二女七男の9人の子どもを育てる大家族。赤ちゃんが回転しながらうまれてくる瞬間に立ち会い、きょうだいたちからは「かわいい~!」の歓声が
福井県に住む山本彩子さん(39歳・パート勤務)は、夫の達也さん(40歳・児童養護施設職員)とともに、2歳から18歳まで二女七男を育てるママです。子ども9人を育てる生活の様子をインスタグラムで定期的に発信しています。彩子さんに、9人全員助産院で出産したことや、これまでの家族の歩みについて話を聞きました。全2回シリーズ1回目です。
学生時代から「お母さん」に憧れていた
――夫さんとの結婚までのことを教えてください。
彩子さん(以下敬称略) 夫とは専門学校時代の先輩と後輩で、共通の友人を介して仲よくなり、つき合い始めました。在学中に長女を授かり、夫が21歳、私が20歳のときに結婚しました。
――結婚当初、子どもは何人くらいほしいと話していたのでしょうか?
彩子 私は5人きょうだいで育ち、きょうだいの仲もとてもよかったので、5人はほしいと思っていました。夫は11人きょうだいの9番目で育ったんですが、とくに子どもの人数の希望はなかったようです。2人くらいがいいかなあ、と思っていたらしいです。
でもまさかここまでの大家族になるとは想像していませんでした(笑)。私は高校の卒業文集に将来の夢はお嫁さんと書いたぐらいだから、「お母さん」という存在に憧れはあったと思います。
2学年ずつ離れた、9人の子どもたち!
――9人の子どもたちの生まれ年と性別、現在の年齢をそれぞれ教えてください。
彩子 2005年に長女(18歳/高校3年生)、2007年に二女(16歳/高校1年生)、2009年に長男(14歳/中学2年生)、2011年に二男(12歳/小学6年生)、2013年に三男(10歳/小学4年生)、2015年に四男(8歳/ 小学2年生)、2017年に五男(6歳/年長)、2019年に六男(4歳/年少)、2021年に七男(2歳)が生まれました。
今は結果的に子どもは9人になりましたが、計画的に妊娠・出産をしたというよりは、全員自然にこの年齢差・タイミングで妊娠したんです。ただ、どの子も1歳になったら断乳をして産後の体をリセットし妊娠できるように準備はしていました。年齢的には年子になる子もいるんですが、生まれた月が学年をはさむのでちょうど2学年ずつ離れています。今は高校生の長女と二女は県外の高校で寮生活をしているので、長期休み以外は、家には男の子7人がいます。
――彩子さんはお仕事もしているそうですが、産休・育休などはどうしていましたか?
彩子 6人目までは在宅の仕事をしていました。7人目を出産したあとから、外でパート勤務をするようになりました。パートの仕事は続けたかったので妊娠・出産の合間に1年は働いて、産休・育休をもらってまた復帰して、という感じで続けています。
助産院での出産には、毎回家族が立ち会い
――新たに家族が増えるとき、子育ての協力はだれにどんなふうに頼んでいましたか?
彩子 私の実家は遠方なので、1人目のときは産前産後2カ月は義実家へ里帰りしてお世話になりました。2人目以降の出産は義実家への里帰り期間も徐々に短くなり、5人目以降は里帰りもなく産後の入院中は家のことや子どものことは、夫がすべて1人でなんとかやってくれました。
7人目の妊娠中に、義実家の近くに引っ越しました。なので、義実家の近所に住んでいる夫のきょうだいたちの家族も、うちの家庭や子どもたちのことを心にかけて家に寄ってくれたりしました。
今、小学生の3人は柔道を習っているんですが、義兄が柔道の指導者なので道場への送迎を一緒にしてくれています。
――彩子さんは助産院で出産されてきたそうですが、9人とも同じ助産院で出産を?
