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わずか体重370gで生まれたわが子。「何があってもこの子と生きていこう」手足をバタバタ動かしている姿を見て胸が熱く【体験談】

更新

2018年の5月29日に、身長26.0cm、体重370gの小ささで生まれた坂上芽(めい)ちゃん(3才)。ママの彩さん、パパの真大(まさとも)さんの3人で神奈川県内に暮らし、芽ちゃんは保育園の3才児クラスに通っています。ママの彩さんに、妊娠24週での出産のことや芽ちゃんの成長について、話を聞きました。
(上の写真は生後30日の芽ちゃんを彩さんが手のひら抱っこした時の様子)

待ち望んでいた赤ちゃん。どんなことがあっても産みたかった

生後70日で、芽ちゃんの体重は1000gに

2018年、1年弱の不妊治療をしていた坂上さん夫妻は、待望の赤ちゃんを授かりました。彩さんは以前、不妊治療で授かった赤ちゃんを流産した経験があったことや、高齢出産であることなどから、NICUがある病院を選び、妊婦健診に行っていましたが、24週の健診で赤ちゃんに異変が見つかります。

「いつもは診察中にいろいろと話してくれる先生なのに、その日は診察してすぐにスッとどこかへいなくなってしまいました。不安な思いでしばらく待っていると、隣の部屋から『本人には受け入れ先が決まってから伝えよう』という声が聞こえました。
そして、診察室に戻った先生から、赤ちゃんが22週の大きさから育っていないこと、羊水(ようすい)がほとんどなくなっていて、胎盤への血流が悪くて赤ちゃんに元気がないこと、ここでは何もしてあげられないのでほかの医療機関へ搬送する必要がある、と説明を受けました。受け入れ先の病院を探してくれましたが、『受け入れ先が見つかったとしても、この小ささ(当時推定400g台)では助からない可能性も高い』とも言われました。私たち夫婦が待ち望んでいた命です。『とにかくどこでもいいので助けてください』とお願いしました」(彩さん)

その場で待つこと約2時間、ようやく神奈川県立こども医療センター(以下こども医療センター)が受け入れてくれることが決まり、彩さんはドクターカーで搬送されます。搬送中に血圧を測ると180を超えるほどの高血圧だったそうです。

「こども医療センターでは『ママの妊娠高血圧症候群と、赤ちゃんの元気のなさの2つの問題から、妊娠を終了して出産することを検討しなければならない状況ですが、この大きさで生まれると合併症や発達の問題が懸念されます。
この病院では24週で出生した赤ちゃんは9割以上救命できていますが、400g台だと救命率はさらに低くなり、命を助けられても発達に課題が出てくる可能性はより高いです。また、出生後も小さいので呼吸器もつけられないかもしれません』

と先生から説明され、このまま妊娠を継続して自然のままでみるか、出産して助けることを目指すか、のどちらを選択するかと聞かれました。『絶対に産みます』と返事をしたのを覚えています」(彩さん)

その思いは、真大さんも同じでした。

「夫とは、不妊治療で授かった1人目の子を流産してしまったとき、次に来てくれる子はどんな子だとしても絶対に育てよう、と話をしていたんです。
先生から赤ちゃんのリスクについて、障害が残る可能性があること、ベッドで寝たきりになるかもしれないこと、などの説明を夫と一緒に聞きましたが、私たちの心は決まっていました」(彩さん)

推定体重より小さかった娘。でも生きていてくれたことにただ感動した

生後すぐの芽ちゃんの様子

緊急搬送の翌日、5月29日に彩さんは帝王切開で赤ちゃんを出産することになりました。手術前日の夜は、赤ちゃんの心音が止まってしまわないかと不安で一睡もできなかったそうです。

「手術は局所麻酔で、意識ははっきりしていました。赤ちゃんが出てきたとき、執刀医の先生が『わっ小さい!』と言ったのが聞こえました。検査では推定400gと言われていたのですが、もっと小さかったんだ、と思いました。

