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妊娠26週・体重1020gで生まれた二男。「この子は歩けるようになるのだろうか?」成長の不安が続く【体験談・医師監修】

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奏空くんがNICUに入院中、パパが初めての抱っこをしたときの写真。

長崎県の杉村優子さん(39歳・助産師)、夫の直哉さん(38歳・言語聴覚士)は、長男の龍空(りく)くん(6歳)、二男の奏空(そら)くん(4歳)と、直哉さんの両親と暮らす6人家族です。二男の奏空くんは、妊娠26週のときに体重1020gで生まれ、3カ月間、長崎医療センターのNICUに入院していました。奏空くんの退院後の成長と、優子さんが設立したリトルベビーサークルの活動について話を聞きました。全2回のインタビューの2回目です。

自分が寝ている間に何かあったら・・・と心配で眠れない日々

奏空くんがNICUを退院した直後。お兄ちゃんからの愛が止まりませんでした。

妊娠26週のときに突然の出産となり、体重1020gの小ささで生まれた奏空くん。NICUに入院中、感染症にかかったり、眼底出血してしまったり、と心配なことが重なりましたが、頑張って持ち直し、生後3カ月には2612gまでに成長。2020年1月に無事退院することができました。
ただ、退院してしばらくは、優子さんは「奏空の体調が心配で夜も眠れなかった」と話します。

「体もまだまだ小さかったので夜間に何かあったら・・・と、とてもこわかったです。病院では常にモニタリングをしていて、何かあったらアラームが教えてくれるけど、自宅にはそういった医療機器はありません。夜電気を消して寝て、自分が寝てしまっている間に何かあったらどうしよう、と心配で気が休まりませんでした。

それでも、やっと奏空とずーっと一緒に過ごせることは本当に幸せでした。かわいくて片時も離れたくなくて、それまでの時間を取り戻すかのように、四六時中ずっと抱っこして過ごしていました。2歳年上のお兄ちゃんも、保育園から帰宅すると『かわいい~』と弟をとてもかわいがってくれていました」(優子さん)

発達の不安がいつも頭から離れなかった

1歳のお祝い。九州地方ではわらじを履かせて1升餅に立たせる、餅踏をします。洋服はまだ60cmサイズでしたが、大きくなったとみんな大喜びでした。

奏空くんと毎日一緒に過ごせる幸せを感じながらも、優子さんは奏空くんの健康面や発達についての不安がいつも頭から離れませんでした。

「助産師として大学病院のNICUに勤務していたとき、小さく生まれた赤ちゃんたちの退院後の成長についてママたちから話を聞くことはありました。だけど実際に自分で育ててみると、想像以上に心配なことが多すぎるものだと改めて感じました。
発達はゆっくりだとわかってはいましたが、この子は歩けるようになるのだろうか、正常発達に追いつくようになるのだろうか、とその成長には不安ばかりでした。

入院中には理学療法士さんなどが奏空の体をサポートしておすわりの姿勢をさせたり、筋肉にアプローチをするようなポジショニングをする、といったリハビリをしてくれていました。ところが、退院時には『順調なのでリハビリは必要ない』との説明でした。安心する気持ちの一方で、このまま自宅でリハビリのようなケアをしないでいたら、奏空の発達が遅れてしまうのではないか、それに自分が気づけなかったら後悔が残ってしまうのではないか、とモヤモヤした思いを抱えていました」(優子さん)

優子さんは、自分が学んでいた「ベビーウェアリング」(赤ちゃんと密着して安定した抱っこやおんぶをすること)を生活に取り入れて、奏空くんの体がそり返らないような姿勢にすることや、筋肉がつっぱらないようにする、といったことや、ベビーマッサージなどのケアなどで、発達をサポートしたのだそうです。

4歳の今は、発達についての不安はほとんどなくなるまでに成長

奏空くん1歳5カ月。初めて1人で2歩歩いた日。

予定日より4カ月早く生まれた奏空くん。標準と比べればゆっくりのペースですが、修正月齢(出産予定日を基準にした月齢)相当で順調に育っていきました。

「修正月齢7カ月(生後11カ月)にはいはいをし始め、つかまり立ちもそのころにし始めました。でも、足腰の筋肉の発達のためには、はいはいをたくさんしてほしかったので、できるだけつかまり立ちをしないように、つかまれそうな家具などからは遠ざけるようにしていました。

その後、伝い歩きをし始めたのが修正月齢10カ月(生後1歳2カ月)のころ、外で1人歩きをしたのは、修正月齢1歳1カ月(生後1歳5カ月)のころです。奏空の成長に伴って、だんだん発達についての心配はなくなってきました。4歳になった今、けんけんもできるし、階段から数段飛び降りることもできるし、はさみも使えるようになって、母子健康手帳の質問項目を見る限りはとくに問題がありません。ただ、4歳児健診で『しゃべり言葉に不明瞭さがあるので、そこだけ少し練習をしてください』と指摘されました」(優子さん)

