わずか584gで生まれた娘に「小さく産んでごめんね…」 わが子を助けてくれたドナーミルクに感謝【体験談】
「母乳バンク」や「ドナーミルク」という言葉を聞いたことがありますか。早産や小さく生まれた赤ちゃんで、自分のママから母乳を得られない場合に、自分の子どもが必要とする以上に母乳がたくさん出るお母さんから寄付された「母乳(ドナーミルク)」を安全に低温殺菌処理し、届けるしくみです。日本では2014年に昭和大学小児科研究室内に初めて「母乳バンク」が設立され、2020年には総合育児用品メーカー・ピジョンの支援により「日本橋 母乳バンク」が開設されました。現在日本の母乳バンクは、日本橋の1カ所のみとなっています。
第2子である女の子が小さく生まれ「ドナーミルク」を利用したというNOKOさんに出産時のことやドナーミルクについてなど詳しく話を聞きました(上の写真は生後3日のはるちゃんです)。
584gの赤ちゃん。「小さく産んでごめんね…」
奈良県に住むNOKO(36才)さんは、はるちゃん(2才5カ月)、お兄ちゃん(8才)、パパ(46才)の4人家族です。第2子のはるちゃんは、ママが妊娠25週1日のときに584gで生まれた極低出生体重児(ごくていしゅっせいたいじゅうじ)(※)でした。妊婦健診は順調だったにもかかわらず、急な容体変化で緊急帝王切開となったそうです。
「その日も仕事に行くつもりでしたが、ごく少量の出血とおなかの張りがあり、赤ちゃんの動きも少ない気がして、念のため出産予定のクリニックでみてもらったんです。診察している間に先生の顔色がさっと変わり、すぐに大学病院に緊急搬送となりました。『赤ちゃんが今しんどい状態だから、もしかしたら出産になるかもしれない』と言われ、えっ、まだ25週なのにというあまりの驚きと、赤ちゃんが助からないんじゃないかと不安でいっぱいになり、涙が出るばかりでした」(NOKOさん)
NOKOさんは、大学病院でエコー検査などを受けている途中に、かけつけてくれたパパとも会うことができ「とにかく先生たちを信じよう。赤ちゃんにできることはすべてやってあげようね」と約束をしたそうです。
そのときの状態は「早期胎盤剝離(そうきたいばんはくり)」。そしてオペ室に運ばれるころには、NOKOさんは意識を失ってしまいます。 出血が多く命の危険もある状況の中、緊急帝王切開で出産となりました。
出産後、NOKOさんの意識がはっきりと戻ったのは翌日の朝のこと。パパから「赤ちゃんの命は助かったものの、危険な状態が続いている」と聞きました。その日の夕方、NOKOさんは車いすでパパと一緒にNICU(新生児集中治療室)のはるちゃんに会いに行きました。
「娘に会った瞬間の状況は、昨日のことのように思い出します。まぶたもできていない、今まで見たこともないような小さな、小さな赤ちゃんの姿。この先この子はどうなるのかと不安で目の前が真っ暗になりました。『生まれてきてくれてありがとう』よりも『小さく産んでしまってごめんね』という気持ちが強かったです。生まれたときからつらい思いをさせてごめんね、という思いは、娘が2才を過ぎた今も消えません」(NOKOさん)
※生まれたときの体重が、1500g未満を「極低出生体重児」、1000g未満を「超低出生体重児」と呼びますが、「ドナーミルク」の利用対象が1500g未満の「極低出生体重児」のため、本記事内では、はるちゃんを「極低出生体重児」と表記しております。
生後すぐにドナーミルクの提供を受けた
1500g未満で生まれた赤ちゃん、とくにはるちゃんのような早産・極低出生体重児は、壊死性腸炎をはじめとする合併症予防の観点から、なるべく早く母乳栄養を与えることが推奨されています(※1)。
しかし緊急の早産などの場合、母体も乳腺などの準備できておらず、母乳が出るまでに数日を要することもあります。そのため、ママの母乳が出るまでの間にドナーミルクを与えることがあります。ドナーミルクとは、ドナーとなったママたちから寄付された母乳を衛生的に低温殺菌処理し、管理しているもののこと。病院の医師の要請により、日本に1カ所だけある「母乳バンク」が無償で提供しています。はるちゃんの出産時、意識がないママに代わって、パパがドナーミルクの提供を受けることを決めました。
「出産当日に大学病院の主治医の先生がドナーミルクについて、未熟な赤ちゃんの体に安全であることや、免疫や合併症予防の面でも有効なことなど、ていねいに説明してくれました。僕自身聞いたことがなかった情報でしたが、世界的に広く使用されているということも大きな判断材料でした。娘にしてあげられることはなんでもやっていこうと出産直前の妻とも相談していたので、妻も賛成すると思い、すぐにドナーミルクをお願いしました」(パパ)
