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「“こうのとりのゆりかご”は僕の人生のスタート地点」自身の生い立ちを実名で公表。込められた想いとは【宮津航一さんとご両親にインタビュー】

更新

宮津航一さんが代表となってボランティア活動する「ふるさと元気子ども食堂」。「両親にもサポートしてもらっています」(航一さん)

『親の背中を見て子は育つ』ということわざがありますが、3歳のとき“こうのとりのゆりかご(※1)”に預けられた宮津航一さんも、その教えになぞらえる1人かもしれません。

「“ゆりかご”のおかげで命が救われ、今の生活がある。感謝しています」そう話すのは、2022年春に自身の生い立ちを公表した航一さん。
今回は中学時代から現在までの様子、生い立ちを公表した理由や想いなどについて、航一さんを中心に父親の美光さんと母親のみどりさんを交えてお聞きしました。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

生徒会長や応援団長、県大会準優勝も。“父みたいに…。兄を超えたい!”

中学校に入学したころの航一さん。

さまざまなメディアから注目を集め、現在はさらに活動の場を広げている航一さん。

「航一は19歳の大学生。29歳の社会人じゃないですよ」と冗談交じりに話すのは、父親の美光さん。テレビ取材や講演会などでも、ハキハキと的確に受け答えする姿が印象的です。

そんな航一さんの中学・高校時代は、どのような様子だったのでしょう?

「走るのが得意だったので陸上部に入部しました。中学では生徒会長や応援団長を務めて。もともと人前に出て話すことは苦手じゃなかったんです。
物心がついたころから、父が講演会などで話す様子を見ていて“僕もやりたいなぁ”と思ってて…」(航一さん)

両親のボランティア活動や日曜のミサなどにも一緒に行き、いろいろな方にかわいがってもらったそうです。

「いろいろな場所に連れて行って、たくさんの方に会っていたから、人前に出ても物おじしないのかもしれませんね」(みどりさん)

「日曜のミサは、たくさんの方の前で聖書の朗読をする機会があるんです。航一は、小学生のころから家で一生懸命練習してね。
“テン(読点)のところは一呼吸して、“マル(句点)のところは息を吸いながらみんなを見渡そう”なんて教えてね。航一が教会で朗読すると、みんなに“感動した!”って言われてました」(美光さん)

5人のお兄さんにも刺激を受けたようです。
「兄たちに勝ちたい!みたいな気持ちがあって。4番目の兄が中学で生徒会長、2番目の兄は中学で応援団長と高校で生徒会長。1番上の兄も高校の生徒会役員をやってたんです。それを越したいって思ってました」(航一さん)

高校3年になると、100m走で県大会準優勝。県知事賞に相当する『熊本県がんばる高校生表彰』なども受賞します。

「『熊本県がんばる高校生表彰』は、県内の各高校から1名だけもらえる賞で。僕の自慢の賞です」(航一さん)

航一さんの人柄を美光さんはこう話します。
「航一は几帳面ですごく努力するんです。机の上はいつも整理され、部活の朝練や夕練なども本当によく頑張っていました。思春期の反抗期はなかったね。たぶん、僕が脳梗塞を患ってそれを気にかけてたからじゃないかな」(美光さん)

美光さんが倒れたことを機に、戸籍上も親子に

美光さんが脳梗塞を患ったことを機に普通養子縁組(※2)を申請。2020年12月25日、戸籍上も親子になります。

「うちがファミリーホーム(※3)をしているのは周りも知っていたので、友人から生い立ちを聞かれることもありました。でも、里子(※4)や里親(※5)を知らないことがほとんどで…。
自分は里子だって1人に言ったら、全員に説明しないといけないから、ちょっと面倒だなと思って言わないでいたんです。
だから、“ちゃんとした親子ばい”って答えたときに引け目を感じることもありました。

でも、養子縁組をしたあとは、胸を張って親子だって言えるようになりました」(航一さん)