パパの直哉さんは言語聴覚士です。奏空くんの口の状態を日常生活の中でも見てくれるので安心なのだとか。

「夫は奏空と一緒に遊びながら、言葉を話させることを意識してやってくれているみたいです。あとは、舌の動きがよくなるような食材のアドバイスをくれることもあります。きゅうりをサイコロ状に切って食べさせると、舌をよく使って食べるので、舌が鍛えられて発音が上手になるらしいです」(優子さん)

同じ境遇のママとの会話で心が癒やされ、リトルベビーサークルを設立することに

4歳になった奏空くん。最近はなんでも「自分でやりたい!」と言うのだとか。

助産師として働いていた福岡県では、小さく生まれた赤ちゃんのママたちが集まるリトルベビーサークルがあることを知っていた優子さん。奏空くんの退院後、新生児訪問に来てくれた保健師さんに、「地域に低出生体重児のママとつながる場所はありますか?」と聞いたところ「長崎市にはまだない」との返事でした。

「奏空が1歳を過ぎたころになると、SNSを通じて全国のリトルベビーママと交流をするようになりました。そして、長崎に住んでいる、同じような境遇のママ同士で情報交換できる場所が欲しいと考えて始めました。でも、初めはSNSで自分から『つながりましょう!』と発信する勇気がなかったんです。そこで、助産師仲間に聞いてみたところ、たまたま同じ地域の低出生体重児のママとつながることができました。

初めて会ったとき、初対面だったのに気づいたら4時間もしゃべりっぱなしでした。お互いにこれまで心に積もってだれにも言えなかった思いを全部吐き出しあい、涙しながら話していたら心が癒された気がしました。絶対に自分たちと同じように孤独に悩んでいる人がいるに違いないと考え、長崎で初めてのリトルベビーサークルを立ち上げる決意をしました」(優子さん)

2021年2月に「長崎リトルベビーの会Lino」を立ち上げた優子さん。コロナ禍でもあったため、初めはSNSで少しずつの発信からサークルの活動を始めたところ、参加したい、と連絡をくれる人が次々に集まりました。お話会や情報交換をしながら、優子さんは同時に長崎県のリトルベビーハンドブックを作りたいという思いを強くします。

「長男が10カ月のころに、福岡県の『ふくおか小さなあかちゃん親子手帳』のことを知りました。『長崎にもこんな手帳が欲しいな』とSNSに意見を投稿したところ、それを見た知人が、同じような意見を持つ県の議員さんを紹介してくれたんです。そこから、県に提出する要望書の作成などの行動を始めました。SNSで交流していた全国のリトルベビーサークルのみなさんが、リトルベビーハンドブックを作成する活動を発信しているのも目にして、自分も声をあげればできるんじゃないか、と勇気をもらいました」(優子さん)

優子さんたちは2021年の8月に長崎県に要望書を提出します。

「提出後、2022年の2月の議会でリトルベビーハンドブックの作成が決まったんです。すぐに運営委員会が作られて作成に向けて動きだしました。そして、2023年の3月に長崎県のリトルベビーハンドブックが完成しました。赤ちゃんを小さく産んだママたちは『早く産んでごめんね・・・』と自分を責めてしまう人が多いです。だからこそ、責任感を強く感じたり、『自分がしっかりしなきゃ』と抱え込んでしまうことがあると思います。私も人を頼ることが苦手で、1人で抱え込んでいました。でも、あとになって気づいたのは『もっと人を頼っていい』ということです。できないことはできないと言っていいし、しんどい時は思いっきり休みたい、と勇気を持って言って大丈夫なんです」(優子さん)

長崎県のリトルべビーハンドブックは、出生体重が1500g未満、もしくは33週未満で生まれた赤ちゃんとその家族を対象に、県内のNICUのある医療機関や、各市町村の母子保健相談窓口で配布されています。

【青木幹弘先生より】同じ立場の家族同士のつながりによっていやせる心の傷がある

全国のNICUにおいて、家族ができるだけ赤ちゃんのそばにいられて、お世話にもかかわる「ファミリーセンタードケア」を通して、入院している赤ちゃんだけでなく、家族をサポートする取り組みに力を入れています。それでもご家族が負った心の傷は、最終的には同じ立場のご家族同士のつながりしかお癒やせない部分があるのかもしれません。そういった意味で、奏空くんのお母さんが立ち上げてくださったリトルベビーサークルの活動は大切だと感じます。

お話・写真提供/杉村優子さん 監修/青木幹弘先生(長崎医療センター) 協力/板東あけみ先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

現在はベビーマッサージスクールを運営し、ママと赤ちゃんをサポートしている杉村さん。「今後、低出生体重児のママたちが赤ちゃんが入院中にママ1人でも産後ケアが受けられるように支援したい」とも話してくれました。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

長崎リトルベビーの会【Lino】

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年11月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

青木幹弘先生(あおきみきひろ)

PROFILE
1987年長崎大学卒業。独立行政法人長崎医療センター新生児科部長。
日本小児科学会医認定小児科専門医。日本周産期・新生児医学会認定暫定指導医。日本周産期・新生児医学会評議員。日本新生児成育学会代議員。新生児医療連絡会長崎県代表。日本周産期・新生児医学会認定新生児蘇生法「専門」コースインストラクター。

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