妊娠23週、445gで生まれたわが子。医師からは「500gあれば…」と言われショックも【体験談】
20歳の長女、15歳の長男、11歳の二男の3人の子をもつ谷山綾子さん。次男の瑞樹くんが、妊娠23週、わずか445gで生まれたのは、2012年2月のことです。妊娠中の経過や出産について、谷山さんに聞きました。
妊娠初期から発熱を繰り返し、発疹や頭痛も
谷山綾子さん(以下綾子さん)が結婚したのは19歳のときでした。
「夫は私の兄の同僚で、兄と仲がよく、実家によく遊びに来たりしていました。そこから交際がスタートし、結婚してすぐに長女が生まれました。それから5年後に長男を出産しました。3人目の瑞樹を妊娠したのは29歳のときです。
しかし妊娠初期から妊娠6カ月に入るぐらいまで発熱が続き、高いときは40度ぐらいまで熱が上がり、下がっても37度台でした。発疹(ほっしん)が出たり、頭痛もひどかったです。妊娠の影響なのか?それとも病気なのかわからないけれども、上の子たちを妊娠したときは、こういうことがなかったので気になっていました。
通っていた産科クリニックの医師に『大きな病院の内科で一度診てもらってください』と言われて、総合病院の内科を受診しました。
診断の結果は『なんらかの感染症だけど、何のウイルスかまではわかりません』とのことで、妊娠中でも服用できる解熱剤を処方されて、自宅で安静にするように言われました」(綾子さん)
切迫早産で入院。羊水が減ってきていると言われ、こども病院に救急搬送される
熱が下がり、頭痛や発疹がおさまったものの、綾子さんは年末、切迫早産(せっぱくそうざん)で入院することに。
「少し出血があり、入院が長期化しそうだったので、上の2人の子どもたちは私の実家で預かってもらうことにしました。それまでも自宅で安静にしていた私と子どもたちのお世話のために、実母が仕事を休んで手伝いに来てくれていたのですが、もう有休がとれないような状況だったので…。長女は実家の近くの小学校に転校させました。長男も保育園を退園し、私も仕事を辞めました」(綾子さん)
切迫早産で入院して、1日でも長くおなかの中で成長できるように安静と治療を続けていましたが、入院から2カ月がたった23週0日(妊娠6カ月後半)事態が急変します。
「午前中、医師に『おなかの張りも強いし、羊水(ようすい)が減ってきているから、大きな病院に転院したほうがいい』と言われました。県立こども病院のベッドに空きがあるからと言われ、すぐに救急車で搬送されることに。
ただそのとき医師は『しばらくしたら、この産院に戻って来られると思うよ』と言うぐらい、そんなに緊迫した様子はなかったです。私も不安を感じていないと言えばうそになりますが、あまり深刻には考えていませんでした。
救急車に医師も同乗したのですが、救急車の中でおなかの張りが強くなってきて、そのことを伝えると医師からは『救急車は揺れるから、その影響かもしれない』と言われました」(綾子さん)
すぐに帝王切開をするか、できるだけ出産を延ばすか、究極の選択を迫られる
県立こども病院に着いたのはお昼ごろでした。綾子さんから連絡を受けて、夫も駆けつけてきました。
「こども病院に着いたら、おなかの張りがますます強くなりました。私の診察をしながら、こども病院の産婦人科の医師は『早く産んだほうがいい』と言うのですが、新生児科の医師は『赤ちゃんのことを考えれば、できるだけ1日でも長くおなかにいてほしい』との考えでした。医師同士でもいろいろなケースを考えて相談をしてくれたようです。
夕方になって、産婦人科の医師が私と夫に状況を説明しながら『どうしますか?』と聞いてきました。医師からは『このまま様子を見続けていると、母体と赤ちゃん両方の命が危なくなるかもしれない』とも言われました。
私も夫も、できる限り出産を先延ばしにしたい! まだ生まれるには早すぎる!とは思うものの不安でいっぱいでした。私は泣くしかなく、夫は切迫早産で入院していた産科クリニックの医師に電話をして相談したりしていました。
夜8時ごろになり、おなかの張りがますます強くなり、夫は私の苦しむ様子を見ていられなくて、医師に『母体の命を優先にしてください!』と伝え、緊急帝王切開で出産することになりました」(綾子さん)
自分を責めて、NICUの瑞樹くんに会いに行けず、産婦人科医に背中を押される
瑞樹くんが生まれたのは、2012年2月2日。日付が変わってすぐのこと。生まれたときの身長は28cm、体重は445gでした。