はるちゃんは生後すぐから、ママの母乳が出るまでの丸3日間ほど、胃管チューブでドナーミルクを与えられました。NOKOさん自身も「ドナーミルクのことは知らなかったけれど、娘を助けてくれるものなら使うことに迷いはなかった」と言います。
自分を責め、娘に向き合えなかったママを支えてくれたのは…
産後のNOKOさんは、小さなはるちゃんの姿への戸惑い、小さく産んでしまった自分を責める思い、これからのはるちゃんの健康への不安…複雑な気持ちを抱え、泣いてしまうことが多かったそうです。
「母乳を出すために出産翌日から1日8回搾乳を続けましたが、なかなか出なくてつらかったです。それに娘がそばにいないのに搾乳するのも精神的に落ち込んでしまい、娘の写真を見ながら頑張っていました。
また、小さすぎる娘を直視できなくて、向き合えない気持ちもありました。産後翌日から看護師さんに『赤ちゃんに触ってあげてね』と言われたけれど、自分の娘なのに触れるのがこわかったんです。
こんなに小さい体に触ったら脳出血とかが起こるんじゃないか、菌に感染してしまうんじゃないか…と。だけど、看護師さんが『母乳をあげることだけがママの役割じゃないよ、指1本触れてあげるだけで、赤ちゃんはママのにおいとぬくもりを感じて、とっても落ち着くんですよ』と言ってくれ、すごく励まされました」(NOKOさん)
ママもパパもNICUに入院中のはるちゃんの健康と成長を不安に思う日々が続きます。そんな中で、家族の心の支えになったのはお兄ちゃんの存在でした。
「息子は妹が生まれたことをとても喜んで『早く手をつないで歩きたいなぁ』とか『一緒に動物園に行きたいね』とか、未来の話をしてくれたんです。でも、私と夫は先生から「障害が残るかもしれない」と聞いていたので『はるちゃんは歩けないかもしれないよ』と伝えると、彼は『でも家族が信じてあげないと。無理なんてだれが決めたの?先生が間違うこともあるでしょ?』と言うんです。
当時6才だった息子の言葉で、未来の元気な娘がイメージできて、本当に救われる思いでした」(NOKOさん)
外で走り回るのが大好きな女の子に
NICUに入院中のはるちゃんは、未熟児網膜症の手術を受け、重度の貧血による複数回の輸血をし、肺疾患のため人工呼吸器をつけていました。しかしそのほかの合併症はなく順調に育ち、生後4カ月には退院。退院時の体重は2412gにまで育ちました。
「本当に、ドナーミルクのおかげだと思います。小さく生まれた赤ちゃんで、最初にドナーミルクを与えてもらった子は順調に育つことが多いと先生から聞いていたので、わが子の成長を見てそのとおりだと実感しています。
ドナーミルクが低出生体重児の子たちにとってすごくいいものだとあとから聞いて知り、提供してくれたママたち、母乳バンクを運営してくれている方たちにも感謝の気持ちでいっぱいです。
出産時には私のようにママが判断できないこともあると思うので、妊娠中にママもパパもドナーミルクのことを知ってほしいし、もっと利用できる人が増えればいいと思います。
娘は生後9カ月には、修正月齢ではなく実際の誕生日からの月齢で、発育成長曲線(子どもの標準的な身長・体重の目安を表したグラフ)内に入るほどに成長しました。2才5カ月となった今は、身長86cm、11kg。少し小柄かな、ぐらいの感じです。お兄ちゃんの少年野球について行っては、グラウンドのわきで走り回って遊ぶ活発な女の子になりました」(NOKOさん)
現在、NOKOさん自身は、小さく生まれた赤ちゃんと家族を支援する「リトルベビーの会(※2)」の奈良県代表として、『リトルベビーハンドブック』という低出生体重児用の母子健康手帳のサブブックを作成する取り組みを始めました。
「NICUに子どもが入院しているママたちは、周囲からの情報も少なく、本当に不安で孤独です。赤ちゃんが生まれた日にリトルベビーハンドブックを手にすることができれば、実際に小さく生まれた赤ちゃんたちが元気に育っている様子を知ることができ、きっとママたちの不安を少しでも軽くする助けになると思います」(NOKOさん)
画像提供/ピジョン 取材協力/ピジョン、一般社団法人 日本母乳バンク協会 取材・文/早川奈緒子、ひよこクラブ編集部
日本では2019年現在、約6500人の極低出生体重児(出生体重1500g未満)が生まれていて、そのうち病気などさまざまな理由で自分のママから母乳をもらえない赤ちゃんは約3000~5000人と想定されています。小さく生まれた赤ちゃんの成長を助けるドナーミルクのことや、安全なドナーミルクを管理・運用する母乳バンクのことがより広く知られ、必要な赤ちゃんにドナーミルクが届くようになれば、少しでも多くの小さな命を救うことにつながるのではないでしょうか。
■低出生体重児に関する表記について、補足を追加しました(2021年12月14日)