妊娠8ヶ月で13トリソミーが確定し生後10日で天国に旅立ったわが子。長く生きられない命なら、おなかにいるときから全愛情を注ごうと決意
13トリソミー症候群(※1)という染色体異常症をご存知でしょうか? 5000~1万2000人の出生児に1人と言われている疾病で、ママのおなかの中にいる間や分娩途中で亡くなってしまうことも多いと言われています。
「長く生きられない命なら、なおさら、おなかの中で生きてくれている間にすべての愛情を注ごうと決めました。つらくて涙もたくさん流したけど、その覚悟が決まってからの私はすごく強かったんです」
そう話すのは、妊娠28週4日のとき13トリソミーの診断を受け、2014年12月26日、生後10日で天国へと旅立った水沢結衣ちゃんの母親・文美さん(現在46歳)。
結衣ちゃんとの出会いは、自身の人生を大きく変えたと話す文美さんに、妊娠発覚から出産までの経緯や気持ちの変化などについてお聞きしました。
特集「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
体が小さめでも“きっと大丈夫”と思っていた
2014年5月末、37歳で自然妊娠した文美さん。
「妊娠判明後、年齢のこともあり出生前診断を受けるかどうかは夫婦で真剣な話し合いをしました。
夫は検査は受けたほうがいいという意見で、陽性なら堕胎もしかたないと考えていました。
私の方は、おなかがふくらみ始めたり、妊婦健診でおなかの赤ちゃんの心臓の動きを見て、おなかに宿った命の重さを実感していて…。検査は受けたくないと考えていました。堕胎するって命を奪うことであって、こちらの都合で堕胎を選ぶのは違うと思っていたんです。“意味のない命など一つもない”って。
13トリソミー、18トリソミー、21トリソミー以外にも病気や障がいはあるのに、検査で陽性だとわかったら堕胎するという考えには至らず…。
私は夫にその想いを真剣に伝え、“私たちの子に限って稀な病気があるはずないよ。きっと大丈夫”と説得しました。夫は私の強い意志に押されるように納得した形でした」(文美さん)
妊娠経過は順調で、赤ちゃんの誕生を心待ちにする幸せな妊娠生活を送っていた文美さん。赤ちゃんの名前も考えたと言います。
「妊娠初期から、なんとなく女の子の気がして、“結衣”と考えていました。その後の妊婦健診で性別がわかったときは、思った通りでうれしかったですね」(文美さん)
2014年9月。おなかにいる結衣ちゃんに気がかりなことが起こります。
「妊娠21週3日の妊婦健診で、“赤ちゃんが小さい”と指摘されて…。体重は319g、胎児発育曲線の下限ギリギリでした。それ以外はとくに問題なかったんですが、不安になって“21週3日”“赤ちゃん小さい”“319g”などとキーワードを入れて検索したんです。
そうしたら、ダウン症や染色体異常などと出てきて…。その検索結果に一瞬ヒヤっとしました。でも、夫婦ともに小柄な体形だし、“小さく産んで大きく育てればいいよね”なんて夫と話したりして。
このときは、“大丈夫でしょ”という気持ちのほうが大きかったですね」(文美さん)
その約1ヶ月後、2014年10月6日。文美さんは妊婦健診に行き、医師からまさかの指摘を受けることになります。
「妊娠25週3日でした。おなかの子が女の子とわかってうれしく思っていたら、医師が真剣な顔つきでモニターに見入ってしまって…。“赤ちゃん、大きくなってますね”って言われるとばかり思っていたら、“やはり赤ちゃんが小さいですね”って」(文美さん)
結衣ちゃんの体重は、胎児発育曲線の下限を下回る527g。医師から3日後に再受診するようにと言われ、管理入院を勧められます。
「動揺しましたが、このときもほかに指摘はなく、“入院すれば大丈夫だろう”と思っていました」(文美さん)
文美さんは、管理入院することを前提に上司に状況を伝え、仕事を休んで診察を進めていきます。
運命の宣告。重度の心疾患と染色体異常の可能性も
2014年10月9日。文美さんは医師2名による詳しい診察と検査を受けます。
「“やはり赤ちゃんは小さい”と言われました。さらに、心臓の動きがときどき弱まるので、これを繰り返すと心停止もあり得る”と。素人の私が見ても、心臓の動きが弱くなる様子が何度かわかり、とても不安になりました」
その日の夜遅く、医師から運命の宣告を受けることになります。
