SHOP

内祝い

  1. トップ
  2. 妊娠・出産
  3. 44歳で第一子を出産した、フリーアナウンサーの宮崎宣子さん。不妊治療は夫が背中を押してくれたのがきっかけ。治療中は終わりの見えないマラソンのようだった

44歳で第一子を出産した、フリーアナウンサーの宮崎宣子さん。不妊治療は夫が背中を押してくれたのがきっかけ。治療中は終わりの見えないマラソンのようだった

更新

宮崎宣子さんご夫婦

昨年の10月に第一子となる男の子を出産した、フリーアナウンサーの宮崎宣子さん。数年にわたる不妊治療を経て、44歳での妊娠・出産は、ご本人の想像以上に大変な日々だったようです。今回はご夫婦で臨まれた不妊治療について、また帝王切開での出産の様子を聞きました。

産声を聞いた時は、感動以上に全うしたという安堵感

宮崎さんと、新生児期の息子さん。
宮崎さんと、新生児期の息子さん。

――第一子を出産されて、今のお気持ちを教えてください。また、現在はどんな毎日を送っていますか。

宮崎さん(以下敬称略):今3カ月になるのですが、体重がかなり増えてきて抱っこも大変になってきました。ひどい腱鞘炎と膝の痛み肩こりがあって、湿布やサポーターをしながら育児をしています。さらに、3〜5時間おきのミルクもまだ続いているので、ずっと寝不足な感じで。息子が思っていた以上に寝ないし、むしろ夜の方が元気になっちゃうんです(笑)。

今はまだ、母親になった実感があまりないのが正直なところです。おむつを変えて抱っこをして、泣いたらまた抱っこをしてベッドに置いたらまた泣くから抱っこをして…。そんな感じの繰り返しで、とにかく目の前のことに必死になっている毎日ですね。

日に日に息子の表情が出てきたり、目で追ってくれるようになってきてかわいらしい存在がすぐ隣にいる幸せを実感しています。

――出産当日について教えてください。

宮崎:最初は無痛分娩が希望だったのですが、逆子が最後まで直りませんでした。また息子の頭が少し大きめだったこと、さらに私が高齢ということもあり帝王切開ということになりました。帝王切開になったことで事前に計画を立てることができ、夫にもしっかり立ち会ってもらうこともできました。

手術当日は、手術室に運ばれて麻酔をしているあたりから恥ずかしながらずっと大泣きでした。手術室の独特の雰囲気が、とにかく怖くて怖くて。私が出産した病院は分娩室は日が当たって外の景色も見えるなど明るい雰囲気なのですが、手術室は地下にあって手術台だけにパーンと光が当たるというまさにテレビドラマで見るような手術室そのものでした。

しかも、手術室に入ると錚々たるお医者さんたちがいらっしゃいました。院長に副院長を含めて執刀医が3人、麻酔科医、助産師さん、さらに小児科医まで10名くらいの方々がいて次から次へと挨拶に来られたんですが、それどころじゃない私は「怖いです〜、もうやめます〜!」と(笑)。

手術がはじまったら数分で産まれるよと先生から聞いていたのですが、本当にあっという間でしたね。泣き声が聞こえた時は感動というよりも、ホッとした感じ。無事に生まれてきてくれてよかったというか、全うしたなという感覚でした。

――出産直後はどうでしたか?

宮崎:帝王切開の後は痛みが長く続いて、それがすごく大変でした。二日間は点滴につながれたまま、ほぼ寝たきり状態。二日目から少し歩いてくださいと言われても、全く歩けるような状態ではなかったです。前屈みでイテテテと、点滴の棒にしがみつきながら歩いていました。

最初に傷の痛みがあって、私の場合は4日目から胸が張って痛くなりました。痛みに我慢できず、夜中にナースコールして助産師さんに母乳マッサージをしてもらったら、これがまた悶絶。傷の痛みより痛いんじゃないかと思うくらい激痛でした。さらにそのあとには後痛陣の痛みもやってきて…。とにかくずっと痛くて痛くて、痛み止めでしのいでいた感じでした。ただ赤ちゃんが可愛いから耐えられるのか、母の強さみたいなものを感じた瞬間でもありましたね。