私は手術台で産後の処置を受けたのち、30〜40分くらいしてやっと娘に会うことができました。体温保持のためのラップに包まれて、呼吸器をつけて、肌は赤黒くて、とってもとっても小さい赤ちゃん。手足をバタバタって動かしている姿を見て、ただただ『生きてくれている!』と感動しました」(彩さん)

彩さんがその後、あらためて芽ちゃんに会ったのは、翌日のこと。でも今となっては、そのときの記憶が抜け落ちてしまっている、と彩さんは言います。

「初めて芽に触れたこと、そのときは『絶対一生忘れない』と思っているはずなんですけど…覚えていないんです。日記や当時の写真、夫の話によると、私は芽に最初に会ってひと言目に『ごめんね』と言っていたそうです」(彩さん)

「芽」という名前は、5月に生まれたことと、芽吹いた小さな命が大きくたくましく育ってくれるようにと願いを込めてつけられました。

「僕たちは芽が24週から大きくなっていく様子を直接見られるね」と夫が

写真上:生後1カ月弱 体重約470g 写真下:生後4カ月弱 体重約2,000g

芽ちゃんが産まれたあと、坂上さん夫妻は、医師から72時間は合併症などが起こる可能性があること、予想されるさまざまな症状に備え、適宜投薬などの処置を進めていくことを説明されました。その3日間、夫婦で芽ちゃんの命に向き合い、さらに絆(きずな)が深まったと言います。

「産後2〜3日目のあるとき、NICUの外にある廊下のベンチでこれからのことを話し合いました。廊下の壁にはNICUで生まれて2才になった子のママたちからのメッセージや出生体重などがたくさん掲示されていたんですが、その中でも、370gの小ささで生まれた子はいなかったんです。でもそれを見て『芽は絶対大丈夫。何があっても育てよう』『もし芽の入院が続くなら、家を売って病院のそばに住もう』と、娘中心で生きていくことを、2人であらためて決意しました」(彩さん)

芽ちゃんの入院中、落ち込むことも多かった彩さんに、真大さんは前向きに声をかけてくれました。

「生後2週間のころ、夫が『本当ならおなかの中で成長するけど、僕たちは芽が24週から大きくなっていく様子を直接見られるね』と言ってくれたんです。小さく早く産んでしまったことを申し訳なく思っていたけれど、その言葉で気持ちがふっと軽くなり、救われました」(彩さん)

少しずつの成長に、命の力強さを感じ勇気づけられた

生後28日、初めて芽ちゃんを手のひら抱っこでき、喜びと感動で泣きながら笑顔の彩さん

芽ちゃんが彩さんの初乳を口にしたのは、出産翌日の5月30日の夜のこと。

「0.1mlくらいのわずかな初乳を綿棒に含ませたものを、看護師さんが娘に与えてくれたそうです。帰宅前にNICUに立ち寄った夫がその場面に立ち会えた、と私の病室に戻ってきて『チュッチュッてしてたよ』と教えてくれました。その日は私の誕生日。娘が初乳を口に含んで頑張って生きてくれていることが最高のプレゼントでした。初乳には免疫を高める力があると聞いていたので、うれしくてうれしくて、夫と2人で泣きました」(彩さん)

産後5日ほどで彩さんは先に退院し、その後はしばらく、夫婦で毎日自宅から片道1時間半をかけて芽ちゃんに会いにいく日が続きました。当時のNICUは24時間面会ができたため、フリーランスで働いていた真大さんは病院の近くのカフェで仕事をし、彩さんはできるだけ芽ちゃんにつき添いました。

「心拍や呼吸が乱れてきたときなどにホールディング(上から包むように頭や身体に手を当てる)してあげたり、生後1週間くらいからは『カンガルーガーゼ』というケアもしました。ママの胸元に当てていたガーゼを、赤ちゃんにかけてあげることで、ママのにおいや常在菌を赤ちゃんの皮膚につけるようにするケアだそうです。

その後、芽は順調に成長してくれました。生後28日で初めての『手のひら抱っこ』をしたときのうれしさや感動、生後52日に呼吸器の管(チューブ)が抜け、初めて芽の声を聞いたときのかわいらしさ…、忘れられません。芽の命の力強さに勇気をもらっていました」(彩さん)