陸上部引退後、子ども食堂の立ち上げへ

毎月第2土曜日に開催中の「ふるさと元気子ども食堂」。「初めは40人くらいでしたが、最近は最大187人の方に参加いただいています」(航一さん)。約1年前から第4土曜日に一人暮らしの学生対象に食料提供も実施。

高校3年の6月、部活を引退するとすぐに「ふるさと元気子ども食堂」を始めた航一さん。立ち上げのきっかけは3つあると話します。

「両親のボランティア活動をずっとそばで見ていて、“何かしないと”って思うだけじゃなくて、声をあげて自分が動くことが大切だなといつも感じていました。
また、新型コロナの影響で学校が一斉休校になって、子どもたちの居場所がなくなっているなと思い、つながれる場所が欲しいと思っていて。そんな時に福岡県で子どもが餓死したというニュースを聞いて…。

日ごろから地域の人たちが、子どもたちに目を向けていたら、未然に防げたんじゃないかなと思ったんです。子ども食堂なら、子どもたちも立ち寄りやすい気がして立ち上げることにしました」(航一さん)

気軽に遊びに来たり相談できる場所に!

子ども食堂がどんな役割でありたいかを航一さんに尋ねると、
「食事の提供だけじゃなく、子どもたちが楽しいと思える場所にしたいです。気軽に遊びに来たり相談できる場所になるように、レクリエーションやビンゴ大会などの遊びもやっています」

立ち上げから約2年。子どもたちの様子を見ていて気づきもあるそうです。

「いろいろな子どもが来てくれますが、中には不登校などの問題を抱える子もいます。
そういった子たちにじっくり話しを聞くと、お母さんが精神的に不安定だったり、家庭環境が複雑だったり。家庭の問題が子どもに影響を与えていることも多くて…。

民生委員の方がボランティアで参加してくださったり、スクールソーシャルワーカーさんとも連携して子どもたちに目を向けています」

「“ゆりかご”を評価するのは当事者であるべき」と公表を決意!

航一さんが講演会で登壇している様子。スクリーンには自己紹介として“こうのとりのゆりかご出身、里親家庭育ち、普通養子縁組経験者”の文言も。

2022年3月。航一さんは高校卒業を機に、自身が“こうのとりのゆりかご”に預けられた子どもだと公表します。
なぜ、公表に踏み切ったのでしょう?

「小学生のころから、匿名で4~5回取材を受けたことがあるんです。そのときから、成人したら顔を出して実名で自分の生い立ちを公表したいとずっと思っていました。
匿名よりも実名で公表したほうが、その重みも発信力も違うと感じていたからです。

“ゆりかご”に対しては賛否両論ありますが、最終的に“ゆりかご”を評価するのは、預けられた子どもたちだと僕は思っています。
公表することで、これまで預けられた161人の子どもの1人として、“ゆりかご”を評価できるかなと思って決断しました」

自身が公の場に出ることで、ほかの預けられた子どもたちにメッセージが伝わったらうれしいと航一さん。
「ほかの子たちが声をあげられなくても、僕がその想いを代弁して社会に伝えていく必要性はあるかなと思っています。
なかなか難しいことですが、“ゆりかご”に預けられた子ども同士のネットワークを築くことが今後の展望です」

生い立ち公表後は気持ちがラクに

生い立ち公表後、気持ちに変化があったと航一さん。
「公表後もいろいろな意見が出るかなと思っていましたが、想像以上に温かいメッセージをもらいました。
これまで、自分の生い立ちに蓋をして生きていた感じでしたが、今は蓋を外して話せるようになれて。気持ちがラクになりました。友人たちとも変わらぬ関係が続いていますしね。

“ゆりかご”に預けられた何人かの子たちとつながれたり、いろいろな方とお会いできたり。貴重な経験をする機会ももらえて、公表してよかったと思います」(航一さん)

“1人じゃない!”預けられた子どもに伝えたい想い

“ゆりかご”に預けられた子どもに伝えたいことを尋ねると、

「“ゆりかご”にはいろいろな意見があるけど、僕は貴重な経験をしたと思っています。この経験は、今後の人生に活かせると思うので、自分の生い立ちをプラスに捉えてもらえたらなと。
同じような境遇の子はたくさんいる。1人じゃないから、前向きに進んでほしいと思います」(航一さん)

家族とは?血のつながりよりも大切なこと

宮津家のお正月の玄関の様子。「宮津ファミリーホームを卒業した子たちが帰ってくると、玄関は靴でいっぱいになるんです」(航一さん)

航一さんとご両親にとって「家族」とはどのようなものなのでしょう?