年齢的に諦めていた母としての未来。きっかけは、夫が背中を押してくれたから

宮崎さんとご主人、愛犬との写真。
宮崎さんとご主人、愛犬との写真。

――不妊治療をされていたということですが、はじめられたきっかけなどあったのでしょうか。

宮崎:妊娠のことは諦めていたというか一度離婚も経験しているので、自分に子どものいる未来を思い描いていなかったんです。今の夫と出会ってから結婚や妊娠を意識しはじめるようになりました。私自身、「妊娠についてはリミットもあることだし今更厳しいよね」と少し諦めていた気持ちがあったんです。その時「後悔しないように、とりあえずやってみようよ」と夫の方から背中を押してくれました。すでに私は40歳を過ぎていたので、病院の先生からも「治療できる期間も限られているから、やれるところまでやってみましょう」という感じで言われましたね。

不妊治療の間、夫はすごく協力的だったと思います。一度も嫌がるそぶりはなかったですし、私が辛かった時は「一度休もうか」と言ってくれたり。無理に続けさせようということもなかったですね。そんな感じで休み休みで通院や治療ができたから、不妊治療を続けられたのかなと思います。

きっと毎月治療を続けていたら、気が滅入ってしまったと思うんです。一度トライしたら1〜2カ月治療をお休みしたりと、そんなペースでやっていましたね。気が向かない時はもう少し間を空けたこともあって、その間は二人で旅行に行くことも。自分の気持ちが前向きになるまでは、治療はやらないと決めていました。

――不妊治療中は辛いこともあったのでしょうか。

宮崎:治療中は、精神的にも肉体的にもゴールの見えないマラソンを迷走している感じで、どんどんやられていきました。不妊治療にトライすると、やっぱり期待してしまう自分もいて。結果がダメだと「あ〜、ダメだった」と落ち込んでしまう、その繰り返しでした。ダメ元でスタートしたはずなのにずっと結果が出ないと、なんだか申し訳なくて自分を責めはじめてしまうんです。治療にはお金もかかるし、いつまで続けていけばいいのか終わりのない迷路のようでした。

男性側も奥さんが辛い思いをしていてもその辛さはわからないし、どう接していいのかもわからない…。夫婦がお互いを責めはじめてしまうとなかなかいい結果も出なくなって、負の連鎖に陥ってしまうという話もまわりから聞いていました。その状況が自分でも痛いくらい分かるようになってきたので、そうならないために遊びに行ったり食事に出かけたり普段通りの生活を続けるように心がけましたね。

夫も常に明るくいてくれました。「今回はやめておこうか」「旅行行った後に再開してみようよ」など、夫が先導してくれる感じで助かりましたね。もちろんすごく落ち込んだ時期もありましたが、夫のおかげで二人でチャレンジするような感覚でポジティブに臨めたことも多かったと思います。

――妊娠が分かった時はどんな様子でしたか?

宮崎:正直、全然安心できませんでした。移植後の妊娠判定日に血液検査では陽性だけど、子宮の中に胎嚢が見えないと言われたんです。もしかすると子宮外妊娠の可能性もあると言われて、その場合は大学病院での手術になると。それが最後の機会だったのでこれでダメならもう子どもはあきらめようと決めていたこともあり、これからどうなるのか不安でした。

数週間後に再度病院に行ったら、胎嚢がやっと見えました。さらに次に行った時には心拍が確認できましたが、本当に妊娠しているのか、本当に無事に進んでいるのか不安とハラハラの日々でした。同時に私も疲れ果てていて、やることもやり切っていたので「これでダメならもう終わり」と、腹をくくっていたところもありましたね。

