智晴の白血病、上の子のケアにすべての時間を費やし、夫婦で話をする時間も取れない日々…。1才の誕生日が夢のようだった【体験談・医師監修】
7カ月のときに急性リンパ性白血病を発症した前田智晴くん(仮名・3才3カ月)は、国立成育医療研究センター(以下成育医療センター)に緊急搬送され、ICUでの集中治療後、半年間の化学療法を受けました。入院中、そして退院してから現在に至るまでのことについて、ママの京子さん(仮名・33才)に聞きました。さらに、智晴くんの主治医である、同センター血液腫瘍科診療部長の富澤大輔先生に、治療と今後の経過観察などについて解説してもらいました。
(上の写真は、入院中に1才のお誕生日を迎え、病室でお誕生日会をしたときの様子)
薬の副作用で陰嚢が腫れてしまい、お世話するたびに泣かれるのがつらかった
自宅近くの大学病院で「血液の病気の疑いがある」と判断された智晴くんは、成育医療センターに緊急搬送され、まずICUで治療を受けました。
ICUでは、抗がん剤とステロイド治療、白血病細胞が壊れることで血液中に出てくる尿酸などの物質を洗い流すための点滴、輸血を行いました。ただ、ICUで治療したのは、これらの治療を行うためというよりは、乳児白血病は最初の1週間くらいが治療の影響で重症化しやすいからだそうです。
「山場」と言われた状態がある程度落ち着いた3日後に一般病棟へ移り、臨床試験に参加する形で本格的な治療が始まりました。
「点滴や内服での抗がん剤の投与、ステロイド治療、輸血が主な治療内容でした。本人の体質やその時のコンディションなどによって副作用の出方が変わるとのことで、とても複雑で繊細な治療なんだと感じました。
智晴は陰嚢に水ぶくれができてしまいました。切開して処置したのですが、痛み止めを投与してもらったものの、おむつ替えやおふろで洗うたびに泣いていたから、かなり痛かったのだと思います。できるだけ痛い思いをさせないよう気をつけたけれど、お世話するたびに泣かれてしまってつらかったです。
また、点滴のために腕に針を刺したり、骨髄検査前の鎮静(麻酔)処理をしたりする際に大泣きする姿を見ると、『なぜ智晴がこんな過酷な目にあわなければいけないんだろう』と、いたたまれない気持ちになりました。
その一方、智晴が輸血を受けたことで、献血の重要性とありがたみを初めて理解しました」(京子さん)
入院中の半年間は、智晴のつき添いと上の子のケアにすべての時間を費やす
智晴くんが白血病を発症したとき京子さんは育休中だったため、日中に智晴くんにつき添うことはできました。でも、3才の長女がいて、保育園に通っているとはいえ、長女のお世話時間の確保も必要でした。
夫婦で考えたことは、できるだけ智晴くんを1人にさせたくないということ。パパ(光晴さん 仮名・42才)は会社と相談して夜勤の仕事を免除してもらうシフトにチェンジ、日中は京子さん、夜間は光晴さんがつき添うことにしたそうです。
「平日の朝~夕方は私がつき添い、パパは職場から病院へ向かい、夜~朝までつき添いました。土曜日の日中はパパ方の両親がつき添ってくれ、土曜日夜~日曜日は私が担当。土曜日は娘も連れていき、病院で待ち合わせして両親に預け、土曜日夜~日曜日は実家で面倒を見てもらいました。両親はもちろんのこと、保育園やパパの職場が協力してくれたからできたこと。支えてくれたみなさんには言葉にならないくらい感謝しています。
看護師さんたちは毎日のように『無理しないで』と声をかけてくれました。でも、私もパパも智晴のそばにいたいという気持ちが強く、それを第一に考えて行動していました」(京子さん)
京子さんと光晴さんは実際に顔を合わせることは少なく、入れ違いながら智晴くんの看病に明け暮れる毎日でしたが、長女が不安にならないようにすることにも、かなり気を配っていたと言います。
「娘は当時3才でまだまだ甘えたい年齢。その気持ちを受け止めることを重視しました。平日は保育園のお迎えが遅くならないように、病院を出る時間に気をつけました。両親が智晴のつき添いをしてくれる土曜日は、娘と楽しく過ごすことを最優先に考え、お友だちと遊んだり、母娘でテーマパークに出かけたり。
パパは病院から会社へ直接出勤したほうが楽なのに、毎朝一度自宅に戻り、たとえわずかでも娘と顔を合わせる時間を作るようにしていました。
私もパパも、智晴が入院していた半年間は、ほとんど自分のことは考えていませんでした。メールでのやりとりは頻繁にしていたけれど、夫婦でゆっくり話をする時間もとれませんでした。ひたすら気合で乗りきった感じです」(京子さん)
病室で迎えた1才の誕生日。笑顔が増えてきて、ようやく前向きな気持ちに