「家族って言うと、“血がつながっていること”をイメージする方が多いと思いますが、父が言ってくれた“最後まで味方でいることが家族だ”という言葉に今も支えられています。最後まで味方でいる存在であって、絆がしっかり築かれていれば、家族と呼べるんじゃないかなと。

里親家庭で育った僕が社会に一歩出ると、僕の“当たり前”と社会の“当たり前”に違いを感じることがあります。でも、その違いを悲観的に感じないのは、父の言葉のおかげかなと思います」(航一さん)

美光さんとみどりさんは、これまでの経験を通して、家族についてどう考えているのでしょうか。

「 “子どもに帰れる家がないなら、帰れる家をつくろう”。ファミリーホームを始めるときのテーマにもなりました。その子にとって帰れる家をつくることで家族関係もつくれると思ったからです。

うちには、航一のほかにもいろいろな子が来ましたが、1年半しか一緒に過ごさなかった子も、31歳になる今でも長期休みには帰ってきます。
家族に血のつながりは関係ないと思っています」(美光さん)

地域の子どもや“ゆりかご”に預けられた子どもなどのために、積極的に行動する航一さん。その様子は、帰れる家がない子どもに帰れる家をつくった、美光さんとみどりさんの姿に似ているなと思う方も多いのではないでしょうか。
「親の背中を見て子どもは育つ」ということわざも、血のつながりは関係ないのかもしれませんね。

写真提供/宮津航一さん 取材・文/茶畑美治子

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年3月の情報で、現在と異なる場合があります。

こうのとりのゆりかご※1 どうしてもわが子を育てられないと悩む実親などが、その子の命と未来を守るために最終的な手段として子どもを預けられる施設。(熊本県・慈恵病院のHPを参照)

普通養子縁組※2 親(育ての親)と養子の同意で成立する縁組。実親との法律上の関係は残る。(厚生労働省のHPを参照)

ファミリーホーム※3 小規模住居型児童養育事業。さまざまな事情から、家庭的な環境で暮らせない子どもを養育経験が豊富な里親や児童養護施設職員などがその家庭に迎え入れて養育すること。5~6人まで受け入れ可能。(厚生労働省日本ファミリーホーム協議会のHPを参照)

里子※4 さまざまな事情から、実親などが他者に預けて養育してもらう子どものこと。

里親※5 さまざまな事情から、実親と暮らすことができない子どもを預かり、自宅に迎え入れて養育する人のこと。

プロフィール

宮津航一さん
2003年11月5日生まれ。熊本県立大学2年生。ふるさと元気子ども食堂代表、熊本県警察本部長委嘱少年サポーター、熊本県立大学学生団体「PUKRUN」部長、熊本県ファミリーホーム協議会事務局・HP担当、ふるさと元気ドレッシングHP運用責任者。

宮津美光さん・みどりさん
学生時代から社会福祉にかかわるボランティア活動に従事。お好み焼き店経営を経て、2011年に宮津ファミリーホーム(※8)開設(熊本県内初)。現在までで30人超の里子を迎え入れる。少年の健全育成・自立支援などの活動を行うNPO法人シティエンジェルスくまもと(2020年解散)代表や熊本県里親協議会事務局長を経て、現在は熊本県ファミリーホーム協議会副会長、熊本県少年警察ボランティア連絡協議会副会長(熊本東地区同会会長)熊本県公安委員会委嘱少年指導委員 。

・熊本県ファミリーホーム協議会ホームページ

・ふるさと元気ドレッシング工場ホームページ

・ふるさと元気子ども食堂 instagram

・宮津 航一さん Twitter

・宮津 航一さん youtube

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