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生後2カ月で脳の大手術。日本で100人未満の希少難病わが子を授かって【体験談】

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写真は、わずか2カ月で大脳半球離断という脳の大手術を終えた奨くん。手術の傷は左耳から後頭部を通って、右のおでこの上あたりにまで達しています。

妊娠期は順調そのもの。出産は、さかごによる帝王切開だったものの、無事に手術は終了。しかし生後2日目のとき、ピクッピクッという気になる動きが見られるようになってから事態が急変したという原村綾さん。一人っ子の息子さん・奨(しょう)くんは、日本で100人未満ともいわれる難病のてんかん「大田原症候群(おおたはらしょうこうぐん)」です。奨くんの異変や大手術による後遺症、成長などについて話を聞きました。

妊婦健診は異常なし。でも生後2日目に…

写真は、生後2日目に撮った親子ショット。このあと、パパが奨くんの違和感に気づくことに。

原村さんが奨くんを出産したのは、2015年4月。妊娠の経過は順調で、出生体重は2750g。さかごによる帝王切開だったものの、母子ともに元気でした。しかし生後2日目、奨くんに異変が。

「ピクッと動いて大きな声で泣くのを、5秒ぐらいの間隔で繰り返しました。夫が“おかしい!”と言うので、看護師さんに聞くと“新生児期に見られるモロー反射よ”と言われましたが、夫は念のため息子の様子を動画撮影していました。

4日目のとき、小児科の診察がありました。“何か気になることはありますか?”と聞かれたので、動画を見てもらいました。すると“一度、大きな病院で診てもらいましょう”と言われて、そこから事態が急変しました」(原村さん)

難病と診断され…

写真は、1歳半で初めてうつぶせになれた奨くん。発育・発達は、かなりゆっくりめです。

奨くんは、すぐに紹介された国立病院のNICU(新生児集中治療室)に入り、検査が始まりました。検査の結果、難病のてんかん「大田原症候群」と診断されました。

「大田原症候群の原因はさまざまですが、担当医からは息子の場合は、脳の形成異常が原因と言われました。息子は脳の中心がずれていて、左脳が大きく、左脳からてんかんの信号が出ているので、右に移行しないように2カ月になったら脳を切り離す手術が必要と説明されました。ただし手術をすると後遺症として、右半身にまひが出ると言われました。

私は絶望的になってしまい、とにかく“まひが出ないようにしてほしい。手術をしなければ、息子はどうなるのでしょうか?”と聞きました。先生は“手術をしなければ、しだいに意思疎通ができなくなり、寝たきりの状態になります。手術をすれば右半身の機能は失われるけれど、きっと笑ったり、ママと目が合ったりして意思疎通はできます。奨くんの成長が感じられると思います。担当医としては、手術をすすめます”と言われました」(原村さん)

2カ月で左脳を切り離す大手術。1歳半で2回目の手術を

写真は、2カ月で大手術をする前の奨くん。このころになると、てんかん発作は1時間に40回にも。

原村さんは、先生を信じることに。2カ月で左脳を切り離す大手術が行われました。

「手術の前は、ピクッピクッというてんかん発作が1時間に40回ほど起きていて、もう手術に賭けるしかない状況でした。手術は無事、成功しましたが、医師からの説明通り、しだいに右の体の動きが鈍くなり、リハビリで少しでもまひが進まないようにすることが必要でした」(原村さん)

奨くんは1歳半で、2回目の手術をしています。脳の中では、脳脊髄液(のうせきずいえき)が作られて、通常は脳のまわりや脊髄の表面を通りながら静脈などに吸収されていく流れを繰り返します。しかし奨くんは、脳脊髄液が脳にたまってしまい流れていきません。

「たまった脳脊髄液によって脳が圧迫され、医師からこのままだとてんかん発作をさらに誘発すると言われ、2回目の脳の手術をしました。シャント術という手術で、シリコン製のチューブを体内(頭からおなか)に通し、脳の中にたまった脳脊髄液を流す方法です。

夫との関係は、妊娠中からギクシャクしていたのですが、息子が生まれてから夫婦関係はさらに悪化しました。この手術のころに別居し、その後離婚しましたが、私自身、精神的にボロボロな状態でした」(原村さん)

介助は、この先も続く!だからこそ自分自身のことも大切にしないといけない

写真は、2歳のころ。リハビリで立位の練習をしているところ。医師の説明通り、手術後は右半身にまひが出て、今でも週1回から2回、リハビリに通っています。

今、奨くんは6歳。保育園や幼稚園に通っていれば年長クラスです。右半身のまひが強くなり、今は寝たきりで、原村さんが食事やおむつ交換、着替えなどの全介助を行っています。

「1歳半ごろから、息子も大きくなり介助がつらく感じるようになりました。当時は、水分補給1つにしてもスポイトで1口ずつ与えて時間がかかりました。息子の将来を悲観し、私自身、追い込まれてしまい、毎日のように泣いていたこともあります」(原村さん)

奨くんの名前は“前に向かって進む人になってほしい”という願いを込めてつけました。しかし気づいたら、自分自身が前に向かって進んでいない日々でした。

「“このままではいけない!息子も大切だけど、この先、息子の介助はまだまだ続くし、てんかんの発作だって起きる! 私自身のことも大切にしていかないと、親子で共倒れになってしまう。私が元気でいることが息子の幸せにもつながる”と思い直し、午前9時から午後3時までは病院などの施設でみてもらえるデイサービスを利用することにしました。疲れたときは、息子を短期で預かってくれるショートステイも利用しています」(原村さん)

こうしたサポートを受けるようになってから、心に余裕ができ、原村さん自身に笑顔が戻ってきました。

「本当は5歳ぐらいで歩ける予定でしたが、まだその兆しはありません。以前の私ならば、悲観して涙に暮れていたと思います。

でも息子は、5歳ぐらいまでは笑い方もほほ笑む程度だったのに1年ほど前から声を出してケラケラ笑うようになりました。言葉もずっと「ア~ア~」などの喃語(なんご)でしたが、しだいに「ダ~」など濁音の喃語(なんご)が言えるようになり、4歳2カ月で初めて「ママ」と呼んでくれました!私の人生でいちばんうれしかったときです。まわりの人から見たら、小さな成長かも知れませんが、私には光り輝く大きな成長に感じます。

私がポジティブに生まれ変われたのは、息子と私を支えてくれる病院の先生や看護師さん、リハビリの先生、デイサービスのスタッフの方など、みなさんのおかげです」(原村さん)

お話・写真提供/原村綾さん、取材・文/麻生珠恵、ひよこクラブ編集部

奨くんは、来春小学1年生。小学校はどこにするか、今、悩んでいるところですが、原村さんは「息子は、好奇心旺盛。いろんな人と触れ合うことで目がキラキラ輝きます。小学校は、息子の成長を少しでも後押しできるところを選びたい」と言います。


原村 綾さん(はらむら あや)

Profile
セレクトショップの責任者兼バイヤー、エステサロン勤務を経て、結婚。34歳で奨くんを出産。重度のてんかん(大田原症候群)をもつわが子の看病をしながら、2018年に病児&障害児用のウエアブランド「medel me」を立ち上げる。

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