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「こんなに小さく産んで、私は何てことを」罪悪感で涙があふれ…。約600g、超低出生体重児の双子を出産【体験談】

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宮崎県の増田杏那さんは、夫、双子の兄・琉生(るい)くん、弟・吏玖(りく)くん(1才6カ月)の4人家族。
結婚9年目で授かった待望の赤ちゃんで、 予定日より4カ月早くに、琉生くんは586g、吏玖くんは616gで生まれた、超低出生体重児です。増田さんは宮崎県のリトルベビーサークル「結 ~ゆう~」の代表をつとめ「リトルベビーハンドブック」の作成の活動にも携わっています。
増田さんが出産したときの様子や、2人の成長について聞きました。(写真は弟の吏玖くんが生後約4カ月で退院する日の様子)

緊急事態宣言下の出産。わが子に触れることすらできなかった

生まれた直後の様子。写真上が琉生くん、下が吏玖くん

――2人を出産したときの状況を教えてください。

増田さん(以下敬称略) 21週6日の妊婦健診で子宮口が3cm開いているとわかり、宮崎医大に救急搬送され入院となりました。「子宮頸管無力症(しきゅうけいかんむりょくしょう)」で、いつ陣痛が来て生まれてもおかしくない状況。医師から、21週は人工妊娠中絶ができる週数ということや早産のリスクなどを説明され、中絶するか妊娠を継続するかを決めるよう言われました。

この子たちは結婚して9年目にやっとおなかに来てくれた子たち。もう胎動を感じていました。どうしてもあきらめたくなくて、妊娠継続を希望することに。それから2週間ベッドから少しも起き上がらずに過ごしましたが、23週5日に子宮口から雑菌が入って子宮内感染を引き起こしているとわかり、緊急帝王切開で分娩となりました。

2020年8月3日、兄の琉生は身長29cm、体重586g、弟の吏玖は身長31cm、体重616gで生まれました。2人の名前は、兄の琉生は“困難に打ち勝って力強く生き続けてほしい”という意味、弟の吏玖は“強い意志で自分の道を切り開いてほしい”という意味を込めました。

――息子さんたちに初めて会ったときにどんなことを感じましたか?

増田 産後、2人はすぐに保育器に入れられNICUに運ばれたので、2人に会ったのは出産2日目です。保育器の中で、人工呼吸器につなげられている2人を見た瞬間に感じたのは「生まれてきてくれてありがとう」という気持ちよりも、「この子たちをこんなに小さく生んでしまった。私はなんてことをしてしまったんだろう」という罪悪感でした。現実を受け止められず、涙があふれて2人を直視することができませんでした。看護師さんたちがかけてくれる「おめでとう」の言葉も胸に突き刺さるようにつらかったです。

さらに2人を出産したのは、ちょうど緊急事態宣言が発出されたころ。病院の方針で感染症対策のために赤ちゃんに触ることも禁止されていました。私の産後入院中、赤ちゃんとの1日1回15分の面会時間には、保育器の中にいる2人をただ見守るだけで何もしてあげられないことが本当に苦しかったです。

前向きな夫の言葉、SNSのママたちの励ましに救われた

生後1カ月ころの保育器にいる吏玖くん。体重は780gほど。看護師さんにケアされている様子

――つらい気持ちをどのように乗り越えたのでしょうか。

増田 私は産後6日で退院したのですが、その後2人との面会は1週間に2回で1回15分のみ。夫と交互に週1回ずつ行っていました。そのほかに2〜3日おきに搾乳した母乳を届けに行くんですが、ドアの向こうにいるわが子たちには会えないんです。毎回泣きながら帰りました。
そんな私に、夫はひたすら「大丈夫、頑張ろう」と励まして続けてくれました。「あの子たちは強いよ。“よく頑張ってるね”って、笑顔で面会に行ってあげよう」という夫の言葉で前を向くことができました。

あとは、SNSのつながりですね。産前入院中から家族ともいっさい面会禁止の状況で、やるせない気持ちの行き場がなく、SNSを始めてネガティブな気持ちを吐き出しました。すると全国の顔も知らないママたちが「22週で生まれたけど元気に育ってるよ」「頑張って!」と励ましのコメントをくれたんです。そのつながりに心が救われ、励みになりました。

生後3カ月、やっとわが子を胸に抱けた幸せ

琉生くん生後2カ月のころ。体重は1200gほど。面会に来たママに顔が見えるよう、看護師さんが抱っこしてくれた

――初めて息子さんを抱っこしたのはいつですか?どんなお気持ちだったでしょうか。

増田 弟の吏玖を初めて抱っこしたのは11月12日。3カ月間見ることしかできなかったわが子に、ようやく触れて胸に抱くことができた。まさかこんな日が来るなんて…と心から幸せを感じました。その日に初めて直接母乳もあげることができて、小さいながらも一生懸命おっぱいを吸ってくれる姿に感動しました。兄の琉生はその1カ月に抱っこできました。

