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325グラムで生まれた赤ちゃんが起こした奇跡と家族の愛

日本では「母体保護法」により、妊娠22週未満の赤ちゃんはママのお腹の外では生きていけないと考えられ、病院でも救命措置はできず「流産」となります。そんな中、救命措置がされるギリギリの22週と3日目に生まれた赤ちゃんがいます。
その記録を綴った本『手のひらの赤ちゃん 超低出生体重児・奈乃羽ちゃんのNICU成長記録』が、2020年1月に出版されました。著者は、2冊の著書を持ち、書き手としても高い評価を得ているベテラン漫才師の高山トモヒロさん。今、この本を読んだママたちから、多くの感動の声が寄せられています。
たった325グラムの小さな赤ちゃんが誕生した経緯とその後に見せた奇跡、そして赤ちゃんによって再生される夫婦の姿とは…。その一部をご紹介します。

離婚の一歩手前。最後と決めた不妊治療で妊娠

奈乃羽(なのは)ちゃんのママ・佑里子さんが、15歳年上の敏哉さんと結婚したのは35歳のとき。なかなか妊娠しないため検査したところ、佑里子さんの卵管に癒着が見つかり、敏哉さんも年齢的な問題で妊娠が難しいことがわかりました。
2人は体外受精にチャレンジすることを決意。しかし、4年経っても妊娠の兆候はありませんでした。

先が見えない不妊治療に、佑里子さんは心も体も疲労していきました。敏哉さんもそんな佑里子さんにどう接していいのかわからなくなり、2人は些細なことで口論するように。大げんかも増え、夫婦の歪みはどんどん深まっていきました。
「こんなに辛い思いをするなら不妊治療も、そして夫婦としての生活ももうやめよう」とまで思い詰めた佑里子さん。「これで無理なら本当にすべてをあきらめよう」と心に決めてトライした体外受精で、なんと“妊娠”したのです。

6ヶ月健診直後に破水し救急搬送。22週と3日目に陣痛が!

待ち望んでいた妊娠。夫婦の生活は一変し、夫婦の会話も次第に弾み出していきました。
しかし、6ヶ月健診後の週末の朝、佑里子さんが椅子から立ち上がろうとテーブルに手をついて腰を上げた途端、子宮内から液体がこぼれ出る感覚がし、同時に下半身が急激に重くなっていきました。
タクシーで定期検診を受けている病院へ駆け込んだところ、直ちに大きな病院へ救急搬送されました。

このとき、佑里子さんは妊娠21週と4日目。母体保護法では22週未満の赤ちゃんはお母さんのお腹の外では生きていけないと考えられ、救命措置をしてもらえません。つまり、流産として扱われるのです。
けれど、22週を過ぎれば早産として生むことができ、救命措置をしてもらえます。そこで、佑里子さんは入院し、22週が過ぎるまで頑張ることにしました。

少しでもお腹に力が入らないように細心の注意を払う生活。トイレに行くのも怖く、食事ものどを通リません。少しだけ伝わってくる赤ちゃんの鼓動を感じやすいようにと、テレビもつけずにじっと息をひそめて過ごしました。
そして22週と3日目、陣痛が訪れ、あまりに早い出産をしたのです。

体重325グラム。「生きて生まれてきてくれて、ありがとう」

小さな小さな赤ちゃんは、二度力んだだけでスポンと生まれてきました。出てきた瞬間に「キャッ」という小さな産声が聞こえたものの、その後は声がしません。
大丈夫なのかという不安や恐怖に襲われ、佑里子さんは「どうかお願いします。助けてください」と心の中で何度も繰り返しました。
その時、医師が一瞬だけ分娩台にいる佑里子さんのそばに赤ちゃんを連れてきてくれました。手のひらに乗るぐらい小さな体で手足を動かす姿を目の前にして、さっきまでの不安や恐怖が一気に消え去ります。
「生きて生まれてきてくれて、ありがとう」
命のすごさに感動し、ただただ感謝の思いがあふれました。

赤ちゃんは女の子で、名前は「奈乃羽(なのは)」。体重325グラム、身長はあまりにも小さすぎて測れませんでした。

仕事に出ていたパパの敏哉さんが、NICU(新生児集中治療室)に入った奈乃羽ちゃんに会えたのは、深夜2時を回ったころ。
「覚悟はしていたけど、こんなに小さく生まれてきたのか……」
こぶしほどの小さな体にたくさんの管が付けられ、保育器の中で眠る我が子の姿は、想像以上に痛々しいものでした。
それでも思ったのは、やはり「生きて生まれてきてくれて、ありがとう」ということ。敏哉さんも佑里子さんと同じ言葉を、小さな赤ちゃんにかけました。

生後3日目に受けた「生存率30%」の告知

厚生労働省の「世紀出生児縦断調査」によると、出生時の平均出産体重は男児3,076グラム、女児2,990グラム。奈乃羽ちゃんはなんと、その約9分の1の大きさ。「超低出生体重児」と定義される赤ちゃんです。現在の日本では、超低出生体重児の救命率は約9割ですが、300グラム未満の場合だと格段に難しくなると慶応義塾大学病院が発表しています。
300グラムをわずかに超えて生まれてきた奈乃羽ちゃんは、出産3日後に担当医師から「生存率は30%です」と告げられました。

その言葉に、パパの敏哉さんは全身が硬直したようになってしまいました。医師から、奈乃羽ちゃんが抱える問題点について細かい説明があったのですが、あまりにもショックが大きくて何も記憶に残っていません。
ただ、「今の日本の医療技術なら絶対に大丈夫。絶対に」と自分に言い聞かせ、娘の生命力と医療技術を信じることしかできませんでした。