なので心拍が確認できてから妊娠中も、喜ぶというよりはあまり実感が持てなかったんです。先生にも「本当に大丈夫ですか?」と毎回聞いていました。不妊治療中は、「今回の採卵もダメでした」「移植してもダメでした」と、ダメダメばかり聞いていたからかもしれません。そして、最後の最後まで、本当に?本当に私妊娠してる?と大きなおなかを見てもエコーを見ても、ずっと不安は続きましたね。息子の産声を聞いてはじめて、やっと無事妊娠できてたんだと思いました。

妊活に向けてやれることは全てやり切ろうと思った

トレーニング中の宮崎さん。
トレーニング中の宮崎さん。

――お仕事などと両立して不妊治療をしていましたか。

宮崎:はい。アナウンサーの仕事もしていましたし、事業もやっていました。さらに今大学院に通っているのですが、大学院と不妊治療の時期が被っていたこともありました。それなりに体力的に大変でしたが、ずっと不妊治療だけをしているよりは、やることがいろいろとあるのは精神的にはありがたかったですね。

ただ大学院での勉強はとにかくハードで、不妊治療もあまり上手くいかなかったんです。その時に友人から「大学院の勉強はいつでもできるけど、妊活は今しかないしリミットがあるんだよ。集中して妊活してみたら?」というアドバイスをもらって、ハッとしました。そして自分の中でもいつまで続けていいのかわからなくなっていたところもあったので、大学院を半年休むことにして最後の不妊治療期間にしようと決めることができました。

――妊活中は体づくりで気をつけていたことはありますか。

宮崎:不妊治療をスタートした時には妊活に向けて何もしていなかったんです。だんだんとあまりいい結果が出ない日々が続いて不安になりました。リミットがあると言われている中で何かしないと時間だけが過ぎて心が落ち着かないし、何かやっていた方が気も楽だなと思ったんです。そこで気軽にできるものから、楽しくはじめていった感じです。

もともと体温が低い方なので、妊活とは関係なく体力作りにジムには通っていました。それから妊活にはよもぎ蒸しがいいと聞いたので、月に1回くらいのペースで受けました。移植前などは、自宅でレンタルして毎日よもぎ蒸しをしていた時期もありました。

あとは、不妊治療の最後の追い込みとして腸活も。私は便秘がちで冷え性なのもあり、おなかがすごく硬かったんです。それで、腸活マッサージをしておなかを柔らかくしてもらいました。臓器全体に酸素を行き渡らせて子宮の血流をよくしてもらうと、ふわふわのおなかになるんですよね。移植日前日は2時間コースでみっちりやってもらっていました。

そのほかには、骨盤の歪みを矯正したり、ブレンドしてもらったハーブティーを積極的に飲んだりも。どれが効果的だったかは分かりませんが、妊活にリミットがあるのなら、自分でできることはやっておきたいという思いもあったんだと思います。ただ全部を同時にやっていたわけではなく、一つやって、また時間をあけてほかのことを一つやってみてという感じで、無理なくいろいろと試していました。

写真提供/宮崎宣子さん、取材・文/内田あり、たまひよONLINE編集部

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年1月の情報で、現在と異なる場合があります。

<プロフィール>
宮崎宣子さん
フリーアナウンサー。1979年生まれ、宮崎県出身。2012年に日本テレビを退社後、フリーアナウンサーとして活躍。 21年にご主人と再婚し、23年10月に第1子となる男の子を出産。現在、早稲田大学経営管理研究科に在学中。ボディケアブランド「EMARA」代表として、経営者・ハーバルセラピストとしての顔ももつ。

宮崎宣子さんのInstagramアカウント

妊娠・出産の人気記事ランキング
関連記事
妊娠・出産の人気テーマ
新着記事
ABJマーク 11091000

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第11091000号)です。 ABJマークの詳細、ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら→ https://aebs.or.jp/

本サイトに掲載されている記事・写真・イラスト等のコンテンツの無断転載を禁じます。