「嘘でしょ…?」昨日まで元気だったおなかの子が常位胎盤早期剝離で翌日死産。深い悲しみ、孤立を乗り越え、同じ想いをかかえる人を支える活動へ
昨日まで元気だったかけがえのない存在が、今日突然天国に旅立ったら、あなたはどんな気持ちになるか想像できますか?
流産や死産、誕生死などで赤ちゃんを亡くした方のサポート活動をする『なごみ』代表・村田美沙希さんは、第二子となる長男Tくんを「※常位胎盤早期剝離」により死産した経験を持ちます。
「息子が亡くなる前日、妊娠38週6日の妊婦健診では、母子ともに経過は良好だったんです」と美沙希さんは話します。
突然わが子を亡くした深い悲しみとどのように向き合い、心を回復させていったのでしょうか。Tくんが天国に旅立った経緯も含め、美沙希さんにお聞きしました。
※「常位胎盤早期剝離」とは、おなかの赤ちゃんが産まれるよりも前に、胎盤が子宮壁から剝離してしまうこと。(公益社団法人日本産婦人科医会ホームページを参照しまとめたもの)
特集「たまひよ 家族を考える」では、妊娠・育児をとりまくさまざまな事象を、できるだけわかりやすくお届けし、少しでも子育てしやすい社会になるようなヒントを探したいと考えています。
「陣痛の始まりかな?」と思っていたら、まさか…
「妊娠中は母子ともに何もトラブルがなく、おなかの息子は、むしろ大きいくらいでした」
長男Tくんの妊娠経過をこう話すのは、ママの美沙希さん。状況が一変したのは、妊娠39週0日。想像を絶する事態が起こります。
「妊婦健診を受けた翌日。朝起きてから胎動を感じないな、おなかが痛いなとは思っていました。でも、いつも朝は胎動が少なかったので、とくに気にせず過ごしていたんです。
その後、おなかの痛みは強まってはきても間隔が不規則だったので、“陣痛の始まりかな?”と」
美沙希さんは、病院からの指示どおり、痛みの間隔が一定になるまで様子を見ることにします。一方で、ずっと胎動を感じないことも気になっていました。
「あまりにも胎動を感じなかったので、病院に電話したら、誕生直前の赤ちゃんにはよくあることだから様子を見るようにと」(美沙希さん)
不規則な痛みの間隔もいっこうに変化がなく、美沙希さんは受診します。
「子宮口の開きは2~3cmで、出産まで少し時間がかかりそうな感じでした。ただ、赤ちゃんの心拍は何度測っても見当たらないんです」(美沙希さん)
「赤ちゃんの心臓が動いてない? 嘘ですよね?」
美沙希さんは医師から想定外の診断を受けます。
「“赤ちゃんの心臓が動いてない”と告げられたんです。原因は『常位胎盤早期剥離』の可能性が高く、緊急帝王切開で赤ちゃんを取り出す必要があると。
私は“嘘ですよね? 本当に心臓が止まってるんですか? もう一度だけ見てください”ってお願いするうちに、意識を失いました。後からパパに聞いた話では、母体の命も危ないかもしれないと医師から言われたそうです」(美沙希さん)
亡くなった原因を知りたくて“検索魔”に
美沙希さんの意識が戻ったのは手術から2日目。そのころの心境をこう話します。
「“なんで私はおなかの異変に気付かなかったんだろう” ”診断に見落としがあったんじゃないか”と自分と医療者を責め続けていました。そして、
入院中から、取り憑かれたようにネット検索。“検索魔”ですよ。暇さえあれば、ずっとスマホばっかり見て…」
しかしながら、助産師さんの温かな対応に美沙希さんは心が癒されたとも言います。
「出産後すぐ、まだ私の体温のぬくもりが残る息子を“抱っこしますか?”ってパパに聞いてくれたり、 私には“母乳の時間だけど、どうしますか?”“沐浴やってみますか?”などと、元気な赤ちゃんと同じように声をかけてくれたんです。
今、振り返っても、当時の助産師さんたちの家族に寄り添うような対応は、すごくありがたかったです」(美沙希さん)
Tくんを連れて退院。家族の時間を過ごす
多くの病院では、流産や死産など周産期で亡くなった赤ちゃんは、病院から直接火葬業者が預かるという流れが多いと美沙希さんは言います。
とくに大都市では、火葬業者の予定に合わせて預けるケースも。亡くなった赤ちゃんとかかわることなく、見送る家庭が少なくないそうです。
「パパが病院と交渉し、火葬までの2泊3日という短い期間でしたが、息子と自宅で過ごしました。
長女は当時2歳。息子と一緒にいられたことで、お姉ちゃんになった自覚が持てたと思うし、2歳なりに弟という存在を認識してお別れできたと感じます。
長女は亡くなっている弟に、おもちゃを渡したり、音楽を聞かせたりしていました。そうやって、実際に触れ合う経験をすると、その後のことも説明できるんです。“お別れするとちっちゃくなっちゃうんだよ”って。
たぶん、なにもかかわりがなかったら、“赤ちゃんどこ行っちゃったの?”って思ったんじゃないかなって。私も、息子の死をきちんと説明できなかったし、息子のママであるという自覚も持てなかったと思います。
あのとき、パパの進言がなければ、家に連れて帰るという発想すら浮かびませんでした。葬儀や火葬の前に、“赤ちゃんと一緒にいてもいいですよ”みたいな温かい声かけが、どこの病院でもあったらいいなと感じます。そうすれば、ママやパパたちは、赤ちゃんの死を少しでも受け入れやすくなるんじゃないかなと」(美沙希さん)
一人で思いきり泣ける時間をつくってくれた家族に感謝!