赤ちゃんの「生きよう」とする力が「奇跡」を起こす

生後間もなく、腸が破れてしまうトラブルで2回の手術を受けた奈乃羽ちゃん。その後もさまざまなトラブルが奈乃羽ちゃんを襲います。
生後1ヶ月を過ぎた時には、突然、顔から血の気が引いて、心拍数が50ほどに下がってしまいました。新生児の正常時の心拍数は140前後。その1/3というかなり危険な状態です。
しかし、付ききりでお世話をするため病院に通いつめるママに応えるかのように、奈乃羽ちゃんは驚異的な回復力を見せます。日に日に元気を取り戻し、なんと3日後には母乳の受け入れが再開できるまでに回復しました。

また別の時には、手術後に心拍数が下がって顔が土色になった奈乃羽ちゃんに、駆けつけた敏哉さんが必死に声をかけ続けると、顔色と心拍数が戻ったことも。
専門医でも説明不能な「奇跡」としか呼べない力を、奈乃羽ちゃんはママとパパに何度も見せてくれます。

佑里子さんは笑顔で語ります。
「よく“大変ですね〜、苦労してますね〜”と言われますけど、まったく思っていません。今日も奈乃羽の顔を見て、一緒に過ごせていることが幸せなんです。
誰も経験できないような大きな喜びを運んできてくれた奈乃羽は、私たちの自慢の娘です

赤ちゃんがママとパパを「家族」にしてくれた

戦かっているのは赤ちゃんだけではありません。ママとパパも奈乃羽ちゃんのお世話をしながら、不安や恐怖という魔物と戦っていました。
「無事に成長してくれるだろうか」「いつまで一緒に過ごせるだろうか」
そう考え始めると滅入って誰とも話したくなくなり、友人からの電話にも出ないこともありました。気分転換に夫婦で外食に出かけても、精神状態が安定せず、妊娠前のように些細な口喧嘩から激しい口論へと発展してしまうことが少なくありません。

その状況を変えたのは、敏哉さんのある言葉でした。
「奈乃羽が必死に頑張っているときに僕たちがこんなケンカしてたら、奈乃羽に申し訳なくないか……」
この言葉を聞いて佑里子さんの脳裏に浮かんだのは、保育器の中、これから先も生きようとしてわずかしかない体力を振り絞っている奈乃羽ちゃんの姿でした。
奈乃羽を支えられる強い母になる、強い父になる。2人は心に誓いました。

「奈乃羽を授かっていなかったら、私たちは夫婦をやめて、それぞれの道を歩み始めていたかもしれません。奈乃羽が家族をひとつにしてくれたんです」(佑里子さん)

NICUで出会った3組の家族それぞれの「奇跡」と「これから」

『手のひらの赤ちゃん』には、奈乃羽ちゃん以外にもNICUで懸命に生きようと戦う2組の赤ちゃんが登場します。
1組は遥(はる)くんという男の子。2814グラムで生まれたものの、産声をあげず呼吸もしていなかったためNICUへ入り、その後の検査で小脳が通常の3分の1ほどしかないことが判明しました。
もう1組は、双子の果穂ちゃん(女の子)と真一くん(男の子)。妊娠6ヶ月の時に帝王切開で生まれた時、果穂ちゃんは550グラム、真一くんは585グラムの超低出生体重児でした。その後、果穂ちゃんの脳内や肺に出血があると告げられてしまいます。

3組の家族はNICUで出会い、友として支え合いながらそれぞれに懸命に戦います。奈乃羽ちゃん以外の赤ちゃんたちもまた、「奇跡」のような生命力を見せながら、ママ・パパと深く繋がっていきます。
3組の家族がどのように戦い、そして赤ちゃんたちはこれからどうなるのか、ここから先の記録は、ぜひあなた自身で確認してみてください。

本書を執筆した高山トモヒロさんは、芸人として活動するかたわら、執筆した小説が高い評価を得て「書く」仕事も続けています。実は、奈乃羽ちゃんのパパと高山さんは旧知の仲。「奈乃羽の成長記録を高山さんにこそ書いてほしい」と強く依頼され、書く決心をしたと言います。
次回は著者の高山トモヒロさんに、本書の舞台裏とそこで見たもの、この本を通じて伝えたかったことなどについてインタビューします。

※記事の内容は、書籍を再編集したものです。

(文/かきの木のりみ)


手のひらの赤ちゃん - 超低出生体重児・奈乃羽ちゃんのNICU成長記録 - (ヨシモトブックス)

●Profile

高山トモヒロ(ケツカッチン)
1968年7月10日、大阪市生まれ。NSC第7期生。NSCでは故・河本栄得と漫才コンビ「河本・高山」を結成。卒業後に「ベイブ ルース」と改名する。
上方漫才大賞・新人奨励賞をはじめとする賞を総ナメにし、次世代の漫才界を担うコンビともくされていたが、1994年10月、河本栄得永眠にともない活動休止。2001年11月、和泉修と漫才コンビ「ケツカッチン」結成。
2009年、河本栄得の死から15年を経て、初めて綴った小説『ベイブルース 25歳と364日』(ヨシモトブックス、のちに幻冬舎よしもと文庫)が 反響をよび、2011年には舞台化。そして2014年には映画化された。他の著書に、ある日突然家を出た母親との思い出を綴った『通天閣さん 僕とママの、47年』(ヨシモトブックス)がある。

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