「重度の心疾患と染色体異常の可能性があると言われました。
さらに、“羊水検査を受けるか受けないかはご家族の考え次第ですが、どうしますか?”と。私と夫は、羊水検査をしたほうが心の整理がつくと考え、受けると即答しました。でも、それ以外のことは気が動転して判断がつかなくて…。私はまともに会話ができない状態になりました」
5日後の10月14日。羊水検査を受けることが決まった文美さん。検査結果を聞いたあとに一人で入院するのはつらいだろうからと、管理入院は取りやめて帰宅します。でも、自宅では一睡もできなかったそうです。
「堕胎は妊娠22週未満までと言われ、出産するしかない状況でした。
妊娠初期のころから、夫は出生前診断を受けて陽性なら堕胎もやむを得ずという考え。私の方は、“意味のない命など一つもない”と信じて、出生前診断は受けない考えで、夫を説得して検査を受けなかったんです。
それなのに、“障がいがあるかもしれない”と聞いた途端、うろたえて“この妊娠はなかったことにできたら…”と思ってしまって。そんな自分がすごく嫌で、自分を責め続けました」(文美さん)
羊水検査までの4日間は、障がいのある子を産み育てることへの恐怖感や、どんな子でも産み育てると決めたのに、堕ろせるのなら堕ろしてしまいたいという気持ちが湧き上がったことへの自己嫌悪で泣き続けたという文美さん。
でも、現実を受け止めようと再びネット検索をします。
「私も夫も“染色体異常=ダウン症”というイメージを持っていて。医師の話を聞いたときから結衣はダウン症だと勝手に決めつけて、検索していたんです。
ダウン症のお子さんを持つ親御さんのブログを見て、前向きに子育てしていることを知って。その様子に勇気づけられ、“障がいがあっても育てていこう”という気持ちになりました。
でも、否定的な気持ちにすぐに変わったり…。とても不安定でした」(文美さん)
「この子、生きられるの?」検査結果に滝のように涙が
2014年10月14日。1泊2日の羊水検査のため、文美さんは夫婦で病院に向かいます。
「夫は6歳下で少し頼りないところもあるんですが、これまで私の考えを尊重してくれていたんです。でも、運命の宣告を受けたことで、心の奥底にあった想いが溢れ出て、気持ちが不安定になって…。後になって、謝りの連絡は来たんですが、入院手続き後にすぐ帰ってしまったんです」(文美さん)
羊水検査の前にスクリーニング検査を受けると、その結果に言葉を失ったと文美さんは話します。
「心臓に複数の穴があって、肺静脈が異様に細いと。さらには小脳が小さく、口唇口蓋裂もあると医師に言われて…。
“この子、生きられるの?”って思いました。頭の整理がつかないまま、羊水検査も受け、病室に戻って滝のように涙を流しました」
その夜、まったく眠れなかった文美さんは病室でネット検索します。
「13トリソミーか18トリソミーの可能性が高いと感じました。夫の不安定な様子を見て、“自分で心の整理をするしかない”“私がしっかりしないと!”って思いました。
このころから、母親としての覚悟ができてきた気がします」
羊水検査の結果、13トリソミー確定
2014年10月28日。文美さんは夫婦で羊水検査の結果を聞きに行きます。
「13トリソミー症候群と診断されました。医師は、“この病気をもつ赤ちゃんのうちの2分の1の子はおなかの中で心臓が止まって亡くなる。4分の1の子は分娩のとき陣痛に耐えられず亡くなる。残り4分の1の子は誕生当日に亡くなるかもしれない”と。
延命措置をするかどうかと尋ねられると夫は、“どのみち亡くなるなら延命措置はいらない”と、まだ父親になりきれていない状態でした」
たった3~4週間で状況が大きく変化した文美さん。当時の心境をこう話します。
「結衣はダウン症かも…と推測して“どんな子でも育てて行こう”と思ったり、13トリソミーか18トリソミーかも、生きられないかも…と思って滝のように涙したり。短い期間で自分の気持ちが大きく揺らぎました。
そのたびに自分の気持ちと向き合って自問自答して…。
妊娠初期のころ、“出生前診断は受けない“意味のない命はない”って言い切った自分に責任を感じて、“ダメだ。そんなんじゃ”って、つらいながらも自分で自分の尻をたたきました。“自分で決めたことじゃん”って。
