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5才で小児がんを発症し、小4で再発・・・。娘のためにできることはどんなことでもやると決め、神経芽腫と闘い続けた日々【体験談】

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上の写真は、再発がわかり入院していたときの10才の一乃さん。

5才のときに、小児がんの神経芽腫を発症した浦尻一乃さん(21才)は1年2カ月にわたる闘病を乗り越え、小学校生活をスタートさせました。周囲のサポートを受けつつ、充実した小学校生活を送っていましたが、10才のときに再発。再発治療のときの一乃さんの様子と、両親の気持ちについて母親のみゆきさん(52才)に聞きました。

体育などは付き添ってサポート。クラスのお友だちも助けてくれました

神経芽腫とは交感神経節や副腎髄質にある神経の細胞にできるがんで、脳腫瘍を除いた小児期にできる固形腫瘍の中で最も多い病気です。

「小学校入学後は担任の先生と時間割を見ながら、この授業は親の付き添いが必要、ここは一乃一人で大丈夫と、こまかく打ち合わせをして、付き添いが必要な授業があるときは学校に出向きました。
入学前に主治医が『学校生活を楽しみたいよね。たくさん頑張ったんだからできることはどんどんやろうよ』と言ってくれたので、できないとあきらめるのではなく、一乃ができるようにするには何が必要かを考え、学校の理解と配慮に加え、主治医とママ友に支えてもらいながら、サポートしていました。」(みゆきさん)

教室を移動するときの階段の上り下りは、隣を歩く子が手をつないでくれるなど、クラスのお友だちも協力してくれました。

「お友だちと同じようにできないこともあったけれど、一乃は一乃ができることを精いっぱいやり、小学校生活を楽しんでいたと思います。生き生きと学校生活を送っている一乃の姿を見られることが、私も夫も本当にうれしかったんです。

ただ、退院後しばらくは、感染症にかかると合併症を重症化させる心配があったので、水ぼうそう・おたふくかぜ・インフルエンザなどの感染症がはやったときは、予防のために学校を休ませていました。そのため、学校とは密に連絡を取り合っていました」(みゆきさん)

正確な診断がつくまでに、夫婦で集められるだけの情報を集め、闘病に備える

退院後3カ月間は週1回通院して検査を受けていましたが、徐々にその間隔があいていき2~3カ月に1回の経過観察でよくなっていったそうです。

「経過は順調でしたが、臓器や内分泌、骨などの合併症のフォローアップを受けていました。また、晩期合併症(※)のリスクは常にあり、大人になっても経過観察は必要になります。一乃には自分の病気のことを正しく理解してほしいと考え、3年生(9才)のとき、小児がんだったことを話しました。なぜ退院後も長期にわたり通院が必要なのか、何のための検査なのかを説明をし、自分の体のことを理解できるようにしました」(みゆきさん)

一乃さんはとても元気に日々を過ごしていましたが、10才の2011年12月21日、定期検査のMRIで異常が見つかりました。そして、28日にMIBGシンチ検査を行い、再発したことを告知されました。詳細な検査は年明けに行うことになり、2012年1月4日に入院することになりました。

「再発は命の期限をも覚悟すること。小児がんに罹患して、これまでも一緒にいられることの尊さをわかっていたので、再検査から入院までの6日間は、普通に過ごすよう努めました。でもその一方で、わらにもすがる思いで、情報収集にも時間を費やしました。
神経芽腫の仲間からつながった、アメリカ在住で神経芽腫の治療を受けたお子さんがいる日本人の方に、アメリカでの治療について聞いたりもしました。

初発時と同じ公立の子ども病院で治療を受けることにしていましたが、再発が確定したときには、その病院の中でも、がん専門病院で小児がんの治療実績もある精力的な先生に『主治医になってください』とこちらからお願いし、承諾してもらいました。