彩子 そうです。初めて妊娠した20歳のころはスマホもない時代だったので、ネットで検索をしたり情報を集めたりするということもなく、出産のことも、病院と助産院の違いも詳しくは知りませんでした。産前産後に義実家でお世話になることになり、義母に相談をしたら、義母が夫たちのきょうだい11人を出産した助産院をすすめてくれたんです。とても安心できる雰囲気だったので、私もその助産院で出産することに決めました。
助産院では毎回家族の立ち会いができるので、夫や上の子たちだけでなく、義姉やめいっ子も応援しに来てくれます。家族が増えるたびに立ち会う人数も増えて・・・助産院の10畳くらいの部屋に、毎回10人以上の家族がぎゅっと入って見守ってくれる中で出産してきました。
自然に赤ちゃんが生まれる瞬間を見てきた子どもたち
――お産に立ち会った長女や二女は、お産を手伝ったりしたこともありましたか?
彩子 長女は、9人目のときは寮生活だったので残念ながらお産に立ち会えなかったんです。でもそれ以外は、きょうだいのお産にすべて立ち会っています。長女が小学生のときにお産に立ち会った際、助産師さんが「手伝ってみる?」と聞いてくれて、赤ちゃんの頭が出てきたときに助産師さんと一緒に手を添えて介助をしてくれたこともありました。
5人目のときなんですけど、家族が助産院に到着したときには赤ちゃんの頭が産道から見えている状態でした。赤ちゃんは産道を回旋しながら生まれてくるんですが、上の子たちが、赤ちゃんがクルーッと回りながら出てくる瞬間を見ながら、「かわいい〜!!」って声をあげていたんです。赤ちゃんが生まれてくる瞬間を、上の子どもたちが「かわいい!」と感動しながら見守ることができるって、本当にすばらしい経験だと思いました。
――助産院での出産では、会陰裂傷やトラブルなどもなかったですか?
彩子 これまでの私の助産院での出産は毎回安産だったこともあって、医療器具も使わないし、会陰切開も裂傷もありませんでした。陣痛のときから助産師さんがずっとつき添ってくれて、呼吸のしかたをサポートしてくれたり、リラックスできるように落ち着かせてくれたから、私もなんの不安もなく身を委ねることができたのがよかったのかもしれません。
だから、毎回本当に自然に赤ちゃんが生まれる瞬間を子どもたちに見てもらうことができました。子どもたちも、こわさより命の誕生の尊さを感じてくれていると思います。私の出産に何回か立ち会ってくれためいっ子は、今助産師をめざして勉強しています。
自分とまわりの人を大切にできる人になってほしい
――日本は少子化が加速していますが、彩子さんはどんなふうに感じていますか?
彩子 私たちの住む地域は地方なので比較的のびのびと子育てしていますが、それでも子どもたちは学校でも、地域でも、常にいい子でいないといけない気がします。子どもたちが近所で友だちと遊んでいるとき、近所のアパートのフェンスに登ったり、汚い用水路で遊んだりしていると、私自身もそうやって育ったのに、周囲の人の目が気になって注意してしまいます。とにかく公園内にいてくれと思ってしまいますね(笑)。子どもらしいのびのびした遊びがなかなかできない時代ではあるのかな、と感じます。
――子どもたち9人には、これからどんなふうに育っていってほしいですか?
彩子 家族のつながりを大事にできる子に育ってほしいと思います。もちろん自分の人生は大切にしてほしいけれど、だからといって好き勝手にするのではなく、たくさんの親せきやいとこのみんながいて、自分の人生があるということを忘れないでほしいと思うんです。周囲の人を大切にできる大人になれば、いずれともに生きるパートナーやその家族も、きっと大切にできるはず。そうやって周囲の人たちと幸せに生きてほしいなと思います。
お話・写真提供/山本彩子さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
取材をした日は、なんと家族内でインフルエンザが流行している真っ最中。同居する子ども7人のうち4人が発熱したあとで、自宅待機期間でした。症状は4人ともひどくならならずに済んだそうですが、今回は彩子さん自身も発熱してしまったそうで「ちょっと大変でした」と話してくれました。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年11月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。