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「80%の確率で、赤ちゃんの目・耳・心臓に大きな障害が出ます」妊娠7週で風疹に感染。産むか産まないか選択を迫られて…~先天性風疹症候群体験談~

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妊娠初期に風疹にかかると、どんなリスクがあるか知っていますか?12年前、第2子の妊娠7週目に風疹にかかり、赤ちゃんが「先天性風疹症候群」と診断された経験を持つ西村麻依子さんは、現在「風疹をなくそうの会『hand in hand』」で活動をしています。「『あの人みたいになりたくない』と思われてもいいから、自分の経験を知ってもらって、風疹をなくしたい」。そう語る西村さんに、風疹感染が判明したときのことや妊娠中の悩み、生まれた赤ちゃんの症状、活動のきっかけなどについて聞きました。全2回インタビューの前編です。

妊娠7週で風疹に感染。ことの重大さをよくわかっていなかった

妊娠7カ月ごろの西村さん。このすぐあとに入院することになった

2007年、24歳で結婚した西村麻依子さんは、2009年、第1子となる男の子を出産しました。そして、この妊娠中にあることが判明したのです。

「妊婦健診で『風疹の抗体価が低い』と言われたんです。ただ、妊娠中は風疹の予防接種を打てないので『出産したら、予防接種を打ってね』と言われていました。

そのとき言われたことはずっと頭の片隅に残ってはいたのですが、産後入院中や退院時にも何も言われなかったし、『完全母乳のうちは、ワクチンはダメなのかな』と勝手に思い込んでしまっていて(※)。2歳ごろまで長男が母乳を飲んでいたこともあり、風疹の予防接種を受けないまま、第2子を妊娠したんです」(西村さん)
※授乳中でも風疹の予防接種は可能です。

西村さんが第2子を妊娠したのは2012年。このとき、西村さんはまだ風疹の予防接種を受けていませんでした。このころ日本では、2003~2004年の風疹の小流行のあと、2010年まで落ち着きつつあった風疹患者数が、海外での集団感染をきっかけに2011年に再び増加して全国的な流行となり、2013年に流行のピークを迎える、その最中のことでした。

「ある日、首の後ろにしこりができていることに気づいたんです。そのあとに、顔に肌荒れしたようなブツブツが出てきて。かゆみはなかったんですが、顔から首、腕とどんどん広がっていって、これはおかしいと思ったんです。その時点で夕方遅くになっていたので、救急病院を受診しました。

ただ、救急には風疹を調べるキットがないとのことで、翌日に皮膚科や産婦人科がある総合病院に行ったほうがいいと言われ、そのまま帰宅することに。『本当に風疹だったら、起き上がれないくらいもっと熱が出るけどね』とも言われ、そのとき私は熱がなかったので、風疹ではないのかなと思いながら帰宅しました。でも、翌朝に発熱し、『ああ、やっぱり風疹かもしれない』と…。

私は第2子妊娠でかかっていた個人産院に電話をし、症状を伝えて受診しました。個人産院では、小さな隔離部屋で血液検査をしたのですが、検査が早すぎて1度目は陰性。その後、2回目の血液検査をして、風疹にかかっていると判明。確定診断まで少し時間がかかりましたが、感染したのは妊娠7週目のことでした」(西村さん)

妊娠12週までの妊娠初期に風疹ウィルスに感染すると、おなかの赤ちゃんは、胎内で風疹ウイルスに感染し、目、耳、心臓の障害や、体・心の発達に遅れが出る「先天性風疹症候群(せんてんせいふうしんしょうこうぐん)」という病気になる可能性が高くなります。西村さんの場合、風疹にかかったのは妊娠7週。赤ちゃんが「先天性風疹症候群」になる可能性が高い時期の感染でした。

「風疹に感染していることが確定したとき、産院では、医学書を見せられながら『妊娠7週目くらいで風疹にかかると、赤ちゃんの目と耳と心臓に約80%の確率で大きな障害が出る』と言われました。

そのとき、私はまだ先天性風疹症候群がどんなものかよくわかっていなくて、その産院はハイリスクになると転院しなければならなかったこともあり、『これって、ハイリスクになるんですか?』と聞いたんです。

すると、先生はものすごく声を荒げて、『これはハイリスク以外の何者でもない!80%という確率はほぼ100%だ。目と耳と心臓にこれだけの確率で大きな障害が出るっていうのに、なんで産もうとするんだ!私があなたの夫なら絶対に産ませない!』って…。私はびっくりしつつも、産むか産まないかの選択は1度持ち帰ることになりました」(西村さん)

自宅に戻り、夫と両親、義理の両親に事情を伝えた西村さん。ただ、西村さんと夫には、最初から中絶をするという選択肢はありませんでした。保育士でもある義理の母は2人の気持ちを尊重してくれましたが、実の母は当初「今回は諦めたら…」と産むことに反対をしていたそうです。しかし、夫婦の決心はかたいものでした。

「実は私、長男を産む前、妊娠初期で流産をしたことがあるんです。産みたくても産んであげられなかった命。そのときに、十分、命の重みを感じたんです。

風疹のワクチンを打っていなくて、赤ちゃんを守ってあげられなかったのは私。それなのに、障害が出るかもしれないという可能性だけで、この命をなかったことにはできない、どうして諦めなくちゃいけないの?どんな障害があったとしても、私たちでこの子を絶対に幸せにしたい!と思いました。

だから、最初から中絶することは考えていませんでしたし、夫も同じ気持ちでいてくれました。話し合いでこの気持ちをしっかりと家族に伝え、母にはしぶしぶ了解をもらいました。