Tくんの火葬を終えると、パパは仕事に復帰。美沙希さんの義実母や実姉は、妊娠中の約束どおり、長女の保育園の送迎や家事などを2週間ほどサポートしてくれたそうです。
「当時の私の体は十分に回復してなかったし、頭の中は息子が亡くなった原因を追求することで埋め尽くされていました。
長女の様子に気を留めることもできない状態だったんです。
家族がサポートしてくれなかったら、長女のお世話さえできてなかったかもしれません」(美沙希さん)
パパは美沙希さんの気持ちに寄り添う声かけはなかったものの、美沙希さんが過ごしやすい環境づくりを陰でサポートしてくれたそうです。
「家に一人でいるほうが、家族に気を遣わずに思う存分泣いたり、息子の遺骨に“つらかったよ”などと話しかけたりできて、気持ち的にはラクだったんです。
私が自由に過ごせる環境をつくってくれたから、今の私があるのかなと思っています」
パパは長女の保育園の手続きや、美沙希さんの活動準備のフォローなどをしてくれたと美沙希さんは言います。
「もし、長女がずっと自宅で過ごしていたら、きっと泣きたい気持ちを堪え続けてイライラしてたと思います。長女につらく当たって、罪悪感に打ちひしがれていたはずです」
パパは、Tくんの思い出をカタチに残したいと願っていた美沙希さんの気持ちを汲み、ある提案をします。
「死産した赤ちゃんの名前は戸籍に残せないので、息子の存在を何かカタチにしたかったんです。それをパパに話したら、息子の出生身長と体重で作ってくれるメモリアルベアを見つけてくれて。パパも悲しいはずなのに、“家族みんなで頑張っていかなきゃ”っていう思いでサポートしてくれていたんだと思います」(美沙希さん)
悲しみは誰にも相談できず、孤立状態に
美沙希さんのご家族は、日常生活や長女のお世話、環境づくりという点では十分にサポートしてくれましたが、美沙希さんの心の支えになることは難しかったようです。
「家族には心配させたくないし、励ましてもらいたいという気持ちにもなれなくて…。だから、家族の前では、泣かなかったし、泣けなかったんです。
でも、自分と同じような経験をした方とは話しがしたい。でも、どこにもいないんです。そうかと言って、困らせたくないという思いから、仲のいいママ友にも相談もできませんでした」
美沙希さんは、第三者に相談しようと思い、自治体の相談サービスに連絡します。
「“大変でしたね…”と真摯に話しを聞いてくれるのですが、具体的な解決策は導いてくれなくて…。モヤモヤした気持ちが残って、孤立が続くんです」(美沙希さん)
美沙希さんのこの経験は、のちに※1ペリネイタル・ロスや※2グリーフケアの活動を始める原動力になったと言います。
「私と同じ想いを抱える方に、経験者の私なら、何か支援できることがあるかもしれないと思ったんです」(美沙希さん)
※1流産、死産、新生児死、人工妊娠中絶など、周産期に赤ちゃんを亡くし、当事者に大きな喪失が起こること。別名「公認されない死」とも呼ばれる。日本ではタブー視される傾向があり、当事者の心と体のダメージを理解してもらいにくい。(日本ペリネイタル・ロス研究会のホームページを参照しまとめたもの)
※2「グリーフ」とは、深い悲しみ、悲嘆、苦悩を示す言葉。自分にとって大切な人などを失うことによって、大きな喪失を体験する。「グリーフケア」とは、グリーフを抱えた人のありのままを受け入れ、寄り添うこと。そして、その人が立ち直り、自立して希望が持てるように支援すること。
(上智大学グリーフケア研究所ホームページを参照しまとめたもの)
読書が心を立て直すカギに。「学ぶことで自分を客観視できるように」
Tくんが死産した原因を追究するうちに、美沙希さんは、周産期にわが子を亡くした家族の体験談が綴られた本に出会います。
