「生きてさえいればいい」と毎日必死。三つ子の赤ちゃんと上の子の4人育児をワンオペで乗りきる日々【三つ子育児体験談】
haruさん(36歳・看護師)は2017年に三つ子を自然妊娠し、同年8月に出産しました。現在は夫のヨシくん(37歳・営業職)、花子ちゃん(8歳)、三つ子の太郎くん・次郎くん・三郎くん(5歳)の6人で兵庫県で暮らしています。子ども4人の育児をほとんどワンオペでこなしてきたというharuさん。その壮絶な育児の様子について聞きました。全3回のインタビューの2回目です。※名前はすべて仮名です
上の子と三つ子、4人をワンオペ育児するしんどさ
三つ子ちゃんが生まれた2017年当時、夫のヨシくんは会社で育休が取れない状況でした。haruさんは花子ちゃんと三つ子の育児をなんとか1人でこなそうと頑張っていたのだそうです。
「夫は仕事で早朝から深夜まで不在、出張も多かったです。また、夫の両親も仕事があり、私の実家も事情があって頼れない状況でした。2歳の花子と三つ子の子育てをワンオペでこなすにはどうしたらいいか、夜に寝る時間から逆算してなんとかお世話をこなしていたと思います」(haruさん)
1人の子育ても大変なことはたくさんだけれど、三つ子といえばやることは3倍。授乳一つとっても、ママ1人ではどうしても手がたりません。
「三つ子が低月齢のころはだいたい3時間おきに授乳していましたが、おっぱいは二つしかないので、授乳は母乳と粉ミルクを併用していました。3人を1人ずつ抱っこして授乳することはほとんど不可能です。三つ子にはクッションやスマホスタンドを使って哺乳びんを支えて“セルフ授乳”してもらっていました。子どもたち一人一人それぞれに手をかけてあげることはできず、とりあえず『生きてくれていることが大切、生きてくれていればいい』というスタンスで日々お世話に向き合っていました。
哺乳びんの数はいちばん多いときで12本ありました。1人あたりにすれば4本、4回分です。授乳のあとに洗ったり消毒したりするのは、食洗機と電子レンジをフル活用していました。常にマンパワー不足なので、ドラム式乾燥機やロボット掃除機などの家電ももちろんフル稼働していました」(haruさん)
haruさんは自分が倒れないようにと昼寝などで睡眠をとっていましたが、それでも産後1年ほどはこま切れ睡眠の生活が続きました。
「睡眠は毎日3〜4時間で、あとは寝られるときに昼寝をしていました。看護師として働いていて夜勤もあったから、夜中に起きるのはそこまで負担ではないと思っていましたが、さすがに1年もその生活が続くと、体力的にかなりしんどかったです。三つ子を産んでから1年くらいは、まとまってぐっすり寝た記憶はありません。今振り返ると、寝られなかったことがいちばんつらかったかもしれません」(haruさん)
自治体の産後ケアやファミサポ、近所のサポートにも助けられた
haruさんは仕事が忙しい夫に代わって、自治体のサービスなどの頼れる先を利用することにしました。
「三つ子の母子健康手帳をもらうときに、産後ホームヘルプサービスやファミリーサポートに登録したほうがいいと案内され、妊娠中に事前登録しておいてよかったです。産後ホームヘルプサービスでは水まわりの掃除や料理を2時間1600円でしてもらえました。ファミリーサポートは、花子の保育園の送迎をお願いしていました。
また、夫の会社の福利厚生制度でのベビーシッターの割引や、内閣府のベビーシッター割引券が利用できたこともとても助かりました。今現在も看護師の仕事で夜遅くなることが多いので継続して利用しています。
三つ子を育てていると、役所の手続きはもちろん、買い物に行くこともすごく大変です。食事は宅食サービスを使えば、買い物に行く時間も節約できるし玄関先まで運んでくれるから助かりました」(haruさん)
いろんなサービスを多用しながらなんとか花子ちゃんと三つ子たちの子育てを乗りきってきたharuさん。近所のつながりにも助けられた、と話します。
「私の三つ子妊娠を知ったご近所のママ友や、その友だちがタッグを組んで助けてくれたんです。彼女たちは家に手伝いに来てくれて『勝手に触ってほしくないところは言ってね』『話すのも疲れると思うけど、もし話を聞いてほしいなら聞くよ』『どうやったら助けになるか教えてね』と私の要望を聞いてくれました。
ほかにも『花子と2人になる時間を作ったほうがいい』って、三つ子を見ていてくれ、その間に花子と2人で過ごしたり、『カフェに行ってきたら』と、私が1人になれる時間や仮眠を取れる時間をくれたり。絶妙な距離感を保ちながら助けてくれたんです。核家族社会にこんなにあたたかいご近所づき合いがあることに本当に感動しました」(haruさん)
仕事と三つ子育児の両立の難しさに直面
三つ子たちが生後半年になったころ、haruさんは職場復帰することにしました。そこには、花子ちゃんの保育園問題が関係していたと言います。
「三つ子が生まれたときに、長女が小規模保育園卒園の年だったので、次の保育園に入園するために何が何でも復職する必要がありました。
そして必死に保活したけれど、1次募集では落ちてしまい、2次募集で長女と三つ子が別々の保育園に。送り迎えに2カ所をまわらなくてはなりませんでした。