産院に産むことを決断したと伝える日には、夫も一緒について来てくれて、2人で先生と話しました。先生には『この産院では産ませることはできない。産むなら、別の病院へ行ってくれ』と言われたので、妊娠11週くらいから、長男を産んだ総合病院に転院することになったんです」(西村さん)

どんな障害があっても産むと決めた命。でも、不安は尽きず…

生まれて数時間後の葉七ちゃん。小さく生まれたためすぐにNICUへ

夫婦で「どんな障害があったとしても、この命を産む」と決め、お互いの両親にもそう伝えた西村さん夫婦。ですが、もちろん不安や葛藤もありました。

「最初の産院で、産む!と決め、その後もその気持ちはゆるぎませんでしたが、先天性風疹症候群について調べるうちに、改めて大変なことが起こっていることを実感したんです。

妊娠中には赤ちゃんがどの程度の障害を持っているか詳しいことはわからず、転院した病院の産科の先生にも『生まれてみないとわからない』と言われて…。産むことは強く決断してはいましたが、どんな状態で生まれてくるんだろうと考えると、すごく不安にもなりました。

自分でもあのときの気持ちがよくわからないのですが、私、娘の妊娠中はマタニティマークをつけられなかったんですよね。おなかの中に赤ちゃんはいるんだけど、普通の状態じゃないことで、ずっと自分を責めていました。自分は普通の妊婦さんとは違う、みたいな気持ちになってしまっていたんです。傍から見たら私も普通の妊婦さんでマタニティマークをつけてもよかったと思うのですけど、ほかの妊婦さんがマタニティマークをつけているのを見て、いいなぁって思っていました」(西村さん)

西村さんがひとまず転院したのは、長男を産んだ総合病院の産婦人科。ただ、この総合病院に小児科はありましたが、NICU(新生児集中治療室)がありませんでした。おそらく先天性風疹症候群で生まれてくる赤ちゃんにどんな処置が必要になるのかわからないため、転院してすぐに、西村さんはNICUのある病院での出産をすすめられました。そして、病院間の話し合いで、妊婦健診は総合病院で行い、出産はこども病院でするということになったそうです。

「総合病院には妊娠29週まで通院しました。その総合病院では、赤ちゃんは小さいけれど、小さいなりに成長しているから大丈夫と言われ、少しホッとしていたんですね。でも、こども病院に転院してエコーで詳しく診てもらったら、赤ちゃんがすごく小さくて、発育不良があるだけでも心配だから入院して様子を見ましょう、と言われ、即入院になりました。

とはいえ、経過観察なのでとくに何か治療や検査をするわけでもなかったため、妊娠33週ごろ、1度退院しますか?という話もあったんです。でも、どういう状態で生まれてくるかわからないとずっと言われていたので、私としては、退院してもし急に生まれてしまったら…と、怖いことしか考えられませんでした。なので、申し訳ないけれどもう少し入院させてくださいとお願いし、入院を継続することになったんですが…。

その約1週間後に、胎動がなくなってしまったんです。その日の午前中に、NST(ノンストレステスト)の機械で診ているときに動いている様子がない。赤ちゃんが寝ているだけかもしれないからとそのときは様子見になったのですが、午後にも胎動がなくて。大きな音を出しても、エコー検査で見ても動いている様子がなかったんです。

いくつか検査をしたあと、先生に『赤ちゃんは貧血などでしんどい状態になっている可能性があります。赤ちゃんの体は小さいけれど、臓器としては出来上がっているので、外に出しても生きていける。外に出てから治療してあげたほうがいいと思う』と言われ、緊急帝王切開で出産することになりました。それを聞いて、あのとき退院しないで本当によかったと思いました」(西村さん)

こうして2012年秋、西村さんは出産予定日よりも約1カ月半早く出産しました。体重1500gの小さな赤ちゃんは、葉七(はな)ちゃんと名づけられ、検査の結果「先天性風疹症候群」と診断されるのです。

お話・写真提供/西村麻依子さん 取材・文/酒井有美、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

妊娠初期に風疹に感染し、不安な妊娠生活を送った西村さん。感染経路ははっきりとはわかっていないそうです。ただ、予防接種をしていた長男は風疹にかからなかったものの、夫婦がほぼ同時に感染し、お互いの職場にも周囲にも風疹に感染した人はいなかったため、外出したときにどこかで感染したと考えられるそうです。大切な命を宿している女性に、知らないうちに感染させてしまう恐れがあると考えると、とても怖いことです。後編では、先天性風疹症候群と診断された葉七ちゃんのその後や、風疹をなくすために西村さんが行っている活動などについて聞きます。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指して様々な課題を取材し、発信していきます。

西村麻依子さん

PROFILE
「風疹をなくそうの会『hand in hand』」共同代表。2012年春、妊娠7週で風疹に感染。同年秋、出産した第2子の長女・葉七ちゃんが「先天性風疹症候群」と診断される。葉七ちゃんの病気と向き合う中で、現在、ともに「風疹をなくそうの会」の代表を務める可児佳代さんと出会い、保育士として働きながら、国や自治体、メディアに対しての風疹対策の提言や、風疹になった女性や家族、お子さんの交流の場や情報の提供を行っている。

風疹をなくそうの会『hand in hand』のWEBサイト

風疹をなくそうの会『hand in hand』のInstagram

風疹をなくそうの会『hand in hand』のX(旧Twitter)

参考文献

先天性風疹症候群に関するQ&A (2013年9月)(国立感染研究所)l

産婦人科医からみた2012、2013年の風疹流行の課題(国立感染症研究所)

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年2月現在のものです。

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