「『誕生死(三省堂/流産・死産・新生児死で子をなくした親の会著)』や、『赤ちゃんの死へのまなざし(中央法規出版/竹内正人編者)』には、当事者の体験談が具体的に書かれていました。それを、自分の経験や状況と照らし合わせることで、今後の自分の気持ちや行動に見通しが立った感じがしたんです。そして、そのご家族がどうやって前を向いて行ったのかということも参考になりました」
読書を通じて、美沙希さんは「グリーフケア」を知り、学びを深めていきます。
「パパの勧めもあって、『グリーフ専門士』という講座を受講しました。
グリーフケアを学ぶと、自分は深い悲しみの中にいることを認め、自身を客観視できるようになりました。心の奥底にあるモヤモヤしたものがスッキリしたんです。
それまでの私は、悲しみに振り回されて困惑していました。自分を責めて、息子の遺骨や写真を持って裸足のまま家を飛び出したり、パパに八つ当たりしたり…。大切な結婚指輪を投げつけて、無くしたこともありました。
今思えば、知識不足で悲しみとうまく向き合えず、自分を見失ってたんだと思います」
美沙希さんはその経験から、妊娠中の学びの大切さに気付きます。
「出産前から死産などの知識を少しでも持っていたら、もっと自分を客観視できてたかもしれません。命にはさまざまなカタチがあり、その中には赤ちゃんの死も含まれているんだということを、妊娠・出産の知識の一つとして、もっと知ってもらいたいなと思います」(美沙希さん)
死産から約半年。「元気なママだとうれしい」と長女に言ってもらえるように
Tくんの死産から約半年が経ったころ、美沙希さんは訪問看護師の仕事を始めます。訪問先のご高齢の方々とのかかわりが心を癒やしたと言います。
「家族は、仕事をしている私の方がイキイキして見えるみたいで、長女もパパも喜んでくれました。長女は“元気なママだとうれしい”って言ってくれて。仕事を再開したことでさらに前を向けるようになって、第三子も授かることができたんです」
死産などで大切な人を亡くすと、日本人は気持ちを立て直すのに4~5年かかると言われています。それに対し、美沙希さんは早い時期に心が回復したように思えます。これはどうしてなのでしょう?
「たぶん、死後まもなくのころ、一人になって思いきり泣けたことが大きいのかなと思います。そして、ちょっと勇気を出して一歩踏み出して復職したことが、プラスの方向に動いたのかもしれません。
さまざまな本に触れたり、訪問先のご高齢者からたくさんの教えを聞いたことなどが、心の立て直しにつながったように思います」
死産から約半年で次の子どもを授かりたいと思うことは、あまりいいことではないと考えていた美沙希さん。第三子の妊娠に踏み切れた理由を尋ねると、
「死産を経験された方の6割近くが次のお子さんを望んでいることを知り、望んでもいいんだなって思えたんです」(美沙希さん)
この後、美沙希さんは訪問看護師の仕事を辞め、第三子を出産。本格的にペリネイタル・ロスの啓発活動にまい進していきます。
後編は、Tくんが亡くなったあとのご家族の様子や、美沙希さんの活動などを詳しくお届けします。
取材・文/茶畑美治子
取材協力・写真提供/なごみ
■村田美沙希さん
看護師、保健師。
日本グリーフ専門士協会advance取得、中医学ヨガ「産前・産後・更年期」インストラクター取得
1990年生まれ。静岡県出身。2013年順天堂大学医療看護学部卒業後、順天堂大学医学部附属静岡病院救命救急センター勤務。2016年結婚。2017年第一子(長女)出産後、夫の転勤に伴い退職、札幌へ移住。2018年第二子妊娠後、2019年4月常位胎盤早期剥離により39週0日で死産。同年8月訪問看護師として復職。その後、第三子妊娠を機に退職。2020年4月なごみ設立。2020年6月第三子(次女)出産。現在に至る。