娘との何気ない日常が、幸せでうれしくてしょうがない

生後約3カ月でこども医療センターから自宅近くの病院のGCUへ転院し、生後約4カ月で退院となった

芽ちゃんは入院中に何度か輸血が必要だったことはあったけれど、そのほかの大きな手術などはなく生後4カ月で家に帰ることができました。

「退院するまで合併症も手術もなく育ってくれ、本当に奇跡だね、と言われました。おそらく、何かが起きる前に先生が適切な投薬をしてくれていたんだと思います。3カ月ほどこども医療センターに入院したのち、出産前に妊婦健診に通っていた自宅近くの病院のGCU(※)に転院しました。5月に生まれた当初は、年末くらいに退院できればいいね、と言われていたのが、4カ月後の9月29日にGCUを退院し家に帰ってくることができました」(彩さん)

現在、芽ちゃんは3才。ゆっくり成長しています。

「芽は体が小さく、現在の体重は10kg弱で、1才半の子と同じくらいです。今年の1月の検査では、腎臓が6〜7割しか機能していないことがわかりました。小さく生まれたため、腎機能へのリスクがあったようです。
また、確定診断は受けていませんが、おそらく自閉スペクトラム症と知的障害があると感じ、療育に通っています。単語は話すものの言語のコミュニケーションはあまり取れません。だけど、3才になって初めて『ダメ!』という言葉が出たとき、やっとお話ししてくれた、と本当にうれしかったんです。

私自身が、子どもが生まれて本当に変わったことは、小さなことに感謝できるようになったこと。芽との何気ない日常がうれしくてしょうがないんです。
芽が早く産まれてよかったとは思ったことはないですが、芽が早く産まれたからこそ、いろんなことを知る機会や勉強ができています。
今は、いつか、芽とおしゃべりできるようになったら本当にうれしいな、と思います」(彩さん)

【齋藤朋子先生より】家族の力が芽ちゃんの順調な成長を支えたと感じます

3才の誕生日の記念写真。芽ちゃんは笑顔がとても素敵な女の子に成長しています。

はじめて坂上さん夫妻にお会いしたのは、妊娠24週で当センターに転院された当日でした。急に体が小さい、早産で生まれるかもしれないと聞いて戸惑われている中、私たちからも小さく生まれた子たちの先をお話することになりました。
現在日本で1000g未満で出生する赤ちゃんは全出生数の0.3%、年間およそ3000人です。その中でも出生体重が小さいほど救命の可能性は低くなり、日本のデータベースで300g台の赤ちゃんの救命率はおよそ50%です。また、退院後も目や耳の機能や、発達の遅れに対する支援が必要な赤ちゃんが多く、さまざまな課題と向き合いながら生活しています。
ご両親にとってつらい話で、さらに決断する時間の短い中、坂上さん夫妻は出産して芽ちゃんとともに生きていくことを強く望まれました。
出生体重370gは当センターで一番小さな赤ちゃんでした。芽ちゃんは保育器の中で人工呼吸器や点滴を長い間必要としました。また頭の出血やおなかのトラブルなども懸念されました。
最初の数日はそのような心配事を毎日お話し、ご両親は心休まらなかったと思います。お母さんが退院された後も遠くから毎日面会に来られて、お父さんも仕事の都合をつけながら家族3人で長い時間NICUで過ごされていました。私たち以上に芽ちゃんのことをよく理解されていたように思いますし、合併症なく順調に成長できたのは、ご家族の力が大きかったと感じています。

お話・写真提供/坂上彩さん 取材・文/早川奈緒子、ひよこクラブ編集部

監修/齋藤朋子(さいとうともこ)先生

彩さんは小さく産んでしまったと自分を責め、不安を抱えながらも、芽ちゃんの生きる力の強さに励まされたそうです。夫婦で芽ちゃんの一歩ずつ成長する様子を喜び、温かく見守っています。

※記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

(※)新生児回復室。NICUで治療を受け、状態が安定してきた赤ちゃんが、 引き続きケアを受けるところ

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