「瑞樹は産声(うぶごえ)もあげず、すぐにNICU(新生児集中治療室)に運ばれました。瑞樹の顔を見られたのはわずか数秒でした。
産婦人科の医師はおなかの赤ちゃんの体重は500g台はあるだろうと予測していたそうです。しかし生まれたときの体重は445g。『500g台あれば・・・。400g台だと救命率が下がると思ってください』と伝えられました。そのときのショックは今でも忘れられません。
夫はすぐにNICUに運ばれた瑞樹の様子を見に行って、ベッドにいる私に『すごく小さいけれど、心臓はちゃんと動いているよ』と教えてくれました。
産婦人科の医師からは『早産になった原因はわかりません。妊娠中にママが体調を崩したことが一因かもしれないけれども、それが原因とは断定できません』と言われたのですが、私は『こんなに小さく産んでしまったのは私のせいだ!』と自分を責めました。NICUにいる瑞樹に会いに行く勇気もありませんでした。
そうした私の姿を見た産婦人科の医師から、出産の翌々日に『今、赤ちゃんに会いに行かなかったら、ずっと会いに行けなくなるよ。頑張って、会いに行ってあげてください』と言われ、ようやく瑞樹に会いに行く決心がつきました。
瑞樹は保育器の中に入っていて、いろんなチューブがつながれていて、触ったり、抱っこしたりすることはできません。皮膚も黒ずんでいて、正期産(せいきさん)で生まれた上の子たちとはまったく違います。『片手に乗るぐらい小さい。足だって、私の人さし指ぐらいの太さしかない。腕も私の小指より細い。おしりにお肉もついていない。想像していた赤ちゃんと全然違う。私のせいだ・・・』と自分を責める気持ちがますます強くなりました」(綾子さん)
瑞樹くんの名前を決めたのは、綾子さんです。
「妊娠中から、縁起がいいといわれる瑞という字を入れたいと思っていました。小さく生まれた瑞樹を見て、樹木のようにすくすくと大きく、たくましく育ってほしいと願いを込めて瑞樹と名づけました」(綾子さん)
初めて抱っこできたのは生後2カ月。3カ月半で未熟児網膜症の手術を
綾子さんは、産後10日で退院し、自宅から毎日、瑞樹くんに会いにNICUに行きました。瑞樹くんを初めて抱っこできたのは、生後2カ月になってからです。
「生後2カ月で体重は1500gになったのですが、やっぱり小さいな。軽いなと思いました」(綾子さん)
瑞樹くんは、出生体重1000g未満なので超低出生体重児です。小さく生まれた赤ちゃんは、器官が未熟なので心臓や目などに病気や障害を生じるリスクがあります。瑞樹くんも生後2カ月のとき未熟児網膜症と診断されました。
「生後3カ月半のとき、未熟児網膜症の治療でレーザー手術を受けました。幸い、瑞樹は左目の一部だけの手術で済みました。心臓にもとくに異常はないと言われて、退院できたのは生後4カ月になった6月10日です。
5月29日が出産予定日だったので、おっぱい・ミルクが順調に飲めれば、そのあたりに退院できるかも、という説明は以前よりありました。退院予定日の3週間前から、沐浴や授乳の練習が始まりました。
母乳の飲みが悪いので、瑞樹は混合栄養です。1回に飲むミルクの量は50ml程度と少ないのですが、少しずつ確実に成長し、退院のときには身長47.5cm、2950gになっていました。
酸素吸入のチューブがついたままの退院となりましたが、わずか445gで生まれた赤ちゃんがここまで大きくなるなんて! 赤ちゃんの生命力の強さ、たくましさに感動しました」(綾子さん)
綾子さんは、産後10日で退院し、自宅から毎日、瑞樹くんに会いにNICUに行きました。瑞樹くんを初めて抱っこできたのは、生後2カ月になってからです。
お話・写真提供/谷山綾子さん 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部
日本では低出生体重児の赤ちゃんが増えていて、約10人に1人が2500g未満で生まれているといわれています。
綾子さんは「NICUに入院中は、とくにママは自分を責めたり、悩んだりすると思いますが、NICUは必ず退院できるし、赤ちゃんは成長します。悩んでいるのは自分だけではない!と思ってほしい」と言います。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
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