そして、弟の吏玖は11月27日、生後4カ月弱、約2400gで退院。兄の琉生は12月30日、生後約5カ月弱、約2700gで退院となりました。2人ともカルシウムや貧血の服薬はありますが医療ケアはなく退院することができました。兄の琉生は未熟児網膜症の手術を受けましたが、その後は目も問題ありません。夫が言ったとおり、2人ともきっと強い子なんだと思います。

退院してからは慣れない双子のお世話で大変ですが、にぎやかに過ごしています。1才6カ月になった今、弟の吏玖は一人歩きできるように。兄の琉生も立っちして1、2歩進めるまでに成長しました。

楽しみにしていた母子健康手帳に成長の記録を書けなかった

1才6カ月になった琉生くん(左)と吏玖くん(右)

――現在、増田さんはリトルベビーサークルを立ち上げたそうですが、活動のきっかけになったのはどんなことでしたか?

増田 SNSで知り合った京都のママがリトルベビーハンドブックを作成する運動をしていて、低出生体重児のママのサークルがあることや、リトルベビーハンドブックという、1500g未満で生まれた赤ちゃんの成長を記録する母子手帳のサブブックがあることを知りました。

それと同じころに、やはりSNSで知り合った同じ宮崎に住む低出生体重児のママから、ひどい産後うつで悩んでいると相談を受けたんです。そこでわが子たちに会わせたら「小さく生まれても、こんなに元気に育つんですね」と泣いて喜んでくれました。その姿を見て、私の経験がだれかの役に立てるとわかり、サークルを立ち上げることを決めました。

私自身もそうでしたが、ママたちは小さく生まれたわが子がこれからどんなふうに育つのか、1才、2才のころどうなっているのかのイメージが全然できないんです。でも小さく生まれても成長している子の姿を見ることですごく励みになるんですよね。2021年8月に、SNSで知り合った宮崎県在住のママ4人と一緒にサークルを立ち上げ、ハンドブック作成の活動も同時に始めました。

――増田さん自身は、息子さんたちの成長記録を母子健康手帳に記入していたのでしょうか。

増田 宮崎の母子健康手帳の最初のページには、生まれたときの写真をはりママの気持ちを書く欄があります。私も9年間待ち望んだ子どもたちの記録をするのが楽しみでした。でも実際は…今もそのページは空白のままです。子どもたちが生まれたときのネガティブな気持ちをとても書くことができない。小さいために身体発育曲線のグラフにも書き込めないので、母子健康手帳はほとんど白紙です。

同じような思いをしているママにもリトルベビーハンドブックがあれば、小さい赤ちゃんも記録ができるし、ママの支えにもなると思い、2021年8月に県庁に要望書を提出しました。宮崎県ではハンドブックの作成が決まったので、いずれ県内のNICUでママたちに配布してもらえるように希望しています。私がいろんな人に助けられたぶん、今度は1人で悩んでいるママに「あなたは一人じゃないよ」とサークルの活動を通して伝えることができたらと思っています。

宮崎県のリトルベビーハンドブックができたら、2人の成長の記録を振り返って記入して、母子健康手帳の書けなかったところも埋めたい。そして大きくなった2人に渡したいです。「あなたたちはこんなに頑張って生まれてきたんだよ」と教えてあげたいですね。

【板東先生より】リトルベビーハンドブックでママたちの心のケアを

リトルベビーハンドブック(LBH)の一番の大きなねらいは「ご家族のメンタルケア」です。今、多くのサークルが都道府県にLBH作成をお願いされています。現在6県が稼働中、2県が今年度に作成中、来年度(令和4年)には10を超える府県が作成を始められるでしょう。LBHは、赤ちゃんが生まれた病院で産後間もない時期に渡されています。中にはその県の小さな赤ちゃんを産んで育てておられる先輩からのコメントもたくさん入っています。

お話・写真提供/増田杏那さん 監修/板東あけみ先生 取材・文/早川奈緒子、 ひよこクラブ編集部

コロナ禍の出産は面会制限などで孤独を感じるママも少なくありません。家族と会えないぶん、オンラインやSNSのつながりで気持ちが助けられることもあるでしょう。増田さんのサークルでは、現在はLINEのトークやオンラインでの交流会を行っているそうです。

宮崎リトルベビーサークル 結〜ゆう〜 Instagram

※記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

板東あけみさん(ばんどうあけみ )

PROFILE
国際母子手帳委員会事務局長。29年間京都市で主に支援学級の教員を務めたあと、51歳のとき大阪大学大学院で国際協力を学ぶ。とくに母子健康手帳の認知を重視し、海外の母子健康手帳開発に協力。静岡県の小さな赤ちゃんを持つ家族の会「ポコアポコ」が作成した「リトルベビーハンドブック」に感銘を受けたことをきっかけに、各地のリトルベビーハンドブック作成のため都府県庁とサークルのコーディネート支援を行う。

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