幼児とスケートしていて思う、これ覚えておいてくれるかしら?【御手洗直子のコマダム日記】
今回は幼児の記憶について。一大センセーションを巻き起こした「婚活コミック」著者、御手洗直子さんが結婚して2児の姉妹の母に。あいかわらずのつっこみどころ満載の日々、渾身のひとコママンガ&エッセイでお送りします。「つっこみが止まらないコマダム日記」#91
幼児とスケートの記憶
幼い子どもと訪れるスケートは体力を消耗する。重い、固いスケート靴を履いて氷上を滑るだけでも消耗するが、ヨレヨレガシガシ進む5才児の腕を支えながら滑ると消耗する。ランダムに押し引きしてくる16kgのバランスを支えながら己の体勢も整えながら滑りつつ、時おり転んでうまく立てないでいる16kgを抱きかかえて立たせていると腹筋とふくらはぎがおかしくなってきて消耗する。若人より体力が無いのに若人より負荷が多い。そして訪れる死(腰の)
今こうして次女を見ていると5才というのもまだまだ赤ちゃんから若干進化したポケモン(ではない)でしかなく、本当に幼児という感じなのだが、私はこの5才よりはるかに幼い3才の時にスケートで左手首を骨折した過去がある。
当然3才の私は泣いた。泣いたが病院に行くほどではない泣きだったのだろうか、病院に連れて行かれることなく放置された。翌日になってもまだ痛いと言い続けている私をおかしいと思った母が病院に連れて行ってくれて骨折していることが判明した。その時見せられたレントゲンの写真を約40年経った今でもハッッッッッキリ覚えているし、ベドベトの白い物を手に塗られて包帯を巻かれ、それが後日固まってギプスになってアッ!固くなってる!なるほどこれが手の形になったんだね~と思ったのも鮮明に覚えている。娘達を見ていると3才なんて幼児がそんなにいろいろと覚えているものだろうか?と思うが、やはり骨折という体験がかなり印象的だったのであろう、ギプスを巻いて立てかけられたこたつの横で寝たことまで覚えているし、その時に左手首にできたほくろを見て『このけがをしていたほくろがあるほうがひだりて!』と覚えた瞬間も覚えている。
一連の骨折の思い出を振り返っても『痛かった』とか『悲しかった』という感情が1ミリも出てこないので我ながら得な性格とか痛覚をしているなあと思う。実際痛かったり悲しかったりしたことだけを忘れているのか、当時本当に大して痛くも悲しくもなかったのかすら覚えていない。汚れてしまった包帯を変えてもらう時に、新しい包帯は白くてきれいで看護婦さんは巻くのが上手だなあとか、おねえさん看護婦さんにチヤホヤしてもらいながら包帯を巻いてもらって浮かれていたりしていた。骨折してしまった3才が悲しくかわいそうなか弱い存在だけだと思ったら大間違いだという感じである。
ちなみに大きくなってから母と骨折の話になったら母は私が若干3才で骨折したことを忘れていた。
『いたいけな3才を骨折させてしまい自責の念にかられる母親』は存在しなかった。我が母ながらストレスに強そうである。
39.5℃の熱を出して看護師さんにチヤホヤしてもらい得意げになっていた次女(コラム第89回参照)にも遺伝している気がする。苦痛より見知らぬお姉さんにチヤホヤしてもらえる特別感が勝つのだ。(おわり)
御手洗直子
Profile pixivで大人気。累計閲覧数1100万を誇る爆笑コミックエッセイスト。なんでそんなにネタ満載人生を・・・という謎の人。既刊に「31歳BLマンガ家が婚活するとこうなる」「31歳ゲームプログラマーが婚活するとこうなる」(共に新書館)、「腐女子になると、人生こうなる!~底~」(一迅社)、「つっこみが止まらない育児日記」「さらにつっこみが止まらない育児日記」(ベネッセコーポレーション)など。たまひよのサイトで、数話限定公開中。
御手洗直子twitter:@mitarainaoko