そうするうちに、“結衣は何か意味があって私のおなかに宿ったんだろう”と、考えられるようになって。結衣が伝えに来たことは、ちゃんと受け止めようと思うようになりました」(文美さん)
全愛情をおなかの子に注ごうと決意
家族や病院スタッフのサポートも背中を押し、文美さんは覚悟を決めます。
「13トリソミーという長く生きられない命なら、なおさら、私のおなかの中で生きてくれている間に全愛情を注ごうと決意したんです。
その決意が固まってからの私はすごく強かった。母の覚悟ができたと自分でも感じました」
おなかにいる結衣ちゃんに病気があることをみんなに伝えようとも思ったそうです。
「私の妊娠を知っている友人などにも、13トリソミーという病名も含めて話そうと思いました。
結衣が病気だからと言って恥ずかしいことじゃない。何か意味があっておなかに宿ってくれたと思ったので、結衣を誇りに思いたいと。だからこそ、みんなに話したいと思いました」(文美さん)
2014年11月25日から産休に入った文美さん。2015年1月16日の出産予定日に向け、夫婦でゆったり過ごしていきます。
「生きて産まれてきた感動は今も忘れない」
2014年12月14日の早朝。妊娠35週2日のとき、自宅で突然破水して緊急入院した文美さん。入院後、陣痛が来ずに翌15日から陣痛促進剤が投与されます。
「促進剤を使っても、丸1日それほど痛みはなかったので、就寝前にバルーンを入れ、翌日16日の朝からまた促進剤を使いました。この日は朝から実母も来てくれて。
すると、あっという間に陣痛がきて。その約2時間後の11時3分、結衣は誕生しました」(文美さん)
陣痛の痛みと戦いながら、文美さんは何を思っていたのでしょう?
「“どうか生きて産まれてきて!”ってそれだけを祈っていました。ずっと頑張って、もう必死でした。
声がすごく小さくて産声は聞こえなかったけど、生きて産まれてきたことがわかったときの感動は今でも忘れません」(文美さん)
結衣ちゃんはすぐにNICUへ移りますが、文美さんの夫はわが子と初対面して、大きな変化があったそうです。
「妊娠中は“延命措置はしなくていい”と冷たいことを言ってたんですが、結衣の顔を見て“かわいい”って。やっとパパになってくれました。
誕生後すぐに輸血が必要だと言われると、迷わず“お願いします”って。その様子を見て、ようやく夫も私と同じ場所に立ってくれたなと思いました」(文美さん)
詳しい病状を告げられ「つらい…」
文美さん家族は、医師から結衣ちゃんの詳しい病状を伝えられます。
「結衣にはさまざまな疾患がありましたが、とくに“ファロー四徴症(しちょうしょう)(※2)”という心臓疾患は重い症状でした。“今すぐ危険な状態になる可能性は低いと思うけど、健康に生まれてきてはいないので…”と。出産直後に聞くにはつらい話でした」
次回は、結衣ちゃんが天国に旅立つまでのことや、結衣ちゃん亡きあと、文美さんはどのように過ごし、自分の人生を立て直していったのかなどについてお届けします。
取材協力・写真提供/水沢文美さん 取材・文/茶畑美治子
※1 13トリソミー症候群
13番染色体の全長あるいは一部重複がもととなった染色体異常症。小頭症、小眼球症、口唇口蓋裂などの症状や、重度の発達遅延やけいれん、心疾患、呼吸器疾患といったさまざまな合併症を伴う。(小児慢性特定疾病情報センターのHPを参照してまとめたもの)
※2 ファロー四徴症(しちょうしょう)
胎児のときに心臓が発生する段階で、2つの大きな血管(肺動脈・大動脈)を仕分ける壁が胎児の体の前方向にずれることで起こる疾患。左心室・右心室を分ける壁に大きな穴がある。大動脈が左心室・右心室にまたがっている。肺動脈の右心室の出口弁と一緒に狭くなる。右心室が肥大するという4つの特徴を持つ。(難病情報センターのHPを参照してまとめたもの)
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年9月の情報で、現在と異なる場合があります。
水沢文美さん
1977年4月生まれ。神奈川県出身。早稲田大学商学部卒業後、2001年、万有製薬株式会社(現MSD株式会社)入社。2011年、結婚。2022年12月、MSD株式会社退社後、フリーランス。2022年和漢薬膳食医学会「和漢薬膳師」資格取得。2023年5月「いつかあなたに誇れるように ~天国の娘に誓う~(文芸社)」を出版。