごせる「新しい居場所」です。

子どもたちには小児緩和ケアを提供し、同世代と同じ経験や遊び、学びの機会を与え、一人ひとりの成長や発達を支援します。家族には休息の時間をもたらし、子どもの病気について気軽に話せたり、悩みを分かちあえたりする繋がりをつくります。

子どもが亡くなってしまったあとに、喪失の悲しみや苦しみをケアすることも、こどもホスピスが担う大切な役割です。
両親やきょうだい、祖父母が、その子の想い出に触れたくなったとき、こどもホスピスの門をくぐれば、そこには生前を知るスタッフがいて、いつでもあたたかく迎えてくれます。お互いの想い出を持ちより、ときに涙し、ときに笑いながら、語り合うことができます。

子どもの死は、この世でいちばんと思えるほど、つらく悲しいことでしょう。どんなに時間が経っても、喪失の傷が癒えることはありません。

ただ、田川さんがそうであったように、幼くして旅立ってしまった子どもたちはみな、彼ら彼女らを大切に想う人々と一緒に生きています。
たとえ姿は見えなくても、触れることはできなくても――思い出と共に。
子どもが「生まれてきてよかった」と思え、家族が「この子に出会えてよかった」と思える。限りある小さな命に精一杯向き合う、家族が集う場所。それが「こどもホスピス」なのです。

子どもと一緒に過ごす「今」を見つめてみよう

子どもを生み、育てていくことは本当に大変です。「〇カ月までに〇〇ができるようにならなければ……」と平均的な発達と比較して焦ったり、「将来この子が困らないように、どんな体験をさせ、どんな言葉がけをすればいいか」と先を見据えて気をもんだり。

ともすると、過去や未来にばかり思いを馳せ、「今ここに我が子が生きて、笑っていてくれる」ことのすばらしさや、かけがえのなさを忘れてしまいがちです。

はるかさんのお母さんは、生前のはるかさんのこんな言葉を覚えていました。
いつも家で洗濯物をたたむのを手伝ってくれていたはるかさん。
「お母さんの洋服とか指輪とか、とっておいてね。はーちゃん(はるか)が大きくなったら使うからね」

ありふれた一日のありふれた出来事が、親にとって、子どもにとって、かけがえのない想い出になる。はるかさんのお母さんが覚えていた、何気ないこの日常のワンシーンが、「子どもと過ごす一瞬一瞬が、実はとても贅沢で大切なものである」ことを、私たちに教えてくれます。

闘病中のはるかさんが、きっと過ごしたかったであろう、家族とのあたたかな時間。病児と家族の願いがつまった「横浜こどもホスピス」は、建設予定地が横浜市金沢区に決まり、医療関係者や民間企業をはじめとする様々な支援を受け、2021年夏の開設まで、もうあとひと息のところまできています。次回は、この「横浜こどもホスピスプロジェクト」に携わる小児科医のエピソードをお届けします。

(文/猪俣奈央子)

●Profile

田川尚登
1957年、神奈川県横浜市生まれ。2003年、NPO法人スマイルオブキッズを設立。2008年、病児と家族のための宿泊滞在施設「リラのいえ」を立ち上げる。2017年、NPO法人横浜こどもホスピスプロジェクトを設立し、代表理事に就任。ほか、NPO法人日本脳腫瘍ネットワーク副理事長、一般社団法人希少がんネットワーク理事、神奈川県こども医療センター倫理委員を務める。2019年12月、初著書となる「こどもホスピス 限りある小さな命が輝く場所」を出版。「病気や障がいがある子どもと家族の未来を変えていく」をモットーに、小児緩和ケアとこどもホスピスの普及を目指している。

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