再発がわかる前から、みゆきさん夫婦は情報収集に努めていました。

「初発時は神経芽腫という病名すら知らない状態で入院し、緊急性が高く、一乃の状態も悪かったことから、検査と治療がどんどん進められ、私たちの心も頭も理解が追いつかない状態でした。
初発の退院後から小学校4年生になるまでは、再発はしないと信じつつも、神経芽腫に関する情報は夫婦で集めていました。『がんの子どもを守る会』にコンタクトを取って話を聞いたり、神経芽腫のシンポジウムに夫婦で参加したりもしました。

再発がわかったときの私の恐怖や迷いを払拭してくれたのは、初発のときに夫が言った『何があっても信じるって気持ちは、何があっても変わらないだろ!』です。この言葉が常に心にあり、できることはどんなことでもやると決め、再発した神経芽腫と闘う準備をしました」(みゆきさん)

(※)晩期合併症:治療が終了して数カ月から数年後に、がん(腫瘍)そのものからの影響や、薬物療法、放射線治療など治療の影響によって生じる合併症。

抗がん剤治療で腫瘍が小さくなり血管から離れる効果を期待する、との診断だったけれど・・・

小児がんのような重い病気の子どもを心理的に支援するプログラム「ビーズ・オブ・カレッジプログラム」に参加したときの写真。

年が明けてすぐに受けた詳細な検査により、再発の治療方針が確定しました。

「神経芽腫が再発した場合、初発時のような標準治療はなく、一人一人のオリジナル治療になるとのことでした。まず一乃に有効性が期待できる抗がん剤治療を2クール行ったところで、治療成績を評価することになりました。
効果があることを祈りましたが効かず、素人目でもわかるくらい腫瘍が膨張していました。このまま続けて、腫瘤がさらに大きくなったら治療が難しくなるため、提示された抗がん剤治療は選択肢からはずすしかありませんでした」(みゆきさん)

一乃さんは傍大動脈(ぼうだいどうみゃく/大動脈のすぐ近く)周囲および右腎門部近傍(みぎじんもんぶきんぼう/右の腎臓にある、腎門という血管や尿管が出入りしている場所の近く)に腫瘤が見つかり、再発と診断されました。腫瘍が全部きれいに取り切れる場合は手術を行いますが、腫瘍が大事な血管にからまったり血管を巻き込んだりしているため、きれいに取ることは難しいと言われたそうです。さらに、造血幹細胞移植を行った場合は、多臓器不全のリスクがあるとも。

「『手術しか方法がない』と主治医は言いました。でも、大動脈を巻き込むように腫瘍ができているという説明を受けていたので、そんな危険な場所にある腫瘍を取る手術をしたら、一乃が死んでしまうのではないか・・・という恐怖が大きすぎて、私も夫も手術を受けることを決断できませんでした。

そんなみゆきさんたちの様子を見て、主治医がセカンドオピニオンを受けることをすすめてくれました。

「たとえ手術以外の選択肢がないのだとしても、納得したうえで受けたかったので、第三者的立場の医師の意見を聞くために、2つの病院でセカンドオピニオンを受けることにしました。
1つの病院は治験と抗がん剤について意見を聞くのが目的だったので、夫婦だけで行きました。もう1つの病院(外科)は手術について話を聞くため、一乃も一緒に行きました。一乃自身も手術が怖くて受け入れられず、拒否や抵抗があったので、一乃にもわかるように説明してもらい、今後の治療について考えることにしたのです」(みゆきさん)



お話・写真提供/浦尻みゆきさん 監修/富澤大輔先生 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部

監修/富澤大輔先生(国立成育医療研究センター 小児がんセンター 血液腫瘍科診療部長)

みゆきさん・浩一さん夫婦は、一乃さんの再発が確定したことで、再び神経芽腫と闘うための準備を始めました。そして、治療方針の変更とリスクが大きいといわれた手術を提示されたことで、セカンドオピニオンを受けることを決めました。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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