保育園入園後は、仕事が終わると先に花子を迎えに行き、三つ子たちの園にお迎えへ。間に合わない時はタクシーを使うこともありました。自宅に帰る時にもタクシーを使いたかったんですが、当時の兵庫県にはワゴンタイプのタクシーがなく双子用ベビーカーを積めなかったんです。三つ子を迎えたら、2人を双子用ベビーカーに乗せ、1人を抱っこして、花子と一緒に歩いて帰る、という日々。雨が降ると最悪です。
帰宅後は4人のお世話でバタバタ。三つ子に離乳食を与えて、べちゃべちゃに汚れたテーブルや床を片づけて、4人をおふろに入れて・・・と1人でこなす日々。毎日倒れるように寝ていました」(haruさん)
着替えやおむつなどの荷物も4人分。いちばん負担に感じたのは使用済み紙おむつの持ち帰りです。
「保育園で過ごす間、最低でも1人5つは紙おむつのゴミが出るので、3人分だと15個を持ち帰ることに。あまりにかさばるので、保育園で紙おむつを処理してほしいと交渉し、処理代を支払うことでOKしてもらったけど、『紙おむつを処理してほしいと言うのはharuさんだけですよ』と言われてしまい、ショックでした。
老人福祉施設に通っている親のおむつを持ち帰って、と言われないはずなのに、保育園は持ち帰らないといけないのは納得がいかない気持ちでした」(haruさん)
子ども4人の保育園の送迎に、仕事に、帰宅後のお世話・・・とすさまじい忙しさの中で、haruさんは仕事との両立の難しさを実感したと言います。
「産後半年で仕事復帰したものの、保育園に通い始めた子どもたちが次々に発熱し、出勤して職場のデスクについた途端に保育園から呼び出しの電話が鳴ることも。仕事を早退することも、休むこともしょっちゅうでした。
2カ月ほど頑張り続けたある日、夫の母が『無理はしてもいいけど、むちゃはしちゃいけないよ。人生長いから、今体を壊さないように仕事は休んだら?』とアドバイスをくれたんです。私の体を気づかってくれた言葉に素直に納得しました。それで半年ほど仕事を休むことにしました。
仕事を休んでいる間も保育園には通い続けましたが、2歳と0歳の子どもが4人いると次々に風邪をひいたり熱を出したりするので、自宅保育しているような状況。4人とも保育園に行くことができた日は山盛りの洗濯物や散らかりっぱなしの家を片づけたり、という日々でした」(haruさん)
体力勝負の三つ子育児。1歳を過ぎたら寝室を別にした
三つ子たちが1歳になったころ、haruさんは自分の睡眠時間を確保するため寝かしつけをしないと決めたそうです。
「三つ子が1歳になるころまで私も同じ寝室で寝ていましたが、常に睡眠不足の生活に限界が来ていました。そこで1歳のころに寝かしつけはしない、と決めたんです。
『おやすみ』と言って子どもの寝室のドアを強制的に閉めて寝かせる方法を取りました。ネントレ、なんてたいそうなものではないんですが・・・お姉ちゃんもいて4人であれば怖いこともないし、すんなり子どもたちで寝てくれるように。子どもと別々に寝ると、自分の体がしっかり休まって回復できるようになりました。日中の仕事と帰宅後の育児で目が回る忙しさでしたが、睡眠が取れるようになってやっと少しマシになったと感じました」(haruさん)
世の中は私たち以外の99%が暮らしやすいようにできている
haruさんはその後三つ子たちが1歳になってから看護師の仕事に再復帰します。そんな中、2017年から三つ子たちの妊娠と成長記録のために書き始めたブログが人気となり、2018年8月にはアメブロトップブロガーとなりました。
「三つ子を妊娠したときに、多胎育児のことを調べてもあまりに情報が少なくて驚きました。事前情報があるのとないのとでは心のゆとりが雲泥の差だと思います。私の発信が少しでも誰かの役に立てればいいなと思っています。『私と同じような人に情報を届けたい』んです。
また、私はズボラで撮りためた子どもたちの写真の整理ができないので、ブログが記録用にもなっています。20年後に見返したときに、自分のおなかはこんなだったな、当時こんなふうに思ってたんだな、と振り返れると思って、今も続けています」(haruさん)
そんなharuさんは、「多胎育児」についてもっと世の中に知ってほしいことはあるのでしょうか。
「人口的に多胎児の分娩頻度は日本ではだいたい1%だそうです。三つ子を産んでみて、世の中は私たち以外の99%の人が暮らしやすいようにできているな、と肌で知ることができました。
多胎育児と単体児育児を経験して思うのは、多胎育児は単純に2倍、3倍大変という訳ではないということです。双子ベビーカーは大きいから駅の改札も広いところでないと通れません。それだけでなく、双子ベビーカーで移動しているときにすれ違いざまに舌打ちされたことや『邪魔だな』と言われたこともありました。
でも双子用ベビーカーで生活しやすい社会になれば、車いすの人も過ごしやすくなるだろうと思うんです。少しでもいろんな人が楽しく過ごせるように、穏やかな心の目で見てもらいたいし、もっと『心のバリアフリー』が広がってほしいな、と思っています」(haruさん)
お話・写真提供/haruさん、取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
多胎育児の情報を集め、使えるサポートはフル活用するなどできる限りの工夫をしても、やはり多胎育児は過酷なものだということがharuさんの話からよくわかります。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年3月の情報であり、現在と異なる場合があります。