治療が進むにつれ、よく動くようになったり、笑顔を見せてくれたりすることが多くなっていった智晴くん。そんな様子を見ていた京子さんは、入院3カ月目くらいに「智晴は大丈夫」と思えるようになったそうです。
「徐々に食べられる量が増えたり、ご機嫌で過ごせる時間が多くなったりしていきました。上手にはいはいやつかまり立ちをする智晴を見て『絶対元気になる!』と感じました」(京子さん)
1才のお誕生日は病院で迎えましたが、病室でにぎやかにお祝いしたそうです。
「フェルトで手作りした王冠や一升もちを持ち込み、病棟が貸してくれたおもちゃのケーキも飾り、病室でできる最大限のお祝いをしました。智晴はプレゼントとして渡した木製の楽器のおもちゃに興味を示し、早速ベッドの上で遊び始めました。
入院当初は目の前のことをこなすのが精いっぱいで、『1才の誕生日に何をしよう』なんて考える余裕はありませんでした。だからこそ笑顔で1才の誕生日を迎えられたのが夢のようでした。夕方には看護師さんたちが集まって歌のプレゼントをしてくれ、さらに感激しちゃいました。
入院生活も残り2カ月というところまできて、退院が見えてきていた時期だったこともあり、やっと前向きな気持ちになれました」(京子さん)
智晴はとっても元気だけれど、「白血病」というと過剰に心配されてしまう
2020年3月に1才2カ月で退院した智晴くん。約1年は外来治療(抗がん剤の内服治療)を行いましたが、それも2才8カ月(21年9月末)に終了。現在、経過は良好とのことです。
「退院後に服用していた薬は、薬用ゼリーに混ぜれば抵抗なく飲んでくれたので助かりました。
外来治療終了後1年間は月1回通院して血液の状態を検査し、2年目は2カ月に1回、3年目は3カ月に1回と徐々に間隔があき、4年たったら1年に1回の長期フォローアップに移行すると聞いています。
智晴は毎日元気いっぱいだし、治療については先生方が最善をつくしてくれた実感があるのですが、発熱したときなどには今でもナーバスになってしまいます」(京子さん)
京子さんは育休明けの2021年4月に職場復帰を考えていました。でも、通勤時間を短くできる勤務地への移動や時短勤務など、勤務形態を変更することが難しかったため退職を決断。無理なく働ける自宅近くの企業で、パートの仕事に就くことにしました。
「智晴は上の子と同じ保育園に昨年4月(2才3カ月)から通っています。日常生活はもちろん集団生活でも特別気をつけることはないと先生から説明を受けていますが、智晴の体に負担をかけるような、無理なスケジュールで行動しないようには意識しています。
周囲の子に比べておしゃべりなどの発達がゆっくりめなのは、長期入院していた影響もあるのかなと思いますが、それほどは気にしていません。
智晴は元気でやんちゃな男の子に成長しています。でも、そんな智晴の姿を知っている人でも、『白血病だった』というと過剰に心配されてしまうことが多いので、ママ友や職場の同僚などにはあまり話していないんです。『白血病は治らない病気』というイメージが世間ではまだ強いんですよね。白血病の正しい知識が広まって、そうした誤解が解ける日が早く来ればいいなと思います」(京子さん)
【富澤先生より】治療終了後は普通の生活を送りつつ、長期のフォローアップを続けていきます
急性リンパ性白血病の化学療法は、入院で約半年かけて行う寛解導入療法・強化療法と、外来で約1年かけて行う維持療法とに分かれます。智晴くんの場合も、約半年間の入院化学療法を終えて、治療経過も良好であったことから、退院して内服の抗がん剤を中心に用いた維持療法を約1年にわたって行いました。維持療法中は1カ月に1回程度外来通院をしていただきますが、通院日以外は同じ年齢のほかのお子さんと同様に、「ふつう」の生活をしていただきます。保育園や幼稚園にも通っていただいています。私自身、毎月の外来で、智晴くんの保育園や自宅での様子をご両親からお聞きすることを何よりの楽しみにしています。
治療によって患者さんの体の中から白血病細胞が完全に消失していれば、「治癒」するわけですが、実際は完全に消失しているかどうかを調べる方法はありません。ただ、時間が経過すればするほど再発のリスクは減少することから、時間経過とともに通院回数も減っていき、通常、治療終了後4年経過して再発がなければ「治癒」とみなします。ただ、患者さんによっては子どものころに受けた治療の影響で「晩期合併症」が現れることがあり、とくに造血幹細胞移植を受けた患者さんでは注意が必要です。そのため、再発の心配がなくなったあとでも、1年に1回程度、長期フォローアップを行います。
お話・写真提供/前田京子さん 取材・文/東裕美、ひよこクラブ編集部
外来治療も終えて半年以上がたつ智晴くんは、白血病を患っていたことを忘れてしまうくらい元気で、体を動かすのが大好きだそうです。